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君が代斉唱



             格差社会の再来―前史・戦前の格差社会 ―(3)

                  ☆君が代斉唱

 1991年のことである。当時名古屋の大学にいた大先輩のNKさんが勢い込んでこんなことを私に言った。
 「『君が代』が国歌でないことがよくわかったよ」
 どういことを言おうとしているのか一瞬わからなかった。こういうことだった。
 東京農業大学創立百周年記念式典が最近あり(まさかその大学に後に勤めることになるなどとは考えもしなかった頃だから、当時は百周年を迎えたことも、そんな式典があったことも知らなかったのだが)、農経関係の学会の会長という立場から彼はそこに招待された。その式典で君が代斉唱があった。そのとき、来賓として招待されていた天皇・皇后を見ていたら、二人とも起立はしたものの歌わなかった。考えてみたらそれは当然だ。あの歌は天皇を称える歌だからだ。自分を称える歌を自分が歌うのはおかしい。ということは君が代は国歌ではないことを示している。こういうのである。
 この話を聞いて、なるほど、こういうことからもそれがわかるのかと奇妙に納得したものだった。つまり、あの歌詞はいくら考えても天皇制の永続を願っているものでしかなく、天皇のための歌だと思ってきたのだが、その通りだと言うことがこういうことからも証明されたのである。

 そもそも君が代には、日本の美しい豊かな自然がまったく描かれておらず、国民の姿も一切出てこず、世界に訴えたいメッセージもなく、他国の国歌のように国民の結束をうながし、国の誇りを歌い上げたものでもない。しかも、子ども時代に直立不動の姿勢で歌わされた君が代は、私にとっては不自由・抑圧、身分差別と戦争を思い起こさせ、さらにはアジアの諸国民に対する罪悪感、引け目を思い起こさせるものでしかない。戦時中旭日旗と君が代の歌のもとに侵略された国々の人たちに君が代が昔のことを思い出させ、日本国民に改めて嫌悪感を持たせたりしないか、心配にもなる。
 だから私は君が代を国歌だとは思わなかったし、歌いたくもなかった。歌詞ばかりでなく、曲も暗くて重く、日本独特のメロディやリズムも入っておらず、あまりいいとは言えないからなおのことである。そんな歌ではなく、なぜ戦後の新憲法のもとでそれにふさわしい歌詞と曲の国歌を新しくつくらなかったのか、非常に残念である。
 しかし、幸いなことにこれまで君が代は歌わなくてすんだ。戦後の民主化のなかで小中高では歌わさせられなかったし、ましてや東北大では歌わなかった。学問的な権威を含むいかなる権威も批判することを使命とする大学で、しかも戦前天皇制の名の下に自治が踏みにじられてきた大学で、身分差別の君が代を歌うなどということは考えられないことであり、これは当然のことである。
 ところが農大にきて驚いた。入学式・卒業式で国歌斉唱として君が代を歌わせられるのである(農大にはその創設時からの皇族との因縁があるかららしいのだが)。しかし私は歌いたくない。それで式には君が代が終わったころに顔を出すことにした。
 しかるに翌年、学科長にさせられ、さらにその後に学部長にさせられた。そうなると式に最初から最後まで出ないわけにはいかない。しかも壇上に座らなければならない。そしてそこで君が代を起立して歌わざるを得なくなった。
 しかし歌いたくない。それではどうするか。君が代を式で歌わないように提案すればいいのだが、百年も続いた伝統を変えるのは簡単ではなく、ましてや私はまだ新人、簡単に拒否されるだろう。そこで次のように考えることにした。
 式に参列している教職員、父母のなかには、君が代は歌うべきだ、そのときには当然起立すべきだと考えている人もいるだろう。その人たちの感情は傷つけないようにしよう。立ち上がる自由、歌う自由は尊重しよう。それを示すために私は起立しよう。そのかわりに、私が歌いたくないという自由も尊重してもらいたい。したがって私は口を動かさない。こうすると自分の意志は貫ける上に、学生・教職員、父母のなかに混乱を与えなくてすむ。
 こう考えて起立はするが歌わないことにした。あるとき隣りにいた教員がそれに気が付いた、学歌のときには大きな声できちんと歌っているのに、君が代は歌っていないと。そして式が終わった後大笑いをしていた。

 ちょっと前の話になるが、1988年の暮れのことである。しばらくぶりで会った友人と飲もうということになり、仙台の盛り場の国分町に出かけた。ちょうど忘年会シーズン、恐らく町のなかはすれ違うのが大変なくらい人がいっぱいだろうと覚悟していった。ところが閑散としている。景気が悪いなら話は別だが、そんな話は聞いていない。なぜだろうかと考えたらハッと思い出した。
 年末のテレビ、ラジオの歌番組やお笑い番組は天皇が重体で自粛、新聞等も天皇が心配だ、昭和はこうだったとかいう記事でいっぱいだつた。こうしたなかで「こんな時に酒を飲んで騒ぐなどしていいものかどうか」という雰囲気が何となく形成されてきていた。そうなると、忘年会などやると不謹慎だと人から見られるのではないかと不安になる。何か言われるのもいやだからとやめる。その結果飲屋街は閑散となる。それを見るとやっぱり飲み会などやってはだめなのか、みんなも自粛しているようだし、今年はやめよう、やっても一次会で引き上げようということになる。それでますます閑散となる。こうなっているのではなかろうか。
 何でこんな自主規制をしなければならないのか。何となく面白くなくて二次会で行きつけのスナックに行った。客はいない。他の店は開いてはいるようだが声がもれ聞こえてこない。外の照明は若干落としてある。店のまわりは気味が悪いくらい暗く、静かだ。
 ママさんは口説く、年末の稼ぎ時に困ったものだ、これで天皇が死んだらどうだろう、店を閉めなければならなくなり、これでは店の借金も返せなくなると。
 暗い雰囲気で飲んでもつまらない。カラオケでも歌おうと曲を頼んだ。するとママさんはやめてくれという。右翼とおぼしきものが周辺を見回っており、歌声が外にもれると店の中に入ってきて、天皇が重体のときに歌うとは不謹慎だと脅すからだ、飲むのもやめろとまでは干渉しないそうだが、ともかく気持ちが悪いというのである。
 これでは静かなのが当たり前だ。自主規制+強制、何か戦前を思い出し、いやな気持ちになったものだった。
 最近になって君が代を国歌として歌うことが厳しく強要され、教員の場合などは歌わないと処分されるようになってきた(註)。戦前の不敬罪の復活を思わせ、これも私の気持ちを暗くさせる。
 天皇の名のもとでの人権侵害と侵略を思い出させる君が代、その君が代がまた、起立したしない、歌った歌わないで思想信条の自由という人権を侵害する役割を果たさせられつつある。
 何でまたこんな世の中になってしまったのだろうか。

(註)
 国会では強要しないと答弁していたにもかかわらずである。私のように起立はするが歌わないと言う妥協もだめ、小中の先生方の場合などは処分されるとのこと、何とも困ったものだ。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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