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TPPとアジアの富裕層のための農業の勧め


                     二一世紀初頭の東北農業(2)

                 ☆TPPとアジアの富裕層のための農業の勧め

 もうかなり前のことになるが、中学生と小学生の私の子ども二人をつれて映画『あゝ野麦峠』(註)を見に行った。主演大竹しのぶと助演地井武男の名演に涙した子どもたちが、帰り道に何か不満な顔をしてこんなことをしゃべっていた。ある俳優が女工を厳しくいじめる役を演じていた、がっかりした、その俳優がきらいになってしまったと。その俳優はテレビでウルトラセブンを演じていたので、子供たちは大好きだった。その正義の味方ウルトラセブン=それを演じる俳優が何で女工をいじめるのか。その俳優のイメージがこわされてしまったと怒っているのである。
 思わず笑ってしまった。私にもそういうところがあるからだ。悪役を演じる俳優には何となく悪いイメージをもってしまうし、いい役を演じるとその役者がいい人間に思えて好感をもってしまう。そんなことはないとわかっていてもそう思ってしまう。だから、ファンとしていいイメージを持ち続けたいと思うなら、その俳優が悪役を演じるときにはその映像を見ないことにするしかない。

 2011年の初頭、NHKテレビでTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)と日本の農業についてアナウンサーなどが賛否双方の立場にたって討論する朝番組があった。畜産研究者のKT君がそれを見た。その後会ったとき、彼は私に口説く、そこに出演した女子アナがきらいになったと。それまでは大ファンだった、しかしTPPに賛成する意見をいう側に彼女が立ってとんでもないことを言う、顔を見るのもいやになってしまったというのである。
 思わず笑ってしまった。実は私もその女子アナのファンなのだが、彼とは逆に、だからその番組を見なかったのである。もしかすると彼女がTPPに賛成する意見をいう側に立たされたりするかもしれない、そうすると嫌いになるかもしれないと思ったからだ。実際にそのようだった。見ていれば本当に嫌いになったかもしれない。やはり見なくてよかったと安心した。

 KT君に聞いてみた、どんな理由でTPP、関税全面自由化に賛成していたのかと。そしたらこんなことを言っていたという。
 日本のイチゴや米は中国や東南アジアなど外国の富裕層に高い人気がある、価格が高くとも買っている、TPPで関税がなくなると日本の農産物はますます中国などの富裕層に売れる、だからTPPがあってもおいしいものをつくれる技術がある日本農業は大丈夫だと。
 それを聞いたときは世の中変わったものだと思った。
 かつて政財界・マスコミは、日本農業はいかにだめかといってきた。コストは高い、価格が高い、日本の農業は遅れていて消費者に損害を与えている、そう言って自由化を進めてきた。そして輸入がいやなら規模拡大を進めろ、コスト低下を図れと言ってきた。つまり、日本農業の悪口を言って輸入自由化を進めてきたのである。
 しかし、いくら規模拡大しても、円高ドル安ではどうしようもない。自由化で農業はどんどん悪くなるだけだった。このまま輸入を増やして行ったらまさに壊滅でしかない。それを生産者ばかりでなく消費者も心配している。
 そこで言う、輸入しても大丈夫なのだと。日本の農業は中国の富裕層が喜んで買うようないい農産物を生産している、だから大丈夫やっていける、自由化はかえってやった方がいい、ビジネスチャンスなのだと。
 このように、今回は悪口は言わず、日本の農業はすばらしいと誉めて、TPP受け入れ、輸入自由化を勧める。

