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日本の鉱物・エネルギー資源と原発



              日本は「資源小国」?(2)

           ☆日本の鉱物・エネルギー資源と原発

 鉱物資源も日本にはある。もちろん、すべての資源に恵まれているというわけではないが、よその国に比較して資源が少ないなどともいえない。
 明治期には鉱物の輸出国だったのである。金と銅の輸出がその典型である。とくに銅については、日本三大銅山とされる足尾銅山、別子銅山、日立銅山を始めとして多くの鉱山をかかえていた。
 東北にも鉱山は多く、とくに秋田には県東北部に小坂、尾去沢、荒川、阿仁などの鉱山があり、銅のほかに金、銀、鉛、亜鉛を生産しており、小坂鉱山は銀の生産量日本一を一時誇ったという。それ以外にも秋田には荒川、阿仁、院内などの鉱山があり、こんなこともあって秋田に日本唯一の鉱山高等専門学校(後の秋田大学鉱山学部、現資源工学部)が明治末に設立されている。秋田以外にも宮城県には日本を代表する鉛、亜鉛の鉱山である細倉鉱山があり、岩手八幡平には東洋一の硫黄鉱山だった松尾鉱山、福島には常磐炭坑等々、数多くの鉱山があった(註1)。
 そして鉱業は養蚕・繊維産業と並んで日本資本主義の勃興を支えた。つまり資源がないわけではないのである。
 ところが、1960年代から70年代にかけてわが国の鉱山はほとんど廃鉱になった。銅の三大鉱山はすべて廃鉱となり、現在は100%輸入に頼る状態になっている。秋田の鉱山もほとんど閉鎖された。働いていた人たちはすべて東京など大都市に移住し、かつての繁栄した町は過疎地になってしまった。マインパークなどで鉱山があったことを思い出させ、ぽつりぽつりでも人が訪ねてくるならまだいい。廃坑で大きな町が完全に消えてしまったところすらある(それはまたそうした地域に農産物等を供給してきた周辺の農村にも影響し、地域農業の衰退、過疎化を加速させた)。
 炭坑も同様で、前にも述べたがすべて廃坑となった(註2)。福島県にある常磐炭坑も閉山されたが、それでも温泉が残り、またレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」(現スパリゾートハワイアンズ)が新設されたが、かつての繁栄の面影はない。
 鉱石や石炭が採掘しつくされてしまったのであれば、これもやむを得ない。また、鉱石の需要がなくなったのなら閉山もしかたがない。
 しかしそうではない。貿易自由化、そして円高ドル安、途上国の低賃金などのもとで輸入されてくる外国の鉱産物の低価格に太刀打ちできないから、国内の需要先が相対的高価格の国産の鉱産物を買おうとしないから閉山せざるを得なくなったのである。その結果、日本の鉱業生産量が低くなっているだけであって、鉱物資源が少ないからではない。鉱物資源を活用していないだけなのだ。
 もちろん、わが国はすべての資源に恵まれている、資源が有り余るくらい豊富な国であるなどというつもりはない。よその国に比較して多いものもあれば少ないものもある。たとえばわが国には銅とか鉛などの資源が多いが、ボーキサイトの資源は少ない。
 そもそも資源には地域性があり、どこにでも資源が豊富にあるわけではなく、ある国ではある資源が、別の国では別の資源が豊富もしくは不足しているということがあるのである。したがって、各国が対等平等の立場に立って輸出入をし、過不足をなくしてともに豊かに生きていけるようにしなければならないことはいうまでもない。さきの例でいえば、日本は銅や鉛を自給並びに輸出し、ボーキサイトを輸入すればよい。
 しかし、今の世の中、そう単純にはいかない。
 ものは必要とされるところにではなく、金のあるところへ流れるものだからだ。たとえば食糧不足で困っている地域、食糧を必要としている国に食糧は行かない。そういう国は一般に開発途上国なので金がないからだ。その逆もある。米が余っているのに、外国から買う必要もないのに日本が米輸入を強要されるなどはその典型だ。
 また、ものは賃金が低いなどいわゆるコストの低い国から高い国に流れる。その結果、賃金の高い国や為替レートの高い国にものがどんどん流れ込み、その国の生産を縮小せざるを得なくなる。鉱物資源があるのにその採掘をやめざるを得なくなった日本などはその典型といえよう。これでは個々の鉱業企業は潰れるしかない。しかしそこから撤退した資本を安い外国の鉱物資源の輸入とその加工に向け、その生産物を国内外に販売して利益をあげればいい。だから企業にとっては特に困らない。それどころかそれで大きな利益をあげ、資本をどんどん蓄積してきた。だから貿易の自由化を進めてきたのであり、これからもさらに進めようとしているのである。
 資源がないから貿易自由化が必要だというのはここにごまかしがある。

