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日本の風土と風力、水力



               日本は「資源小国」?(3)

              ☆日本の風土と風力、水力

 北海道の道路は「どこまで行っても長い道」である。根室から北海道東端の納沙布岬に行くときの道路もそうだった。広々とした草地と原野の間に延々と続く道路をまっすぐに岬に向かう。やがて真っ正面に風力発電の風車が見えてきた。ずんずん大きくなってくる。風車の羽がでかい。それがゆっくりと回っている。また大きくなる。羽の回るのが何とも目に触る。少し気持ちが悪くなってきた。運転している家内が騒ぐ、目が回りそうだと。それなら目を離せばいいのだが、何しろ道路は少しも曲がらず一直線、その真っ正面に風車があるのだから、目を離そうにも離せない。さらに近づく。ともかくでかい。何でか知らないが、倒れてくるのではないかとすら思わせる。ようやくそのすぐ脇を通り過ぎた。二人ともにほっとした。
 納沙布岬というと、草と低木だけの半島、すぐ目の前に見える北方領土、そしてこの風車、この三つほぼ同時に思い出すほど、風車が強烈に印象に残った。02年秋のことだった。
 風力発電の風車を見たのはこれが初めてではない。網走に来る前、90年代に山形県庄内町の丘の上にあるのを遠くから見たことがあった。そのときはこんなにでかいものとは思わなかった(もしかするとここのは納沙布岬のものよりも小さいのかもしれないが)。それにしても何か庄内の景観とは合わない、こんなことを感じたものだったが、納沙布の風車も同じことを感じさせた。新エネルギーとして注目されているが、景観を壊しているような気がして、風車はどうしても好きになれない。

 最近ふと思い出したことがある。風車が台風で倒れ、無惨な姿をさらしている風景である。どこで見たのだったろうか。納沙布岬ではなかったろうか。記憶があやふやなので家内に聞いてみた。家内は記憶にないという。そうすると納沙布ではない。どこだったのだろうか。非常に鮮明に印象に残っているのに、わからない。夢にでも見たのだろうか、それとも私の脳の記憶装置がおかしくなっているのだろうか。小さい頃から忘れんぼうで有名だったのだが、年齢のせいでますますおかしくなっているのだろうか。
 考え悩んでいるうちに、ふと宮古島の名前が頭に浮かんだ。もしかして沖縄の宮古島で見たのではなかったろうか。インターネットで調べたら何かわかるかもしれない、そう思って風力発電を検索してみた。何と、そのなかに沖縄の宮古島の風車の倒壊が出ていた。やはりそうだった、そこで見たのだった。

 04年夏、ゼミの学生の研修旅行で宮古島に行く計画を立てた。宮古島には農大の附属亜熱帯農場がある。網走には寒冷地農場があり、当然ビートがあるのだが、せっかく亜熱帯農場があるのだから、そこで同じ甘味資源作物のサトウキビの植え付けを実習してみようということになったのである。その前に、沖縄本島で基地問題と沖縄農業について学習すべく沖縄国際大学におじゃまし、先生方に島内を案内してもらうことにした。
 ところがである、出発予定の二週間前の8月13日、沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落、炎上するという事件が起きた。起きるべくして起きたことなのだが、お訪ねすることになっていた学長のTTさん、ご案内をいただくことになっていた教授のHMさん、KYさん、きっと学内にいただろうに、どうなったかかなり心配した。幸い皆さん方無事で一安心したが、テレビで惨状を見て訪問は無理だろうと覚悟した。しかし連絡があり、訪ねてきてもかまわないという。そこで遠慮なくおじゃまさせてもらった。生々しい現場を見て学生諸君はかなりショックを受けたようだった。
 翌日宮古島に行き、汗を流しながら農場でサトウキビを植え付け、さらにその翌日貸し切りバスで島内を概観した。それで地下ダム等宮古島の農業をいろいろ学んだのだが、途中バスのガイドさんが案内するたびに去年の台風がいかにひどかったかを繰り返し強調する。昨年(03年)9月、最大瞬間風速74㍍を記録した台風14号で大きな被害を受けたというのである。その風速に驚き、改めて風景を見るとたしかにいろいろ被害を受けていた。どこだか思い出せないのだが、あるところで休憩していたら、そこに電信柱を二回りくらい大きくしたようなコンクリートの柱が倒れており、飛び出している中の鉄骨が赤く錆びていた。何かと思ってたら、台風で倒れた風力発電の風車だった。そこは人家の少ないところだったからよかったが、もしもと考えるとこわくなる。もちろん想定外の風速だったのでこうなったのだが、自然と言うのはそもそも想定外のもの、想定内のものなどというのはほんのわずか、これから風力発電を進めていくとしたらそうした風害への対応をもっと考えなければならないだろう。
 ところで、宮古島の風力発電のことを、そしてこんな大変なことがあったことをなぜ一時期私は忘れていたのだろう。
 私が宮古島に行ったときには今言った事情でもう風車が立っていなかった。それで納沙布岬で初めて近くで見たときの風車の異様さだけが強烈に印象に残り、それに宮古島の風車倒壊の無残な姿が結びついて納沙布岬で倒壊があったように考えてしまい、風力発電が宮古島にあったことを思い起こさせなかったのではなかろうか。

