Entries

がんばりきれなかった東北


                   二一世紀初頭の東北農業(4)

                    ☆がんばりきれなかった東北

 網走に行ってからの7年間、東北農業を取り巻く厳しい状況は聞いていた。そのときにいつも考えていた、いくら苦しくとも東北はがんばるのではないか、東北の農民の農業に対する熱い思いは困難を乗り越えさせるのではないか、実際に20世紀はほかの地域がどうあろうと東北はがんばってきたではないかと。
 しかし事態は深刻だった。東北を離れるときの暗い雰囲気は06年に東北に帰ってきたときもそのまま残り、それどころかますます暗くなっていた。
 そして北海道から帰ってからの5年(註1)、事態はますます悪化するばかりだった。

 私が網走に行く直前の90年代後半に40万人いた東北の農業就業人口は、2010年には26万人になってしまった。10年間で3分の1も減ったことになる。一時期担い手として注目された女子の農業就業人口は予測した通り(註2)男子以上に減少が激しく、男女比は逆転してしまった。女性が農業を支えてきた時代はもう終わりに近づいている。
 しかも農業就業者の平均年齢は、10年前の60歳が今は66歳になっている。後期高齢者が農業を支える状況になってしまった。そしてこのことは若者がほとんど新規就農していないこと、がんばってきた高齢者、戦前生まれの世代がもう限界で農業現場からリタイアしつつあることを示している。
 その結果が農耕地の減少だ。20年前東北に100万㌶あった耕地は今89万㌶に減っている。20年間で10万㌶も耕地が減少したのである。しかもその残った耕地のうちの7万㌶の耕作が放棄されている。
 現在でさえそうなのだから、今後ますます耕作放棄は増え、耕地面積の減少はさらに激しくなるだろう。高齢化がさらに進むからだ。
 戦後日本の農業を牽引してきた東北、日本の食糧基地を自任してきた東北、それが何ということだろうか。
 これでいいとはだれもいいとは思っていない。何とかしたいと思っている。しかし農業では、農村では食えないのだ。ましてや山村がそうだ。条件の悪い耕地では価格低下に対応していけないし、山村のもう一つの柱の林業は自由化による材木の価格低迷でどうしようもない状況になっている。林業をやめざるを得ない。かつて95%だった木材自給率は20%まで下がってしまった。山村の各地にあった製材所もなくなった、山村では食う道がない。もう村外に出るよりほかはない。かくして限界集落なる言葉さえ出てきた。いやな言葉だ。それが東北でも増えている。
 このままいけば限界集落はさらに多くなり、山間部だけでなく平坦部の農村までそうなってくるだろう。
 そこにTPPとくる。林業は壊滅、山村はもう限界を超え、集落は消滅するしかなくなる。いったい政財界、マスコミは何を考えているのだろう。

 そういうと、大手メディアはまた次のようにいう。
 TPPがあろうとなかろうと、日本農業はどうしようもない状態、待ったなしの状態になっている、TPPと農業衰退は別問題だ、TPPの有無にかかわらず農業再生は図っていく、だからTPPに加入しても大丈夫だと政財界・マスコミはいう。
 たしかに日本農業は待ったなしの状況におかれている。しかし関税なしにして本当に農業再生ができるのか。そもそもそうした「待ったなし」の状況にしたのはだれだったのか。農産物の輸入自由化、価格の低迷を進めてきた政財界・マスコミではなかったのか。となれば、本来からいうと政財界・マスコミが待ったなしの気持ちで自由化をストップさせ、農業振興を図っていかなければならない。ところか、それとまったく逆に、全面自由化を図ろうとする、おかしいと思わないのだろうか。

