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狭い国土と農林漁業



              日本は「資源小国」?(1)

             ☆狭い国土と農林漁業

 原発をこれからどうするのか、大震災後これが大きな問題となり、国民の多数は脱原発を指向するようになった。しかし財界は、日本は資源が少ない国なので原発はどうしても必要だと主張する。そして言う、原発を再開しないと電力不足、電気料金高になる、また輸出競争力もなくなる、そうなると企業は生産拠点を外国に移さざるを得なくなる、その結果日本経済は大変なことになると。
 これまでも何かというとそう言って脅かしてきた。たとえば、法人税を下げないと、企業優遇措置をとらないと企業はみんな国外に出て行く、そうすれば働く場がなくなる、それでいいのか、こう国民を脅して法人優遇税制などをとらせてきた。それと同じ論理で、原発を動かさないと外国に行ってしまうぞと威すのである。
 これに対して政治権力は何も言わない。一方で「愛国心」を、君が代を国民に強要しながらである。国内の働く人の首を切って外国に逃げ、自分だけは生き延び、さらにもうけを増やしていくなどと平然と言う、こんな愛国心を失っている大企業には何にも言わないのである。また、電力が豊富にある国は世界でも少ない、そう簡単に国外に生産拠点を移すことはできないということも政財界・マスコミは言わない。
 そして、国外に出ていかれたら大変だ、だから原発再開しかないと国民を威す。

 この話の前提となっている日本は「資源小国」であるという言葉、これは明治以降繰り返し繰り返し権力側から流されてきた。そして、資源が少ないということを前提にすると、その後に続く言葉の内容がどうかは別問題として、それに納得してしまうという国民性がつくられてきた。そしてそれがさまざまな問題を引き起こしてきた。
 戦前の場合は次のように言われた。日本は国土が狭い、だから資源がない、一方で人間が多すぎる、だから貧乏なのだと。それを解決するには、資源が豊富にあるにもかかわらず利用しないで放置しているアジアの諸国を開発してやって、日本に資源を、あるいは生産物をもってくるより他ない、そう言って満蒙開拓だと中国を侵略し、さらにアジアの諸国を侵略して植民地にしてきた。
 この反省から、戦後の一時期こんなことが言われた。オランダやスイス、あんな小さな資源のない国で食糧を自給し、平和に生きている、これに学び農業を基礎にした豊かな平和な国をつくろうと。
 ところが、1960年ころから戦前と同じことが言われるようになってきた。日本は資源がない、耕地も狭い、人口が多いと。ただ、ここからが戦前とは違う、だから石油などのエネルギーや鉱物資源、そして食糧を輸入しないわけにはいかない、そのかわりに製品を輸出しなければならない、そのためには貿易自由化がどうしても必要だ、資源小国日本が生きていくためにはそれしかないと言う。そして自由化を進め、今まで述べてきたような農業の衰退を、またさまざまな問題を引き起こしてきた。

 しかし、本当にわが国に資源はないのだろうか。まずわれわれの生存の基礎である農林漁業に関連する資源から考えてみよう。
 農業の基礎である土地資源についてみれば、たしかに日本は国土が狭い(中国やアメリカ、ロシアなどに比べての話だが)。しかも傾斜地の多さから耕地にできる場所は限られており、耕地率は低い。この点からいうと資源が少ないといえる。
 しかし、問題はその土地の中身だ。いくら土地が広くとも、ツンドラ地帯や砂漠地帯ではどうしようもない。いくら耕地が広くとも、寒冷乾燥地帯のように土地の能力が低かったら、つまり土地生産性が低かったらどうしようもない。
 ところがわが国の土地には豊かな太陽エネルギーが付随しており、つまり光、熱、水、季節性等に恵まれたいわゆる中耕的風土であり、農業資源としての土地の能力はきわめて高い。これまでも繰り返し述べてきたし、つい最近も述べているので省略するが(註)、農業資源に恵まれているのである。
 林業についても同様だ。モンスーン的風土であることから森林の再生力はきわめて高く、豊かな緑に恵まれ、しかも日本の地理的位置と標高差の激しさから針葉樹から広葉樹まで多様な生産が可能である。
 漁業についていうならば、わが国は四つの海に囲まれ、親潮、黒潮、流氷等が流れ、海岸線は複雑に入り組み、きわめて豊かな海に恵まれており、多種多様の魚介類の生産が可能であり、日本沿岸は世界三大漁場の一つになっているほどである。そして日本は世界に冠たる水産国となっている。
 このように日本は世界でもまれに見る豊かな生態系に、農林漁業資源に恵まれており、これでどうして日本は資源が少ないなどと言えるのだろうか。
 しかもそれを生かすことのできる勤勉な人々がいるのである。

 さらに次のことも忘れてはならない。そもそも農業資源は鉱物等の枯渇性資源とは異なることである。
 石油、石炭、鉄鉱等はその埋蔵量が決まっているので、いくら技術が進んでも、一年の採掘量を増やすことはできても、埋蔵量以上に生産量を増やすことはできない。
 これに対し、土地、太陽エネルギー等の農業資源は枯渇しない。
 それどころか、その活用のしかたによって、つまり技術革新によって生産量を増やすことができる。たとえば土地が少なければそれを何回転もさせて利用すればいい。つまり二毛作・輪作・間作の復活もしくはその新たな体系の確立を図ればいい。それは十分に可能である。また、10㌃当たり生産量を高めればよい。現に、稲作技術の進展は限られた土地から多くの生産をあげることを可能にしてきた。ところが自由化政策はそうした可能性の追求を妨げてきた。そこにこそ自給率の低下、海外の農地への依存があるのである。
 また次のことも考えなければならない。資源に制約があるといいながらその資源を活用せずに生産力を低め、農地等の潰廃を進め、それがまた輸入依存を進めてきたことだ。たとえば麦、大豆等は輸入に依存することにしてその技術開発に力を入れず、さらにかつて麦、豆をつくっていた農地を潰し、自給率を低下させきた。こうしておいて自給は無理だなどというのはおかしい。
 このように農業資源の性格を見ずに、これまでの政策のありかたの反省なしに、資源には制約がある、自給は無理だと決め付けるのは輸入を正当化するための論議でしかない。
 林業、漁業資源については省略するが、基本的には同じことがいえる。

 そうはいっても日本の農林水産物の価格は外国よりも高い、世界でもっともコストが高い、それで資源に恵まれているといえるのかという反論もあろう。
 しかし、日本の農林水産物の生産性が低いから、資源がないから日本の農産物が高価格なわけではない。円高ドル安だから、また途上国が低賃金だから、外国の農林水産物が安くなっているだけである。
 たとえば、私の若いころの1970年以前の為替レートに戻れば、あるいは貿易の大幅赤字になって円安になれば、日本の農産物は相対的に安くなる。今は1㌦80円だが、たとえば1970年当時の1ドル360円になれば外国からの輸入品の価格は4~5倍に上がることになる。つまり現在80円の外国農産物は360円ときわめて高価になる。逆に今1㌦80円の日本の農産物は約五分の一の20セント弱に値下がりすることになり、日本の農産物は国際的にはきわめて安く、日本の農業は低コスト農業だということになってしまう。
 このこと一つをとってもわかるように、日本の農地の狭さ、生産性の低さが、つまり土地を始めとする農業資源の少なさが高価格を引き起こしているわけではないのである。
 同じことが鉱物資源についてもいえる。

(註)
 12年10月18日掲載・本稿第五部「☆『雨ニモマケズ』から見た気象」、
 12年10月25日掲載・  同 上 「☆緑豊かな日本の土地と自然災害」参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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