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トンボ、チョウチョウ、カブトムシ



                野生動物と子どもの頃(5)

              ☆トンボ、チョウチョウ、カブトムシ

 羽化といえばトンボの羽化もきれいだ。しかしセミのように幼虫を捕まえてきて羽化を見ると言うようなことはしなかった。できなかったといった方がいいのだろう。田んぼや小川は家から離れたところにあり、ヤゴを捕まえて持ってくるのが大変だし、羽化直前のヤゴなのかどうかも見分けられないからだ。それでも朝方田んぼに行くとたまに羽化しつつあるヤゴが葉っぱについているのを見かけることがある。きれいではあるが、羽化の過程での色の変化、形の複雑さ、きれいさなどはセミにかなわない。やはり羽化を見るならセミである。

 トンボ捕り、これも当然やった。捕まえた数からいえばこちらの方が間違いなく多い。しかし、セミ捕りほどわくわくはしなかった。トンボの数が多く、季節が夏休みと限られるわけでもなく、セミよりも簡単に捕まえられるからだろう。
 とくに赤トンボ、それからヒノマルトンボ(尻尾が茶色、羽の端が黒くて飛行機の翼に日の丸がついているような感じなので私たちはそう呼んだが、正式名称はわからない)がそうだ。田畑はもちろん家の庭や前の畑、どんなところにも群がっているし、低いところにも止まっているので、とくに虫取り網などなくとも小さい子どもでも手だけで摑まえることができる。ときどきはトンボの方が寄ってきて、頭に止まったり、肩に止まったりする。だから、セミ捕りほどではないが、やはりおもしろい。目の前で指をぐるぐる回しているとトンボが目を回すから捕まえやすいとか、後ろからそっと近づくと捕まえやすいとか、どうやったらうまく捕まえられるか子ども同士でお互いに情報を交換しながら、捕まえっこをする。捕まえたからと言ってどうするわけでもない。たまに糸をもらってトンボをつないで飛ばす程度だ。しかしそれもトンボの出始めのころだけ、後は捕まえて放してやるだけである。
 必ず糸で結んで飛ばすのはヤマトンボ(オニヤンマ)である。めったにいないし、飛ぶのも早いし、これを捕まえるのは難しいからである。しかし、かなりの大きさ、しかも獰猛そう、子どもにとっては自慢できる最大の獲物である。見つけたらすぐに虫取り網を持って追いかける。しかしそうしているうちに見失ってしまう。何とか捕まえる。うれしいが、手に取ると噛まれる場合があり、脚のとげも痛いのが怖い。
 捕まえにくいと言えばムギワラトンボ(銀ヤンマ、シオカラトンボ等の総称だった)である。とにかく素早い。逃げるのも飛ぶのもあっという間である。
 逆にもっとも捕まえやすいのはメクラトンボだ。ただし、これは私たちの地域だけの名称で正式名称はわからない。ヤマトンボに似ている大型のトンボで、家の中にときどき入ってくる。大型なのだがヤマトンボのように暴れたり噛んだりせずおとなしい。飛ぶのも遅い。それで手で簡単に捕まえられる。飛んでいるとき壁や柱、戸障子にしょっちゅうぶつかるが、きっと目があまりよく見えないからだろう、それでさきほど言った名前がついたのだというのが子どもの間での話だった。
 今思い出すのはこんなところだが、もっとさまざまなトンボがいた。赤トンボとかムギワラトンボといっても種類はもっと多く、名前もついていたのかもしれないが、私たち子どもは総称して呼んでいたような気がする。
 ところで、私たちがあまり捕まえないトンボがいた。カミサマトンボとかイトトンボとか呼んでいたもので、尻尾が細く長く、羽は普通のトンボより幅広く、透明なものが多いが黒い羽根のものもいる。チョウチョウのように羽を合わせて止まり、ときどき開いたり閉じたりするので、手を合わせて拝むのに似ているからカミサマトンボと名付けたのだというのが子どもたちの間の通説だった。そうした名前がついているからなのか、川辺によくいるので捕まえにくかったからなのかよくわからないが、捕まえたり遊んだりはあまりしなかった。同じくトンボとは呼んだもののちょっと別扱いだったような気がする。
 このカミサマトンボは別格として、ともかくトンボはなじみの深いものだった。都会の子どももトンボを見たし、捕まえもした。だから童謡の『赤とんぼ』が子どものころ、故郷を思い出す歌として親しまれ、国民的な歌となっているのだろう。また、「とんぼ釣り 今日はどこまで 行ったやら」、この句が私たちの心を打つのだろう。
 今はどうなのだろうか。東京や大阪の大都市に住む子どもたち、トンボ捕りなどしたことがあるのだろうか。セミは鳴いているようだし、チョウチョウなどは庭や公園の木々で繁殖しているので見たことがあるようだが、水生幼虫であるトンボとなるとどうなのだろうか。

