Entries

原発・懲りない面々・女性



            東日本大震災に関連して(4)

            ☆核のゴミと懲りない面々

 大震災、そして福島原発の事故、これを契機に原発を廃止しようとする世論、原発の建設や再開に反対する運動が高まり、世界的にも大きなうねりとなっている。
 にもかかわらず、原発輸出国の政財界は何とか原発を世界中に売り込もうと画策している。日本もそうだ。あれだけ深刻な事故を引き起こしたにもかかわらずだ。しかも核のゴミの処理方法も決まっていない。今でさえ放射能で汚染された瓦礫、土壌をどう処理するかが大きな問題となっており、それ以上に危険な使用済み核燃料の処理方法が確立していないにもかかわらずである。
 こうしたことが大きな問題となってきたさなかの11年7月、次のようなことが新聞に載っていた(註1)。
 ウラン産出国・輸出国のモンゴルに原発の廃棄物=使用済み核燃料を引き取らせる「包括的燃料サービス」なる構想が日本・アメリカ・モンゴルの合意に達しそうだ、こんな記事である。
 うまいことを考えたものだ。原発輸出国が輸入国の廃棄物処理に責任をもつという条件なしでは原発を輸入しないので、輸出がなかなかできないでいるのが現状だからだ。だからといって、原発輸出国が廃棄物を引き取るわけにもいかない。輸出国も廃棄物処理に困っているからだ。そこでウラン輸出国がその廃棄物を引き受けるようにするというのである。
 この「サービス」が合意されれば、原発輸入国での廃棄物処理をめぐっての反対運動は起きなくてすむ。また原発輸出国の国内でも処理が自分に直接かかわりなくなるので反対は起きない。これはとくに原発輸出国である日本やアメリカにとって都合がいい。さらに日本とアメリカでモンゴルのウランを開発してやり、それを原発といっしょに売って利益を上げることもできる。そして売り込みのさいには原発の「揺りかごから墓場まで」サービスするから原発を買ってくれということができる。かくして原発の輸出入は円滑に進む。何とおいしい話だろう。
 これもいいではないか、ウラン原料を産出し、輸出した国にその廃棄物を返すのだから、もとに戻すのだから問題はないはずだというかもしれない。
 しかしこんな理屈はなりたつだろうか。
 もしもこの理屈が通るなら、石油を売った国に石油を使った国がその廃棄物の二酸化炭素を返す、こういう理屈も成り立つ。どうしてこういう提案をしないのか。しかし、二酸化炭素は気体なので返すのは難しいからそれはできないというかもしれない。
 それならせめて、食糧輸入国の人々が食べた後に出てくる家畜糞尿や人糞尿を輸出した国の農地に返す、それをやろうではないか。これはやろうと思えばできる。こうすれば輸出国の環境問題、土地の疲弊や水枯渇の解消、輸入国の糞尿処理、富栄養化問題の解消になる。これは両者にとってプラスになるからいい。
 しかし、原発の廃棄物の場合、輸出国のモンゴルには何のプラスにもならない。それどころか何かあったとき、たとえば天変地異があったとき(いついかなる時にいかなる場所で起きるかわからない、だから天変地異なのだ、ましてや放射能が消えるまで十万年、その間に起きないと言う保証はない)大きな被害を与える。
 とは言っても、モンゴルには人が少ない、広い土地があるからそれでも大丈夫、被害は少ないというかもしれない。しかしアメリカにも人の住んでいない広大な土地があるではないか。どうしてそこは使わず、モンゴルなのか。自国民は大事だが、アジア人はどうなってもかまわないのか。日本だって同じことがいえる。自分の国では反対運動があるから、また何かあったときに大変だからと、モンゴルの国内の諸事情から反対運動が起きないのをいいことに廃棄物をおしつけようとしている。
 そもそも使用者責任で処理すべきなのだ。自ら処理できなかったら使うべきではないのだ。

 これだけ原発が深刻な問題を起こしているのに、事故が起きてからわずか3ヶ月しか経っていないのに、理屈にならない理屈をつけて原発の開発を推進し、世界中に原発を輸出しようとしている日本の政財界、アメリカの軍産複合体、何と懲りない面々なのだろう。


            ☆未来を拓くのは若年層?女性?

 懲りないといえば日本人もそうだ。2030年の総発電量に占める原発の比率をどうするかというアンケート結果がそれを示している。12年8月の共同通信社の世論調査によると、15%原発依存がもっとも多いという(註2)。原発事故の被害からまだ一年もたっていないのに、安全性もはっきり確認できず、核のゴミの処理も明確になっていないのに原発の稼働を認めようとする。私にはちょっとショックだった。
 日本人は忘れっぽいのだろうか。自分が直接被害を受けていないから感じないのだろうか。福島の、他人の経験を自分の経験とすることができないのだろうか。
 原発がなくなって電力供給が円滑に進まなくなれば、工業生産が停滞し、不況になってクビになる危険性、就職口がなくなる危険性があるという心配からなのだろうか。その気持ちもわからないではない。そして、そうした心配をしないですむように自分の今住んでいる地域に原発を誘致してもいい、誘致したいというのであれば、ましてや理解してあげてもいい。しかし、自分の住むところ、たとえば東京に原発をおくのはいやだ、よそにつくれというのであれば、それは単なるエゴイズムでしかない。日本人はエゴイストになってしまったのだろうか。

 さらにショックだったのは、年代が下がるにしたがって原発依存論が多くなり、原発ゼロをいう人が少なくなることだ。20~25%依存を支持するものも若年層に多い。
 その逆だろうと私は考えていた。年寄りはいずれにせよ生きている残り時間は短い、放射能に遭っても寿命にたいした差異はない、原発を動かしてもつくってもどうでもいいと鈍感になってもいるとも考えられるからである。これに対してこれから何十年と生きていく若い人ほど放射能に敏感だと思っていた。放射能によるガンなどで苦しんだり、短命になったりしたくないはずだからだ。しかも子育ての世代、これから子どものできる世代でもある。当然敏感になっていいはずだ。そして放射能を出す危険性のある原発などできるかぎり早くなくしてもらいたいはずだ。ところがそうではなかった。
 なぜなのだろうか。放射能の怖さを知らないからなのだろうか。原子力の怖さを知らないからなのだろうか。
 高齢者の方は自らの戦争体験、戦後の民主教育で原爆の怖さを知っている。年齢が上がるにしたがいいまだ生々しい戦争・戦後体験をもっている。しかし、年を経るにしたがって戦争、原発の記憶は風化し、戦争を知らない世代が圧倒的になってきた。そうなれば、あの悲惨な戦争を引き起こした国家が、その反省に基づいて原爆を戦争を教え、平和をまもることの尊さを新しい世代に教育していかなければならない。しかし教科書はそうしたことを教えなくなり、原子力の安全性、平和利用の必要性に力点をおくようになってきた。
 その結果が若者の原発依存論となったのだろうか。

 それとも、電力が不足して生活が不便になったら困るということから、若者が原発を容認しているのだろうか。電力が現在より減ったら、若者が今一番利用している電化・電子製品が使えなくなり、慣れ親しんだ現在の安穏な便利な生活、若者に不可欠のものとなってきた情報機器の利用、スマホやゲームなどができなくなったら困るということからなのだろうか。
 やはりそうだった。政府の実施した討論型世論調査によると、「生活が不便になってもエネルギー使用を減らす」ことについて賛成意見が最も多かったのに対し、若年層の賛成意見は少なかった(註3)。
 今がよければ、未来はどうなってもいいのだろうか。

 若い人ほど現状に満足せず理想を追い求める、世の中の変革を考える、こんな風にみんな若者を見てきたのだが、それが変わってしまったのだろうか。老人が理想を求め、若者は現状を認めてそこに安住しようとする、何と年寄りじみた今の若者、これで明るい未来が切り開けるのか心配になる。暗然たる気持ちになる。

 しかし明るい面もある。
 討論型世論調査によると、原発ゼロの支持率は男性に比べて女性が非常に高かったとのことである(註2)。それを見たとき、日本母親大会のスローガンを思い出した。
 「生命を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることを のぞみます」
 そうなのである。だからこそ女性は未来を見る。こうした女性が脱原発の力となり、日本の未来、世界の未来を切り開いてくれるだろう。こう考えると少しは気持ちが明るくなる。

 いかなる世論調査を見ても、国民の過半が脱原発を志向している。そして国会周辺のデモに見られるように、それを行動で示しつつある。若者の参加者も多い。あれだけ電力不足、原発再開の安全性を説かれているにもかかわらずである。
 かつての公害大国日本を変えてきたのも日本の一般民衆の運動だった。
 やはり日本の未来を信じることにしよう。

(註)
 1.2011年7月19日『河北新報』
 2.2012年8月13日『河北新報』
 3.2012年8月23日『河北新報』
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR