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戦後の格差是正と差別意識の残存



               格差社会の再来―前史・戦前の格差社会 ―(7)

                 ☆戦後の格差是正と差別意識の残存

 私が研究面で非常にお世話になり、当時農業経済学界の重鎮だったKIさんと調査の帰りにいっしょに東北線の列車に乗った。向かい合わせに座っていろいろと雑談しているうちに、彼がこんなことを言った。
 来年(91年)開かれる国際農業経済学会の名誉総裁に皇族を据えたらどうか、手づるがあるので斡旋してもいいとある大学の人が言っているのだが、どうしたものだろうかと。
 カッと頭に血が上った。そして言った、もしそんなことをしたら私は農業経済学会を退会しますと。
 農業経済学会は農業・農村の発展を目標としているはずだ。ところが戦前の身分、家柄等々の封建制の残存はそれを阻害してきた。それをいかに是正するかをこれまで学会は考えてきたはずだ。しかるにそうした身分制をそのまま残している天皇家の一員を学会の名誉総裁にする、これは学会の目的と違うではないか。しかも農民は戦争に駆り出されて大きな被害を受けたが、その戦争は天皇の名のもとに行われたものではなかったか。日本人以上の被害者だったアジア諸国の農経学者、農民はそれを何と思うだろうか。こう激しく言いつのった。
 KIさんは黙って聞いていた。そして何も言わなかった。実は彼もそう思っていたのかもしれない。でも、やがて学会の中心となるだろう私のような世代のものが皇族をかつぎあげてもいいではないかなどともしかして言ったなら、世の中も変わったものだ、それならそうしようかと考えていたのかもしれない。
 結局私は学会をやめないですんだ。理由はわからないが、名誉総裁の話は立ち消えになったからである。それにしても、学者のなかにも天皇崇拝の意識がまだ強くある、ということはいかに日本の社会にそうした身分意識が根強く残っているかを示すものだろう、こう思って愕然としたものだった。

 大学2年のとき(1955年)、何の話をしていたのだろうか、寮生仲間の一人がある女性を評して私に次のように言った。
 「あの女、『百姓女』みたいな顔をしているくせにさ」
 私は怒って即座に言った。
 「『百姓女』とは何事か、その言葉は農家の女性に対する侮蔑ではないか、進歩的なことをいつも言っているあんたが何と言うことをいうのか」
 彼は慌てて謝った。
 「世間一般で使われているから言ったまでだ、農家に対する差別ではなく、悪げはない」
 そうなのである、百姓女というのは、下品で粗野で、顔は色が黒くて醜く、ごつごつした身体をしていて、着ているものも粗末な女というような意味で町場で使われている言葉だった。しかしそれは農家の女性をイメージして言われる言葉であり、私に言わせるとやはり差別用語だった。だからものすごくいやな気持ちがして反発したのだった。

 1970年代のいつだったろうか、米価闘争華やかなりし頃、宮城の農協婦人部の方々が米価要求大会に出るために上京した。そのさい街頭で署名運動をした。そこに立派な背広を着た中年の男性がつかつかと近寄ってきた。そして彼女らに向かい、
 「百姓なんてみんなバカだ、こんな百姓に米価など上げてやる必要はない」
こう言い捨て、背中を向けてさっさと歩き出した。
 彼女らは何が何だかわからず唖然としているだけだった。反論するも何もあまりのことに言葉が出なかったという。
 帰ってきてからこう口説いた彼女らに私は言った、次のように言えばよかったではないかと。
 「バカの作った米や野菜を食べているあなたはもっとバカではないか、そんな人にそんなことを言われたくない」
 それにしても彼女らには相当ショックだったようである。

