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「ドラえもんのポケット」とゆとり



               便利で豊かな社会―その裏表―(8)

               ☆「ドラえもんのポケット」とゆとり

 「ドラえもんのポケットに入っているもののなかから、ひとつあげると言われたら、何をもらう?」
 小学校四年だった孫とこんな話になったことがある。私と家内はすぐに決まった。
 「『どこでもドア』にしよう。そうすると、いつでもどこでも、あなたたちにすぐに会えるから」
 孫はちょっとだけ私たちと違った。
 「ぼくは『タイムマシン』にする。おじいちゃんとおばあちゃんがいなくなっても、それに乗っていつでも会いに行けるから」
 東京に住む孫に会いに行こうと思えば2時間で行けるようになったのに、電話でいつでも声が聞けるのに、最近はそれで顔も見られるようになったのに、『どこでもドア』が欲しいと考える。孫などは『タイムマシン』がいいとまでいう。
 私がのび太と同じ年頃だった戦前から戦後にかけて夢見たもの、ドラえもんのポケットから出してもらいたかっただろうもの、そのなかに現実となって目の前にあるものがある(もちろん現実化していないものがほとんどなのだが)。そしてこれだけ便利になり、さまざまなものが豊かに手に入るようになっている。それでも、もっと便利さ、豊かさが欲しいという。人間というものは欲深なものだ。
 この欲深さが社会の進歩をもたらしたものだから、これはこれでいいことなのだろう。現に私たちは技術進歩による豊かな便利な社会を享受している。

 しかし、便利さ、豊かさはまた、気をつけないと別の問題を引き起こすようだ。
 のび太がドラえもんにもっと便利なものを要求する。ドラえもんはしぶしぶポケットから取り出す。ところが、あまりの便利さにのび太は使いすぎてあるいは使い方を間違えて失敗してしまったり、考えもしなかった別のとんでもない問題を引き起こしてしまったりする。
 ドラえもんの漫画はこうした問題点も教えてくれているようだ。

 豊かな社会は人間をだめにするものだという人もいる。
 たとえば、豊かな社会になるなかで日本人にはハングリー精神がなくなってきた、それが近年のスポーツの不振の一因だなどという。
 豊かな社会になる中で、とくに努力をしなくとも欲しいものが手に入る、何とか生きていけるのでそんなに上を目指してもしかたがない、ほどほどでいいではないか、こうなって日本人の向上心がなくなってきたとも言われる。
 たしかにそうした側面がないわけではない。
 しかし、金メダルの数が少なかろうとも、みんながスポーツを楽しみたいと思えば楽しめる豊かな社会、これはこれでいいではないか。そしてそのなかから優れた選手が生まれてさらにスポーツが盛んになっていくということもあるのではなかろうか。最近日本の女子スポーツ選手が世界で活躍するようになり、男子以上の成績を収めているが、これも便利な社会となって女性がかつてのような家事労働から解放されたこと、社会進出が進んだことが一因となっており、豊かな楽な社会というのはやはりいいことなのではなかろうか。

 芸術などは遊び、ゆとりから生まれるものではなかろうか。文房具などを買えないような貧しい生活では、朝から晩まで仕事に追われてゆっくりする時間もないようでは、詩も書けず、ましてや絵など描けない。本稿の一番最初で述べたように(註2)、かつての農家は、本来からいうと芸術家たり得るのに、芸術家たり得なかったことからもわかろう。ましてや新しい文化など創造できるわけはない。
 もちろん人間が人間であるかぎりこうしたなかでも文化を創造していくが、豊かに花開かせるというのはなかなかできない。
 やはり便利で豊かな方がいいと私は思う。かつてのもの不足の時代、不便な時代を体験しているからなおのことそう感じるのかもしれないのだが。

 都市近郊にアパート経営などによる収入を得ながら農業を継続している農家がある。その青年のなかにこうした経済的基礎があるから冒険ができるというものがいる。生産面で遊びができる、そのなかから新しい技術、販売方法等が発見される場合があるともいう。なるほどと思う。ぎりぎりの経営であれば、まちがいのないやり方しかできず、新しい発想を実験してみるなどということは難しい。
 もちろん人間である限りどういう状況下でも新しいことを発見する。しかし、研究開発の時間と金があればさらに新しいことができる。
 そもそも豊かな便利な社会の基礎となった技術の進歩は労働時間を減らし、家族の交流の時間を増やし、スポーツなど趣味を楽しむ時間、教養を高める時間を増やすものでもある。ゆとりの時間があって、生きる知恵、新しい知識をさらに多くもつことができ、より豊かな人間らしい生活を送れるようになるのである。
 家事労働の省力化などはまさにその可能性を高めるものであった。

