Entries

川の流れと汚れ




            東北・日本の風土と農林業(7)

              ☆川の流れと汚れ

 川は山から発し、海に注ぎこむ。この山と海、その間に野がある。山の断崖絶壁からすぐに海になるわけではない。その間に、平野が、盆地が、またなだらかな丘がある、つまり野がある。
 そして山では林業、野では農業、海では漁業が中心にいとなまれ、そこに農山漁村が生成する。やがてこうした農林水産業から工業、商業が派生して都市が形成される。
 こうした山、野、村、町、海をつないでいるのが「川」である。この川には、目に見える地上の川ばかりでなく、地下を流れる川、地下水脈、伏流があり、またこの川の一つの存在形態、派生形態としての湖沼がある。
 この川を満たしているのが「水」である。この水は、その本体であるH2Oとそれに溶解している諸物質とからなる。そしてこの溶解物の内容により、水は海水と淡水とに大きくは分かれるのだが、わが国の場合は海に近いところを除いて川の水は淡水である。
 いうまでもないが、この水は自然を構成している不可欠の要素であると同時に人間にとっても不可欠である。水は、土、空気と並んで地球を形づくっていると同時に人間はもちろん動物、植物をも形づくっており、その身体の不可欠の一部をなしており、水があって始めて現在の地球、自然、人間は存在することができる。

 この水は循環性、流動性をもっており、人間はその過程にある水を利用して生活している。
 まず、水は次のように循環している。海や陸から発生する水蒸気が雲となり、やがてそれが雨や雪となって地上に降り、河川水あるいは地下水となってさまざまな地域を通りながら湖沼や海に注ぎ、その過程で一部が蒸発して雲となり、また雨や雪となる。
 我々は、こうして循環している水を、つまり地表水、地下水、降雨中の水、土壌の一部として存在している水を利用して生産し、生活している。とりわけ川の水は、山、野、村、町、海を支える上で大きな役割を果たしている。人間はその川でつながれた山、野、海の恩恵を受けて生存している。
 まさに川は、山から野、そして海をつなぐ血管ということができる。そして水はその血管を満たしている血液、人間、自然にとっての血液とみることもできる。この水と血液の性格は非常に似ていることからもそういえる(血液は水を主体にしているものだから当然のことなのだが)。
 まず、ともに循環性、流動性をもつ。ただし、上下左右にめちゃくちゃに流れるわけではなく、逆流もしない。水は川の上から下へと一方方向にだけ流れ、血液も一方方向にしか流れず血管を逆流しない。この点で血液と水、血管と川は類似している。
 また、ともに溶解力と運搬力をもっている。水は清濁合わせて運び、血管は血液に酸素や炭酸ガス、養分や老廃物等を溶かして運ぶ。
 こうした力と性質をもつ水が川を通って流れ、血液は血管を通って流れる。
 ただし川には血管と大きく異なるところがある。
 まず、川は血管のように人間に都合のよいように配置されていないことだ。利用したいところを川が通っておらず、不必要なところを通っている場合もある。自然は人間のためを思って川をつくっているわけではないから当然のことなのだが。
 また川は必要な量の水を流すわけではない。洪水になるくらい多い量を流したかと思うと、ある時は水が流れなくなって川が干上がってしまったりする。また季節によって多くなったり、少なくなったり、凍ってしまったりもする。
 しかもこうした流量の変動が年によって異なる。流れる量は毎年同じ繰り返しで変化するわけではない。同じ時期でもある年は多く流れ、ある年は少なく流れる。つまり気象変動の影響を大きく受ける。
 さらに、川は血管のように動脈と静脈とに分かれていない。ここにきわめて大きな違いがある。つまり、人間の場合、人間が利用した結果汚れた血液を静脈が運び、肺で浄化して心臓が動脈を通じてまた運ぶ。同じ血管でも機能を分担しているのである。ところが、川は川によって機能が分担されていない。川はどんな川でもきれいな水と汚くなった水との両方をいっしょに運ぶ。川は「清濁併せ呑む」のである。つまり川は動脈であり、静脈でもあり、両方の役割を果たす。しかも静脈と違ってもとの出発点に戻って浄化させることもしない。そのために、水質汚染などの問題が引き起こされ、きれいな水が欲しいと思っても手に入らず、生産と生活に大きな問題を引き起こす場合も起きることになる。

 本項の最初に述べたように、川の水はさまざまな地域と地目、もしくはその地下を通過して流動する。その結果、降水時に均一であった水質が多様な土質をもつ土地、山林、原野等さまざまな植生をもつ土地を通過していく過程で変化する。そしてその過程にある水は多数の人間にさまざまな面から利用され、その利用の後に排出され、また再利用される。この過程で降水時にほぼ均一であった水質がさらに変化する。いいかえれば、川は流動するなかで、水ばかりでなく、その流域の土や動植物、その排泄物等も水に溶かしてあるいはそのままの姿で運び、そのなかで水の質を変化させるのである。
 その変化は、上から下にいく過程で、上流、中流、下流となっていくなかで起きるのだが、そのしかたはすべて同じではない。川によって、つまり川の流れる地域によって違う。それぞれの川の流域の地質、地勢、植物、動物、人間の生活や土地の利用形態等の違いによって、つまり地域によって、川に溶解されるもの、運搬されるものが異なるからである。川の通過する土地の質や利用形態が地域によって異なるので水質に地域性が出てくる。川の水質、つまり水の汚れは均一ではなく、地域性をもつのである。
 いうまでもなく、この地域はすべて異なり、きわめて多様である。地質にしても、植生にしても、人間の住み方、生産の仕方にしても地域により非常に異なる。したがって川の水には多様性、地域性があることになる。
 このような多様性、地域性をもつ水の汚れは水生植物を育て、魚を育てる。また水が運ぶ有機物が土にしみこみ、陸上の植物の根がそれを吸い上げて栄養分とする。その植物や魚が人間の食糧となり、衣住の原材料となる。
 したがって汚れた水もあってしかるべきである。汚れつまり溶解物は海を形作る上で、海水の組成の上で必要不可欠だからなおのことである。海は単にH20とNaClだけでできているわけではない。さまざまなミネラル、有機物、さらには微生物を始めとする生物が含まれている。そのうちのかなりの部分は川の水が運んできたものである。そしてその有機物や微生物等が栄養源などとして魚介類、海草類の海での生存を可能にする。そもそも海は魚介類、海草類も含めて海なのである。したがって、海は山なくして、野なくして、そこを経由して水により運ばれてくる汚れなくしてあり得ないことになる。
 そしてこの汚れ方が地域により異なり、その地域が多様であることから生態系の多様性、地域固有性がもたらされる。多様な水があるから多様な生物が住み、多様な生態系が成立するのである。そしてそれは人間の生産、生活の仕方の多様性、地域固有性をももたらす。
 このように、静脈の汚れた血液も人間に必要であるのと同様に、汚い水も自然にとって必要である。「水清ければ魚棲まず」なのであり、汚れも役に立つので一定の汚れが必要なのである。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR