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「湯水のように」は過去の話



            東北・日本の風土と農林業(9)

            ☆「湯水のように」は過去の話

 日本にたくさんある温泉、かつてそのほとんどは自噴しているお湯を使っていた(註)。お湯は使っても使っても湧いてきた。天変地異でもないかぎりなくなったり減ったりすることはなかった。
 泉や井戸の水、これも涸れることはない。いくら使っても涸れることはないし、それどころか使わないとかえって涸れてしまう。
 川の水もそうだ。夏の日照りの年に一部たまに涸れることはあるが、いくら使っても上流から流れてくるので、なくなることはない。
 だからけちけちすることなく湯・水を使う。そしてこのようにふんだんに使うことを「湯水のように使う」とわが国ではいう。さらに進んで浪費することにもその言葉を使う。
 そうなのである、前にも述べたようにわが国は湯水に恵まれているのである。
 だから、水はただでいくらでも飲める。たとえば飲食店に入ると無料で水が出てくる。お代わりしてもいやな顔はされない。ところが他国ではそうではない。
 私の大学院生のころ(1960年前後)、他学部の先輩にフランスに留学した人がいた。当時の貧乏な日本人、しかもドル高円安、おいしいフランス料理など食べられない。そこで各地のロータリークラブ(ライオンズクラブだったかもしれない)に日本から留学してここに住んでいると連絡する。当時は日本人は珍しかった。そこで何か日本のことを話してくれと招待が来る。話の終わった後夕食をごちそうになる。これでフランス料理を楽しむことができたと言うのだが、それではどんな話をしたのか。フランスではワインよりも水が高価だ、日本はその逆で水はただ同然だという話をするのだ、とっても面白がって聞いてくれるという。なるほど、うまいことを考えたものだと大笑いをしたが、そうなのである、日本の水は豊富でただ同然なのである。
 ところが不思議なことがある。日本のミネラルウォーター消費量のうちの2割が輸入だというのである。この水の豊富な日本でである。何かおかしくはないか。
 水のない国なら輸入するのはわかる。しかし、日本は世界でも有数の降水量のある国であり、洪水や大雪、長雨などの被害をもたらすほど、余分なほど水はある。まさに「湯水のように」、つまり浪費できるくらいに、水はある。にもかかわらず、日本よりも水の少ない国、たとえば日本が輸入しているヨーロッパの降水量は日本より少ないが、そこからなぜ輸入するのだろうか。
 そういうと、ヨーロッパの水にはミネラル分が含まれているからおいしいし、健康にもいい、健康をまもるために必要なのだという人もいるらしい。しかしこれもおかしい。日本にもミネラル豊富な地下水が大量にあり、使っても使っても更新される。かつてはこの地下水を井戸や泉を通じて利用してきた。このおいしい水を使えばいいのにどうして化石燃料を使ってまで輸入するのか。
 と言われても、今の井戸水や泉は前のように出ない、あるいぱ汚染されていて飲めない、だからだめなのだといわれるかもしれない。しかし、開発による地下水脈の断絶や生活・産業排水、汚水による地下水の汚染で自ら利用できなくしておいて、つまり国内の資源を枯渇もしくは劣化させておいて輸入でまかなう、何か狂ってはいないか。しかもヨーロッパ諸国の地下水もこうした汚染で困っている。水道の水源の大半は地下水なのにである。こうした国から輸入してヨーロッパのきれいな水を減らしていいのだろうか。
 そうはいっても、国内で水を汲み上げて生産するより輸入した方が安いというかもしれない。しかし、安いからと言ってどんどん輸入していたら、水の地域的循環システムを破壊してしまうことにつながらないか。雲―雨・雪―河川・地下水―海―蒸発、こう循環するはずのヨーロッパの水の一部が輸出されたら、その水はヨーロッパのなかで循環しなくなる。つまり水が不足するようになる。一方、日本ではヨーロッパの水が加わって以前より多くの水が国内で循環することになる。当然それは降雨量等の気象条件に影響を与える。微々たる輸出入量でしかないのでそんな心配はないかもしれないが、このまま継続されて量的に蓄積していったらどうなるか。地域的にはもちろん、地球上の大気や水の循環、降雨を始めとする気象に影響を与えることにならないか。つまり、地球環境問題を引き起こすことにつながらないか。
 それでも水がどうしても不足している国ならまだ許せよう。たとえば砂漠地帯、乾燥地帯のようなところなら水の輸入もやむを得ないかもしれない。ところがそうした国の人は金がないから輸入できない。そして何億人もが清潔な飲料水が得られず、泥水等でも我慢して飲んでおり、それが原因の赤痢などで毎年何百万人も死亡しているという。こうした人々がいるのに、そして立派に飲める水はあるのに、健康ブーム、グルメブームをあおりながら、金に飽かせて輸入する。こうしてもうけようとする商社、それにのせられる消費者、こんなことでいいのだろうか。何かおかしい、どこか狂っているのではなかろうか。
 もう一つ忘れてならないことは、水を輸出している国といえどもそれほど豊かに水があるわけではないということである。水は無限であるようにみえるが、実は限りがあるのである。
 世界の年平均降水量の2倍というように世界でも有数の多雨地帯であるわが国でさえ、蒸発する分を考えると、そのうちの3分の1しか利用できないと言われている。しかも狭い国土に人口が多いことから、一人当たり降水量は世界平均の5分の1にしかならず、さらにそれを農業用水、生活用水、工業用水等多様に利用するのであるから、必ずしも豊富とはいえないのである。
 もう「湯水のように使う」時代ではなくなっているのだ。
 日本でさえそうなのに、日本より降水量の少ない外国から水を輸入していいのだろうか。しかも今、世界的に水不足が深刻化していくだろうと予測されている。そんなときにこれでいいのだろうか。

