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嫌われ者の蛇、虫



                野生動物と子どもの頃(2)

                 ☆嫌われ者の蛇、虫

 山林にいるのは獣ばかりではない。当然さまざまな種類の虫やヘビ、カエルなどがいる。ところが、子どもの中には、森と緑は好きだけど、そこに虫やヘビがいるから嫌いだというものがいる。しかし、きらいな虫やヘビもいるからこそ森と緑があるのだ。虫、爬虫類・両生類なくしては森は存在しえないのである。もちろん、彼らも森林なくして生存しえない。だから、嫌いだなどと言ってはならない。
 と説教したいところだが、実は私も嫌いなので、あまり説得力はないだろうと思う。
 でも、昔から嫌いだったわけではない。むしろ好きだったと言っていいかもしれない。

 前にも述べたように、カエルは遊び仲間だった。とくにアマガエルがそうだ(註1)。小さくて人間に害を与えないからもあろう。トカゲもしっぽ切りなどして遊んだ。カタツムリやナメクジ、これも捕まえて遊んだ。ミミズ、これはしょっちゅう見るが、釣りの餌にするとき相手にするだけ、後は無視である。とくに嫌われないが、好かれもしない。
 イモリ(アカハラと私たちは呼んだ)も子どもたちにはあまり好かれない。近くの沼などで釣りをしているとときどき引っかかり、釣り針から外すときに暴れて糸が切られるし、腹の赤いのが気持ち悪いからだ。あわてて捨てる。サンショウウオ、これは子どもの頃見たことがない。山間部にはいるが、私の地域では見なかった。もしいたらやはり好かれなかったのではなかろうか。
 ヘビとなるともう嫌われ者だ。でも、小さいころはそんなに嫌っていなかったような気がする。友だちがヘビを捕まえて振り回すのを逃げ出しもせずに見たり触ったりしていたからだ。やがて、マムシなどの毒ヘビの話を教えられ、カエルを丸のみするなどという話を聞くうち、きらいになってきたのではなかろうか。また、絵本などでもだいたい爬虫類は悪い役、カエルなどは醜い役だ。それも嫌いにする原因となっている。さらにもう一つ、あの感触だ。ぬるっとした冷たさ、これがどうしても好きになれない。温かい哺乳類や鳥類は人間に近く感じるが、爬虫類、両生類、軟体動物とは人間との距離が離れすぎていること、これもあるのだろう。
 私以外の方もおそらくそういう社会的雰囲気から嫌うようになったのではなかろうか。
 なお、東北にはヤモリはいない。暖かい地方にはヤモリがいて窓にべったり張り付いていたりする、東北よりも虫などが多いなどという話を聞くと、家内は南国には住みたくないという。

