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女の伝えたイモ・ホドイモ


                イモ談義(8)

             ☆女の伝えたイモ・ホドイモ

 青森県津軽地方に『弥三郎節』という民謡がある。数え歌形式の哀調を帯びた旋律なのだが、何とその歌詞はすさまじい嫁いびり、私にはとてもその歌詞を紹介する気持ちになれない。ここに歌われているような嫁いびりは特別としても、嫁の立場は本当にひどいものだった(註1)。
 娘を嫁に出す母親は、自分が経験したのと同じ苦労を娘にさせるのかと思うと、さぞかし辛かったろう。

 青森の農家の母親は嫁入りの前の日、娘にこっそり小さなイモを3~4個渡した。そしてこう言った。
 「嫁に行ったら、これを見つからないように家の便所の裏にでも植えておけ。すると蔓が伸びてきて大きくなる。もしも産後の肥立ちが悪いなど身体の具合が悪かったら、その根っこを掘れ。そこに何個かのイモがなっているはずだ、それを煮るか焼くかして食べろ。子どもが病気になったりしたら、そのイモを食わせろ」
 そこで娘は親の言うとおりに舅姑に見つからないように裏庭にこっそり植える。ろくな栄養がとれない時代、病気になっても病院などにいけない時代、ましてや嫁の発言権などない時代だ。身体の調子が悪いとき、母の言うとおりに、こっそり裏庭からそのイモを掘ってきて食べた。その娘もやがて母になる。子どもの具合が悪いと子どもに食べさせた。こうして身体を治した。
 やがてその子どもが嫁に行く。そのとき、裏庭からイモを掘ってきて、自分の母親が言ったのと同じことを言って、娘に渡す。
 こうして母から娘に、女から女にひそやかに伝わったイモがあった。それを「ホドイモ」という。

 東北大農学部の作物の教授でHKさんという方がおられた。もうお亡くなりになったが、非常に博識の方だった。今述べたホドイモの話はその彼から聞いた話と私がその後に青森で聞いた話とを加え、私なりに脚色して書いたものである。

 ここからの話も彼から聞いたものである(かなり前に聞いたことなので不正確になっているかもしれないが)。
 工芸作物学の講義の時、HKさんは「アピオス」というマメ科の植物の話をした。北アメリカの先住民がその根になるイモを強壮剤として食べていたとその実物をスライドで紹介した。
 それを見た学生の一人が言った、その植物は家の裏庭にある、イモを小さい頃食べたことがあると。そんなことはあるはずがない。どこの出身かと聞いた。青森の生まれだという。そこで実際に彼の家に行ってみた。あった。たしかにアピオスだった。
 驚いた。なぜ、日本にアピオスがあるのか。明治初期に輸入したリンゴなどの苗木にくっ付いて来たのだろうか。
 このアピオスは、青森ではホドイモと呼ばれていた。ホドイモ(塊芋)とは日本在来の植物で、山野の日陰などに自生している。しかしアピオスとは違う。ただ同じマメ科、近縁種なので、姿形は似ている。それでホドイモと名前をつけたのだろう。
 そして雑草として畑に生えていたそのホドイモ=アピオスが身体が弱ったときに効き目があるということを知った青森の農家の嫁が、裏庭とか便所の脇にこっそり植えた。自分勝手に畑に植えることなどできるわけはないが、裏庭なら目立たない。しかもそこは湿気があるから育ちやすい。放っておいても育つ。そして何かの時にそのイモをこっそり掘って食べ、子どもにも食べさせて身体を治した。そのことを嫁に行く娘に伝える。娘もやってみる。その娘がまた自分の娘に伝える。こうして今まで伝わってきたのではなかろうか。

 HKさんは早速そのイモをもらい、研究室で栽培してみた。そして養分等も調べてみた。とにかく栄養価はたっぷり、アメリカ先住民の酋長が精力剤としていたことはよくわかるし、青森の女が伝えてきたという理由もよくわかる。まさに滋養強壮剤である。ただ収量が低い。それで彼は品種改良と栽培技術の研究に取り組んだ。そしてこれを転作作物としてつくったらと青森県に言った。ところが相手にされなかった。彼はこう嘆いていた。

