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養液栽培の利点と限界



               日本は「資源小国」?(8)

              ☆養液栽培の利点と限界

 わが国は資源エネルギーが少ない、よくそう言われるが、もしも本当にそう思うなら、いかに資源エネルギーを使わないようにするか、その節約技術をいかに開発するかに他の国以上に力を入れることが必要となる。ところが、政財界はそれと逆のことを推奨してきた。浪費は美徳としてものを捨てさせ、つまり資源を無駄に使わせ、オール電化などと宣伝して外国の石油・石炭を大量に消費して環境を汚染させてきた。さらには原発をこの狭い地震多発国に建設してきた。その結果が2011年の原発事故であった。
 そうなれば、まず考えなければならないことは、原発を再開するのではなくて電力を始めとする資源・エネルギーの節約を図っていくこととなる。同時に、これまで述べてきたように、わが国の持てる潜在的顕在的資源・エネルギーの開発を図っていくことが必要となる。
 ところが、近年これと逆に太陽や土地などの自然の資源・エネルギーを使わずに資源・エネルギーを大量に使う植物工場が未来の農業としてマスコミなどに注目され、企業がこれを突破口にして農業に進出してきている。とくにその進出が大震災による津波で被災した農地で進められようとしている。
 そこでここでは少し植物工場について検討してみようと思う。そのためにまず養液栽培から見てみたい。植物工場の重要な骨格をなしているのは養液栽培だからである。

 私が養液栽培を初めて見たのは1975年、広島県でだった。当時は養液栽培とは言わずに「水耕栽培」と言われていたのだが、私が見たのはそのなかの「礫耕(れきこう)栽培」で、カイワレダイコンとミツバを生産していた。土の代わりに礫(小石)で作物の身体を支え、そこに人工的につくった培養液を流して作物に必要な養分を吸収させて育てるのである。この礫耕栽培は当時の水耕栽培の主流だったのだが、地面にコンクリートを敷き、その上にコンクリートで長方形の枠をつくり、こうしてできあがったベッドのなかに礫を敷き詰め、そこに養液をかけ流していた。礫は重いので現在よく見られるような棚での栽培などやるわけにはいかなかったのだろう。このベッドをガラスハウスで覆い、冷暖房つきでハウス内の気温を一定に保ち、周年出荷していた。
 実はこのときカイワレダイコンも初めて見た。まだ全国的に普及していなかったころだった。ミツバはもちろん普及しており、土耕が普通だったが、この経営者は雇用を入れて養液栽培で大量に生産し、しかも赤字覚悟で低価格で毎日市場に出荷した結果、広島市内のミツバ農家を市場から完全に駆逐し、この経営が市場を独占し、価格を思うままに操作できるようになっていた。
 そのころから、農業資材関連企業は養液栽培施設の開発、販売に乗り出してきた。こうしたなかで養液栽培は全国的に普及し、さまざまな作物の生産がなされるようになり、さらにそれは「植物工場」なるものへと進み、農外企業が直接それを経営すると言う時代にまでなってきた。そしてマスコミはそれを大々的に取り上げ、農学系の学生も大きな関心をもつようになった。

 東北大農学部では卒業論文が必修だったが、東京農大でも同じだった。この卒論のテーマの決め方は研究室によりいろいろだが、私どもの研究室では学生に自ら考えさせ、それに私ども教員がさまざまな示唆を与えて最終的に決定することにしていた。
 学生の考えてくるテーマはさまざまだったが、農大の私のゼミの学生の場合、とくに多かったのが有機農業に関連するテーマだった。そもそも環境とか農業とかに関心をもち、目的意識をもって入ってくる学生が多かったからこうしたテーマを選ぶのが多いのはよくわかるのだが、彼らのほとんどは有機農業こそこれからのあるべき農業だと考えていた。
 もう一つ多かったのは、養液栽培(そのころは水耕栽培をこう呼ぶようになっていた)、植物工場をテーマとして選択しようとする学生である。彼らのなかには自分の家で養液栽培をやっているのでさらに詳しく考えてみたいというものもいたが、その彼らも含めてそのほとんどはこれこそ「未来の農業」であると考え、また企業等も導入し始めたことから着目して取り上げたものだった。
 この両極の考え方に対して、私はよく次のような注意を与えた。
 前者を選択したものには、まずそれに疑問をもってみること、新興宗教の信者のように盲信せず疑問ももって考えて見ること、人類の蓄積してきた知恵や科学の成果の否定、科学不信におちいることがないようにすること等を注意した。
 後者についても、全面的にいいものだとは考えず、本当にいいものかどうか疑問をもって、とくに地球環境問題、資源問題等と関連づけて考えてみるように示唆を与えた。
 同時に、このように多くの学生が関心をもっていたことから、新設した農業技術論の講義でこうした問題に触れることにした。とくにこの講義では後者の問題、すなわち植物工場が21世紀の農業を担うにたる価値をもっているのかについて考え方を述べることにした。近年養液栽培を導入する若者が増え、また植物工場への企業の進出が見られるようになり、マスコミなどのなかには植物工場が未来の農業であるかのごとく取り上げているものもあるからである。
 そしてまず、植物工場の技術的な柱となっている養液栽培について次のように述べた。