 春先のうらうらとした陽のなか、家の前の畑でモンシロチョウが二羽、ひらひらと舞い遊ぶのを見つける。本当に春が来た、子どもたちはそれを実感する。早速虫取り網を探してきてチョウチョウ取りだ。モンキチョウなどが現れるとさらに大騒ぎとなる、数が少ないからだ。
 捕まえられないのがシジミチョウだ。小さくてかわいいし、さまざまな種類がいるので捕まえたいと思うのだが、何しろすばやいし、地上すれすれに飛ぶものだからすぐに見失ってしまう。
 真夏、カラスアゲハ、キアゲハがたまに飛んでくる。大きくてきれいだ。あわてて追いかけるが見失ってしまう。
 こんなのを捕まえて、またいろいろなきれいなチョウを捕まえて標本箱などに整理して飾ってみたい、こんなことも考えたこともある。友だちの中には昆虫採集と標本づくりを夏休みの宿題・自由研究の課題とするものもいた。ちょうどそのころ、中学校の国語の教科書にヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』が出てきた。チョウを蒐集している少年が隣りの家の少年の珍しいチョウをついつい盗んでしまうというものだが、ちょうど切手の蒐集に夢中になっていた時期、その少年の気持ちが痛いほどわかり、それをよく描いているヘッセが好きになって後にその愛読者になった。
 しかし、チョウの蒐集は私の趣味とはならなかった。不器用な私のこと、そもそも標本づくりなどうまくできるわけがないからだ。しかもそのころはチョウがあまり好きではなくなっていた。その理由の一つがチョウはガと似ていることだった。夜、電灯をめがけて家の中に飛んでくる大小さまざまのガ、その鱗粉やガそれ自体がご飯やおつゆの中に入って食べられなくしたりする。絶対に触ってダメと注意される毒蛾だったりもする。こんなガと似ているチョウ、もしかするとチョウの鱗粉なども皮膚炎を起こさせたりするかもしれない、そう思うと触りたくもなくなってしまう。
 そればかりではない。その幼虫の姿が良くない。何しろ青虫・毛虫、セミの幼虫とくらべたらとんでもなく姿形が悪い。しかも野菜などに穴を空けて商品価値を落としたり、皮膚炎を起こさせたりなど人間に悪さをする。

 子どもはかわいい。動物の子どももそうだ。ところが虫の子どもはかわいくない。大人の姿と幼い時の姿があまりにも違うからだ。蛹なら大人の姿に近くなっているのでいいが、それ以前の姿はどうもいただけない。こんなことは人間の勝手な思いでしかないのだが。
 子どもたちに人気のカブトムシ、クワガタもそうだ。幼虫の姿形は悪い。もちろん、成虫は大きなこわそうな角があるし、暴れられるとこわい。しかし、それがまたスリルがある。だから私たちの子どもの頃もカブトムシ、クワガタは人気だった。でもめったに見つけられなかった。それでも、時々電灯の光に吸い寄せられて家の中に入ってきた。その時は大騒ぎして捕まえたものだった。虫かごには入れるもののどういう餌がいいのか、どう育てたらいいのかわからず、結局は死んでしまうか、放してしまうかしかなかった。
 このカブトムシが今の子どもたちのブームになっており、スーパーのおもちゃ売り場やホームセンターなどで売られている。それを見たとき、虫まで商売になる世の中になったのかと驚いたものだったが、それでこちらも助かったときがあった。