 またメディアは先に述べた農産物の輸出に加えて、六次産業化を進めれば日本農業は生きていけるという。農業と加工、販売を結びつけた六次産業、さもさも新しいことのようにいうが、こんなことはこれまでも実質的にやってきた。
 そもそもその昔は農家は農業生産から家内手工業まで、さらに触れ売りなどの販売までやってきた。それは商品経済の浸透、生産力の発展の中で解体されたが、それを新たな段階で再構築しようと努めてもきた。1980年代に言われた農業の一.五次産業化などはその典型だ。農業生産と加工を結合させることで、つまり一次産業と二次産業を結びつけた一.五次産業化で、地域農業を振興しようと取り組んだ。90年代にはさきに述べたような直売、直販等で三次産業にも乗り出そうと努力もしてきた。
 しかし、外国からの安い農産物や農産加工品の輸入はそうした努力を開花させなかった。若者を大量に地域に残すような結果をもたらすにはいたらなかった。
 それを見てもわかるように、TPPでさらに輸入が自由化されたら農家や農協を中心とする六次産業など成り立たなくなる。
 にもかかわらず、なぜ六次産業化を政財界は大きな声で言うのか。それは、二次・三次産業を支配する大資本(アメリカを含む)が一次産業をも系列化において、あるいは直接支配して、つまり自ら六次産業の支配者となって、そしてその土地を自らのものにして、これまでなかなか手をつけられなかっ一次産業をもうけの対象としていくことを狙っているからなのである。ただしそれはもうかる土地、条件のいい地域においてだけで、効率の悪い中山間地などの一次産業は相手にしないだろう。いずれにせよTPPを起因とする耕作放棄や森林の荒廃、漁業の衰退は進むことになる。

 そういうとまた言う、植物工場、これは未来の農業だ、これを推進すれば若者は残る、TPPに対応していけるという。
 しかし、太陽エネルギーや土地等の資源、つまり自然の恵みにたよらず、石油を燃やす等で資源を浪費し、そうしたなかで環境を汚染する、こんな植物工場で農産物を生産していいのか。
 植物工場はその建設で膨大な資金を必要とし、燃料費等の運転資金も大量に必要とする、つまり膨大な資本を必要とするが、そんなものをすべての農家が、すべての地域でやれるのか。そして国際競争力なるものを持ち得るのか。
 そもそもこんな植物工場でたとえば日本人の必要とする米のすべてを生産できるのか。東北の広大な水田を埋めつくすことができるのか。
 こう考えただけでも植物工場で日本農業が救えるわけはないことがわかる。

 農家が農業をやれないというなら、企業に農業を任せればいい。企業が農業をやれば十分にやっていけるという。
 しかし、今でさえ国内から国外に逃げ出している企業が国内でましてや円高ドル安のもとでまともに農業をいとなむことなど考えられない。とりわけ日本の大半をしめる中山間地帯の、限界集落地域の農業などをやろうとするわけがない。もしもやろうとするものがいればそれは別の意図があるからに違いない。

 もう戦前・戦後生まれの世代も限界だ。それでもよくがんばってきたものだ。激動の昭和初期に生まれ、豊かな農村をつくるべく、食料を豊かに供給すべく、戦後の混乱期、高度成長期、そして今までがんばってきた。とりわけ東北では厳しい気象条件を克服して農業生産力を発展させるために、また最近は社会的な生産力の発展に対応した人と土地の新しい結合の構築に向けて取り組んできた。
 そのために、家族での話し合いはもちろん地域での話し合いもやり、さらに学習会なども開いてみんなで方向をさぐろうとした。私もその学習会や講演会に講師や助言者として参加し、これからの経営や地域のあり方、農政のあり方について私の考え方を話し、農家の方を地域を励ましてきた。
 しかし、がんばりきれなかった。個々人の努力ではどうしようもなかった。地域ぐるみで取り組んでも若者の流出は防げなかった。もちろん一部には若者を残している事例もある。その優良事例を出して、やればやれる、政治が悪いのではない、やれなかったのは自己責任だというものもいる。しかし、これだけ全国すべての地域で過疎化が進み、高齢化が進み、耕作放棄が出てくることは自己責任だ、個々人の責任だなどといえるのだろうか。いくら後継者づくりに努力しても、価格が暴落して食って行けなければどうしようもないのだ。そしてがんばってきた高齢者、戦前・戦後生まれの世代はもう限界で農業現場から離脱するようになってきた。それでもまだ動ける高齢者はがんばっている。いずれにせよこれからリタイアは一気に加速するだろう。
 そんな状態になっても、若者は農業をやろうとしない。村に残ろうともしない。当たり前だ。そこにTPPだ。これでは夢も希望もない。かくして担い手はいなくなる。そして農地は荒廃することになる。

(註)
1.この節の草稿を書いたのは11年だったので5年と書いたものである。
2.12年1月30日掲載・本稿第三部「☆やがて消えゆく農村女性」参照
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR