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ワーキングプアの生成―貧富の格差の拡大―



               格差社会の再来―二一世紀初頭の日本―(2)

              ☆ワーキングプアの生成―貧富の格差の拡大―

 「フリーター」、これは人生の充実を求めるために自分の好きな時間帯に好きなところで働く新しい労働形態だ、若者はそうした自由な生き方を選ぼうとしており、これからはそうした若者が増えるだろうなどと、一時期マスコミなどがもてはやした。
 同時に、正社員として同一企業に一生勤めるこれまでの日本の終身雇用形態はもう古い、年功序列では能力のあるものが報われない、アメリカのように能力主義で賃金を決めるべきだなどとも宣伝した。
 さらに官僚に対して国民がもっている不満を利用し、お役所による各種規制を緩和して自由に競争できるようにせよ、官から民にあらゆるものを移行させよ、政府による介入に頼らずに個人の自由と責任に基づく競争と市場原理にもとづいて社会経済を運営していくべきだ、戦後培ってきた平等意識は時代遅れであり、格差は当然のこと、それこそが経済を活性化させるものだとも主張した。
 実はこれはアメリカの多国籍企業を中心に推進されたグローバリゼーションの理論的支柱となったいわゆる新自由主義の受け売りだったのだが、日本の政財界はそれを積極的に実行しようとした。
 そして政府は80年代から各種国営企業の民営化を進め、それがこれまで担ってきた事業部門を大企業のもうけの種にしようとし、90年代には企業の払う税金や保険料等等を減らすために社会保障制度や農産物価格補償政策を大幅に後退させ、また金持ち減税を推進し、さらに自由に労働者を収奪できるように労働法制の規制緩和を進めてきた。
 この労働市場の規制緩和・自由化の一つとして推進された派遣労働の段階的解禁のなかで生まれたのが非正規労働者の大群だった。企業は労働者の非正規雇用を90年代後半以降一貫して増やし続け、とくに99年の派遣労働の原則自由化、04年の製造ラインの解禁で劇的に増やし、08年には雇用者の三人に一人が非正規というまさに異常な状態が出現したのである。
 やがてワーキングプアなる言葉が登場するようになった。「正規労働者並みにフルタイムで働いても最低限の生活水準も維持できない、もしくは生活保護の水準にも満たない収入しか得られない就労者」、つまり「働く貧困層」のことを意味するものだそうだが、それを聞いたとき、東北出身の石川啄木の短歌を思い出した。
  「はたらけど
   はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
   ぢっと手を見る」
 日本は明治末、百年前の啄木の時代に戻ってしまったのだろうか。マスコミなどもワーキングプアを社会問題とせざるを得なくなるほど事態は深刻化した。とくに08年に起きた世界的な金融パニックは非正規労働者増大のもつ問題点を一気に顕在化させた。

 ちょっと歴史をさかのぼるが、1929(昭和4)年、世界は大恐慌に襲われた。そしてそれが世界大戦の背景にもなったたのだが、自由放任主義的政策にこの恐慌の一因があったという反省からさまざまな経済介入政策が、また労働者の権利の保護政策が、十分不十分は別にして、世界的に展開されてきた。ところが1980年代からそうした政策は大きく後退した。こうしたなかで、29年の世界恐慌に匹敵するといわれた世界的な金融パニックが08年に起きた。80年前の亡霊が新自由主義という名の自由放任主義により再び出現したのである。
 その結果、大量の失業者が生成された。とくに非正規労働者が大量にクビを切られた。つまりワーキングプアがワーキングのつかない単なるプアとなり、まったく食えない貧困層が激増したのである。この実態については当時いろんなところで報道されたので詳しくは述べない。ただ、一つだけ付け加えておきたい。
 いうまでもなく、ワーキングプアは持ち家をもつことはもちろんのこと家賃すらまともに払うことのできない賃金しか受け取れない。したがって企業は持ち家をもたない労働者を自分の建てた寮に住まわせた。かつての土建業出稼ぎの場合には飯場に泊まったが、派遣・期間労働者は寮に住んだのである。
 問題はクビになったときのことである。当然のことながら、寮から追い出される。飯場も同じでクビになれば出て行かなければならないが、出稼ぎ労働者の場合はクビになっても帰る家、ふるさとがあった。ところが非正規雇用労働者の多くは帰る家をもっていなかった。ネット難民になれるのはまだいい方で、そこにも泊まれない人すらでてきた。
 戦後の混乱期も住まいのない失業者、浮浪児がたくさんいた。これはやむを得ないことだったが、その解決のために努力し、日本は金持ちの国と言われるようになった。
 ところが今、半世紀前のような失業者が新たに多数生まれてきた。「大人の浮浪児」すらいる時代になった。職も住むところもなく、家族からも切り離され、ネットカフェなどを泊まり歩く大人が全国各地にたくさん見られるようになったのである。やがてこうした人達は「派遣村」などで何とか年末年始を過ごせるようになった。しかしそれも一時的、また浮浪者に戻る。定まった住居のない人に就職口などない。それは自己責任だとかで放置しておかれる。最終的にはホームレスだ。
 何とか働き口を探しても不安定低賃金、保険料が払えなくて医者にかかれない人も出てきているという話もあちこちで聞いた。