 2000年、東京に住んでいる小学1年と4歳の孫を連れて山形の生家に行ったとき、夜カブトムシが家の中に迷い込んできた。家の前の畑から飛んできたのか、誰かが飼育しているのが逃げてきたのかわからないが(おそらく後者だろう)、ともかく捕まえた。孫に見せたら、もうそれは自分のもの、喜んで紙袋に入れた。翌日は私たちと夏休みをいっしょに過ごすために仙台から網走に飛び立ったが、着くとすぐにホームセンターに行った。便利なものである、飼育ケース、餌、土、止まり木など必要なものすべてそろっていた。これで本当に助かったのだが、孫はそれを買ってきて毎日のように大事に世話をしている。夏休みが終わり、東京に帰ることになった孫はどうしても持って帰るというので、ひっくり返ったりしないように気をつけながら、飛行機に載せて運んだ。東京に帰っても孫は大事に、秋遅くまで育てた。でも、寒くなっては家で育てられない、どうしたらいいかと電話で聞くので、自然に帰して、自分で身を隠して冬を越すようにさせなさいと答えた。それで、近くの大きな公園に行き、その林の木のところで放してやることにした。公園でさよならをするとき、3ヶ月以上もいっしょに過ごしたカブトムシと別れるのが悲しくなり、孫は涙を流したと言う。それで後で電話をして慰めてやったやった、「山形から仙台、そして北海道、最後には東京と、それも飛行機や自動車、新幹線、電車に乗って大旅行をさせてもらったカブトムシ君は日本中にいないかもしれないよ、きっと感謝して来年は元気に公園の中を飛び回っていると思うよ」と。
 翌年の夏、また網走に来た孫たちは、家の庭や近くの公園にいる小さなバッタを捕まえるのに夢中になった。それを飼育ケースに入れ、キュウリやナス、スイカの皮、草の葉をえさとして毎日入れて育てた。何十匹にもなったが、みんな元気に生きていた。孫は朝起きると必ずまずバッタがどうしているかをジーッと見る。気が向くと、バッタの絵を書く。夏休みが終わって東京に帰るとき、えさをやれなくなるので、全部庭に放してやった。
 その姿を見たとき、虫を捕まえる、育てる、やはりこういう体験は人間の成長にとって必要なのだと言うことをしみじみ感じた。
 だから、カブトムシを子どもたちに売る商売があってもいい。しかし、できたらやはり自分でカブトムシをはじめ虫を捕まえて育ててほしいものだ。
 もう一つ言っておきたいのは、カブトムシブームのなかで海外産のクワガタムシやカブトムシを輸入して飼い、あきると野外に放虫するものがいることである。いうまでもないが、これは生態系をこわす危険性がある。こういうことだけは禁止してもらいたいものだ。ブラックバスなどの川魚もそうだ。しかもこの場合は釣り人や釣具屋がわざわざ持ち込んで放流し、帰化させたものである。自分の趣味や利益のために生態系を乱す、何とかならないものだろうか。

 話はもとに戻るが、カミキリ、これも姿かたちが面白く、本当に紙が切れるのか試してみたいし、しかも少し怖いので、捕まえようとしたものだった。しかしこれも少なかった。地域に林が少なかったせいではないかと思われる。
 コガネムシ、これはさまざまな種類おり、きれいなものは捕まえたが、あまり関心を持たなかったような気がする。ただ、コガネムシの童謡(註)、そしてあの色で何かいい感じをもっていた。
  「黄金虫は 金持ちだ
   金蔵建てた 蔵建てた
   飴屋で水飴 買うを見た」
 しかし、実はコガネムシは害虫だった。葉や花を食害し、その幼虫は植物の根をかじり切るのである。
 こうした害虫がよく家の電灯の光に集まってきたものだつた。

(註) 『黄金虫』 作詞:野口雨情 作曲:中山晋平  1922年

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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