 都市近郊農村育ちなので、山林に住むような虫とはあまりつきあいはないが、田畑、庭、草むら、神社や寺の木々の虫とはいろいろつきあってきた。というより、遊んでもらったと言った方が正しいだろう。さまざまなセミ、トンボ、バッタ、ホタル、チョウ、カマキリ、カミキリ、カブトムシ、ガム、ミズスマシ、テントウムシ等々、捕まえてはいろいろ遊んだ。いや、捕まえること自体が遊びだった。捕まえなくとも、アリやクモのようにその動きを見ているだけで面白いのもいた。まさに虫は遊び仲間であり、おもちゃであり、観察の対象だった(註2)。
 コオロギやスイッチョ等はまた夏の終わりを知らせてくれる音楽を奏でてくれるものとして、イナゴは私たちの狩猟の対象であると同時に食糧として親しみ深いものだった。
 しかし、遊びや鑑賞の対象とはならない虫もたくさんいる。たとえばゴキブリだ。実は、私はゴキブリと言われてもどんな虫かわからなかった。ともかく嫌われ者のようだ。あるとき現物を見てわかった、何だ、「ながすむす」ではないか。共通語に直訳すれば「流し虫」、つまり流し=台所にいる虫のことだ。しょっちゅう台所に出てくるのでとくに関心を持たなかった。気持ちいいものではないが、とくに悪さをするわけでもない。だからといっておもちゃにならないので私たち子どもには関心がなく、今の子どものように怖がったり、逃げ出したりはしなかった(それが、なぜこんなに嫌われるのか、騒ぐのかよくわからなかったが、戦後の一時期ゴキブリが小児麻痺を媒介すると言われたことから嫌われ者となり、その疑いが晴れてもいやがられるということになったのかもしれない)。
 同じように、しょっちゅう見ながら相手にしなかったもののなかには、ムカデ、ヤスデ、ゲジゲジなどがいた。そもそもあの姿かたち、何となく怖かった。とくに大ムカデ退治の絵本に出てくるムカデの姿のこわいこと、どうしても嫌いになってしまう。
 なお、子どもたちが見て逃げ出したのは「屁ったれ虫」である。私たちはそう呼んだのだが、これはカメムシとのことである。絶対にいたずらするな、触ったりしたら臭くて大変だということで、見ると逃げ出したものだった。
 このカメムシに網走でしばらくぶりで出会った(私の知っているのとはちょっと形が違ったが)。04年ではなかったろうか、異常発生したのである。一度その臭いを嗅ぐといつまでも鼻に残って困ったものだったが、地域によってはそれが窓にびっしりついて大騒ぎになったとのことだった。こうした大発生はカメムシばかりではない、ある日突然ハエが一斉に発生したり、名前もわからない虫を突然たくさん見かけたりする。サハリンに出張するとき、8月に行くものではない、蚊が大発生して大変だからと言われたことがあるが、北国に行くと生存期間が短く、繁殖期間も限定されるのでこうした大発生が起きるのだろうか。それで思い出したのは船山馨『石狩川』(河出書房 1967年刊)に出てくる飛蝗である。ある日突然バッタが大発生し、空が真っ暗になるほど大量のバッタが飛び、あらゆる植物を食い荒らしてしまうという話を子どもの頃本で読んだが、これは外国の話だと思っていたのに、明治の北海道にあったのである(註3)。こうなると、バッタは、虫は、遊び相手だなどと言っていられなくなる。
 カやハエ、ハチ、アブについては言うまでもない。いずれにせよ敵、叩き潰すか逃げるより他ない。こうした虫については前に述べたので省略するが(註4)、前に触れなかったものにウシアブがある。夏、牛を外に連れ出すと、大きなアブが寄ってきて、牛を刺し、血を吸う。牛はいやいやするように首を振り、尻尾を振り回して追いはらおうとする。それでも刺される。あの厚い皮を通すのだから針はすごいものだろう。でも人間は刺さない。それで私たち子どもも牛にアブが近寄ってくると追い払うか叩き潰してやる。追い払える程度だから、とくに嫌われない。
 嫌われないと言えばボウフラがそうだ。もちろんカの幼虫だから退治しなければならないものである。でも、ボウフラは面白い。防火用水などに発生するボウフラを見つけると、私たちはこっそり近づいて見る。水面に出て来たり、下に降りて行ったり、忙しく往復している。くねくねと体をゆすって上ってくる姿が何ともおもしろい。そのうち、トンと思いっきり用水桶を叩く。驚いたボウフラは一斉に下に逃げていく。少し経つとまた、上がってくる。ボウフラはカの子どもなので、空気を吸わないでいられない、それでまた上がってくるのだなどと年上の子どもに教えられながらあきるまで見ている。用水桶は大きいので水を捨ててボウフラ退治をするわけにはいかないが、できるところでは子どもたちも水を捨ててボウフラを退治し、いいことをしたといい気持になって次の遊びにとりかかる。
 しかし、ウジムシとなるとそういうわけにはいかない。何しろ便所に巣食う奴、ともかく汚い。これは嫌われ者だ。
 それから毛虫だ。チョウチョウはそれほど嫌われないが、毛虫となると別だ。毒毛虫がいるからだ。だから毛虫には絶対に触るなと言われた。毒をもっていなくとも、野菜や果物をむしばむ悪い奴も多い。だから見つけたら踏み潰せと年長の子どもから教えられた。
 実はこの毛虫が、私の虫嫌いになるきっかけとなった。前に述べたが、小学校5年に桑の木に群がっていた毛虫に刺されて発病してしまったのである(註5)。それに拍車をかけたのが、ゴマの葉につく毛虫だ。家の前に植えてあった私の大好きなゴマ、この茎葉の何ともきれいな緑、触ってみようと思ってびっくりした、大きな毛虫がくっついている。ゴマの葉の色とまったく同じなので、よほど注意しないとわからない。もしも触っていたらと思うとぞっとし、身体中に鳥肌が立つような気持ちがした。あれからゴマの茎葉には触らないようにしている。
 当然そうなると、蛾などは嫌いになる。あのふさふさした毛や大量の鱗粉、皮膚炎を引き起こすのではないかと恐怖の念に駆られる。子どものころから皮膚の弱かった私にとってはなおのことだ。
 そのうち、どんな虫でも人間の身体に悪いことをするのではないかなどと思うようになってくる。
 こうしたところに、虫が農作物を食い荒らす悪いものだと言うこともわかってくる。きれいだなと思う虫も悪者らしい。
 小学校2年(当時は国民学校だが)の初夏、野外授業だったのか、勤労動員の一種として実施されたのかわからないが、害虫のテントウムシを捕まえるのだとして近くの畑に全員連れて行かれたことがある。2枚のジャガイモ畑がその対象だったが、何とそのうちの1枚は私の家の畑ではないか。そのことを同級生に言ったら、みんながそれではたくさんとってやると張り切って畑に入ってくれた。ところが、テントウムシはほとんどいない。張り切っていた同級生はがっかりする。なぜかしらないが、隣の畑にはたくさんいた。それでみんなそこに行ってしまい、私の家の畑には誰も来ない。がっかりして家に帰って父に言ったら、害虫がいないということはそれだけきちんと手手入れしていることなのだから威張っていいことなのだと言われ、そういえばそうだと気持ちが晴れ晴れしたものだった。なお、先生の言ったテントウムシとは正確にはテントウムシダマシのことであった。
 それ以外にも農作物の収量を落とし、私たちの生活を脅かす虫がたくさんいるということが少しずつわかってくる。虫は遊び仲間ではなく敵になってくる。ますます嫌いになる。
 これに決定打を与えたのが、さきほどのゴキブリの話だった。小児麻痺を媒介すると言われたら、他の虫もそうした悪さをするのではないかとついつい思ってしまうようになったのである。

