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「費用対効果」と農山村地域



                 格差社会の再来―二一世紀初頭の日本―(5)

                    ☆「費用対効果」と農山村地域

 網走に四条通りという盛り場がある。仙台でいえば一番町のような商店街だ。99年に引っ越してここに買い物に行ったときは高校生など若者も含めて買い物客が通りをぶらついていた。7年過ぎて仙台に帰る前に改めてここを通ったら、人はほとんど通らず、店を閉めているところがかなりあり、シャッター通りとなりつつあった。
 仙台に帰って一番町を歩いてみた。まともにゆっくりと歩いたのは7年ぶり、浦島太郎の感じだった。新しい建物が建ち、雰囲気も変わっていた。とくに昔からあった店がなくなり、東京などの大手のチェーン店のような店に変わっていたのが印象的だった。それでもともかくシャッター通りにはなっていなかった。郊外に大手スーパーを始めとして大型の店舗が陸続とできているにもかかわらずである。ここに中小都市との違いがある。
 それでも網走はまだいい。新興団地の方に大手スーパー等がどんどんできているので全体としてとりあえず町としての体裁を保っている。これは東京農大オホーツクキャンパスがあるからだ、こう実感したのは網走に行ったばかりのときだった。
 引っ越しのためにこの新しい商店街にある全国チェーンの電気屋に買い物に行った。仙台との二重生活となるので、必要な電化製品をそろえるとけっこうな金額になる。品物を決め、店員の方に明日の11時までに届けてくれるよう頼んだ。仙台からの引っ越し荷物が届く前に、冷蔵庫やテレビ等を据え付けておきたかったからである。ところが店員は今は混んでいてだめだという。4月の移動の時期だからこれもやむを得ないかと困った顔をしていると、店員が私に聞いた、「農大の先生ですか」と。そうだと答えると急に態度が変わり、ちょっとお待ちになって下さいと裏の事務室の方に引っ込んで行った。3~4分して戻ってきて、「まちがいなく明日指定の時間にお届けします」という。驚いていると、言葉を付け加えた、「農大様々ですから」と。そうなのである。店内を改めて見てみると、農大の新入生らしきものが親といっしょに買い物にきており、かなり混雑している。これではやはり農大様々、その教員に対してはサービスに努めるということになるのだろう。
 これを見たときに考えた。下手な企業を誘致するなら大学を誘致した方がいいと。何しろ毎年新入生がくるのだから、電化製品等は毎年春になると必ず大量に販売できる。オホーツクキャンパスの場合には毎年約400人を超す新入生が入り、そのほとんどが道外出身なので電化製品など固定生活資材は必ず買う。さらに下宿やアパートの賃料が入り、日用品の購入がある。しかも不況だからと言って学生数を減らしたり、教員をリストラしたりはしない。こんないい誘致企業はない。
 もしも農大がなければ、網走の人口は他の市町村並みに大きく減少することになっただろう。それは市民のほとんどが認めるところだ。だから旧盛り場はシャッター通りになっても新しい盛り場がともかくできているのである。もちろんそれでも仙台とは比較にならないのだが。

 だからといってすべての市町村で大学を誘致するわけにはいかない。少子化時代ではなおのこと、最近では大学さえ倒産する時代、これに期待するわけにはいかなくなった。
 しかし他の企業もなかなか進出してくれない。かつて農村部にたくさんあった弱電、繊維などの零細下請け企業もほとんど潰れている。農村よりもさらに低賃金の中国や東南アジアに移動してしまったからだ。
 進出してくれるのは大手スーパーだけだ。突然田んぼの真ん中に大きな建物がどんと建つ。夕方や土日などは広い駐車場が周辺の市町村からの買い物客の車でいっぱいになる。かわりに町の商店街は閑散とし、結果としてシャッター街となる。
 農村部の市町村だけではない。仙台など特別なところ以外の都市の商店街はほとんどそうなった。

