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岐路に立つ被災地の農業



            東日本大震災に関連して(5)

            ☆岐路に立つ被災地の農業

 秋田県農林水産部の職員をしている教え子の一人がこんなことを言っていた。
 「大震災のとき、ともかく被災者に食料を運ぼうと県あげて何十万個もおにぎりをつくり、毎日毎日被災地に運んだ。私も被災地に行った。避難所でおにぎりを手渡すと、被災者の人たちは涙を流し、手を握って感謝してくれた。私たちが恐縮するほどだった。
 そのとき改めて感じた。農業というものはまさに命の糧である食料を生産する本当に大事な産業なのだ、これを守り育てていくのが私たちの仕事なのだと」。
 そうなのである、農業は農家の生活を維持する手段であると同時に、食や衣を供給して人々の生命を支え、食や衣の喜びを多くの人々に享受してもらう、まさに人間の生存に不可欠の産業なのである。
 そしてそこに、農業のもつ公共性に、農家は意義を感じ、誇りと喜びをもって農業に従事し、それを妨げるものに対して闘ってきた。
 同時に、かつての手労働の段階、商品経済の未浸透段階における人と土地の結合関係、つまりむらの共同により補完された小農経営と零細農地が結びついた関係を変革し、機械化を始めとする社会的生産力の発展した段階、貨幣経済が急速に浸透した段階における新たな人と土地、機械の新しい結合関係をつくりあげようと努力してきた。たとえば集落営農への取り組みなどがそうである。今回の震災の被災地においても同様だった。

 しかし、大震災はそうした農家に深刻な被害を与えた。住居や機械施設は地震や津波で破壊され、農地は瓦礫、塩分で使えなくさせられ、農地の付属施設である排水施設、農道等も破壊された。
 いうまでもなく、その回復には膨大なカネが、人手が、時間がかかる。時間はカネと人手の量に反比例して若干少なくはなるが、そのカネは農家にはない。農家によっては、後継者もいないし、高齢になっているので、このさい農業をあきらめようとするものも出てきた。
 そこで必要となるのが行財政の支援であり、震災後に対応した新たな集落づくり、人と土地の新たな結合関係の構築に向けての被災農家の取り組みである。

 こんな話を聞いたことがある(いつの三陸の地震でどこの地域のことなのか、だれから聞いたのかも覚えていないが、その中身がちょっとショッキングだったのでそこだけ記憶に残っていた)。
 その昔、大津波で村は家は人的物的なすさまじい被害を受けた。人が少なくなったうえに、伴侶を失い、子どもを失い、親を失った人がたくさんでた。このままではみんな生きていけず、家は、集落は壊滅してしまう。。そこで村の長老を中心に考えた。寡婦、寡夫、孤児、子を亡くした親等々、それぞれ適宜結び合わせて新しい家庭をつくらせ、それと土地や漁場を新しく結び付けようと。そして家の復活、地域の復活を図ったというのである。
 これに学ぶ必要があるのではなかろうか。もちろん、時代が違うし、被害の程度も地域によって違うのだからそのまま真似するわけにいかないことはいうまでもない。しかし地域の知恵を発揮して新たな土地と人との結合をつくりあげ、農業を復興させていくという点では学べるのではなかろうか。
 あれだけの打撃を受けたにもかかわらず、被災農家の8割近くが営農を継続したいと言っているとのことである。しかし機械や施設を個々で購入できる資金はない。農地の復旧も大変だ。このままでは意欲も喪失してしまう。そこで必要となるのが、家と家の、人と人の、人と土地・機械施設の新たな結合の関係を、地域の知恵を発揮し、自治体や農協、普及所等の知恵を結集してつくりあげ、それを行財政が支援して農業の復活と新たな発展を図っていくことである。

 ところが、政財界やマスコミは農業農村への民間活力の導入を言い始めた。農家には資金がない、財政資金にも限界がある、民間資金=農外資本の導入が必要だと。
 そのためにはこれまでの規制を緩和しなければならない。たとえば、農外資本による農地の所有や転用が厳しく規制されていたが、これを緩和しなければならない。こういって復興特区法を施行し、被災農地の農外転用が簡単にできるようにした。

 ボランティアで被災者の相談に当たっている方がこんな話をしてくれた、不動産業者や住建会社による被災者個人住宅や集団移転地の土地の買占めがなされていると。農業委員会がまったく知らないうちに、行政の農業部門と復興部門との連携や相談なしに、農業との関わりや農地をどう位置付けていくかという視点もなしに、農地転用が進められつつあるというのである。これでは人と土地の新たな結合どころか農業は崩壊してしまう。