 1990年ころだったと思う、このHKさんの話を聞いた私が、青森県庁の職員に聞いてみた、ホドイモというものを知っているかと。同席していた数人の職員、誰一人知らなかった。それはそうだろう、みんな男だからだ。女しか知らない、悲しいイモなのだから。
 そこでHKさんから聞いた話を教えた。彼らはびっくりして、翌日すぐに県内の普及所に問い合わせた。みんな知らないと言う。しかし一人だけ、南部三八地域の普及所の所長が知っていた。そしてそのイモを県庁に送ってよこした。
 私のところにもお裾分けとして送ってくれた。親指と人差し指でつくった輪のなかに入るくらいの小さなイモだった。表皮は茶色、中は白である。
 煮ても焼いても、天ぷらにしてもいいという。早速煮て食べてみた。何と、ジャガイモとサトイモ、サツマイモの三つを合わせたような味である。ちょっと土臭い感じだが、うまい。
 鉢植えに一つ植えてみた。ササゲのように蔓が伸びる。やがて藤の花に似た紫色の房状の小さな花が咲き、けっこうきれいである(だから観賞用に輸入されたのではないかという説もある)。そして秋にはイモの収穫ができた。3~4個しかできなかったが。

 農業改良普及員の研修生として一年間研究室にいたことのある青森県職員のOTさんから最近ホドイモが送られてきた。南部地方の直売所等で販売しているという。いっしょにホドイモ焼酎も送ってくれた。新しくつくったものなので飲んで見てくれという。しばらくぶりでホドイモを食べた。前と同じく煮て食べたが、料理のしかたでさらにおいしく食べられるのだろう。いつかそれをくわしく聞いてみたいと思っている。水割りにして飲んだホドイモ焼酎もうまかった。飲みながら、女性の地位の歴史を振り返り、思いにふけってしまった。そして改めて時代の変化を感じた。
 最近は栽培されるようになり、産地も形成されつつあるとのことだが(註2)、もっともっとこのホドイモの名前が知られ、青森名産、女のイモとして全国に売れるようにならないものかと期待している。

 なお、この青森南部に隣接する岩手北上山地の葛巻町では山野に自生している「ホド」というイモを山から掘ってきて食べたと言う。これはさきほど触れた日本在来の野生植物ホドイモ(塊芋)なのではなかろうか。それをかつては北上山地から青森南部にかけて食べていたのだろう(註3)。だからそれと似ているアピオスもホドイモと呼んだのだろう。今はもう採取していないそうだが、このニホンホドイモも栄養たっぷりとのこと、この採取の復活、さらにはその栽培植物化が考えられないだろうか(註4)。

 ところで、アピオス(アメリカホドイモともよばれている)はアメリカ大陸原産、前に見たジャガイモ、サツマイモも原産地はアメリカ大陸である。そしてそれらをわが国で食べるようになったのは江戸時代以降である。
 これに対してニホンホドイモの原産地は中国大陸から日本列島にかけてなのだそうである。アメリカホドイモと近縁種なのにどうして原産地がこんなに離れているのか、私にはわからないが、日本原産だからわれわれの先祖はきっとかなり昔から食べていたと思われる。
 それ以外にも昔からわが国で食べられていたイモがあった。中世の話を書いた芥川龍之介の小説に『芋粥』があり、そこに山の芋が出てくるが、このヤマイモの系統がまずある。またサトイモがある。この伝統的なわが国のイモについて次に少し見てみよう。

(註)
1.かつての嫁の地位についてはぜひ下記の記事を読んでいただきたい。
  10年12月4日掲載・本稿第一部「遺したい記憶、伝えたい思い(2)」(1段落)
  10年12月18・20・21・22日掲載・本稿第一部「農家の嫁(1)~(4)」
2.最近の『家の光』の記事「健康野菜アピオスの潜在力」(2012年12月号、194~197頁)で青森県七戸町でのアピオスの生産・販売の取り組みが紹介されているので、参考にしていただきたい。
3.南部地方以外でも山野から掘り取って食べていた地域があったとのことである。
4.青森南部の一部の地域では栽培もされていると聞いたことがあるが、確かめていない。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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