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ジャガイモ・馬鈴薯・ニドイモ・ナツイモ



                イモ談義(1)

          ☆ジャガイモ・馬鈴薯・ニドイモ・ナツイモ

 ジャガイモ、これは「ジャガタラ芋」が詰まったもので、ジャガタラとはインドネシアの首都ジャカルタの古称であり、安土桃山時代にこのジャカルタを出発したオランダ船が持ってきたのでこうした名前がついたものだということを、子ども時代に何かの本で読んだことがある。
 しかし、馬鈴薯(バレイショ)、この命名の理由については聞いたことがない。文字通り馬の首につける鈴のような薯がたくさんなるからつけたのだろうと私は考えているのだが。
 このジャガイモとバレイショという二つの名前、どちらも小さい頃から使ってきたが、どちらが公式用語なのか、あまり考えないできた。ただ、バレイショは漢字を使い、いかめしいので、そういうことの好きな行政、きっとこれを公式用語としているのだろうと思って、それを使ってきた。
 60歳を過ぎてバレイショの大産地北海道で勉強するようになり、畑作にかかわる論文を書こうとしたとき、はて本当はどちらが公式用語なのか、改めて疑問になり、農大オホーツクキャンパスの作物の先生に聞いてみた。そしたらジャガイモだという。それで論文ではその言葉を使うことにした。そのときはそれで終わったが、何となく釈然としない。私はいままでずっと間違って使ってきたことになるし、公式文書でバレイショという言葉を見たこともあるからだ。それでつい最近、網走の研究室の若き同僚だったWMさんに改めて作物の研究室に行って確かめてもらった。すると、次のような返事が返ってきた。生物学的にはジャガイモなので、作物学会や教科書等ではすべてジャガイモである、しかし農水省は伝統的にバレイショを使っており、それで産業的にはバレイショと表記していると。要するに、どちらを使っても間違いではないが、正式にはジャガイモということになるらしい。そこでこれからはジャガイモという言葉を使うことにする。

 ごぞんじのように、ジャガイモにはいくつかの芽がついている。そのイモを土に埋めると、その芽から茎(地上茎)葉が伸び、それが成長すると土の中の根(正確には地下茎)の先端のいくつかが肥大化してイモができる。このジャガイモの性格を利用してそのイモ自体を種としてそれを畑に植え、それからできたたくさんのジャガイモを収穫する。
 このジャガイモの種イモ切り、私の小さい頃は、それが春先の子どもの仕事の一つだった。古くなってもう使えなくなり、物置のすみにおいてあったまな板の上にジャガイモをおき、芽のあるくぼみが必ずあるようにして適宜の大きさに包丁で切り分け、二~三個にする。これを種イモとして畑に植える。イモ一個をそのまま種イモとするよりはイモを節約でき、食用(販売用)にまわすことができるので、この方がずっと合理的だからである。しかし手間はかかる。それで大規模に生産している北海道では、小さいものはそのまま、大きいものは二つに切って種イモとして植えているとのことである。

