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歌わなくなった遊び歌



               子どもの遊び・楽しみの今昔(7)

                ☆歌わなくなった遊び歌

 遊びについて書いているうち、ふと疑問になったことがある。私の子どもの頃の遊びにどれだけ地域独特のものがあっただろうかと。考えて見たら、今書いてきた遊びのほとんどが全国共通のものである。糸電話や三角乗りはもちろん、メンコやビー玉、人形遊び等々、みんなそうだ。
 縄跳び、毬つき、お手玉、そのさいに歌う唄も全国共通だった。思い出すままその唄を書いてみる。

 縄跳び、家の小屋から縄をもってきて一人でも二人でも遊んだが、数人以上で遊ぶときは道路いっぱいを占拠し、唄を歌い、それに合わせて縄を跳んだものだった。私たちがよく歌って遊んだのは、次の唄だった。
  「大波小波で 風が吹いたら 山よ
   郵便配達 おかみのご用で えっさっさ
   ささまきこ こっぱのこ……後略……」
 それからこんな歌もあった。
  「一羽のカラスが かあかあ
   二羽のニワトリ こけこっこー
   三は魚が 泳ぎだす
   四は白髪の おじいさん……中略……
   それ 一ぬけた
   それ 二ぬけた……後略……」
 もう一つ、こんなのも思い出す。
  「お嬢さん お入り 今すぐに
   だいやの下で ジャンケンポン
   負けたお方は さようなら」
 この歌詞の2節目にある「だいや」というのは何のことなのか今でもわからない。
 これら以外にも縄跳び唄があったような気がするが、もう思い出せない。いずれのメロディもきわめて歌いやすく、覚えやすく、多くの方が知っておられると思うので、その紹介は省略する。なお、唄によってそれぞれ跳び方、遊び方が違うのだが、その説明も省略する(実は忘れてしまって説明できなくなっているからなのだが)。

 まりつきも唄に合わせて遊んでいた。なお、私の幼いころは、手まりではなくゴムまり(ゴム製で中身は空気、柔らかくてよく弾む)をついて遊んだので、そのときに歌った唄は「手まり唄」というより「まりつき唄」と言うべきなのだろう。
 もっともよく歌っていたのはこんな唄だった。
  「いちれつらんぱん 破裂して
   日露戦争 始まった
   さっさと逃げるは ロシアの兵……後略……」
 この歌詞の「いちれつらんぱん」、何のことだがさっぱりわからずに歌っていた。これは「日列談判」(日本と列強の談判)のことのようだが、どうしてそれが「いちれつらんぱん」になったのかわからない。私の生家の地域だけでなく、全国的にそうだったようである。
  「一匁のいすけさん 一の字が嫌いで
   一万一千一百石 一斗一斗一斗米(まい)の
   お札を納めて 二匁に渡した.
   二匁のにすけさん 二の字が嫌いで……中略……
   九匁のきゅうすけさん 九の字が嫌いで
   九万九千九百石 九斗九斗九斗米を
   お蔵に納めて
   ガッテントン ガッテントン ショウライキ」
 この唄は長い上に、ゴムまりを後ろにやったり前にやったりかなり複雑で、私などはやれなかった記憶がある。
  「いちりっとらーっと りっとらっとせ
   しんがらほけきょーの キューピーさん」
 この意味はさっぱりわからない。でも調子のいい唄だった。それから『あんたがたどこさ』を歌っても遊んだ。

 お手玉をするときに歌う唄もあった。なお、この言い方はちょっと不正確である。この歌に合わせてお手玉をしたと言った方が正確である。これは縄跳び、まりつきにも当てはまるが。
  「一かけ 二かけ 三かけて
   四かけて 五かけて 橋をかけ
   橋の欄干 腰をかけ……後略……」
 これは有名だが、子取り唄の『花いちもんめ』もあった。この遊び方も知っておられると思うので省略する。
  「ふるさともとめて 花いちもんめ
   あの子が欲しい あの子じゃわからん
   ○○ちゃんが欲しい……中略……
     じゃんけんぽん
   勝ってうれしい 花いちもんめ
   負けてくやしい 花いちもんめ」(註1)
 また思い出した、別れる前に歌う尻取り唄があった。
  「さいなら三角 また来て四角
   四角は豆腐 豆腐は白い
   白いはウサギ ウサギは跳ねる
   跳ねるはノミ ノミは赤い……後略……」
 その他、『ずいずいずっころばし』も唄って遊んだ。

