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山林と農地、川と海


 
           東北・日本の風土と農林業(10)

             ☆山林と農地、川と海

 敗戦の色が濃くなったころ、ラジオから明るい子どもの歌が流れた。暗い時代、この歌は私たち子どもの心をとらえた。私もすぐに覚えた。と言っても、次の一番だけだったが。
  「ムカシ ムカシノ ソノムカシ
   椎ノ木林ノ スグソバニ
   小サナオ山ガ アッタトサ アッタトサ
   丸々坊主ノ ハゲ山ハ
   イツデモミンナノ 笑イモノ
   コレコレ杉ノ子 起キナサイ
   オ日サマニコニコ 声カケタ 声カケタ」
 省略したが、この歌の後の方には、大きくなった杉の木は戦争遂行のために役に立つ、この杉の木に負けないような立派な子どもになってお国のために尽くすのだとある。まさにこれは戦意高揚の歌だった。だから当然戦後占領軍によって禁止もしくは自主規制させられるはずだった。
 ところがこの歌は生き延びた。この歌にある植林の勧めは戦後の国策に沿うものであり、最後の戦意高揚の部分の歌詞さえ変えれば十分に使えたからである。かくしてこの『お山の杉の子』(註1)の歌は一部改作されてふたたび歌われるようになり、『リンゴの唄』と並んで気持ちを明るくさせたものだった。

 1947(昭和22)年にキャサリン台風(現在はカスリーン台風と呼ばれているが、当時はこう呼んだと記憶している)、48年はアイオン台風が東北を襲い、大きな被害をもたらした。とくに岩手・宮城の水害がひどかった。この聞きなれない台風の名前、これは占領軍が本国と同じようにアメリカの女性の名前をABC順につけたものだった。こんなアメリカ風の名前をつけたから、女の名前をつけたから、台風がおかしくなって被害を大きくしたのだなどと悪口を言ったものだったが、実はこの被害は山林の荒廃によって拍車をかけられたものでもあった。
 戦中から戦後にかけて山林は荒れに荒れた。戦争遂行のために、さらに戦後は戦災からの復興のために乱伐され、また戦時中は人手不足のためにこれまでの林地の利用体系が崩され、植林も山林の管理もおろそかにされ、その結果が洪水、そして田畑や人家に大きな被害を与えたのである。水害ばかりではなかった。もう一方では干害の多発だった。
 そうなのである。そもそも川の上流の山間部にある森林は、降雨・降雪の不均等性を解消し、つまり降雨期の水を貯え、それを徐々に地下水や河川水に供給し、豪雨期の過剰供給による洪水や多湿等の被害を緩和し、少雨期に水資源を利用できるようにするものである。また山林は豪雨のさいの土砂の流出や山の崩壊の防止の役割を果たし、耕地を居住地を保全する。
 こうした重要な山林が荒れたら、飲み水も不足し、そうでなくてさえ不足している食糧も手に入れられない。さらに山林が荒れたら、住宅の建設もできない。とくに戦災による住宅不足を解決するには木材の生産が不可欠である。
 そこで、治山治水、その中核としての植林が戦後推進された。『お山の杉の子』はそうした国策推進のためにも利用されたのである。
 その植林とその後の管理を容易にしたのが、林道の整備、輸送手段の整備、チェーンソーを始めとする林業の機械化だった。ただしそれはもう一方で奥山・自然林の破壊、広葉樹林の過度の針葉樹林化などの問題を引き起こした。しかし、こうした問題はあっても、戦後の植林は高く評価できるし、林道整備や林業技術の進展は林地利用の拡大を可能にし、旧来の農林地利用方式を新たな段階に高める展望を切り開く物的な基盤となり、林業従事者のたゆまない管理は山林のもつ機能をさらに高めるものだった。
 ところが現実にはそうならなかった。1970年以降林業従事者は急激に減少し、林業活動は衰退し、森林の管理は粗放化したからである。
 いうまでもなくそれは貿易自由化による外材輸入、木材価格の低迷が引き起こしたものであり、それに拍車をかけたのが林業とともに営んでいた農業の生産物価格低迷だった。これも同じく自由化によってもたらされたものであったが、農林業で食べていけなくなった山村の人口は流出して過疎化が進み、さらには地域にまったく人がいなくなったところも出てきた、その結果が、森林管理の粗放化だった。せっかく戦後植林したのに下刈りや間伐もなされず放置され、たとえ伐採されてもその後に植林もなされなくなった。同時に、何百年もかけて利用可能にしてきた山村の田畑が耕作放棄されるようになってきた。
 そうなると森林や山村の耕地の機能が低下し、水資源の枯渇や洪水がもたらされることになる。

