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高粱・モロコシ・ソルガム



                  雑穀談義(5)

               ☆高粱・モロコシ・ソルガム

 小学2年だったか3年の時だったか忘れたが、戦前の日本が中国東北部に建国した傀儡(かいらい)国家の「満州国」から一人の先生が日本の学校教育を学ぶ研修生として私たちの小学校(当時は国民学校と呼ばれていたが)に派遣されて来た。30歳代だと思うのだが、きっとエリートの先生だったのだろう、細面の頭のよさそうな顔をしていた。高学年のクラスに配属されていたようで私たちは直接話したりすることはなかったが、当時の国防服のような黄色い服を着て毎日学校に来ていたその先生について一つだけ強く記憶に残っていることがある。
 何の行事のときだったか思い出せないのだが、先生も生徒も全員がグランドでお昼の弁当を食べたときがあり、幹部の先生方だけ職員室の前のところにまとまっておしゃべりしながら弁当を食べていた。たまたま用事があってそこに私が行ったとき、先生方の弁当が目に入った。そのなかに一つ、ご飯の色が真っ赤な弁当があった。満州からきた先生の食べている弁当だった。赤飯にしてはおかしい。粒が本当に小さく、しかも丸いように見えるからだ。はっと思いついた、これは「高粱(こうりやん)」なのではないかと。満州では高粱が主食だと聞いていたからである。いったいどんな味がするのだろうか、そもそもどんな植物なのだろうか。新聞雑誌などで満州の高粱畑を見たことがあるが、現物を見てみたいものだ、そんなことを考えた記憶がある。なお、その弁当のおかずは何だったのか、まったく覚えていない。赤がよほど強烈だったのだろう。

 何のことはない、その高粱は日本でいうモロコシ(=蜀黍)だった。しかも私が見たことのあるものだった。
 前にも述べたが(註1)、戦中から戦後の一時期、私の祖母が生家の前の畑でほんのちょっぴりアワとキビをつくっており、同時にその脇にモロコシも栽培していたのである。ただし、なぜ栽培したのか、どのようにして食べたのかはまったく記憶がない。モロコシについてはひょろひょろと背が高かったこと、穂がキビと似ていたこと、干した穂が赤かったことは覚えている。しかし、それが高粱と同じ仲間だということを知ったのはかなり後のことだった。
 ところで、モロコシの仲間にホウキモロコシというのがある。これは文字通り箒(ほうき)の材料、とくに座敷箒の原材料にするものなのだが、もしかすると生家で栽培したのはそれが目的だったのかもしれない。戦時中はもの不足の時代(当然箒も不足)、しかもモロコシを食べた記憶がない、この二つからしてそうも思える。ただし、ホウキモロコシの穂は食用のモロコシとはちょっと違う。ところが私の記憶は食用のモロコシの穂、ただし薄ら覚えなので、どっちが正しいのかわからない。祖父母も父母もいなくなった今、もう確かめようもなくなった。
 かつては座敷箒はどこの家庭にもあった。しかし、電気掃除機の普及で座敷箒のない家庭がほとんどとなってしまった。だからホウキモロコシの栽培は激減しているはずだが、どこかに残っているのだろうか。
 長居する客に早く帰ってもらうために座敷箒を逆さにして手ぬぐいを被せておくまじないをするとよいなどとその昔言われたものだが、箒のない現代の若い人たちはどういうおまじないで長居する客に帰ってもらうのだろうか。

 世界的に言うとモロコシの栽培面積は小麦、米、トウモロコシ、大麦に次いで多いとのことだが、明治以降のわが国ではそれほど多く栽培されておらず、明治期に約1万㌶、戦後5千㌶くらいしか栽培されていない(註2)。粉にして団子や餅にして食べていたとのことだが、あまりおいしくないとのこと、またモロコシはそもそも熱帯に適する作物であること、こんなことが他の雑穀よりも面積が少ない一因となっているのだろう。そして他の雑穀とほぼ同じ時期の1970年代には激減し、もはや農水省の統計書からは排除されている。

 こうしてモロコシとか高粱とかの言葉を忘れて何年かしたころ、ソルガムという穀物がアメリカから飼料として大量に輸入されていることを聞いた。よくよく聞いてみたら、何とソルガムとはモロコシのことだった。高粱=モロコシは中国で栽培されているものと思っていたが、何とアメリカでも栽培され、しかもそれが戦後日本に輸出されるようになったのである。これには驚いた。考えて見たら、モロコシはそもそもはアフリカなどの熱帯、乾燥地帯の主要な食用作物、同じ乾燥地帯のアメリカに持って行って栽培されるのは当たり前だった。そしてそれが飼料作物として日本に輸入されるようになったのである。日本の古代の食物が今アメリカからの輸入品となり、しかもそれは家畜の腹を通して肉や卵となって日本人の胃の腑を満たし、それがまたわが国の食料自給率を下げる一つの原因となっているとは、日本神話に出てくる神様もびっくり仰天というところだろう、何とも奇妙な感じをもったものだった。

