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消えた遊び―糸電話・三角乗り―


 
              子どもの遊び・楽しみの今昔(6)

              ☆消えた遊び―糸電話・三角乗り―

 半透明の薄いパラフィン紙、つやつや、すべすべしていて触ると気持ちがいい。そしてカシャカシャと音がする。このパラフィン紙が菓子箱に入っていたりすると、すぐにもらっておもちゃにしたものだった。まず、パラフィン紙を顔の前におき、唇をつけて声を出す、するとびりびりと紙が震え、いつもと違った声となる。それがおもしろい。歌を歌って見たり、話しかけたりして楽しむ。
 たまにはそのパラフィン紙とボール紙と糸で糸電話をつくる。説明するまでもないだろうが、ボール紙をトイレットペーパーの芯よりも少し太目の筒に丸めて糊をつけて円筒にし、その一方の穴にパラフィンを貼ってふさぐ。こうした筒を二つつくり、パラフィン紙の真ん中に針で穴を開けて糸を通し、その糸を長く延ばしてもう一つの筒のパラフィンに同じく穴を開けて通す。こうして二つの紙筒を糸でつなぐ。そして一人が一方の筒を持ってパラフィンの張っていない方に口をつけて話をする。もう一人は別の筒のパラフィンの張っていない方を耳につける。するとパラフィン紙がその音声で震動し、それが糸を伝わってもう一人の耳に到達する。ちょっとこもった声になり、しかもパラフィン紙のカシャカシャという音ではっきりしないが、何とか聞こえる。それで電話が通じた(実は距離が近いから肉声が聞こえているだけなのだが)と喜びながら、今度はこちらが筒を口につけてしゃべって返事をし、相手は筒を耳につけて聞く。こうして交互にしゃべり、耳をあて、会話をするというわけだ。
 これは当時の電話とそっくりだ。受話器と送話器が別々にあり、受話器を耳にあてて相手の声を聴きとり、自分が話すときは送話器の丸い口に向けて声を出すという点では同じなのである。また、線を通じて声を聴くと言う点でも同じである。つまり本来の電話は電話線、糸電話は糸の線でともに相手と線でつながっていたのである。
 もちろん、実際にはうまく会話できない。それでも、普通の家庭にはないあこがれの新しい機器である電話をしているようで、また大人になったようで楽しく、糸電話をつくり、電話ごっこをして遊んだものだった。
 しかし、今の子どもたちには糸電話が電話機と結びつくだろうか。

 60年代、電話はダイヤル式となり、受話器と送話器が一体化した送受話器となった。ちょうどそのころからその電話機のミニチュアがプラスチックのおもちゃとして販売されるようになり、しかも家庭用から公衆電話まで大小、形式さまざま、ベルが鳴り、電池を入れれば通話ができるものさえできた。
 さらに今は携帯電話の時代となった。電話は電話線を通じてしかできないものと考えていた時代だから糸電話は電話だと思えたのだが、今は電話線がなくとも電話が通じる時代(註)、糸電話などと言ってもなぜこれが電話なのか、ピンとこないのではなかろうか。
 きっと糸電話遊びは消えてしまうことだろう。これも時代の流れ、やむを得ないことかもしれない。
 すでに消えてしまった遊びも多々ある。自転車の「三角乗り」などはその典型例だ。

 私たちの子どもの頃、子ども用の三輪車はそれなりに普及していた。また、補助輪付きの子ども用自転車もあった。
 たとえば私も三輪車を買ってもらい、そのお下がりで私の弟妹も乗った。しかし、子どものいるすべての家庭にあったわけではなかった。改めて近所を思い出して数えて見たら持っているのは5戸に1戸程度だった。それなりに高価だったからである。
 ましてや補助輪付きの子ども用自転車などは買ってもらった家は1戸もなかった。大人の自転車ですらなかなか買えない時代、子どもの自転車などぜいたく品でしかなく、三輪車を買ってやれれば御の字、持っていたのは私の通院していた医者の息子だけだった(私の知る限りだが)。
 やがて幼い子どもたちは三輪車に乗れなくなる、だからといって大人の自転車に乗るわけにもいかない、だから自転車に縁がなくなる。しかし、それでは二輪車には乗れない。バランスのとり方がわからない。これでは大人になったら困る。それを覚えるには大人の自転車に乗るしかない。そのためには三角乗りを覚えなければならない。覚えた子どもたちは楽しそうに乗って遊んでいる。それで小学校2~3年になると、大人の自転車に乗る訓練、大人になるための経過点として、もちろん遊びのためであるのだが、「三角乗り」への挑戦が始まる。
 でも、今の若い人たちには三角乗りとは何かわからないかもしれない。若干説明してみよう(あまりうまく説明できないかもしれないが)。