 それだけではない。正規労働者でも食っていけない時代になってしまった。
 仙台のタクシーの運転手さんによく口説かれた。規制緩和とかでタクシー台数が増えすぎ、しかも月給は歩合制になってしまい、月給10万円にもならない月もある、年末の忘年会シーズンも不況で夜早く客が引き上げてしまうので20万にもならない、これでは家族が養えないと。
 とはいっても台数が増えたこと、競争で料金が上がらないことで利用者には便利になったではないか、それが規制緩和のいいところだという人もいる。たしかに台数が増えたためにいつでも乗れるし、忘年会シーズンでさえもとくに探すこともなく乗れるようになった。しかし、困ったこともある。盛り場などでは道路に客待ちのタクシーがずらっと並んで交通渋滞、大気汚染を激しくさせている。また、新しい運転手さんが増え、さらに給料の安さからやめる運転手さんを補充するためにまた新しい運転手さんを雇うために、町名や道路がわからず、利用者は非常に不便を感じることが往々にしてあった。低料金で引き合わなくなったために農村部のタクシーが激減していることも問題だ。さらに昔から地域住民に親しまれてきた中小タクシー会社は競争で成り立たなくなり、全国チェーンのタクシー会社に吸収合併される。網走から仙台に帰ってくる度に昔からなじみ深かった会社の名前が変わっているのに驚いたものだった。こんなことをやるためにタクシーの運転手さんを低賃金で働かせる、何かおかしいのではないだろうか。
 安定していると言われている公務員の給与も引き下げられている。私が東北大学を定年になった年の99年から毎年連続してだ。だから私はよくみんなに言う、私が公務員をやめるまでは据え置きはあっても引き下げはなかった、それは私に遠慮してだった、その私がやめたのでしめたとばかりに下げるようになったのだと。こんな冗談を言いたくなるほど連年の賃下げである。
 そうはいっても公務員の給与は高すぎる、低くするのは当然だという人もいる。たしかに特権官僚の給与や天下りの報酬などを見ると頭に来る。しかし大企業とくに銀行や商社等の給与を見ると多くの公務員の給与は決して高くはない。私ども教員の給与、年金もその通りで、民間の大企業に勤めた卒業生から驚かれるほどの低さだ。
 ところが、「御上(おかみ)」に対する、役人根性や官僚意識に対する反感を利用してマスコミは公務員があまり働かずに高い給与をもらっているかのごとく宣伝をする。
 たしかに中小企業などから見ると高いかもしれない。それでかつて中小企業などの求人案内に待遇は「公務員並み」というのがよく見られた。これは公務員給与が人並みの賃金の最低限の水準とされていたことを示すものだった。ところがこの最低限がいま引き下げられている。そうなれば当然他産業の労働者の給与も下げられることになる。現にそうなっており、労働者の賃金は低下の一途をたどっている。
 しかし労働組合はそれに対して闘おうとしない。リストラがあってもまともに闘わない。ましてや非正規労働者の問題など取り上げようとはしない。その不安定低賃金に対してはもちろんのこと首切りに対してさえも、自分たちの首さえ守られればいいと知らん顔できた。しかしそのうち組合員である正規労働者の首切りまで始まる。それでもたとえばストライキをやってそれを阻止するということをやらない。こんな組合ではどうしようもない、それで組合に入る人も少なくなった。
 かくして失業者が、非正規労働者が増えることになる。官公庁でも定員削減が進められ、非正規労働者が大きな割合を占めるようになっている。それはまた景気を悪くし、失業、非正規労働を増やす。こうした悪循環に陥ることになる。