 山形から左沢まで走るJR左沢線(註3)で、戦後「ガスカー」が走ったという話を前にした。左沢線沿いに埋蔵されている天然ガスを利用して走ったものである。しかし、それは数年くらいしてディーゼルカーに変わってしまった(註4)。
 この左沢線を利用して高校に通学していた同級生のAH君に聞いたら、ガスを掘削していた会社のガス田が枯渇したからだと言う。しかし、と後に医者になった彼は続けて言う、ガスはまだまだあると。戦後彼の家の近くの水田の灌漑用水を確保するために地下水を掘ったら水の代わりにガスが噴出した、そこでそれを家庭用の燃料として利用している、これからでも掘ればいくらでも出るはずだと。でも、会社が掘ろうとしなかったのは安い輸入石油に太刀打ちできなかったからである。かくしてガス資源は利用されずに放置されることになった。エネルギー資源はないわけではない、眠らされているだけなのである。石油だってあるのだ(註1)。
 とは言っても、やはり石油などのエネルギー資源は日本には少ない。しかも枯渇する危険もある。さらに石油の使用は地球温暖化の原因にもなっている。そうなるとやはり原発しかない、そう政財界は言う。
 しかし、わが国には枯渇することのない太陽エネルギーが豊かに存在している。
 また同じく無尽蔵のエネルギー資源の地熱がある。これについてはわが国は世界第三位の資源国だと言われている。もちろんこれは地震や噴火と結びついているという問題があるのだが、その被害を抑えつつ地熱発電や温泉水利用暖房・発電などに利用できる。 ただ現在はあまり利用されていないだけ、資源が資源とならずに潜在化しているだけなのである。
 その他にもこうした潜在化しているエネルギー資源は日本に多々ある。わが国に豊富に存在する大小さまざまの急流の河川、その水の力がその典型例だ。また最近とくに注目されている風力がある。さらに、豊富な森林資源がある。かつては森林で薪炭を生産し、熱エネルギーとして利用してきたが、発展した科学技術にもとづいて新たな活用のしかたを考え、潜在化させられてしまった資源を顕在化させる必要があろう。

 そういうと、それには金がかかる、コストが高い、電力料金が上がると言われる。
 しかし、原発のコストの方がもっと高い。現在いわれているコストには、使用済み燃料、いわゆる核のゴミの処理費用が入っていないということ一つを考えてみただけでわかろう。しかもその処理方法さえ確立していない。地下深く埋める、そして十万年間それを管理すると政府は言っているようだが、十万年間、いや放射能がなくなるまで(数十万年後と言われているようだが)、おとなしく埋まっているという保障があるのか。今は安定した地層であっても、十万年もするうちに地殻変動が起き、埋蔵廃棄物が地表に噴出して放射能をまき散らす危険性がないと言えるのか。
 自分の生きている時代だけとりあえず安定して埋まっていればいい、十万年先のことなど知るものかで本当にいいのか。わずか40年くらいしか役にたたない原発、40年間の利便さのために未来の人間を、地球を危険にさらしていいのだろうか(註5)。
 悪魔を壺に閉じこめる、しかしいつか何かの拍子にそれが中から飛び出して人間に悪さをする、こんな話を子どもの頃に読んだような気がする。それと同じこと、核廃棄物を地下深く閉じこめた、しかしいつか何かの拍子にそれが飛び出て来て放射能で世の中を汚染させた、こんなことが起きないようにしなければならない。悪魔の話は子ども向けの話だけにしなければならない。

 もちろん太陽エネルギーの電気・熱エネルギー等への変換効率を高める必要がある等々、自然資源の活用にはまだまだ解決しなければならない課題がある。今こそこれまで蓄積してきた技術力、研究開発力を、そして日本人の伝統的な知恵を生かして、その課題の解決に取り組んでいく必要があるのではなかろうか。
 同時に、これまでの自由貿易のあり方を大きく変えていく必要があろう。

 話はちょっと戻るが、左沢線でガスカーを復活できないだろうか。地域資源のガスを利用した全国どこにもないガスカーをこの線路(愛称「フルーツライン」)で走らせ、サクランボ・リンゴ・ブドウなどの果樹園、出羽三山・朝日岳、「おしん」の故郷などをこれと結びつけて売り出し、地域振興を図ると同時に、地域資源活用の可能性を全国に広める役割を果たしていく、こんなことは夢想でしかないのかもしれないが。

(註)
1.東北の亜炭と石油について下記で述べているので参照されたい。
  11年4月18日掲載・本稿第二部「☆宮城・山形の亜炭、秋田の油田」
2.   同  上  (3~4段落目)参照
3.この「左沢」を何と読むか、ご存じない方もあろうが、読めたらたいしたものである。ついでに、同じく左沢線にある「寒河江」駅をどう読むかも考えていただきたい、
4.12年5月9日掲載・本稿第四部「☆ローカル線、バス、軽便鉄道の変化」(2段落目)参照
5.12年10月11日掲載・本稿第五部「☆核のゴミと懲りない面々」参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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