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畑地への水田機能の導入




                水田と水稲・補論(5)

               ☆畑地への水田機能の導入

 水田は「水稲栽培を目的としてつくられた」と最初に述べたが、イグサ、レンコン、タイモ等の水稲以外の湿潤を好む作物を栽培することも可能であり、実際に栽培しているところもある。それでもそれはやはり水田と呼ばれている。となると「水稲栽培を目的としてつくられた」という言葉を使うのはおかしいかもしれない。しかし、そもそもは水稲栽培を目的として水田はまた灌排水装置はつくられたものなので、やはりこの定義でいいのではないかと考える。
 それから裏作物として麦などが水田に栽培される場合があるが、これはかなり技術水準が高まってからのこと、そもそもは水稲栽培が目的であり(だから米は「表」作物、麦などは「裏」作物だったのである)、また裏作のときは水田の灌水・湛水装置を稼働させないで栽培するのでもはやそこは畑地と同じこと、その時点だけは水田ではないし、一種の目的外使用(所得をあげるということでは合目的的使用ではあるが)でもあり、したがって水田の定義は最初に述べたもので差支えないと考える。

 このように水田が湿地を好む作物を生育させることを主目的としてつくられたものであるとすれば、畑は湿潤を好まない作物を育てるためにつくられた耕地であるということになる。また、水田のような灌水・湛水・排水装置を装備していない耕地と言うことにもなる。
 いうまでもなく、植物の圧倒的多数は湿地を好まない。したがって、畑地は水稲など一部の作物を除く圧倒的多数の作物が栽培できる耕地、特定の作物に限定されない耕地ということになる(もちろん気象条件などによる制約はあるが)。ということは、水田に比べて作付の自由度のきわめて高い耕地ということにもなる。
 このような利点が畑にはあるが、欠点もある。水田で栽培される稲作とくらべると、畑地における畑作は干害、湿害、土壌流亡、連作障害等の被害を受けやすいのである。
 いうまでもなく、畑作物と言えども水分は必要不可欠であり、必要な時期に必要な量の水が供給されなければ生育は止まり、それどころか枯死してしまう。ところが、畑には水田のような付属施設は備えられていないので、ちょっと雨が降らないと水不足になってしまう。しかも、そもそもわが国では水が十分にこないところを畑にしてきたということもあるので、ましてや水不足になりやすい。それで干ばつの被害を受けやすい。
 同時に、その逆の湿害も受けやすい。いうまでもなく畑作物は水稲のように水を必要としない。それどころか過湿をきらう。土壌中の水分過多で酸素が少なくなって還元性有害物質が発生したり、根の生長と機能が衰えて生理的活力が弱まったり、根腐れ病などになったりして生育が阻害される。ところが畑には過湿を防ぐ装置がない。それで、長雨が続いたり、水が流れ込んだりすれば、湿害を受けるのである。とくに水はけの悪い耕地、たとえば水の浸透しにくい北海道の泥炭土壌や沖縄の粘質土壌の畑地では降った雨がなかなかはけず、湿害を受けやすい。耕盤のある水田での畑作物の生産つまり転作が難しいのはこの湿害にあるのである。
 また、土壌流亡の問題もある。畑は水田のような畦畔は持たず、表面が均平でもないので、雨が降ると土壌が流出しやすいのである。さらに、水田土壌のように湿っていないので強風で表土が飛ばされやすい(註1)。何も作物をつくっていない時期などはとくにそうなる。
 さらに、直射日光にさらされることから土壌養分が分解されやすく、酸性害、塩害が起きやすく、病原菌や害虫、雑草も発生しやすい。つまり土地の作物を育てる能力つまり地力が失われやすく、連作障害が起きやすい。
 ここに畑の弱点がある。

 こうした弱点を解決するために、輪作体系の確立、水田に投入する以上の有機物の投入、干ばつ時の人力による灌水、綿密な除草等の努力を積み重ねてきた。しかしその労働は大変だった。限界もあった。
 たとえば、日照りが続くと川などから水を汲んで桶に入れ、天秤棒でそれを担いで畑に持って行き、ひしゃくで作物の根元などにその水をかけた。野菜作を中心にしていた私の生家でもそうしていた。しかしその労働は、新藤兼人監督『裸の島』の映画(註2)ほどではないが、本当に大変だった。川やため池が近くにあれば、またその水量が十分にあればまだいいのだが。しかも汗水流して運んできた水はかけてもあっという間に地中に吸われ、土はすぐにもとのように乾いてしまう。「焼け石に水」と言おうか「ざるに水」と言おうか、かけないよりましというだけだ。ちょっとした雨が降っても、表面が湿るだけ、その下はさらさらの乾いた土、野菜などはぐったりと萎れている。もうどうしようもない。
 そこで考えられたのが畑地への水田機能の導入だった。畑にも灌水・湛水・排水機能を付与し、必要な水を必要な時期に供給したり、連作障害をさらに緩和したり、土壌流亡を抑止したりして増収を図ろうとするようになったのである。

