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「ツヨイクニ」、サクランボの怒り



            東日本大震災と日本の未来(1)

          ☆「ニッポンヨイクニ ツヨイクニ」

 大震災の後、何日くらい過ぎてだろうか、CMを自粛していた民放が民間広告機構のCM(メッセージと言うべきだろうか)を繰り返し流すようになった。
 このなかには、金子みすずの詩をはじめとして、被災者のあるいは被災者を思いやる人々の心情に優しく働きかけるものがあり、慰められた人も多かったようである。
 そのなかに若い男性(俳優?歌手?)がこう話しかけるものがあった。
 「日本は強い国-----
  日本の力を信じている」
 それを聞いたとき、瞬間的にいやな気持ちになった。その後何回も聞かされたが、そのたびにそういう気持ちになる。そのうち身震いするくらいいやな気持になるようになった。なぜだろう。その言葉を発する男性の話し方のせいなのだろうか。よくわからない。いつかどこかで聞いたことのある言葉のような気もする。しかし思い出せない。
 ある時、突然次の言葉が頭に浮かんだ。
 『ニッポン ヨイクニ ツヨイクニ』
 次に続く言葉は何だったろう。そうだ、
 『セカイニ ヒトツノ カミノクニ』
ではなかったろうか。
 ここまで思い出すと連想は速い。そうだ、私たちの国民学校(現在の小学校)一年生の教科書の最初の方にあった文章だ。しかし文章が本当にこうだったか確信がない。もっと長かったような気もするのだが。
 それで調べてみた。まちがいなく私たちの学んだ国語の教科書にあった文章だった。ただちょっとだけ順序が違っていた。

 『ニッポン ヨイクニ キヨイクニ
  セカイニ ヒトツノ カミノクニ

  ニッポン ヨイクニ ツヨイクニ
  セカイニ カガヤク エライクニ』

 道理でいやな気持ちになったわけだ。強い国日本を信じ、神風が吹いて日本が勝つと信じていたあの戦争の時代に戻らされるような気がしたのだろう。
 何で今更戦時中の国語の教科書と同じことを、偏狭なナショナリズムをあおったそれと同じ文章をテレビでくり返すのだろうかと。
 また、こうした言葉が戦時中のように連日流されると、そして震災による経済的精神的不安感の高まりからすると、もう一度ファシズムの世の中がくるのかと、不安に感じたのだろう。
 もちろん、このCM(メッセージ)を制作した人、出演した人は、そんな意図はまったくもっていないだろうとは思う。
 私の考え過ぎなのだろう。心身ともに落ち込んでいるから変に考えるのだろう。
 でも、こう感じたのは私だけではなかった。私の言っていることを家内が友人に話したら、彼女のご主人も私とまったく同じことを言っていたと驚いていたという。

 私の生まれる直前、関東大震災、世界恐慌、大冷害等が続き、世の中には経済的精神的不安感が充満した。そしてそれを解決するとして軍国主義的ファシズムがますます力を得て戦争へとひきずりこみ、戦中戦後の経済的な大混乱に陥れた。
 ちょうどそれと似たようなことが今起きている。東日本大震災、国際的な経済の混乱、するとその後にやはりファシズムが来るのだろうか。そして一気に日米の多国籍企業の思うままに支配できる国となり、やがては戦中戦後を上回る経済的大混乱、国民の貧窮化が引き起こされることになるのだろうか。

 政権交代で世の中が変わると思ったらそうではなかった、前政権と同じいやそれより悪くなった、民主的な政権交代などを待っていたら世の中どうなるかわからない、このさいエイヤッとばっさり切り捨てながら何か思い切ってやってくれる政権が出てきてくれないか。こうした独裁を待望する気持ちがいま鬱積している。それに震災による経済的精神的不安感の高まりがある。この両者が相乗しあって、偏狭なナショナリズムが復活し(といってもアメリカに対してだけは国際化という名でナショナリズムを発揮せず、中国や北朝鮮がとくにその対象となるだろうが)、軍国主義化を進め、独裁政治を復活させていくことになるのではなかろうか。最近の維新の会や保守政党の極右派の動きなどはそれを示しているのではなかろうか。
 自由にものの言えない社会、自由にものの書けない社会、こんな社会には二度と戻りたくないのだが。

 歴史は二度繰り返すという、一度目は悲劇で、二度目は喜劇で。
 しかし、喜劇であろうと何であろうと、あんな歴史は繰り返したくない。
 いろんなことがありながらも、戦後営々として築き上げてきた民主主義、それはそんな時代の再来を許さないだろうとは思うのだが。


            ☆サクランボの怒り

 震災から3ヶ月後の6月初旬、近くの生協ストアに買い物に行ったときのことである。
 入り口の前に「サクランボまつり」の看板が立っていた。まだ最盛期にはちょっと早いのだが、この時期にやることはそれだけサクランボの販売に力を入れるということなのだろう。さくらんぼの産地山形の出身であり、またその4~5日前に寒河江の観光果樹園に所用で行ってきたばっかりだった私は、気分よく中に入った。
 いつもイベントをやる入り口のブースを見て驚いた。何とそこにずらって並んでいたものは赤紫色のアメリカンチェリーだった。日本のサクランボは目立たない後ろにちょっぴりおいてあるだけである。
 いつもはどんなに頭に来ても何も言わず、やっぱり生協はだめだと家内に愚痴るだけなのだが、このときだけはカッと来て、たまたま近くにいた生協の職員に言った。
 「何でサクランボまつりでアメリカンチェリーをこんなに出すんですか」
 そしたら職員は答えた。
 「消費者が安いものを欲しがっているものですから」
 「そういう人もいるでしょう、しかし今は日本のサクランボの季節でしょう、それにぶつけるようにアメリカンチェリーをおくとは何事ですか」
 「日本産については贈答用のサクランボの注文を受け付けており、それでがんばっていますので」
 「それはそれでがんばってもらいたい、しかし今サクランボ農家は大震災で売れ行きが伸びず困っているんですよ、その時期にわざわざアメリカものをぶつけるとはどういう神経をしているんですか。先週たまたま山形に行ったとき、農家は地震と原発の風評被害でサクランボが売れない、観光果樹園にも来てくれないと頭をかかえていた、そうしたサクランボ農家がこの店先を見たらどう思いますか。スーパーならこれもしかたがないだろう、しかし生協ともあろうものが何でこんなことをやるんですか。これが生協ですか。生協は日本の農家を裏切るのですか」
 こう話しているうちに涙がこぼれそうになってきた。生協職員は困ったように答えた。
 「わかりました、考えます」
 「とにかくきちんと検討して下さい」
 これで抗議は終わりにし、買い物に歩き出した。
 それから2日後、また生協に行ったら、「サクランボ祭り」の看板はなく、あれほど並んでいたアメリカンチェリーはなくなって後ろにちょっぴり並んでいるだけになっていた。私の抗議が功を奏したのか、たまたまイベントの予定日が終わったためなのかわからないが(おそらく後者だろう)。

 もう怒るのはよそうと思ってきた。怒るのに疲れたし、もう年も年、おとなしくしていよう、心安らかに老後を送ろうと思ってきた。しかし爆発してしまった。年をとるとこらえ性がなくなる、怒りっぽくなると言われることがあるが、自分もそうなったのだろうか。
 でも年のせいだけではなさそうだ。サクランボだって怒りたくなる状況だ。怒りたくなることが、いや怒らなければならないことが、震災後もあまた起きているからこうなっているのではなかろうか。
 せめて年寄りが愚痴をこぼす程度ですむような社会に早くなってもらいたいものだ。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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