 農業生産における土地は、農作物を支え、自らのなかに自然的に含まれているもしくは人間が投与した養分を保持して可溶性にし、農作物が根をはって養分を吸収させる装置としての機能を果たす。
 養液栽培はこの土地の機能を人工物に代行させる。土地のもつ自然の力を通じてではなく、人工的な場(装置)を通じて植物を支え、人工的に作った養分を水に含ませた養液を吸収させるのである。
 つまり、一般の栽培のように土地という自然の器、容れ物で作物を支えるのではなく、ベッドと呼ばれる人工的につくった容れ物で作物を支える。このベッドには礫(れき=小石)かロックウール、あるいはピート・モス(註)が敷かれ、それとその間を流す水でもって作物体を支え、育てる。
 そして作物に必要な養分は、化学肥料を水に溶かした養液を根元に流してやることで作物に吸収させる。作物の必要な養分を計算し、その分量の化学肥料と水でつくった液肥を、ポンプの圧力で配管を通して流してやるのである。だから水耕栽培とか養液栽培と呼ばれるのだが、かつては礫が中心だったので礫耕栽培と呼ばれたこともある。なお、これに対応して土で育てる普通の栽培のしかたを「土耕栽培」という。
 この養液栽培だと作物は土壌条件に左右されずに自由につくれる。自然の土壌はその性質がいろいろ異なり、養分も違うので、つくれるものもあればつくれないものもあるが、養液栽培であれば供給する養分を自由に変えられるので、どんな作物でもつくれるのである。
 しかも養液とベッドには土の中にある有害な病原菌や雑草がないし、蔓延もしない。不要な養分もない。そうすると連作障害もないし、農薬や除草剤も少なくてすみ、安全である。そして、植物に必要な養分をきちんと計算して与えられるので生育もいい。土耕栽培のように、土のなかに含まれる養分を一々検査し、不足分を計算して化学肥料をやるなどという面倒なことはしなくともいい。
 さらに、ガラスハウスやビニールハウスで外気から遮断され、太陽エネルギーに加えて石油・電力等で暖房したりして人為的な気象条件をつくりだしているので、天候に左右されず安定した生産ができ、作期・出荷時期を市場の要求にあわせて生産することができる。
 このように土や気象に影響されず、土のコントロールもいらないので、経験も技能もあまりいらない。土耕の場合はそうはいかない。気象や土地は人間の予測がつかず、制御しにくいからである。こうした土を使いこなし、気象変動に対応して生産するのはきわめて難しいので、一定の経験と技能なしではやれないのである。ところが養液栽培にはこうした難しさはない。技術的に比較的容易で取り組みやすい。それほど経験がいらず、水耕栽培施設メーカーのつくったマニュアルの通りやれば、必ず一定の成果をおさめられる。つまり簡単に飛びつくことができ、生産量の予測も可能なので収益の予測も簡単にできる。
 さらに、ベッドを高くすれば腰を曲げずに立ったままで仕事ができ、働くものの健康をまもることができる。土をいじらないので、手を汚さずにもすむ。
 また、土地面積が小さくとも多くの収益をあげることができる。
 養液栽培にはこのような利点があり、とくに大面積経営のできない地域ではこうした集約的な施設型経営を取り入れることも考えられる。こうしたことからいま青年を中心に普及しつつあり、農業機械施設メーカーはそれを売り込み、さらにスーパーや外食産業もその生産物の取扱い、利用を売り物にしようとしているところもある。
 しかし問題もある。まず、養液栽培施設の建設にはかなり投資が必要とされるので、生産物価格に比して高コストになりがちだということである。この問題については次回詳しく述べる。
 次に、マニュアル通りやればいいといわれているが、メーカーの試算している計画収量に必ずしもならない場合があることである。地域、生育ステージ、品質などに適応したマニュアルが確立されているとはいえないのである。たとえ当初はうまくいっても3~4年たつと病害虫が多発したり、品質が低下したりするとか、バラの場合などは樹勢が衰えてくるとかいう話も聞く。マニュアルには書いていない問題や変化にぶつかる場合もある。メーカーの技術だけでは不十分な場合が往々にしてあるのである。また、同じ施設で同じマニュアルでやっても経営により収量などに差が出てくるということもあるが、このことはメーカーの技術だけでは不十分な場合が往々にしてあること、生産に実際にたずさわるものの技術、経験が重要であることを示していると言えよう。
 それから、養液栽培は農薬を使わないから土耕栽培より安全だといわれるが、必ずしもそうではないことも問題となる。たしかに密室状態であることから虫は入ってはこないかもしれないが、高温多湿状態のもとでカビやダニなどがそのうち発生し、農薬を使わざるを得なくなる危険性があるのである。しかも化学肥料は大量に使っており、絶対安全などというのはない。
 こうした問題を解決するものとして着目されているのが植物工場である。次回はそれを検討する。

(註) 湿原の泥炭層のコケ類等の堆積物を加工して作った園芸用の土と輸入木屑でできたもの
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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