 まず、畑に人工的に水を供給する施設を敷設するいわゆる畑地灌漑である。
 ダムもしくはファームポンド(農地またはその近くに設けた小規模な水の貯留施設)を設けて雨水や川の水を貯め、あるいはポンプで地下水をくみ上げ、そこからパイプを地下に敷設するなど用水路を設けて畑に水を配り、スプリンクラーや散水チューブ(小さい穴をたくさんあけてあるホース)でその水を撒くのである(註3)。
 こうして必要な時期に、必要な量の水を供給することにより畑作物の干害を回避し、その安定多収を可能にする。同時に、たとえば水分をよけい必要とする畑作物を導入することを可能にしたりして作物選択の幅をひろげ、多様な輪作体系の採用を可能にして地力維持を図るのである。
 なお、作物を霜害から守るためにこうした灌水をする場合もある。水田における水の保温機能をこうしたやり方で適用しているということができる。
 このような畑地灌漑施設が畑作地帯や果樹作地帯でも見られるようになったが、私がその効果を実感したのは網走の農大付属寒冷地農場でだった。干天が続いてビートやじゃがいもが萎れかかっていた夏、農場の畑の一部だけが青々とした緑に覆われている。そこは畑地灌漑の実験圃場だった。こうした畑地灌漑施設をもっともっと整備してほしいと思ったのだが、そのときふとアメリカの乾燥地帯における地下水汲み上げによる巨大なスプリンクラー灌漑農地のことを思い出した。ここでは降水量の約3倍もの水を汲み上げて作物を生産しているために地下水位が低下し、何万年いや何百万年かけて蓄積してきた地下水が枯渇しつつあるとのこと、まさにこれは環境破壊、そこで生産された農産物を日本が輸入している、何ともおかしなことだ。モンスーン的風土の日本では幸いなことにそんなことはない。日本こそ畑地灌漑施設整備をさらに推進して食料自給率を高め、地球環境破壊の農産物輸入をやめる必要があるのではなかろうか。もちろん灌漑施設整備のさいには地域により異なる水資源の賦存状況や環境への影響等を十分に考えなければならないが。鮮やかな畑の緑を見ながらそんなことを考えたものだった。

 この灌水に加えて湛水の機能も畑にもたせて連作障害を回避することも考える必要がある。前に述べたように、水の地力維持機能とそれを発揮させる水田の機能のために水稲は連作障害を起こさないが、この水田の潅水、湛水機能を畑地にも待たせるのである。近年ハウス栽培などで連作障害回避のために湛水や代掻きをしているが、それはその典型例である。ハウスの中の耕土に一定期間水を貯め、水の中で長時間生存できない病原菌や害虫、雑草を殺し、また余分な残存肥料成分などの塩類をその水の中に溶出させ、それを地下に浸透させてその集積を防ぎ、塩害を軽減させるのである。さらに代掻きをして水と土を撹拌することでその効果をさらにアップさせる。土壌消毒などしないで連作障害を回避していく方策の一つとして今後一層の技術開発をしていく必要があろう。
 それと並んで、畑作物の湿害防止のために水田の排水技術を畑に適用していくことも考えなければならない。沖縄の粘質土壌や北海道の泥炭土壌の畑では暗渠排水をして余分な水を排除し、畑地の生産力を高めているが、これをさらに普及していくことが必要となる。
 なお、水田の土壌流亡防止機能が近年世界的に注目され、途上国などではそれを目的として畑地の水田化が進められているところがあるが、そうした面での水田の機能を畑地に適用することも考えるべきであろう。