 ところが、そんなことにはならないという人もいる。植林されなくなれば、水資源のかん養に大きな役割を果たす雑木林などの広葉樹林になるのでかえっていいではないか、田畑もそもそもは雑木林を開墾してできたものであり、耕作放棄でもとに戻るのだから自然破壊、環境破壊にならないではないかと。
 たしかに、人間のいない大自然に戻すのであればそれでいいだろう。しかし、自然とともに人間が生きるとなれば、人間も自然に妥協するが、自然にも人間に妥協してもらわなければならない。それが自然と人間の共生というものである。共生はどちらか一方が犠牲になること、すべて相手のいうことを聞くことではない。お互いにけんかしながら妥協もしあい、いっしょに生きていくというのが共生なのである。
 たとえば、自然を一定の人間の管理のもとにおき、自然を改編することにより、自然が保護される場合もある。湖沼等の水質を浄化するといわれている葦は、放置しておくと枯渇するが、毎年人間が刈り取ったり、焼いたりすることにより復活する、つまり自然を人間が活用することにより自然がまもられるのである。
 また、自然と人間が共同してつくりあげた新しい豊かな自然もあることも見落としてはならない。雑木林がその典型例である。それは人間がつくりだしたものであり、人の手が入ることにより維持されるのである(註2)。また、つい先日述べたように、かつて日本人は奥山を自然林、里山を雑木林、裏山を竹や杉等の人工林として利用してきた(註3)。その林野の間を水が流れ、河川の上流の緩傾斜地、中下流の平坦地に水田や畑が開かれ、その周辺に村や町があって一定の安定した生態系が維持され、人間の住める環境が形成されてきた。これは、モンスーン地帯、急傾斜の多い地帯に適する土地と水等の資源の管理、保全と利用の形態であった。しかし、上流部の地域に人間が住まない状況では森林の管理はできず、急傾斜地の管理もできない。そもそもわが国の森林や耕地はよき管理のもとで更新される資源なのであるが、その管理ができなくなれば水資源の涵養等の機能は弱まる。そして山間部の林業のもつ国土・環境保全機能を低下させ、平坦部の農業生産、生活環境を悪化させるのである。現にいまこうした事態が進行しつつある。

 いつだったか、農業工学の研究者からこんな話を聞いたことがある。最近山間部での小崩落があちこちで起きている。小さな地崩れで目立たないからニュースにならないが、これはあちこちで川を詰まらせ、やがて大きな洪水をもたらすようになると。そしてこの小崩落の多くは棚田などの耕作放棄地で起きているという。そもそも地崩れは、地下水脈に大量の水が浸透して起きるものなのだが、田んぼは降った雨を貯めて一挙に地下に浸透させないようにするので、地崩れを防ぐ。ところが、耕作が放棄され、田んぼの耕盤がこわれてくると水が浸透しやすくなる。そこに大雨が降る。すると地下水脈に大量の水が一挙に浸透し、それが一気に流れて水脈の上の土を滑りやすくし、やがて何かのきっかけでそれがどっと滑り落ちる、つまり崩落が引き起こされるのだというのである。
 それを聞いたときは驚いた。私は水田に地下水涵養機能があると思っていたが、その逆の地下水抑制機能もあるのである。森林ばかりではなく、山間部の農地も治水機能をもっているのである。
 そうなると、こうした農地を維持する人もどうしても必要となる。これまでは林業を営む人がそれを維持してきた。ところが、林業をいとなむ人がいなくなっている。しかも山間部の農地は人手がかかる上に、つまりコストがかかる上に、農産物価格は低い。それで平地に先駆けての耕作放棄となるのである。

 こうした事態をどう解決していくか。我々国民一人一人が考えていかなければならない。そもそも森林の管理は国民一人一人が担うべきものである。生産と生活に森林は不可欠であり、すべての国民がその恩恵を受けているからである。
 今述べた治山治水機能、材木生産機能ばかりではない。山林は雨水のなかに含まれる窒素やリン等を土に浸透させるなかで土や微生物で不純物を吸い取る浄化器の役割も果たしており、炭酸ガスを吸収して酸素を放出する大気浄化機能(人間の肺と同じ機能)を持っており、人間は大きな恩恵を受けている。
 もちろん、森林の存在する地域住民は林業等を通じてより多くの恩恵を得ているのだからその維持管理の主体的な担い手であるべきことは当然である。しかし、彼等だけに担わせるべきではない。だからといって、すべての国民が森林の管理に直接参加するわけにもいかない。林業地帯に住む人、林業従事者等にその管理を委託せざるを得ない。そうなれば、山村の人々に対する支援が必要となる。
 こうした理解と支援は林業ばかりでなく農業に対してもなされねばならない。山間部に棚田や谷地田、畑があり、それがきちんとまもられて保水力が出てくるものであるし、この地域の人々は農業と林業を一体化していとなむことにより地域の資源を維持し、生活を維持してきたものだからである。当然のことながらこの地域での農業振興の方策は平坦地と同じようなものであってはならない。また、棚田、谷地田や傾斜畑の耕作はかなりの労力と費用がかかるのでそれに対する特別な支援策をとることも必要となる。

 その昔の人はそれがわかっていたようである。たとえば山形の内陸のある地域では、秋になると下流部の人たちが酒や米をもって上流部に御礼に行くという風習があったという。上流部での、つまり山村での林地や農地、河川の管理がきちんとしていないと下流部は困るからである。
 最近、漁民の方が山村のことを考えるようになり、「山は海の恋人」だと植林等を支援したりしているが、これはまさに今述べたことの復活であり、きわめて喜ばしい。
 また、森林管理の必要性を認識し、植林や下刈り等の作業を手伝う市民グループ、棚田を借りて農業をするグループなども出てきている。これもうれしいことだ。
 こうした支援の動きをもっと活発化していく必要があろう。しかし、もっとも大きな支援策は外国からの無制限の農産物、林産物輸入に対する規制であり、また我々一人一人が国内の農産物、林産物を利用することではなかろうか。そして日本の豊かな風土をまもっていく必要があろう。

(註)
1.作詞:吉田テフ子(戦後サトウ八ローが一部改作)  作曲:佐々木すぐる 1944年
2.11年11月11日掲載・本稿第三部「☆地域住民の暮らしと自然保護運動」(2段落)参照
3.12年11月8日掲載・本稿第五部「☆山林の利用方式」(2~5段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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