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焼酎とイモ



               イモ談義(7)

               ☆焼酎とイモ

   「民衆の酒焼酎は 安くて回りが早い
    ………(途中忘れてしまった)………
    高く立て杯を そのかげに涙あり
    一級酒去らば去れ われらは焼酎まもる」
 私の学生のころ、『赤旗』の歌(註1)のこんな替え歌が流行っていた。
 戦後すぐのころは日本酒、ビールなど高価で飲めず、貧乏人は焼酎しか飲めなかった。私もそうだった。日本酒は一合50円(それも合成酒)などめったに飲めず(何しろ学生のバイト賃一日200円)、屋台でコップ一杯20円の焼酎を飲むのが精いっぱいだった。それにしても焼酎はまずかった。何か生臭く(薬臭いという人もいた)、むりやりのどに流し込むという感じだった。そこで頼むのが「割りチュー」である。すると焼酎の入ったコップにピンク色の梅シロップをちょっぴり垂らしてくれる。無色透明の焼酎は薄いピンク色に染まり、とってもきれいである。口に入れるとあの臭みはなく、飲み口は非常にいい。一杯30円となるのが痛いが、せっかく飲むのだ、やはりうまいのがいい。ただし飲み口がいいから飲みすぎてしまい、腰が立たなくなってしまうのが難点だった。

 1960年代に入ると、日本酒は安くなり、ビールも庶民が飲めるようになった。「トリスを飲んでハワイに行こう」などという宣伝文句がテレビで流され、ウイスキーも庶民が飲めるようになり、スタンドバーに行けばハイボールを頼むという時代になった。当然私も焼酎は飲まなくなった。
 こうなれば、焼酎などはなくなるだろう、私はそう考えていた。
 そもそも焼酎はイメージが悪かった。貧乏人のまずい酒ということからばかりではない、戦後の一時期、「カストリ焼酎」というのが出回ったからである。これは日本酒の酒粕を蒸留して造った本来の「粕取り焼酎」とはまったく別な、密造の粗悪焼酎に対する俗称であり、ひどいものになるとメチルアルコールを水で薄め、それを飲んだ人が失明したりするなど、子どもだった私たちでさえ知っているほど大きな社会問題となっていたのである。さすがに50年代後半にはこんな問題はなくなっていた。それにしてもエタノールに水を加えただけのおいしくない、しかもイメージの悪い焼酎、豊かな社会になれば消え去るだろうと思っていたのである。
 ところが、70年代に入ったころではなかろうか、こんなことを言う人がいた。今の若い人たちはわれわれ世代のような悪いイメージを焼酎に対してもっていない、だからこれから焼酎ブームになると。こう言う人は鹿児島出身か鹿児島大学に関係をもっている研究者だった。私はまさかと笑うだけだった。

 70年代半ば、鹿児島に調査に行ったときである。鹿児島大学の先生がいも焼酎の工場に連れて行ってくれた。うまく表現できないが、すさまじい臭いがしていた(今の工場はそんなことはないだろうが)。こんなものは飲みたくない、いや飲めないだろうと思った。夜、懇親会でいも焼酎が出された。匂いはするが、工場で嗅いだのとはまるっきり違う。しかもそれをお湯割りにする。何と飲めるではないか。独特の味だが、それなりにうまい。私が昔飲んでいた焼酎とはまるっきり違う。キビナゴの刺身をつまみにすると最高である。
 驚いて、お土産にいも焼酎を買い、仙台で研究室のメンバーと飲んだ。教わった通りにお湯割りにしたのだが、前のようにはおいしくない。やはり鹿児島の酒は鹿児島の風土で飲むからいいのであって、気候風土の違う仙台で飲んでもそれほどおいしくないのだろう、そのときはそんな結論になった。
 ともかくいも焼酎は私の思っていた焼酎のイメージを完全に変えた。そしてそれ以外にも球磨焼酎、泡盛等々、私たちのかつて飲んでいた焼酎とは違った種類のものが多々あることに改めて気が付いた。南九州に調査に行って、宿で酒を頼むと焼酎をもってくる、日本酒を頼むときにはどういえばいいのかと地元の大学の先生に聞いたら「清酒」と言えという、なるほどと思ったものだったが、それくらい焼酎が飲まれているということを初めて知った。
 そしてそういう焼酎つまり原料の風味が残る程度までしか蒸留しないのは乙類、私たちが昔飲んでいた焼酎つまり高いアルコール純度まで蒸留したものを甲類として分類されているということもわかった。
 やがて乙類焼酎は日本酒と並んで酒屋や飲み屋に並ぶようになり、かつての焼酎のイメージはなくなった。そしていも焼酎、米を原料とした球磨焼酎・泡盛等が全国各地で販売されるようになった。それは焼酎アレルギーのない若い人たちに受けた。そして焼酎ブームさえ起きた。
 私の焼酎に対する先入観は誤りだった。