 90年代の半ばころだったろうか、仙台のある小料理屋の女将が実は最近までうちの座敷は「談合」の会場だったと私に教えてくれたことがある。
 ときどき土建会社の営業マンが十数人集まる。座敷を締め切って何分間かぼそぼそしゃべっている。どこが入札するかを相談しているのである。やがてざわざわとして、幹事役の人から「『直会(なおらい)』だ、酒と料理を出してくれ」と声がかかる。話が決まったようだ。そして宴会が始まる。
 ある時、座敷が何か殺気立っていた。話し声もあまり聞こえない。のぞいてみると、一人の営業マンが畳に額をつけて謝っている。談合破りをしたのである。会社がにっちもさっちも行かなくなっているのでともかく仕事が欲しいと約束を破って自分が落札したらしいのだ。何分かしたら、突然何か大きな音がし始めた。びっくりしてのぞいてみると、その営業マンをみんなで取り囲んで袋叩きしている。叩かれている方は何の抵抗もせず、すみませんでした、すみませんでしたと泣いて謝っているだけだ。女将は声をかけることもできず、黙ってふすまを閉めるしかなかった。
 公共工事にはこうした談合がつきまとう場合が多い。官製談合までもある。しかし談合を見破るのは容易ではない。入札監視などの委員をやったことがあるが、入札金額や入札の経緯を見るだけでは疑問を提起することはできても見破ることなどほとんどできない。
 さらに問題なのはその談合や指名に政治家がからみ、政治献金が飛び交うことだ。
 93年には土建業者による献金問題で仙台市長が捕まり、続いて宮城県知事が捕まった。連日このニュースが流れたので、県外の友人から宮城県もたいしたものだと当時冷やかされたものだった。
 02年、網走でのことだが、大学からの帰り、いつもの通勤道路のわきに建っている建設会社の建物のまわりに人だかりがしていた。テレビのカメラマンがおり、新聞記者らしきものもうろうろしている。ムネオハウスで有名になった政治家に対する政治献金が問題になっており、それとの関連らしい。網走にもゼネコン汚職で問題になるほどの企業があるのだということが新聞・テレビで全国に知れ渡る、喜ばしいことだなどと冗談を言いあったものだった。もちろんこんなことで有名になって欲しくないのだが。
 こんなことから公共工事は評判が悪い。しかも不景気に悩むアメリカの要求で公共事業費を増やしてみたり、甘い需要予測をもとに道路や空港等を建設したりする等々、誰のために何のためにやるのか、地域住民に本当に必要なのかと私たちでさえ首をひねらざるを得ない公共事業もある。
 こうしたなかで公共事業に対する批判が高まってきた。とくにマスコミは「費用対効果」、つまり効率性からして公共事業には問題があり、しかもそれは財政危機を招く根源となっているなどと批判した。
 これを背景に、また財政危機を理由にして、政府は公共事業費を年々減額するようになってきた。
 しかし、費用対効果論を言われたら地方はどうしようもない。そもそも人が少ないのだから、都市よりも利用効率が悪いのは当然のことだからだ。
 網走でこんな話を聞いたことがある。ある半島の突端に30戸くらいの小さな集落があった。町の中心部からそこに行く道路がきわめて悪く、急病人など出ると船で病院に連れていかなければならない。しかし、真冬や悪天候のときには船を出すわけにはいかない。病人は死ぬのを待つしかない。そこで集落の人たちは道路の整備を前々から陳情していた。しかしわずか30戸のために多額の費用をかけるわけにはいかないと整備してくれない。そこである有力政治家に頼んだ。そしたらすぐに道路が整備された。それからその集落の人たちはどんなことがあってもその政治家に投票するようになった。
 有力政治家に頼んで公共事業をやってもらう、ここに問題はあったとしても、本当に費用対効果で、効率性だけで判定されて、このまま公共事業を減らしていっていいのだろうか。

 前にちょっと触れたように、昭和恐慌と大凶作で農村部が疲弊したときに救農土木事業などの公共事業が実施された。戦後は工業製品と雇用の需要創出と社会基盤整備のために公共事業が恒常的に実施されるようになった。とくに不景気になると景気対策として公共事業費が多くなり、また地域格差是正のためということで地方にもそれがかなり配分されてきた。
 こうして配分された農村部での公共事業費は、都市に対して著しく遅れている生活基盤の整備や工業に比して遅れざるを得ない農林水産業等の生産基盤の整備、さらに工場誘致等に大きな役割を果たすと同時に、土建業等での就業機会を増やした。そして公共事業は高度経済成長を支え、さらに都市と農村の格差是正に一定の役割を果たしてきたということができる。
 しかし、地方における農林水産業・伝統産業の衰退は止まるところを知らなかった。さらに、誘致企業の海外流出が急激に進み、商店は立ちゆかなくなった。所得源として何とか期待できるのは公共事業、それを請け負う土建業だけとなった。そして市町村役場の職員が「うちの主要産業は公共事業なんです」と自嘲するほど地方の産業構造は公共事業依存の構造になってしまった。
 こんな状況になっているときに公共事業を減らしたら地方はどうなるだろうか。雇用を吸収していた公共事業を担ってきた建設業者は倒産、失業者が急増することになる。税金もとれなくなり、支出は増えるばかり、地方財政はますます苦しくなる。
 こんな財政状況では地域の特性に応じた農林業振興策を独自に展開することができるわけはない。国の農林予算も大幅に減らされており、地域独自でも何もできないとなれば地域の基幹産業の農林業は衰退せざるを得ない。伝統産業の再生、地場産業の振興も難しい。

 こうした問題を解決しようと合併に踏み切った市町村がほとんどだった。それでは合併してうまくいくのか。いうまでもなく合併したからといって働き口が増えるわけではない。もっとも安定した就職先だった役場の職員などは合併でかえって減らされるだけだし、公共事業が大幅に増えるわけでもない。合併町村に特例措置で合併特例債を認め、それを財源にすることができるとしても、そのうちの3割は借金であり、借金を増やす危険性さえある。
 また、合併で住民サービスがとくに向上するわけでもない。公共交通機関などはますます不便になるだけだ。買い物難民、こんな言葉も出てくるほど、買い物は不便になり、日常生活に支障が出てくるようになった。医師や病院をみると都市部に偏在し、農村部ではまともに医療を受けることも難しくなっている。無医村をなくそうと戦後努力してきたはずなのに、今新たな無医村が生まれつつある。
 働き口もろくになく、農林業では他産業並みの所得は得られず、都市並みの便益も受けられないとなれば、若者は農山村地域に住もうとするわけはない。農山村部の人口は減少せざるを得ず、所得も低下するしかなく、他方で都市部に産業と人口がさらに集中し、地域格差はますますひろがるだけである。
 これも自己責任だ、勝ち組になりたければ自分で何とかしろというのだろうか。戦後目指してきた地域格差の是正はどこに行ってしまったのだろうか。
 すべて効率性のみで判断しようとする社会、それが日本の農業を、農山漁村を衰退させてきたのだが、これをこのまま続けていいのだろうか。

 こんなことを感じまた書きながら、私が東北を離れて以来の、21世紀になってからの日本の社会、東北農業の変化を改めて考えてみた。考えれば考えるほどすさまじい変化だった。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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