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便所と風呂、外から内へ



               求めてきた「快適」な暮らし(5)

                ☆便所と風呂、外から内へ

 その昔の農村部の便所と風呂(註1)、その戦後の変化(註2)について本稿の第一部で述べたが、それをもう少し補足しながら1960年代以降の変化について見てみよう。

 今から50年くらい前までわが国の便所はほとんど汲み取り式だった。
 すなわち、便所には排泄した屎尿を受けてためておく壺もしくは槽、したがってそれを便壷(べんつぼ)もしくは便槽(べんそう)というが、それが地中に埋められていた。そしてここから屎尿を汲み取って肥料として利用した。
 これはきわめて合理的だった。川や道路に捨てたり、垂れ流したりしないのできわめて衛生的だったし、人間が農地から収奪した養分を再び農地に返すというまさに合理的な物質循環の典型でもあったからである(註3)。

 前に農家の外便所の合理性などについて話をしたが(註1)、私の小さいころは農家だけでなく町場でも大きな屋敷の家では外便所だった。また、長屋などには外に共同便所があった。聞くところによると、明治以前は都市農村を問わず外便所だったようで、明治以降、次第に家の中に取り込まれるようになったとのことである。だから戦前は、農村部ではほとんどが、都市では富裕層と貧困層の両極の家が、外便所だったといえるのかもしれない(これは私の勝手な推測だが)。
 また、わが国では小便所と大便所を別に設けており、外便所の場合、小便所には便器がなく、小便用の便壺に向かって直接用を足した。地方にもよるらしいが、その昔は女性も男と同様にその小便所を利用し、立ってしたものだった(註4)。
 大便所に関しては便槽の上に床板を敷き、そこに穴をあけて金隠し(陶器もしくは木でつくられた覆い・前板)をおき、そこをまたいでしゃがんで用を足すというもの(いわゆる和式)だった。
 なお、便槽に渡した床板を長四角に切って穴をあけただけという便所もあった。母の実家がそうだったが、こういう家がけっこうあった。山形にある私の生家の場合金隠しとして木製の前板があり、子どものころはそれにつかまって用を足したのだが、それが母の実家に行くとなかった。それで、穴に落ちそうで本当にこわかった。それを回避するためにあるのが、上からぶら下がっている縄である。その縄にすがって用を足すのである。
 それから、外便所の場合は小便所に扉はなかった。大便所には扉があるが、入り口全部を覆うものではなく、半分くらいの大きさの木製の開き戸が多かった。だから、立ち上がると扉の上から外が見える。逆に、外からは用を足している人の足が扉の下に見える。しかし、用便しているところは外からは見えないようになっている。扉の上からのぞかない限りだが。私の生家の場合は入り口全部をふさぐ開き扉だったが、扉の上の方が透かし窓になっており、中の空気が外と自由に行き来していた。なお、貧しい農家のなかには、むしろをぶらさげて扉としている家もあった。
 もちろん、戦後の民主化によって農村部の貧困が戦前ほどでなくなったことにともなつて、また生活改善運動の展開によって農家の便所の改善がなされるようになり、かつてのような便所は見られなくなった。
 しかし、いずれにせよ開放的だった。だから外の空気が中に入り、便所のなかの臭いが外に出るので中はそれほど臭くなく(ただしそのまわりは臭いが)、また日中は光が入って明るかった。

 さて、町場の家の内便所の場合だが、その扉は隙間のないようにきっちりとつくられていた。家の中に悪臭が入らないように、またハエなどが入り込まないようにであろう。そうすると、便所の中に臭いがこもる。それをとりのぞくために外に出ている便槽の汲み取り口のところに煙突のような換気筒をつけている家が多かった。
 それから内便所の場合、小便所には木製もしくは陶器製の小便器がついていた。外便所のように直接便壺に向かって排尿をしなかった。悪臭や汚れ等を回避するために便壺を隠す必要があったからだろう。