 昔の自転車は、今のと違ってサドル(これからは腰掛けと言わせてもらう)の後ろにつまり後輪の上に荷台が必ずついていた。当時の自転車は、スポーツだとかレクリェーションのためではなく、また単なるスピードアップのためではなく、実用を目的としたためのものだったからである。ちょっとした荷物は荷台につけて運べるように、また人間も載せられるようになっていた (今なら二人乗りで捕まってしまうが)。
 もう一つ違うのは、腰掛けとハンドルの間に管状の棒=フレームが渡してあったことだ。つまり、腰掛けとペダルをつないでいる棒状の管つまり腰掛けを支えるフレームと、ハンドルとペダルをつなぐフレームとでV字型になっているが、そのVの上部をつなぐフレームがあり、この三つのフレームで▽の逆三角形ができていたのである。今の一般的なママチャリはこの上のフレームがなくV字型となっているが、かつては▽が普通だった。
 なぜ▽にしていたのかわからないが、もしかすると車体を頑丈にするためかもしれない。とくに後ろの荷台に荷物をつけた場合など、転んだときに車体がねじ曲がってしまう危険性があるので、それを抑えるためにフレーム=上の横棒をつけたのかもしれない。
 それはそれとして、この自転車に乗るためには、片一方の脚を後ろに上げて腰掛と荷台をまたぎ、向こう側のペダルにその足をおくことが必要となる。あるいは、片脚を前の方にあげて横に渡してあるフレーム(▽の上の辺)の真上をまたいで向こう側に足をおかなければならない。
 そうすると困るのが女性と子どもだ。
 女性の場合、着物を着る(これが普通だった)かスカートをはいていた(当時はズボンなどはかなかった)ので、かっこ悪くて脚を大きくあげられない。そこで自転車に乗るときは「もんぺ」をはく。こうすると問題はない。ただ、後ろに脚を上げると男みたいだと言われる可能性もあるので、大体は片脚を前の方にあげて上のフレームをまたいだものだった。
 ところが、子どもはそうはいかない。子どもの背丈からして腰掛をまたげるほど脚を上げられず、向こう側のペダルに足を乗せるのが難しい。今のママチャリのように上にフレームがなければ、つまりV字型になっていれば、簡単に向こうのペダルに足をかけられるが、▽型だからどうしようもない。
 しかし考えるものである、この▽の間に、つまり逆三角形をしている三本のフレームの間に脚を入れると向こう側のペダルに何とか片足が届くのである(大人では脚が長いのでできないが)。そこで、両手でまずハンドルを持ち、左足をペダルにかけて走りながら踏む。自転車は走り始める。そうやってうまくバランスを取って自転車を走らせながら、もう一方の右の脚を▽の間を通して向こう側のペダルに右足を載せる。そして自転車のバランスをとりながら両足でペダルを踏む。そうすると自転車は勢いよく走る。停まるときは向こうに出していた右の脚をひっこめ、左足だけをペダルの上に残してブレーキをかけながら停止させ、両足を土の上におろす。これができたらもう大丈夫だ。
 このように逆三角形の中に脚を入れてこぐことから「三角乗り」とわれわれは言ったのだが、いうまでもなくこれは難しい。そもそも覚えるのが難しい。しかもバランスはとりにくいし、三角のフレームのなかに入れる脚は不自然なかっこうになるので苦しい。当然腰掛には座れない。だからかなり疲れる。
 しかしこの試練を乗り越えないと自転車で遊べないし、大人になってもなかなか自転車に乗れない。そこで、何回も転びながら、手足をすりむきながら覚える。年長者や友だちがコツを教えたり、後ろの荷台を支えて倒れないようにしてやったりして覚えるのを手伝ってやる。ようやくバランスがとれるようになり、走れるようになったとき、これはうれしい。一度コツを覚えてしまうと簡単だ。うれしくてぐんぐん踏む。
 私もそうやって自転車を覚えた。小学2年の秋だったと思う。家の前の道路で練習して何とか乗れるようになった。しかし、そもそもが不安定、道路はでこぼこ、小石がごろごろ、とうとう近所の家の前にあった大きな石に自転車をぶつけて思いっきり転び、ハンドルに顔をぶつけてしまった。背の高さと乗り方からして、顔がハンドルのちょうど目の前になるからである。手足をすりむき、身体をあちこち打ったが、それより何より気になったのが口の中の痛さと出血だった。上の前歯の一本が唇の裏側にささって傷ができ、口中血だらけになったのである。しかもその前歯の先がちょっとだけだが欠けてしまった。それは生えたばかりの永久歯だったので、今でも私の前歯はちょっと欠けている。もちろん、医者などには行かない。口のまわりがかなり腫れ上がったが、そんな程度では医者には行かなかったものだった。
 それはそれとして、こうやって一度バランスのとり方を覚えると、後は簡単だ。もう少し大きくなって何とか脚をあげて向こう側に届くようになったら、三角乗りは卒業だ。しかし、腰掛に座れるほどの背の高さでないので、「立ち乗り」ということになる。いまのように腰掛を上げたり下げたりできないので、なおのことだ。さらに大きくなると腰掛にようやく座れるようになる。といっても、自転車を停めて足を下ろす時が大変だ。何しろあのころはみんな背が低かった。足がなかなか地面に届かず、苦労したものだった。それでも、中学になったら自由自在に乗れるようになつた。

 三角乗りは大人への階段の一つだった。戦後の一時期も子どもたち、とくに男の子の必須科目(女の子もやったが)、そうでないと一人前と認めてくれなかった。自転車が家にない子どもたちも近所の子どもから借りて三角乗りを覚えた。
 この三角乗りを見なくなったのは、60年代後半ではなかったろうか。子どもが生まれたら三輪車を買うのは当たり前、少し大きくなったら補助輪付きの子ども用自転車を買うというのが普通になってきたからである。そして一定の年齢になると補助輪を取ってバランスのとり方、乗り方を練習させる。もう三角乗りなど必要ない。さらにもう少し大きくなると、ママチャリだ。脚が簡単に向こう側に行くのでペダルを両足で踏める。腰掛もある程度上下できるので、座ることもできる。
 いい時代になったものだ。でも、三角乗りが消える、危険を冒してでもチャレンジしようとする遊びがなくなるのはちょっとさびしい。私のように三角乗りで怪我したりしないように、子どもの成長、発達段階に合わせた遊び道具をみんな持てるようになってしかるべきであり、喜ぶべきことであることは言うまでもないのだが。

(註) 電話機の変化については下記の記事で書いている。
   12年6月13日掲載・本稿第四部「☆電報、電話、FAX、携帯電話へ」
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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