 中国などアジアの富裕層が買うと言うが、一体どれくらい買うのだろうか。無関税になれば一般庶民も買うので輸出が増えるという人もいるが、日本の労賃や物価水準、円高から考えて日本の農産物はやはり高価であり、一部富裕層しか買えないだろう。その富裕層も安くなればたくさん買うかというとそうはならない。いくら贅沢に食べたって一人食べる量には限度があるし、宝石などと違ってイチゴをごっそり買い込むわけにはいかない。
 一方、TPPによる輸出障壁の廃止を利用して商社等が日本のイチゴ栽培の技術と施設を中国などアジア諸国に持っていき、低賃金を利用して安く生産し、無関税で安く大量に日本に逆輸出するようになることが考えられる。そうなったとき日本のイチゴ農家はどうなるか。
 イチゴを例にして農産物の輸出は可能だ、農業は大丈夫だなどというのはごまかしでしかない。
 米も同じだ。たとえ新潟コシヒカリ10万㌧輸出できたとしても、商社等がアメリカやアジア諸国に持って行った技術と資本で生産された何百万㌧ものジャポニカ米が無関税で安く輸入されたら、新潟以外の稲作は潰れてしまう。こんな単純な計算ができないのだろうか。

 あるテレビで、肉牛生産者がシンガポールに行って自分の生産した牛肉の売り込みをしているニュースを流した。こうした高級牛肉ならシンガポールの金持ちに絶対売れる、TPPが成立したら関税がなくなるのでさらに売れるようになる、シンガポールを拠点にしてアジア諸国に売っていくとその生産者は言っていたと。
 確かに彼の言うとおり、TPPで高級牛肉が売れてあるいは彼の経営はうまくいくかもしれない。しかし日本の国内ではTPPでアメリカやオーストラリアの安い牛肉が氾濫する。日本の肉牛農家はそれと太刀打ちすることができるだろうか。彼のように、肉牛農家がみんな外国の金持ちに売ったらいいかもしれない。しかし、そうすると日本の牛肉は国外の金持ちが食べる、一般の日本人はアメリカやオーストラリアの安い牛肉を食べる、こういうことになるだろう。
 何かおかしくはないか。外国の金持ちのための生産をする、こんな日本農業でいいのだろうか。国民の生命の糧である食料を生産する、こうした農業はどこに行くのだろうか。もうけさえすればいい、自分の経営さえうまくいくなら国民の食料とか生命とかどうでもいい、ふつうの営利企業とまったく異なるところがない、こんな農業経営に国民の生命を預けることができるだろうか。そんな経営をさもいいことのようにニュースで宣伝し、TPPを宣伝する大手メディア、これもおかしくはないか。

 そもそも農業は、その成立以来、貧富の差を問わず人々に食糧や衣類を供給し、その生存を支えることを役割としてきたはずである。また、戦後日本人の味わった食糧不足を克服しよう、国民に安定して豊かな食糧を供給しよう、そしてそれは世界の食糧問題や環境問題の解決に寄与することにつながる、こうした農業のもつ公共的な意義を誇りとして、これまで日本の農家は農業をいとなんできたはずだ。それを金持ちの、しかも外国の金持ちのための農業にする。これでいいのだろうか。
 もちろん、日本で食糧が有り余っているなら、中国など外国に輸出することを目的として生産をすることも考えられる。
 しかし日本はまだ食糧が不足している。そのときに中国などアジアの金持ちの贅沢のために日本の土地を使う。一方、関税ゼロで外国から農産物が入ってきて、日本の農地の耕作放棄をさらに進める。これで日本の消費者はどうなるのか。日本の消費者は日本の農家のつくるものを食べられなくなるだけではなかろうか。

 日本のおいしい米、果物、野菜や水産物、外国の人にも食べてもらいたいと私も思う。そして途上国がさらに発展し、低賃金から脱却して、円高ドル安などの投機をなくして、そこに住む多くの人が買えるようにしてもらいたい。日本から大いに買って食べてもらいたい。それが可能な世の中になれば、日本の農家も漁家も喜んで日本人が食べる以上に増産して輸出する。こうしたことが十分に考えられるので、輸出をまったく否定しているわけではない。しかし、輸出で日本の農業はやっていけるなどと現段階で言うのは幻想を振りまくことでしかない。

(註) 監督:山本薩夫  脚本:服部佳  原作:山本茂実  製作:新日本映画  1979年

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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