 川と水に関してさらに考えなければならないことは、水を供給する降雨、降雪は不定期であり、その量は季節により異なることである。ある時は集中的な豪雨、豪雪となり、ある時は少雨、少雪となり、またある時は洪水になるほど多くの水が川を流れ、ある時は渇水する。
 血液のように人間の必要とする量が確保されていて定まった量が規則正しくきちんと流れているわけではないのである。さらに身体の必要とするときに強く流し、そうでないときは弱く流すなど、身体の要求にしたがって血液の流れは変わるのだが、川の水はそうではない。
 しかも川は、先にも述べたように、人間にとって必要なところを流れているわけでもない。人間の都合のいいように配置されていない。ここも血管と違う。
 これでは生産、生活両面において困る。必要な量を必要な時に手に入れること、必要でないときは排除することが水に関しても必要となる。
 そこで課題となるのが、いかに適時に潤沢に水を供給し、不必要な時は排除するか、気象変動により引き起こされる干ばつや洪水をいかに解決するか、さらに限られた水をいかに合理的に利用者に配分するかである。
 とくにわが国の場合は、アジアモンスーン気候のもとでの多雨、高低差の多い複雑な地形のもとで、この治水は人間が日本に住みついて以来の課題であった。

 治水というときにすぐ連想するのが治山である。治山治水、このように一般に使われているからである。いうまでもなく、川は山から流れてくるものであり、山(それに付随する森林)が、つまり始まりがおかしくなったら川もおかしくなる。だから、治山なくして治水はあり得ず、治山は治水の大前提となる。それで治山治水となるのである。日本に住む人々にはそれはもう常識である。
 たとえば山地が崩壊したり、土砂が大量に流出したりしたら、川の流れが大きく変わり、さまざまな被害が引き起こされる。ところがわが国の地形はきわめて急峻でしかも複雑、一方気象は台風や豪雪、干ばつと変動が激しく、いわゆる水害、干害が起きやすい。これをいかに解決し、川の流れを安定的に維持していくか、これはわが国にとって大きな課題だった。
 そのさいとくに重視されたのが、山林だった。山林は治山治水に大きな役割を果たすものだったからである。

(註)
 1980年ころからではなかったろうか、わが国で温泉掘削ブームが起きた。何しろ日本は千㍍、2千㍍掘れば、そして水脈さえあれば(岩盤の亀裂や地下水を通しやすい地層があるところであれば)、たいてい温泉が出る。そんなことから各地で掘削され、温泉がたくさんできた。1989年の「ふるさと創生」一億円事業などという変な事業でもいくつかの市町村が掘削に取り組み、温泉を新たにつくった。しかし私は、自噴の温泉しか温泉とは考えない。循環式などというのも本当の温泉ではない。やはり自噴せめて浅く掘削したところ、そしてかけ流し、「湯水のように」お湯が出て使えるところが温泉なのだ、と私は考えている。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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