 もう一つ注目しなければならないのは、大企業が被災農地に大規模太陽光発電施設(メガソーラー)を設置しようとしていることである。
 企業の中には再生可能エネルギーの将来性に注目しているものもあったが、これまでその敷地を手に入れるのは容易ではなかった。ところが資産価値のほとんどなくなっている被災農地であれば大面積を安く手に入れられるし、転用も簡単にできる。しかも再生可能エネルギーの固定価格買取制度があるので、赤字になることもない。脱原発で企業イメージを高めることができる。一度転用してしまえば、他の用途たとえば自分の工場の建設に土地を用いても許可を得る必要がなく、自由に利用できる。農地法等で容易に手に入れることのできなかった農地を大量に入手して農外で利用できるようにする絶好のチャンスである。
 しかもメガソーラーなら人手がそんなにいらないので、福島の原発被災地でも汚染が軽度であれば設置可能だ。他の被災地よりもさらに安く農地を手に入れることができ、何年かして汚染度が低くなればそれを他に転用することができるメリットもある。
 こうして優良農地がその復旧を図ることなく農外の用地として潰され、大企業の資産はどんどん増えていく。

 それだけではない。この被災を、規制緩和を契機に、農地を手に入れて農業に直接投資しようと企業が動き始めている。震災によって農業継続意欲を失ったあるいは失いつつある農家の農地を手に入れて企業が自ら農業をいとなもうとしているのである。今が絶好のチャンスだ。当面は農地復旧にそれほど時間のかからない、技術的失敗が少なくて資本さえあればできる植物工場(註1)に着目し、その建設にとりかかろうとしている。それを基軸にして自らがあるいは農家を系列下において大規模な農業をいとなむことも視野に入れている。それをマスコミ等は民間活力による農業改革のチャンスだなどとたたえる。
 こうして農地が、農業が資本の手に握られようとしている。そしてこれまでなかなかできなかった資本と土地の結合による農業生産が東北の被災地で試験的に展開され、それがやがて全国に波及し、農業は、農地は公共的な利益のためでなく、資本の利益をさらに増やすためのものとなってしまう可能性がある(註2)。

 ただし、いずれの用途にしろ、企業は宮城、福島の相対的に平坦な被災農地だけを対象にして手に入れようとすることだろう。三陸沿岸などの交通不便な狭小な被災農地などは相手にしないだろう(福島の放射能汚染のひどい土地はもちろん対象にしない)。そうしたところは行財政からも無視され、農地は荒廃するだけだろう。

 大震災は食糧の重要性、農業の公共性を改めて認識させたものであった。その農業の基盤である農地が今もうけのタネとして利用されようとしている。
 地域からの農業復興か、資本による農地支配か、それとも農地の荒廃か、今被災地の農業はその三つの道の岐路に立たされている。

 農業ばかりではない。漁業にも民間企業が自由に参入できるようにせよ、そのために企業が漁協などの承認なしに漁業権を手に入れられるようにせよという財界の要求に応え、宮城県ではそれを可能にする水産特区を被災地に設置した。
 被災農漁民の困窮につけこんでこれまでできなかった農漁業への参入を可能にし、農地と漁業権を手に入れ、農民と漁民が得てきた所得を資本のものとし、さらに農地と漁場を他の用途に転用することを容易にし、高度経済成長時に土地ころがしで大もうけをしたように農地と漁場の投機的な取引でもうけられるようにしようとしているのである。こんな風に考えるのは考え過ぎなのだろうか。

 言うまでもないが、農業が利益をあげてはならないなどというつもりは毛頭ない。
 資本主義社会における価格は物財費+労働費+平均利潤を基準にして決定されるのであり、農産物価格もそのように決定されていいはずだからだ。ところが、かつては前期的資本の収奪のもとで、最近は国内外の巨大な資本の支配のもとで農産物価格は労賃部分を償うまでにもいたっていなかった。これを正し、せめて社会的平均的な利益が得られるようにするのは当然の権利である。そしてそのために政府など公的機関の経済活動に対する規制、介入、関与があってしかるべきなのである。

 これも言うまでもないが、農業だけが公共性をもっているわけではない。商工業すべて社会に必要不可欠のものであり、公共性をもっている。今回の震災はそれも教えてくれた。そしてその公共性を発揮し、企業の社会的責任を果たしていく中で、利益を得ていくことも今の社会では当然のことだ。
 問題は、それが逆転していることだ。利益が先にあり、社会がどうあれ、未来はどうあれ、知ったことではない、ともかくお金だというのが資本主義社会だ。そうならないように、これまでさまざまな規制をしてきた。ところが、20世紀末になってその緩和を進め、企業が利益を求めて最大限の活動ができるようにしてきた。その結果が第四部まで述べてきたことだった。それを改めるために、もう一度それぞれの産業の公共性、企業の社会的責任を自覚し、その自覚ができるように規制をし直すことこそ必要なのではなかろうか。

 そんなことを考えている今日このごろなのだが、震災に関連しての執筆はとりあえずここまでにし、必要があれば後に付け加えて述べることにして、東北農業の話に戻ることにする。

(註)
1.植物工場の評価については後に述べる予定である。
2.資本の農業進出の持つ意味については下記の掲載記事でも触れている。
  12年2月24日掲載・本稿第三部「☆法人化・企業精神なるものの勧め」
  12年2月27日掲載・本稿第三部「☆新農基法と農業の世紀末的様相」(1~2段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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