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日本人の涙と「絆」




            東日本大震災と日本の未来(2)

                ☆日本人の涙

 地震で、津波で、かけがえのない人々を失い、家を失い、故郷を失ってしまった。ただ呆然とするだけ、ある被災者は涙が一滴も出なかったと言う。涙は出る、しかし泣いていなかったとも言う。
 あまりのことにうなり、叫び、ため息をつき、頭をかかえるだけだった。予想だにしなかった地震、津波は、あまりの衝撃は、一瞬泣くという人間らしい感情すら奪ってしまった。
 泣きたいのだろうが泣くに泣けない。何日かしてようやく涙があふれてきた。しかし大声では泣かなかった。

 こんな悲しい目にあっているのに日本人はなぜ大声で泣かないのか、こんな日本人とはつきあえない。震災のとき日本に滞在している娘夫婦をたまたま訪ねてきていた韓国のお母さんがそう言って怒って震災後すぐに帰国してしまった。
 こんな話を家の光の元記者YMさんから聞いた。震災から一か月くらいたってからだったろうか。なるほど、そういう見方もあるのかと感心?してしまった。
 たしかに外国の人々の悲しみの表現は大きい。しかし日本人はその悲しみを抑える。私もそうだ。小さいころから私たちは人前で泣くのは恥ずかしいことだと教わってきた。じっと我慢をするのが美徳だと考えさせられてきた。自分の悲しみを見せないことで他人を悲しませないようにする、こういうこともあるのではないか。これは日本人の優しさであるのかもしれない。
 しかし抑えれば抑えるほど、悲しみというものは深くなる。だから思い切って大声で泣いた方が楽だ。しかしそうした楽をしないで、深い悲しみで苦しみながら、それを乗り越えていく。日本人はこうやって涙をこらえながら、それでもついつい涙をこぼしてしまいながら、生きてきた(のではないかと思う)。だから私はそれでいいと思っている。
 でももう私は我慢することができなくなっている。もちろん嗚咽は抑えようと努力はしているが。

 男は泣くものではない、私たちは小さいころからそう言われてきた。
 今回の震災では、男も女も、悲しみで、喜びで、みんな泣いた。これは当たり前だ。
 しかし、この震災で男は女以上に涙を流した。被災者のある女性がそう言って笑っていた。そして続けて言う、女性は被災後すぐに立ち上がった、しかし男は最初は全然役に立たなかった、本当に男はだめだと。
 そもそも男は泣き虫、弱虫だったのではなかろうか。そういえば自分もそうだ。だから男は泣くものではない、強くあらねばならないと昔から言い続けられてきたのではなかろうか。
 こんなことを考えさせられ、ついつい一人で苦笑いしてしまった。

 秋、津波を受けなかった福島の田んぼは黄金色に実った。しかし、放射能があるということで、捨てざるを得なくなった。農家の方は、米を手に持って泣いていた、米に申し訳ないと。何でこんな涙まで流させるのか。

 震災から一年すぎたころの新聞に、ある被災者が次のように語ったと出ていた。
 「『あの日』を境にうまく泣けなくなってしまった」
 胸を突かれた。人間としての感情をここまで狂わせてしまった。
 素直に泣けるようになる日ができるだけ早く来ることを願うしかない。そのために私たちができることは何かをこれからも考えていきたい。


            ☆「絆」、それを断ち切るもの

 みんな優しかった。ボランティアの方は献身的に活動し、多くの方が募金をし、支援物資を送ってくれた。私のようなところにでさえ卒業生や友人、知人、みんな本当に優しくしてくれた。「絆」、まさにそれを感じさせた。
 しかし、原発はその絆を断ち切った。

 福島浜通りから東京に避難し、一戸建ての家を借りた人がこんなことを言っていた。庭に置いた福島ナンバーの自動車が夜中壊されていた、放射能をもってきたと思われたのだろう、一週間で這う這うの体でもとの町に引き揚げてきたと。何といやな話だろう。
 福島から避難した子どもたちが、放射能がうつると、学校でいじめられるという。学校で、家庭でどういう教育をしているのだろうか。
 東北以外の都市で岩手の瓦礫処理を引き受けようとしたら、反対の住民運動なるものが起きた。説明会場に同席した岩手県の職員が「住民」たちのあの怒声が切ないと嘆いていた。瓦礫に囲まれて一年以上も暮らしている人々はあの場面を見てどんな気持ちがするだろうか。
 東海地方のある大都市の市長は言う。被災地のごみは現地で処理しろ、自分のところでは引き受けないと。地震、津波、そして原発事故は現地の自己責任なのだろうか。自分さえよければいい、こういうのは間違いだと日本では教えられてきたはずなのだが、それはどこへ行ってしまったのだろうか。

 原発事故を起こした日本の生産物を外国の人が買わない。放射線を浴びていない西日本の生産物でさえもだ。まさしく風評被害である。
 でも、これもやむを得ないと思う。われわれだって、たとえば中国のある州で何かがあったといっても、実際そこがどこにあってどこの州と近いのか遠いのかなどわからない。すべて中国として一つと考えてしまう。ましてや日本などは小さな国、みんな一つに見えてしまう。福島と福岡の違いなど、よほど説明しないとわからない。だから日本のすべての地域が放射能で汚染されているように見えてしまうのは当然かもしれない。
 しかし日本人はそうでないはずだ。日本の地理はよく知っている。にもかかわらず、福島の、東北の名前がついているというだけで野菜、果物、魚を買ってくれない。観光地にもいかない。放射線が感知されなくともだ。これが日本人なのだろうか。
 風評に踊らされる、それどころか自ら踊り狂い、風評、デマを拡大してまき散らす。なんと悲しいことだろう。

 日本人の思いやり、苦しみを痛みをいっしょに分かち合おうとする優しさは、いったいどこに行ったのだろうか。「絆」って何だったのだろうか。
 その背景には東電のうそだらけの情報、政府の鈍いしかも不誠実な対応があるのだが、それにしてもこうやって絆を断ち切った原発には本当に腹が立つ。
 同時に、みんなもう少し冷静になれないものだろうかとも考える。

 「絆」、この言葉を政財界・大手メディアは日本人に忘れさせようとしてきた。「勝ち組・負け組」、「自己責任」、これこそがこれからの社会なのだと言って国民の絆を断ち切ろうとしてきた。しかし、この震災で国民の多くは絆の重要性に改めて気が付いた。
 しかし、政財界・大手メディアは一方では「絆」を言いながら(ボランティアや募金で安上がりで復興を進めようとしながら)、他方でそれを断ち切ろうとしている。
 その一つが、「一体改革」だ。高齢者の福祉のために現役世代が犠牲を負わなければならない世の中になってしまった、こう言って世代間対立、高齢者と若年層の対立をあおり、消費税をあげ、福祉をさらに切り捨てようとしている。
 もう一つはTPPだ。GDPわずか1.5%の第一次産業を守るために98.5%を犠牲にしてよいのか、こんなことを言って農林漁業と二次・三次産業を対立させ、TPPに参加させようとする。
 政財界・大手メディアはこうして国民を分裂・対立させてアメリカを母国とする多国籍企業、それに従属しながらさらなる資本蓄積を進めていこうとする日本の独占的大企業の思うままに支配できる国に日本をしようとしている。
 本当にこんなことでいいのだろうか。

 福島のおいしそうな桃が畑に捨てられる。
 「もったいない、私たちにそれを売ってくれ、たとえセシウムがあったとしてもわれわれ年寄りはどうせ寿命が短いんだから」
 その情景をいっしょにテレビで見ていた友人とともに思わずこう叫んでしまった。そして原発事故、一体改革、TPP、政財界・マスコミをなじりながらみんなで深酒をしてしまった。

 いろいろ問題はあっても、ともかくこの震災を契機に改めてみんなが「絆」を見直すことができたことは喜ばしい。当然これを壊そう、あるいは悪用しようとする勢力も出てくる。これに注意しながら、絆をさらに強め、みんなでいっしょに暮らしをよくしていきたいものだ。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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