 いうまでもなく、北海道は全国一のジャガイモ生産量を誇っている。このことはほとんどの人が知っている。ジャガイモの生産がもっとも多い県はどこかと聞くと即座に北海道と答える。
 そこで続けて聞く、それでは生産量第二位の県はどこかと。答えられる人はほとんどいない。そこで私は得意そうに言う、「長崎県だよ」と。するとみんな驚く。そしてさすがは専門家、よく知っていると感心される。
しかし、実は私もあまり威張れたものではない。そのことを私が知ったのは1987年、50歳を過ぎてから、長崎県の島原半島に調査に行ったときのことだったからだ。
 畑作地帯における情報需要の調査で長崎県の愛野町(現・雲仙市)に行ったのだが、到着するとすぐに畑を見に行った。雲仙岳から北西に下ってくる裾野の緩やかな斜面に広大な赤土の段々畑が広がっている。1月だったので畑には何も植えられておらず、したがって畑の土がまともに見えるのだが、何でこんなに土が赤いのか、ちょっと驚いた。
 もう一つ驚いたのは、段々畑の石積み畦畔だ。段々畑といっても、傾斜が緩いために畑一枚の区画はかなり広い。土壌の流亡を防ぎ、同時に畑の区画を区切るための畦畔は20㌢から50㌢程度の高さに積まれた石でつくられているのだが、その石が薄い板状をしており、その大小さまざまの平らな石を適宜上手に組み合わせて積んでいる(うまく説明できないが)。だからいわゆる石垣畦畔とは若干その様相を異にしており、ちょっと乱雑な感じがする。しかし非常に頑丈だ。この石積み技術は農家が代々受け継いできたものなのだが、若い人はほとんど積めなくなっているとのことだった。また、機械化には石積みがじゃまだ、大区画整理をしたいなどとの意見もあったが、今はどうなっているだろうか。私としてはあの石積み畦畔の技術とそれで区切られた段々畑の景観はぜひとも残してもらいたいのだが。
 それはそれとして、この畑にはすべてジャガイモが栽培されるとのことだった。火山性堆積物からなる土壌は水はけがよく、ジャガイモに適しているからである。さらに近くからミネラルに富んだ赤い土を客土して味をよくしているという。それで畑の土が赤かったのである。
 農家の調査に入ってまた驚いた。春と秋の年二回ジャガイモを栽培している。正月に植えて春に収穫、秋に植えて年末収穫という二期作をやっているのである。
 そもそも面積も少なく、平野も少ない長崎県がなぜ生産量二位なのか、みんなこれを不思議がるのだが、実は温暖な気候を活かしたこの二期作からくるものだった。しかも、収穫時期が大産地の北海道とずれるので競合しない。かくして北と南に主産地が形成されたのである(といっても生産量は比較にならないほどの差があるが)。
 ジャガイモは二度穫れるものだ、二期作ができるのだということは、実はこの時初めて私は知った。
 そのときふと思い出した。私の祖父がジャガイモのことを「ニドイモ」と呼んでいたことである。そしてこんなことを考えた、昔の言葉でもう年寄りしか使わなくなったのだろうと思って何の気もなしにそれを聞いていたのだが、これは「二度イモ」と書き、年に二度穫れることから来ていたのではなかろうかと。

 私の子どものころ、山形ではジャガイモのことをナヅイモ(夏イモ)と言っていた。山形ではまさに夏しか穫れないのでこのナヅイモでおかしくはない。
 このように二度は穫れないにもかかわらず、なぜニドイモとも呼ぶのだろうか。ジャガイモが伝来した九州などで二度穫っていたことからついた二度イモという名前(そう呼んでいる地方も他にあるらしい)がそのまま山形に伝わり、それをお年寄りたちが伝えてきたものだろう。
 そう思って父に聞いてみた。そしたら山形でもジャガイモは二度植えていた、だからニドイモなのだと父は言う。驚いた。よくよく聞いてみたら、二度植えの目的、内容が違う。最初は種イモ取り、二度目は本来の食用のイモの収穫を目的として植えたのだ、もちろん今はそんなことはしていないがと言う。つまりこういうことである。
 春早く種イモを植える。何日かしてそれを掘り返すとビー玉程度の小イモが鈴なりになっている。それを掘り取る。つまり収穫する。そしてその小イモをまた畑に種イモとして植える。こうすると、一つのイモからたくさんの種イモをつくって植えることができる。そして秋にはたくさんの収穫ができる。さらに、そうすると種イモにするイモの数が少なくてすみ、食糧にまわすことができる。このように、その目的は違っても、二回収穫するのだから、やはりニドイモなのである。
 私の子どもの頃はもうそんなやり方はしていなかった。先に述べたように、小イモは使わず、成熟した大きなイモを切り分けて種イモにしていた。どうしてそう変わったのかよくわからない。小イモを使うと遅植えになるので作季が短くなってイモがあまり大きくならず、収穫量が落ちる危険性があることからきているのではなかろうか。ともかく今は山形流のニドイモ生産はしていないのだが、こんなこともあったのだということをここに記録しておきたい(きっと誰かが記録してくれており、私がそれを知らなかっただけなのかもしれないが)。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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