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米のバイオ燃料化と食糧自給



              日本は「資源小国」?(6)

             ☆米のバイオ燃料化と食糧自給

 わが国がバイオ燃料もしくはその原料を輸入するのは問題だと前回述べたが、国内の農産物をバイオ燃料の原料として利用すれば問題ないではないかと言われるかもしれない。
 その通りである。もしも日本の食糧が余っているなら農地をバイオ燃料作物に回すことがあってもかまわない。しかしわが国の食糧は不足している。食糧の六割も外国から買っている。それなのに農地を食糧生産で利用せず、バイオ燃料生産に回していいのだろうか。

 そういうと、日本では米が余っているではないか、この米をバイオ燃料として利用すれば国民の米の需要と競合しないし、転作田や耕作放棄地の有効活用につながるではないかといわれるかもしれない。たとえばこんなことをいう学者もいた、「これまで稲を燃料にすることは食糧生産と競合するとタブー視されてきた」、「しかし今は耕作放棄地が増えている。その農地でエタノール用の稲を作っても競合しないと考えてよい」と。そして、稲の米粒、もみ、わらを原料とする国産バイオ燃料利用の産業化をめざそうというプロジェクトを立ち上げる学者も出てきた。
 たしかに米は余っている(本当にそうなのか、それでいいのかはここでは問わない)。それでいま水田で米以外の作物を栽培しようとしており、その転作田は100万㌶ある。
 そこである学者はいう。この転作田100万㌶すべてをもう一度稲作付水田に戻し、そこでとれた米をバイオ燃料にしたらいいではないか、そうすれば600万㌧の米が生産でき、180万㌔㍑ものエタノールが生産できる、その量は日本のバイオガソリンに混ぜ合わせるのに必要な量と同じになると。
 計算上はそうなるかもしれない。
 しかしまず問題となるのが、現在の転作田のすべてを稲作に戻していいのかということである。
 いま転作田は国内で不足している麦、大豆、飼料作物を始めとする多様な農産物の生産に利用されている。そしてこの転作定着のために、田畑輪換などの新しい農法を確立しよう、集団的な土地利用を確立しようと農業者や技術者が努力してきた。それはもはや必要がなくなったのだろうか。
 しかもいま、輸入の大豆や飼料穀物の価格が高騰しつつある。こうしたときに転作田をまた米に戻して、そうでなくてさえ低い麦、大豆、飼料作物などの自給率をさらに下げ、その輸入を増やしていいのだろうか。

 いや転作田すべてを米に戻せと言うのではない、休耕地や耕作放棄地だけに米を植えてエタノール化するのだという人もいるかもしれない。たしかにそれは考えてもいい。
 しかし、休耕地や耕作放棄地は一般に条件の悪い土地である。労働生産性も土地生産性も低く、機械が入らないところすらある。当然その米のコストは高くなる。
 問題はそれを補償するような高価格で買ってくれる人がいるかということである。食用の米でさえコストを償う価格で買ってくれないのが現状である。いま生産者米価は平均して㌔200円を切ろうとしているが、これでは条件の悪い土地の生産費はもちろんのこと平坦地の良好な条件の水田の生産費でさえ償えない。食用の米でさえそうなのだからエタノールの原料としてはなおのこと生産費を償う価格で買ってくれるわけはない。エタノール用としての米は ㌔20円、つまり食用米の十分の一以下の価格で購入しないと採算ベースにのらないと言われている。こんな低い価格の燃料用米を、ましてや条件の悪い耕作放棄田で、いったいだれが生産するというのだろうか。