 現在モロコシは水田の転作作物として四国、九州等で若干栽培されているとのことである。私がモロコシを最後に見たのは、70年代末に月山・朝日岳の麓にある山形県西川町大井沢に行ったときのことだった(註3)。おじゃましたリンドウ栽培農家の玄関先に少しだがその穂を干してあったのである。ある所に献納するためにわずかだが栽培しているとのことだったが、今も栽培しているだろうか、ともかくなつかしかった。
 その後、このモロコシと非常に似たものを私の勤めていた東北大農学部の研究圃場で見ることになった。
 80年代初頭、私の知るモロコシよりもさらに背の高いモロコシが裏の圃場に植えられていた。聞いてみると前にも本稿に登場してもらった作物研究室のHKさん(註4)が研究用として植えたサトウモロコシ=sweet sorghumと言うものだとのことだった。モロコシの変種で砂糖を採るために栽培されるものとのことだったが、この糖汁からアルコールをとるバイオマス作物としてさらに品種改良や栽培技術開発を進めて日本で栽培できないかという研究を始めたのである。ちょうどそのころはオイルショックで大変な時代だった。そこで政府はその研究にかなりの研究費をくれた。ところが3年もしたらピタッと金は来なくなった。石油の値段が安くなったからもうそんな研究など要らないというわけである。喉元過ぎれば熱さ忘れる、日本の政財界はまさにその通り、これでは長期にわたる研究などできないとHKさんは怒っていたが、彼が亡くなっても予算が少なくなっても細々ながらも研究をいまも続けているらしい。研究の継続性からして喜ばしいことだ。

 このサトウモロコシはわが国でも糖汁採取の目的で江戸時代から栽培され、とくに明治初期には大規模な栽培が計画されたらしい。しかし、台湾や沖縄などでのサトウキビを原料とする製糖業に押されて衰退したとのことである。それだからだろう、私ばかりでなくほとんどの人がサトウモロコシのことをまったく知らなかった。
 サトウモロコシとサトウキビは同じものなのかと聞いたら属が違うらしい。サトウモロコシはモロコシ属、サトウキビはサトウキビ属とのことだった。
 いうまでもなくサトウキビはその茎から砂糖を絞る工芸作物、雑穀とは違うのだが、ちょっとだけ脱線させてもらう。
 サトウキビの産地沖縄に行ったときのことである。初めて沖縄に来た研究室の職員の二人が私と一緒に車で調査地に移動しているとき、沖縄はススキが多いな、畑がススキだらけだなどと話している。実はそれはススキではなくサトウキビである。初めて見た人は間違いやすい。サトウキビの花穂がススキのそれとそっくりだからだ。ススキもサトウキビと同じイネ科、しかも比較的近縁関係にあり、間違ってもしかたがないのだが、農学者のはしくれなのだからせめてトウモロコシと間違ってもらいたかった。とはいってもサトウキビの花穂はススキに近い灰白色、トウモロコシの雄穂は黄緑色、だからススキと間違ってもしかたがないのだが。
 さて話をモロコシに戻そう。

 モロコシは漢字で「蜀黍」と書く。中国でも蜀黍という言葉は残っているとのことだが、一般には高粱が使われている。中国から日本に渡来したころ高粱は蜀黍と呼ばれていたので、日本ではそのまま使われて今に至っているのだろう。しかし、蜀黍はいくらがんばっても「もろこし」とは読めない。渡来したころ、日本では中国を唐土=もろこしと呼んでおり、このもろこしから来た穀物ということでこの名称となったのだろうと言われている。
 なお、このモロコシを「タカキビ(高黍)」と呼んでいる地域も多い。しかし、モロコシはキビ属ではない。同じイネ科ではあるが、モロコシはモロコシ属である。にもかかわらずこう命名されたのは、モロコシより以前に渡来して栽培されていたキビの姿かたちにモロコシがよく似ていること、モロコシはキビよりも背が高いこと等から、背の高いキビということで名付けられたものだろう。
 このように渡来作物の名前の付け方は非常に面白いのだが、次に述べるトウモロコシの命名もそうである。

(註)
1.11年2月8日掲載・本稿第一部「☆土地の取り上げ、自給自足」(4段落目)参照
2.統計上のモロコシの栽培面積にホウキモロコシも入っているのか、食用のモロコシだけだったのかわからないが、ホウキモロコシは工芸作物なので、食用作物・雑穀の栽培面積には含まれていないと思われる。
3.西川町大井沢については下記の記事で触れている。
  11年7月20日掲載・本稿第二部「☆きのこ栽培の普及」(1段落目)
  11年7月27日掲載・同 上「☆露地野菜・花卉産地の形成」(5段落目)
4.13年2月8日掲載・本稿第五部「☆女の伝えたイモ・ホドイモ」(3~4段落目) 参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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