 しかし、かつて農民はそんな風に思われていた。百姓は無知だ、愚鈍だ、野卑だと蔑まれていた。そう言われてもやむを得ない側面もあった。多くの農民は貧困のどん底に陥れられ、まさに無知蒙昧にさせられ、姿形もひどいものにさせられていたからである。
 そして、ものづくりやもの運びなどで直接手を汚さないものが権力、金力を握り、手を汚す農民などは最下層として位置づけられる世の中が長く続いたことが農民を卑屈にし、他方で権力、金力を握るもの、それにたかって生きているものの多く住む都市住民が農民に対して差別意識をもつようにさせられてきた。
 同時に、農民の多く住む地方の人間は田舎者とバカにされた。それは明治以降ひどくなった。江戸時代は、江戸、大阪の住民であろうとも地方を軽蔑することは今のようにはなかった。一般の町民と農民の経済的格差はそれほどなかったし、江戸が政治の中心、江戸、大坂が経済の中心であるとはいえ藩が「くに」の単位であり、「地方分権」がきわめて強かったために中央と地方の政治的経済的格差はそれほどなかったからである。しかし資本主義社会になると中央集権が進み、都市と農村の政治的経済的文化的な地域格差が激しくなる。これは法則的なものだが、日本ではそれが極端に激しかった。政治経済の中心地、商工業の中心地が極度に大きく形成され、そこに富、人、文化等が集中し、地方は富と人が吸い上げられるだけ、新しい文化を享受することもなかなかできない。それで地方は遅れているとして中心地に住む者がそれ以外の地域に住む人間を軽蔑する。
 こうしたなかでつくられた農民、農村観、これを戦後四半世紀を過ぎてからでももっている都市住民がいるということは、いかにかつての貧困がそして格差がひどかったかを示しており、また一度叩き込まれた偏見はなかなか消えないものだということを教えているものだと考えるより他ない。

 それにしても、都市住民がよくこんなことを言えるものだと思う。彼らの二、三代前をたどればほとんどが農山村出身、農家出身なのである。武家身分だったといってもその先祖はそもそもは農民だった。それは苗字を見てみればよくわかる。たとえば「田」という字が上もしくは下に付く苗字、これはその先祖が農村生まれで農業に従事していたことを示すものだが、こうした農業・農山村に関係する苗字がいかに多く、それを名乗っている人がどれだけいるかということ一つ考えただけでも、先祖の出自がわかろう。農民や村を嗤うものは自分の先祖の出自を、結局は自らを嗤うことにしかならないのだ。

 戦後の新憲法は、生まれつき属すべき職業的・社会的・文化的な身分の固定を、天皇家以外なくした。そして国民は主権者としてまた生きる権利をもつものとして法の前にすべて平等となった。
 当然のことながら神社の社格も廃止され、官社に対する国の補助なども廃止された。神社の名前を記してある柱に書いてあった社格の名称はコンクリートで埋められて読めないようにされた。まさに対等平等になった。
 こうしたなかで、農家の座敷に天皇皇后の写真がかけてあるなどということは徐々になくなってきた。

 また政治は、十分不十分いろいろあるが、この憲法の精神を実現すべく、一方では財閥解体、農地改革、所得税の累進課税、相続税・贈与税の高率化、富裕税の新設等により、他方で社会保障の充実、労働関係法規の整備等を進めるなどして、戦前のようなすさまじい貧富の格差、世襲的に固定化されつつあった社会的経済的な格差をなくそうとした。さらに、農林漁業振興政策、地域振興政策の展開、地方交付税等で、地域格差の是正をも図ろうとした。
 その結果の一つの現象形態が「一億総中流時代」だった。本稿第二部で述べたように、1970年代には多くの人が中流意識をもつようになったのである(註)。このことはかつてのようなすさまじい貧富の格差が少なくなったことを意味するものといえよう。その結果としての個人消費の拡大が、高度経済成長を支えた一つの柱となった。いわゆる一億総中流化が成長を支えたのである。
 しかし、農家の生活水準の中流化は、農業+兼業での家族総働きによって得られたものだった。とくに東北の場合、出稼ぎ収入が大きな役割を果たした。この出稼ぎの多くは工場などでは不熟練労働、建設現場などでは最底辺のいわゆる3K労働だった。そして労働の現場では出稼ぎ農民は最下層として位置づけられた。これがまた手を汚さないことが上流だと考える意識に拍車をかけ、農家に対する差別意識を助長させたということができよう。

 前にも述べたように、こうした出稼ぎは90年代に入って急減した。それにかわったのが外国人労働者だった。そしてそれはまた新たな差別を形成するものだった。しかもこの雇用にはヨーロッパの国々を見てもわかるようにさまざまな問題を引き起こす危険性がある。
 そこで財界の大きな課題となったのは、簡単に雇えて簡単にクビが切れる労働者をいかに形成するかだった。
 この課題に応えるべく形成されたのが、派遣・期間・パート労働者等のいわゆる非正規雇用者だった。それと並行してワーキングプアなどという言葉が新聞雑誌で見られるようになってきた。
 そして、戦後進められてきた格差是正の取り組みは90年代後半以降ほぼ完全に停止され、新たな格差社会が形成されるようになってきた。

(註)
11年6月3日掲載・本稿第二部「☆三種の神器、格差の縮小、中流意識」参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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