 農村部では便所と並んで風呂場も外にあったという話しを前にしたが(註1)、私の生まれたころの町場の家は内風呂だった。しかし、古い大きな家は、便所と同じように、外風呂だった。ある人から聞いたら、内風呂になったのは便所と同じように明治以降のことのようである。
 しかし、町場で家に風呂のある家は多くなかった。銭湯に行くというのが多かった。私が銭湯に入ったのは大学の寮に入ったときが初めてだったが、銭湯が普通の時代だった。街のあちこちに煙突が立ち、その下にある銭湯が昼過ぎから開いていた。
 60年代半ば、家内と結婚したときも銭湯通いだった。だから、かぐや姫の『神田川』の歌(註5)を聞いたときには本当になつかしかった。
  「貴方は もう忘れたかしら 
   赤い手ぬぐ マフラーにして
   二人で行った 横丁の風呂屋
   一緒に出ようねって 言ったのに
   いつも私が 待たされた 
   洗い髪が 芯まで冷えて
   小さな石鹸 カタカタ鳴った‐‐‐(後略)‐‐‐」
 ただし、待たされたのはいつも私の方だったが。
 ついでに言えば、同じくかぐや姫の『赤提灯』(註5)を聞いたときは私たちの生活とまったく同じだったので驚いたものだった。
  「あのころ 二人のアパートは
   裸電球 まぶしくて
   貨物列車が 通ると揺れた
   二人に似合いの 部屋でした‐‐(後略)‐‐‐」
 アパートではなく、普通の家の二階の6畳+台所の一間を借りたのだが、まさにあの当時は裸電球、しかも仙山線の線路のわきの家だったので、列車が通るたびに揺れたものだった。だからこの歌はカラオケでの私の持ち歌の一つになっている。
 ちょっと脱線してしまったが、銭湯はやはり外風呂の一種、村も町も外風呂が普通だったと言えよう。といっても町場の外風呂・銭湯は大変だった。家からの距離があるからだ。もちろん、前に述べたように村にも銭湯があったのだが(註2)。

 私とほぼ同年代で宮城県北の金成町(現・栗原市)出身のAKさん(中国文学研究者)が、農家だった自分の家の風呂は便所と隣り合わせだったという話をしてくれた。これはあり得るので何ということなしに聞いていたが、何か違和感がある。単なる隣りではなさそうなのである。よくよく聞いてみると、風呂の水の落とし口が便壺の上にあるようにしてあるのだというのである。そして便壺に風呂のいらなくなった水が流れ落ちるようになっているのだという。つまり屎尿と風呂の排水がいっしょになるのである。それでは風呂場は臭くなるのではないかというと、便壺のほんの一部が風呂場と重なるだけなので臭くないという。
 なるほど、これも合理的かもしれない。風呂の汚水を河川に流したりせず、しかもそれを屎尿といっしょに貯めて後に田畑に還元するのだからである。私の生家のように都市近郊でなく、町場から屎尿を収集することがないので屎尿が少なく、お風呂の排水で薄めて量を多くして使うことが必要だし、可能でもあったのだろう。

 このような違いはあったが、農村、町場ともにその屎尿は便所から汲み取られて農地に還元された。
 しかし、東京など大都市はそうではなかった。明治以前の江戸や京都の屎尿は近郊の農家の農地に還元されたという話を前にした(註3)が、明治以降はそれができなくなってきた。都市化の進展にともなって急激に膨張した人口による屎尿の激増、もう一方での近郊農地の減少による屎尿需要の減少が、屎尿処理問題を引き起こしたのである。その結果、屎尿を廃棄する場所を探さざるを得なくなった。そのもっともいい捨て場所は東京湾だった。かくして連日大量の屎尿が投棄され、今でいう海洋の富栄養化などの環境問題を引き起こす走りとなった。そこで下水道整備や屎尿処理場・浄化槽の整備が戦前から進められたが、都市化のスピードには追い付けなかった。
 こうした屎尿処理問題に拍車をかけたのが戦後の化学肥料の大量生産と安価な供給だった。屎尿を農地に散布しなくともすむようになった(註6)ために問題はさらに深刻化することになったのである。
 戦後のさらなる都市膨張は、そればかりでなく生活雑排水の処理問題も深刻化させ、合成洗剤の普及ともあいまって、河川が激しく汚染されるという問題を引き起こした。

 このような大都市の環境破壊問題はやがて地方都市や農村部にまで波及するようになり、屎尿処理、生活雑排水問題は全国的なものとなった。農家の屎尿の汲み取りと農地還元がなくなったからである。それはまた農家にも問題となってはねかえってきた。ダラ汲み百姓から脱却できたのはよかったのだが、農家自らが屎尿処理問題をかかえることになってしまったのである。
 そこで1960年代から全国的に屎尿処理施設の建設が進められ、同時に都市部においては下水道の整備が進められるようになった。それに対応して水洗便所が普及するようになった。
 また農家は、屎尿の農地還元がなくなるなかで個々で合併処理浄化槽(生活排水の浄化も含む)を設置せざるを得なくなってきた。その設置工事は、戦後の生活改善や新改築で進んでいた外便所の内便所化を推進させた。
 やがて集落排水事業が始まり、農村部でも下水道の整備がなされるようになってきた。水洗便所化も進んた。といっても、まだまだ農村部の下水道整備は遅れており、なかでも東北の普及率は全国平均を下回っている。