 ドラえもんがポケットから食べ物を出すことがある。炊事などしなくともポケットから出せば簡単に食べられるのだから、これもまた便利である。
 ところが今の世の中、それに近い便利さを享受できるようになった。インスタント食品がその典型例だ。インスタントラーメン、インスタントカレー、インスタントコーヒー、インスタント味噌汁等々、お湯さえ沸かせば、簡単に食べ、飲むことができる。時間はかからず、本当に便利だ。
 だからだろう、ドラえもんの漫画にはポケットから食事を出す場面がそれほど多くはない。タイムトンネルで食べ物のない原始時代に行ったときぐらいなものだ。現在の世界にあるものなので、あえて四次元の世界から持ってこなくともいいからなのだろうと勝手に推測している。

 ところで、 インスタントラーメンができたときは、そのうち中華そば屋が潰れるのではないかと思ったこともあった。しかし、潰れなかった。ということはインスタントラーメンは自宅で食べられているということになる。ということはその分だけ家庭で米飯を食べなくなったことになる。つまり米の消費を減らす。しかし同時にそれは米飯をつくるのに要する時間を節減させる。つまり炊事の時間が減り、それだけゆとりができたことになる。
 インスタントコーヒーの普及で喫茶店が潰れるかと思ったら、潰れていない。ということはインスタントコーヒーは家庭や職場で飲まれていることを示す。ということはまた、家庭や職場での日本茶の消費を減らしていることも示す(ペットボトル入りの日本茶ができたことでそれに歯止めがかかったが、そのお茶の葉が台湾などからの輸入となるとどうしようもない)。
 これに対して、インスタントカレー・味噌汁は米飯、お茶と結びつくので、そうした問題はない。しかも米飯のさいの面倒なおかず造りを省力化させるので、ゆとりをつくると同時に、コメの消費減退を抑えることに役立っているかもしれない。ただしその原料の野菜や大豆が外国からの輸入となると単純に喜べないが。
 このように功罪いろいろあるが、いずれにせよこのインスタント食品は「偉大」なる発明、これで炊事の省力化は大きく進んだ。それに冷蔵庫や電子レンジなどの台所の電化、ガス・石油コンロ等の導入がある。また洗濯機や掃除機の普及などもあり、女性の家事労働からの解放は大きく進んだ。
 そしてそれは女性の社会進出を容易にした。実際に女性は社会に進出した。それで労働人口は増えた。もう一方で、機械化・化学化・情報化等で労働生産性は大きく高まっている。そうなると先ほど述べたようなゆとりのある豊かな生活を送ることが可能になるはずである。

 ところが、なかなかそうはならなかった。
 たとえば本来労働時間の縮小につながるべき近年の技術進歩が一方ではカローシをもたらし、他方では非正規雇用をつくりだしている。また、技術の進歩は、一方でワーキングプアを創り出し、他方で少数の富裕層への富の集中をもたらす手段となっている。技術進歩が私たちの、人類全体の幸福にすべてつながっているわけではないのである。
 そしてインスタント食品は、長時間労働で炊事もろくにできない労働者の生命を維持し、非正規労働者の生活を安価に維持するためのものとなり、長時間の通勤+労働時間でなかなか家に帰れない共稼ぎの夫婦の子どもたちの生命を維持する食べ物となっている(それが子どもの心身に悪影響を及ぼしていなければいいのだが)。
 便利な社会、その裏にはこんな問題があるのである。

(註) 10年12月3日掲載・本稿第一部「☆『真の藝術家』たり得なかった農民」参照
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コメント

[C22] 我が家では

ドラえもんそのものが欲しいと言っています。
でもドラえもんがやってきたら、間違いなく家族全員が堕落します(笑)
  • 2012-08-08 09:45
  • mayu
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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