 もちろん、助成金等の手厚い政策的な保護があれば別である。また10㌃当たり収量がいまの数倍になる技術が開発されれば輸入原料と太刀打ちできるかもしれない。
 しかしそうした手厚い保護、超多収技術の開発は、燃料としてよりもまず家畜の飼料としての米の生産に向けるべきではないだろうか。わが国の飼料穀物は九割も輸入に依存しており、しかもその国際需給は中国などの経済成長とバイオ燃料の登場で逼迫しつつあるからである。飼料作物の自給率を高めることはわが国の緊急課題となっているのである。燃料米に浮かれる前にやるべきことがあるのであり、まず飼料用の米の生産に耕作放棄田や休耕田を利用することを考えるべきなのである。
 そしてそれは農業生産の発展の法則性にかなうものである。生産力の発展にともなって穀物が直接的な食糧としてだけでなく、飼料のような間接的な食糧として使われるようになるのは法則的なものだからである。それは欧米諸国のムギやトウモロコシを考えればよくわかる。生産力の低い段階では、穀物は人間が食うだけでせいいっぱいで、家畜にそれを食わせるなどということはとんでもないことだった。当然のことながら食糧生産ができる土地、つまり耕地を家畜の飼料用にまわすなどということも考えられなかった。だからそもそもは食糧生産ができない林野などの土地や作物残さなどで家畜の飼料を確保していた。しかしやがて生産力が発展して、人間が直接食糧とする以上の穀物の生産が可能となってくる。すると、その穀物の一部を飼料に向けるようになる。あるいは穀物をつくってきた土地で飼料作物をつくるようになる。そして畜産を発展させ、食生活を向上させる。これは人間がたどってきた道だった。
 こうしたことから考えると、わが国でも、米の生産が発展して人間が主食として直接必要とする以上の生産が可能になったなら、生産した米の一部を家畜の飼料用にむけてあるいは水田の一部に飼料用の米を植えて畜産を発展させることがあってしかるべきだということになる。ましてや米はわが国の風土に適したもっともカロリー生産力のレベルが高い穀物であり、それを育てるための装置である水田も大量に存在している。しかもわが国は稲作に関しては高い技術力をもっている。飼料用の超多収品種や栽培技術を開発することは十分に可能である。こうした物的人的な力を活用して飼料穀物の自給率を高め、それを一つの基礎にして外国のエサにたよる根無し草的畜産、家畜の飼育だけ進んで飼料生産が発展していない歪んだ畜産からの脱却を図っていく。
 こうしたことはこれまで何回も叫ばれてきた。しかし飼料穀物や畜産物の輸入に安住している政府は飼料米の生産になかなか本腰を入れようとはしなかった。
 それでも、一部の地域では飼料米の生産と利用の地味な努力が続けられてきた。たとえば山形県庄内では、飼料米が転作作物として認められた1995年から生産者と養豚業者が手を結んで飼料用の米を転作田で生産し、家畜の飼料として活用するという経験を蓄積してきている。また試験研究機関は飼料専用の多収品種べこあおば、夢あおばなどを開発してきた(註)。こうした動きをこそ政策的な援助で加速化させる必要がある。
 そして、一方では人間の食糧としての良質米の安定多収技術の開発、もう一方で家畜の飼料用としての米の超多収技術の確立に努め、食糧自給率を高めていく。そうした展望ができたときに燃料用の米の生産にも取り組むことを考えるべきなのであって今はその段階まで至っていない。順序が逆である。もっと飼料用米の生産とその利用に力を入れるようにすべきなのである。

 農業者や農業団体、関係機関がバイオ燃料に飛びつこうとする気持ち、これはよくわかる。何とか水田活用の道を発見したい、休耕地や耕作放棄地を解消したい、そして農業発展の展望を見いだしたいという気持ちから新しいことに飛びつきたくなるのは当然である。
 しかし、飼料用米の生産もできなくてバイオ燃料米の生産などできるわけはない。そもそも耕作放棄や休耕は何をつくっても経済的に引き合わないから引き起こされたものであり、その解決なしでは耕作放棄地で栽培されることなど考えられない。しかし、政府は主食用の米の下落も救ってくれず、飼料用米にもまともに金を出さない。こんな政府がバイオ燃料米だけは経済的に引き合うようにと金を出すだろうか。
 こう考えると、米のバイオ燃料化で農村が救われるなどと考えるのは幻想でしかないことになる。
 実際に農水省は米それ自体のエタノール化の推進については明言していない。バイオ燃料の原料として重視しているのは、農業関連のものだけで言えば、規格外の小麦や甜菜、稲ワラなどの農業廃棄物、それに食品廃棄物である。つまり価格の低いもの、価格をもたないものを原料として考えているのである。
 もちろん、これはこれで考えるべきことである。ただしそのさいには次のようなことに留意する必要がある。

 まず規格外の小麦や甜菜についていえば、これは捨てられているわけではないことだ。きわめて安い価格ではあるが、家畜飼料の原料として買い取られ、配合飼料に入れられて家畜のえさとなっている。もしもこれをバイオ燃料にまわすと飼料輸入がまた増え、それでなくてさえ低い飼料の自給率をまた下げることになる。
 同じことが稲ワラについても言える。これも家畜の敷きワラや粗飼料としてきわめて重要であり、これをバイオ燃料に回すのには疑問がある。
 そうはいっても、現実にはそのように利用されていないではないか、刈ったまま放置されているのが実態ではないか、それを利用するのだから問題はないと言われるかもしれない。しかし、放置されているのは外国から安いワラが輸入されているからである。こうした稲ワラの輸入をそのままにしておいてバイオ燃料に稲ワラを使っていいのだろうか。
 さらに、そもそも稲ワラが集まるのかも問題となる。収集と貯蔵、運搬等に金と手間のかかる国産のワラは外国産に対抗できないので放置されているのである。
 そこで農水省はバイオマスの生産・利用拡大のための計画の一つとして稲ワラなどの効率的収集技術の開発推進をうたっている。たしかにそれは必要である。しかし、その技術はまず稲ワラを畜産農家に供給するために用いるべきなのではなかろうか。そしてその使用後の稲ワラを良質の厩肥にして水田などの耕地に返す。また、遠い外国から石油燃料をもやす船で稲ワラを運んできて環境を破壊したりしないようにする。さらに輸入稲ワラに紛れ込んでくる恐れのある害虫や雑草、病原菌等による生態系の破壊や口蹄疫の国内への輸入の危険を回避する。
 要するに、飼料や敷きワラの国内自給を始めとして食糧の自給率を向上させること、つまり国内農業の発展を図って輸入を減らすこと、これが地球環境問題の解決の基本なのであり、バイオ燃料ではしゃぐ前にそれをまずやらねばならないのである。

(註)収量は10㌃当たり800㌔(普通550㌔)とのことだが、一層の多収品種の開発が望まれる。


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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