 その一方で、大企業は非正規労働の雇用による人件費の抑制や首切り、さらには法人税の減税などで大きな利益をあげてますます巨大になった。また、首切りや賃金切り下げをしながらも株主資本主義とかで払われる高い配当、その配当や株式売買益に対する減税、年間何億円というアメリカを真似た会社役員への法外な報酬、こうして得た高額所得に対する所得税の累進課税率の引き下げ等々で一部の大金持ちだけはますます肥え太った。さらに紙幣や証券などの紙切れの博打的投機取引で巨額の利益を得るものも現れた。
 こうしたなかで、一部のお金持ちと大多数の働く人たちとの経済的格差は大きく広がってきた。農家を始めとする農村住民との格差については後に述べるが、これも広がるだけである。そして「勝ち組」「負け組」などという流行語が出るほど問題が深刻化し、格差の拡大やその固定化が顕在化しているのに、勝者・敗者が出るのは当たり前、敗者になるのは自己責任だとして社会問題、政治問題にせず、それどころか「聖域なき構造改革」と称してさらなる規制緩和を進めようとするだけだった。
 こうして拡大した経済的格差は子どもたちの学力格差となる。大学は金持ちの子弟の行くところとなり、何とか入学しても授業料を払えなくて高校や大学をやめざるを得ない人々も大量につくられた。私のいた農大でも親のリストラで授業料が支払えなくなった学生が何人かいた(それでやめなくてすむように大学として対策はとったが)。

 こうした格差は拡大・固定化してきた。そして貧乏人の家に生まれたら能力や働きに関係なくいつまでも貧乏人でいなければならず、一方金持ちの家に生まれたらずっと金持ちでいられるようになりつつある。こうして格差はいまや一種の身分化しつつある。
 憲法25条の言う「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は、また26条の言う教育の機会均等は、どうなってしまうのだろうか。わが国は戦後一貫して失業の絶滅、貧困の解決、格差の是正をめざし、いろいろ問題はあってもともかく一定の成果をおさめてきたのだが、これは一体どこへ行ってしまったのだろうか。

 08年の秋、仙台のデパートで北海道物産展が開かれるというチラシを見た。なつかしくなって家内と二人で行ってみた。すさまじい混雑で歩けないくらいの盛況、旧「道民」の私としてはうれしかった。
 何とか人混みをかきわけて歩いていたら、「蟹工船」という名をつけた弁当を売っているのを見つけた。小林多喜二の小説『蟹工船』が最近若者に読まれつつあり、隠れたベストセラーになっているとは聞いていたが、そのブームに便乗して新しく売り出したのだろう、あまりの商魂のたくましさに思わず笑ってしまった。ちょうど昼飯時でもあったので、何となくそれを買って食べてみようということになり、弁当の中味を見てみた。蟹はたくさん入っている。蟹工船だから当たり前かもしれない。となれば値段も安いはずだ。何しろ低賃金過重労働の蟹工船だからだ。と思ったら何と、べらぼうに高い。これだけ蟹が入っているのだからそれで当たり前なのだが、小説のイメージとはあまりにも違う。それで何となく気が抜け、買うのをやめてしまった。
 それにしても『蟹工船』がブームになるような今の社会(そのうち『女工哀史』もブームになるかもしれない)、貧富の格差がふたたび激しくなった社会、まさに世の中は逆行である。こんな社会を変えようと戦後私たちは努力してきたはずなのだが。
 とはいっても、ともかくいま若者のなかに『蟹工船』を読もうという動きが出ており、非正規労働者のなかに首切り反対などに立ち上がる動きが出てきていることを聞くと、世の中まだまだ捨てたものではないと何か気持ちが明るくなる。
 こんな思いを抱きながら、北海道物産展を後にした。こちらではめったに食べられない宗八カレイの干物(これは本当においしい)を買って手にぶら下げながら。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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