 この土壌流亡防止機能導入のヒントは、沖縄本島の調査に行ったときに聞いたある農協の営農指導員の話から得たものである。
 沖縄は赤土の粘質土壌で水の浸透が非常に悪い。つまり水はけが悪い。表土の下のすべての土壌が水田の耕盤のように固くて、水はなかなか地下に抜けないのである。そのために大雨が降ると雨水は地中に浸透せずに畑の上を川のように流れ、表土の多くが流亡してしまう。とくに台風のときなどの沖縄の雨はすさまじく、バケツで水をまくような豪雨なので、栄養分のある柔らかい土が流れ去ってしまうのである。そして川の水は濃い赤茶色に染まった泥水のようになって海に流れ込む。これは海洋の環境も悪化させる。
 そこで営農指導員は言う、これを抑えるためには畑地に水田のように畦畔をつけ、地表面を均平にすればいいと。そうすれば表土は流れ出さない。傾斜があるから、流水を止める堤=畦畔がないから、表土は流亡するのである。もちろん大量に雨が降れば多すぎる水は畦畔を越えてあふれるが、上の方の水だけふあれるのだから流される土や養分の量は少ない。
 ただしそうすると問題となるのは排水である。そうでなくてさえ水の浸透が悪いために雨が降ると畑はぐしゃぐしゃになってなかなか乾燥しないのに、畦畔などつけて水を溜めたらますますひどくなる。しかしそれは水田なみの暗渠排水をすれば解決できる。現在なされている畑地の暗渠排水のやり方では不十分だからである。
 そして暗渠の排水口の開閉ができるようにしておくと、水不足の時には排水口を閉め、水が抜けないようにしておいて干ばつを防ぐことができる。沖縄は水不足地帯でもあるのでこれは干ばつ対策にもなる。
 このように畑に水田の機能をもたせる土地改良をやりたいというのである。これは従来の畑の土地改良の考え方とはまるっきり異なる非常におもしろい考え方であり、まさに発想の転換といえよう。しかし、この考えはいまのところ行政に受け入れられていない。金がかかるからである。ただし、暗渠だけは実験事業として導入され、一定の成果をおさめていた。あのときからもう十年以上経っているが、その後どうなっているだろうか。農水予算がどんどん減らされていることからして、きっとこの構想は現実化されていないだろう。もしそうだとすればまことに残念なことだ。

 それはそれとして、以上述べたような畑地改良の動きつまり畑に水田の機能をもたせようとしていることは、畑を水田に近づけようとしていること、また近づきつつあることを示している。もう一方で、先に述べたように水田も畑に近づきつつある。つまり水田と畑地が双方から接近しつつあり、水田と畑という従来の画然とした相違が少なくなりつつある。
 したがって、水田農法と畑地農法を組み合わせ、またそれを結合した土地利用方式を確立していくことが可能となり、必要ともなっているといえよう。

 話は戻るが、主食で連作できる作物は水稲しかなく、水稲はきわめて貴重な作物だということができる。しかも水田は文化遺産、わが国の風土に合い、また環境に優しい。そして生産者・技術者はきわめて高い技術力をもっている。こうした諸力で生産された米は健康面でも非常に優れている。
 ところが日本人は、前にも述べたように、1970年以来この米の重要性を忘れるようになってきた。食糧問題が世界的に問題となりつつある今、国際的に和食が注目されるようになっている今、もう一度日本の米を、稲作を、水田を認識し直す必要があるのではなかろうか。

 家内の友人、家内と同じくもう老婦人だが、こんな話をした、東京からの帰りの新幹線のなかで近くにいた若い女性たちが車窓から緑なす田んぼを見て「ゴルフ場に水がたまっている」と騒いでいた、私は農家出身ではないが田んぼの緑を見るとほっとする、今年もきっとお米がきちんと食べられるだろうと、それなのにこの子たちは田んぼも知らない、何ということだろうと。彼女のこの嘆き、私もショックだった。この大きな年代的差異、これを何とか埋めていく必要があろう。

 稲作について述べたついでと言っては何だが、「もち米」、餅について次に若干補足しておきたい。

(註)
1.12年11月12日掲載・本稿第五部「☆平地林と風雪、田畑」(2~4段落目) 参照
2.11年6月日掲載・本稿第二部「☆耕して天に至れなかった東北」(1段落目) 頁参照
3.この水に水溶性の肥料や農薬をまぜて散布し、施肥や防除をやっている場合もあるが、これは防除機などの農機具の節約にもなっている。なお、スプリンクラーなどのように固定しないで、自走式スプリンクラーにファームポンドの水を入れて灌水するやり方をとっているところもある。


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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