 ところで、澱粉といえばジャガイモ澱粉がある。澱粉原料としてのサツマイモ生産は壊滅させられたが、澱粉原料ジャガイモはいまも北海道で大面積栽培されている。網走などはその大産地だ。そしてそれは北海道で片栗粉に精製されて全国に出荷されている(註2)。
 酒はそもそも澱粉を糖化させてアルコール発酵させるのだから、サツマイモと同じようにジャガイモの澱粉も酒の原料となっていいはずである。ところが、ジャガイモを原料にした「いも焼酎」がない。なぜなのかきちんと聞いたことはないのだが、サツマイモよりも糖化しにくいこと、ジャガイモ独特の臭みがあることからのようである。
 ところが、網走と知床半島のちょうど中間にある清里町が日本で最初のジャガイモ焼酎を開発した。ジャガイモと北海道産の大麦とで、ジャガイモの臭みをとり、旨みのみを抽出した焼酎を完成させたのである。1979年のことだという。
 このことを私はまったく知らなかったが、網走に住むようになって初めて知った。清里町焼酎醸造事業所を案内され、説明を聞いた後、試飲させてもらった。
 サツマイモのいも焼酎のような独特の匂い、風味はない、しかし、癖が少なく、きりっとしている(表現能力がないためにうまく説明できないが)。私は日本酒ファンなので焼酎はあまり詳しくないのだが、それでも宣伝させていただきたい。とりわけ「オホーツクの地酒・北緯44度」、一度試飲していただき、もしもお口に合ったらぜひ愛飲していただきたい。

 これで北と南の二種類のイモの焼酎ができたことになるが、まだまだジャガイモの方の売れ行きは少ない。これも伝統の差、やむを得ない。それでも清里以外でも北海道の各地でジャガイモ焼酎が製造されるようになっているようである。
 また、麦焼酎、そば焼酎、後に述べるナガイモ焼酎等々、各地で地域の特産物をベースにした焼酎がつくられ、若者にそれなりに愛飲されているようだが、日本酒の消費量がそれで減退することのないように願いたいものだ。

 さて、話をもう一度イモに戻そう。
 ご存知のように、ジャガイモはナス科の植物である。だから、ジャガイモと同じナス科のトマトと接ぎ木ができ、つまりポマトにすることができ、地下にジャガイモ、地上にトマトができるという話を聞いたことがあると思う。
 一方サツマイモはヒルガオ科とのことである。そういわれてみればサツマイモの葉っぱはヒルガオのそれに似ている。ただし花が似ているのかどうかわからない。なぜかわからないが、サツマイモの花を見たことがないからだ。いずれにせよ、同じイモでもとんでもなく違うものだ。
 それ以外にもマメ科のイモがある。このイモ、ホドイモについて次にちょっと触れてみたい。

(註)
1.『赤旗』(作詞:J・コンネル 訳詞:赤松克麿 曲:ドイツ民謡)の本当の歌詞は次のようなものだった。
  「民衆の旗赤旗は 戦士のかばねを包む 屍固く冷えぬ間に 血潮は旗を染めぬ
   高く立て赤旗を その陰に死を誓う 卑怯者去らば去れ 我らは赤旗守る」
2.13年1月17日掲載・本稿第五部「☆イモ掘り、イモ拾い、ダンプカー」(4段落目)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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