 一方、風呂についていえば、燃料の石油、ガス等への切り替えにともない、また上水道の普及によって水道から直接風呂に水を入れることが可能になったのにともない、住宅の新改築や浄化槽設置をきっかけに内風呂にするようになってきた。これは農村部、都市部ほとんど同時であったが、これにともない町場の銭湯が減少するようになってきた。
 やがて薪炭を燃料とする鉄砲風呂、五右衛門風呂はなくなり、それと合わせて木桶風呂がなくなり、コンクリート製のタイル貼り、プラスチック製の浴槽、ユニットバスに変わっていった。また、水道が直接浴槽や洗い場に通じ、シャワーも設置できるようになった。
 ただし、入浴の仕方、つまり風呂に全身を沈めて入浴し、身体は洗い場で洗うというこれまでの日本の入浴の伝統は変わることなく引き継がれている。もちろんこれは町場でも同じである。
 こうして1970年ころにはほとんど木桶風呂がなくなった。

 かくして、内便所・内風呂という点では、農村部も町場と同じようになってきた。
 前に、外便所・外風呂にはそれなりの合理性があると言ったが、冬などはきわめて寒く、それで脳卒中を起こしたり風邪をひいたりするなど問題もあり(註1)、銭湯からの帰り道にタオルがガチガチに凍ってしまうなどということもあった。こうしたことが内風呂になることで解決されたということは喜ばしい。
 また、屎尿汲み取りがなくなり、水洗便所になったこともハエなどの害虫の発生や伝染病(今は感染症というらしいが)の蔓延、悪臭等の衛生上の問題を解決したということでも大きな進歩ということができる。

 しかし、人糞尿を肥料として使わなくなったことはきわめてもったいないし、生態系の循環システムからしても問題である。世界的に見てもきわめて優れていた日本の屎尿利用システム、これを新たな段階で再構築することが考えられないたろうか。
 また水洗は水資源の浪費にもなるが、これを何とか解決できないだろうか。

 銭湯がなくなる、単なるノスタルジアでしかないのかもしれないが、これはさびしい。でも、こうした何人もの人がいっしょに裸になって風呂に入るという銭湯的入浴は温泉の大浴場に残っており、それが救いかもしれない。
 もう一つさびしいことがある。こうした変化のなかで桶の文化が廃れてきたことだ。
 木桶風呂はなくなり、湯桶は木製からプラスチック製になった。杉や檜の香りをかぎながら風呂に入るなどということはなくなってしまった。肥え桶、柄杓、これはもう使わなくなった。
 それにともない風呂桶屋や桶屋、桶職人はいなくなってきた。風呂、便所の変化は桶の文化を消滅させたのである。
 もちろん、それだけが原因ではない。かつての木製の手桶、たらい、漬物桶、味噌桶、おひつ等々、例をあげれば限りがないが、こうした木製の桶が使われなくなってきたこともある。
 日本には用途形状大小さまざまな種類の桶があった。それも地域により職業により用途により異なった。農業用の桶もさまざまあった。だから桶屋さんはたくさんあった。子どもの頃桶屋さんの前で桶造りをのぞくのも面白かった。よくもまあ器用に組み合わせ、ばらばらにならないようにするものだと感心して見ていたものだった。あの職人芸、桶造りの文化が消えてなくなりつつある。
 「たがを締める」、「たがが緩む」、「風が吹けば桶屋がもうかる」、若者はこういう言葉の意味がわからなくなっているが、やがて死語となるのだろうか。

(註)
1.11年1月17日掲載・本稿第一部「☆外便所、外風呂」、
2.11年3月28日掲載・本稿第一部「☆台所・風呂の改善」(2~4段落)参照
3.10年12月11日掲載・本稿第一部「☆足踏み脱穀機止まりの機械化」(5段落)、
  11年3月11日掲載・本稿第一部「☆『循環型』だった農業」(3~4段落) 参照
4.前掲11年1月17日掲載記事(1段落)参照
5.下記の記事で山形のもんぺとのかかわりで立ち小便について述べたが、他の地方でも便槽の上にまたがって立ってしたところがあったとのことである。
  11年2月7日掲載・本稿第一部「☆人の取り上げ」(2段落)参照
6.歌:かぐや姫、作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、「神田川」1973年、「赤ちょうちん」74年。
7.11年3月7日掲載・本稿第一部「☆化学化の進展と動力耕耘機の普及」(1段落)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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