 70年代前半のことだが、夏休みの終わったころのある日、家内が近くの八百屋さんに行ったら、転勤で近所に引っ越ししてきた奥さんが缶詰とかパンとかをごっそり買い込んでいる。「どうしたの」と家内が聞いたら、「あなたこそ何をしているの、明日台風が来るでしょう」と不思議そうな顔をする。家内は気が付いた、その奥さんは高知出身、台風の直撃する高知なら買いだめもしておかなければならないだろうと。なるほどと思いながらもついつい笑ってしまった。そして家内は言った、「東北は台風と言っても高知ほどじゃないから、買いだめなんかしなくとも大丈夫なの」。
 もちろん東北も台風で被害を受けることはある。いずれにせよ日本は台風直撃国、ここではたして欧州のような風力発電はどの程度有効なのだろうか。

 山形市郊外にある母の実家の前には小川が勢いよく流れていた。斜め向かいの家にはそれを利用した水車があり、ときどきそれを廻して水車小屋で脱穀し、また粉をひいていた。1950年ころまでのことだが、近所の農家がみんなそこに頼んでやってもらっていたとのことである。
 こうした水車のある風景、かつては日本のどこでも見られたが、今はほとんど見られなくなった。それでも、日本のふるさとの風景、原風景として絵や写真でよく見かけるので、日本人にはおなじみである。
 しかし、風車はみかけない。オランダなどの風景写真で、ドンキホーテの絵本でおなじみなだけである。オランダに多いのは製粉ばかりでなく低湿地の排水の動力源として利用していたからなのだそうだが、その昔の欧米ではよく見られたという。しかし日本にはない。もしかするとどこかにあったのかもしれないが、私は聞いたことも見たこともない。絵でも写真でも見たことがない。ということは、あったとしても本当に数が少なかったことを示すのだろう。
 なぜ日本に風車がないのか。これは、水車の方が日本には適していたということから来ているのではなかろうか。降水量が多く、起伏の多い山国である日本には無数の急流の小河川があり、安定して水車の動力源として利用できる、だから風速の不安定、度重なる台風の襲来等の問題をかかえる風力の利用=風車ということにはならなかったのではなかろうか。
 そうなれば、日本の風土にあった水力利用、水力発電にもっともっと力を入れることが必要となる。
 もちろん風力発電を否定するものではない。それにしても、私はどうしてもあの飛行機のプロペラのような風力発電の風車は好きになれない。水車は絵になるが、風力発電の風車は日本では絵にならない、それどころか景観を悪くしている(私のセンスのなさがそう思わせているのかもしれないが)。もしつくるとするならもっと景観に合うようなかっこうにしてもらいたいものだ。当然のことながら、台風被害の回避、低周波騒音の解決、発電能力の向上等にさらに力を入れてもらいたい。
 しかしそれより前に(それと同時にと言うべきだろうが)、もっともっと水力利用に力を注いでもらいたいものだ。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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