 こうして虫嫌いになったのだが、その私が「虫も必要なのだ」などというのはおかしいかもしれない。最近の子どものなかには虫が怖くて触れないものもいるそうだなどと聞くと悲しくなってしまうのも変だとは思う。
 しかし、やはり虫も人間と同じ地球上の一員なのだ。そして虫は必要なのである。たとえばミツバチのような虫がいなくなったら虫媒花などは実を結ばなくなってしまう。
 しかし同時に、虫を退治することも必要である。
 そのためには鳥も大事にしなければならない。鳥が虫を退治してくれるからだ。それは子どものころから理解できたものだった。
 春、牛が犂を引きながら田畑の土をひっくりかえしていく。その後をモズが何かをついばみながらちょこちょこ歩いていく。土の中に隠れていた虫が表に出されるので、それをついばんでいるのである。こうして害虫を退治してくれる。
 巣で大きな口をあけてピーピー泣いている雛に、親ツバメが虫を与える。これを見るとツバメが田畑や林野の害虫を退治してくれることがよくわかる。
 キツツキがトントンと音をたてて木に穴を開けて害虫を退治してくれる。これは絵本でしか見たことがなかったが、網走に来て初めて見た。アカゲラが近くの公園の木にいたのである。家の中にいると、ときどきトントントンとすさまじい音がする。何かと思ったら、家のテレビのアンテナに止まってそれを叩いていた。縄張りを示すドラミングをしていたようである。木の幹を叩くよりもアンテナの方が高い音がすることを知ったからなのだろうか。
 このように網走で初めて見た鳥が多い。山形・仙台の町の中に住んでいたこともあってそれほど多くの野鳥と接触する機会がなく、あまり関心がなかったからである。

(註)
1.11年1月28日掲載・本稿第一部「子どもの遊び(1) ☆べっきどん、おごんつぁん」(1段落目)参照
2.10年12月16日掲載・本稿第一部「農家の子どもたち(4) ☆遊びから始まる田畑の手伝い」(1、4段落目)、
  11年1月31日掲載・本稿第一部「子どもの遊び(2)☆豊富だった遊びの材料」(5段落目)、
  11年2月1日掲載・本稿第一部「子どもの遊び(4) ☆一銭店屋」(2段落目)参照
3.最近の本では乃南アサ『地のはてから』(講談社文庫、2013年)がこの飛蝗のことを書いているが、この本は知床開拓のことを書いているのでできれば読んでいただきたい。
4.11年1月13日掲載・本稿第一部「農家の暮らし(1) ☆『失われゆく民家風景』」(1段落目)、
  11年1月19日掲載・本稿第一部「農家の暮らし(5) ☆霜焼け、鼻水、医者」(4、5段落目)参照
5.11年2月21日掲載・本稿第一部「戦後混乱期の子どもたち(3) ☆まずかった学校給食」(2段落目)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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