 これらの歌に共通することは、その言葉の大半が共通語だということだ。それから明治以降にできたあるいは流行ったと推定されるのも多い。そしてほぼ全国的に歌われている。宮城県生まれの家内も今言った歌はすべて知っているし、私と同年代の友人たちもそうだった。地域によって若干歌詞が違う場合もあったが、基本は同じだった。
 統一国家になったから、全国的な交流が盛んになったからだろうとは思うが、ラジオもない時代、学校で教わったわけでもないのに、なぜこれだけ全国に広まったのかわからない。でもまあ、これはいいことである。いい遊び、面白い遊びは全国の子どもが楽しんでいいからだ。
 しかし、地域独特の遊びや遊び唄はどうなったのだろうか。私たちの子どものころも、祖父母や父母たちの子どもの頃の遊びや唄がかなり消え、全国共通、全国一律のものに置き換わっていたのではなかろうか。
 それでもまだ少しは残っていたような気がする。前にも述べたように、私たちは雨蛙を捕まえて『べっきどん』を歌いながら遊んだ(註2)し、『おごんつぁん』を歌って子取り兼鬼ごっこをして遊んだ(註3)。これは地域独自の歌と遊びだったと思うのだが、まだこんなものが残っていた。でももう今は唄われていない。このまま放っておけば完全に忘れ去られてしまうだろう、そう思って前にこの歌を採譜しておいた(註4)のだが、それ以外に私自身がもう忘れてしまった唄もあり、本当に残念である。
 こんなことから考えると、今述べた唄や遊びもやがてなくなってしまうのではなかろうか。「大波小波で」などを歌いながら子どもたちが縄跳びをしている姿、もう何年見ていないだろうか。まりつきやお手玉をしている姿も見たことがない。ついでにいえば、子どもたちがゴムとび、綾取り、おはじきなどをしている姿も最近見ていない。みんなが群れてメンコやビー玉をしている姿も見たことがない。その昔の泥製のメンコが明治以降厚紙に変わり、小石当てがビー玉遊びに変わったとのことだが、素材の変化はありながら、親から子へ、大きい子から小さい子へと長い間引き継がれてきた遊びがなくなりつつある。こうした変化、やむを得ないし、いい面もあるのだが、本当に今の変化でいいのだろうかと疑問になることがある。
 とくに気になるのが、ファミコンが登場して以来子どもの遊びの世界にテレビゲームが定着したことだ。しかもゲームの内容がすごい。切りまくり、撃ちまくり、血が飛び散ったり、粉々になったり、画像の精密さもあって何とも生々しい。しかしやっている自分は痛くもかゆくもない、だから負けたもの、弱いものの痛みも何も感じない。やがてバーチャルとリアルの区別がつかなくなるのではないかと心配にすらなる。
 遊戯王などのカード遊び、蒐集も疑問を感じさせる。これでもかこれでもかとさまざまなカードを新しく発売し、子どもたちの購買熱、蒐集欲を煽る。そしていかに強くなるか、戦いに勝つかだけを考えさせる。
 もう一方で受験競争だ。遊びの時間を削って、塾通いをさせる。
 こうしたなかで、自主的にみんなで群れて、身体を動かして遊ぶことが少なくなってきている。自然と触れ合いながら遊ぶことも少なくなってきている。
 こうした子どもが大きくなったとき、世の中いったいどうなるのか、ちょっと不安になる。
 もちろんこれは年寄りの取り越し苦労、時代が変わってもやはり子どもたちは遊び好き、友達が好き、自然の驚異が好き、たくましく状況を切り開いていくだろうとは思うのだが。

 幼かった頃のこと、西の空が曇ってくる。群れて遊んでいた子どものなかの一人がそれに気が付く。そして節をつけて大きな声で叫ぶ。
  「にしくもた あめふるは」
   (西が曇った 雨が降るぞ)
 そうなのである、西の空が曇ると天気が悪くなる。いっしょに遊んでいたみんなが西の空を見る。黒い雲が西からこちらに向かって近づき始めている。そこでみんなで声を合わせて歌う。
  「にしくもた あめふるは」
 歌いながら、急いで走って家に帰る。黒雲でうす暗くなっている家の中に飛び込む。外を見ると白く乾いた地面にポツリポツリと雨粒の跡が黒く付き始め、それがみるみるうちに増えてくる。間に合った、雨にぬれる前に帰れた、ほっとして、さて家の中で何をして遊ぼうかと考える。
にし
 唄と言えるほどの旋律でも歌詞でもない、でもこんな囃し唄のようなものもあったのだ。私より一回り下の人たちからはきっと知らないだろう。戦後の復興、ラジオそしてテレビの普及のなかで、全国共通の遊び、歌、おもちゃが豊富に普及するようになるなかで、こんな歌はもう忘れ去られてしまった。
 それでいいのかもしれない。子どもの遊びは時代とともに変化するものだからだ。また全国共通の、多様な遊びがあってもちろんいい。 だけど地域の独自のものがすべてなくなってしまうというのはいかがなものか。そもそも、地域独特の遊び、古くから伝わる遊びは、中央発信、近代技術採用の遊びからすると遅れているもの、軽蔑されるべきものとして、伝承しない、させないということはなかったろうか。
 NHK教育テレビの『にほんごであそぼ』の番組で地域のまた伝統的な遊び、唄などの見直し、掘り起し、現代への適応がなされているようだが、こうした努力を続けてもらいたいものだ。
           *****
 ちょっとここで笑い話(痛い話?)。
 つい先日(6月6日)の記事で『湖畔の宿』の替え歌「昨日生まれた 豚の子が ハチに刺されて 名誉の戦死」を紹介したが、何と3日前に庭木の手入れをしているときにハチに親指を刺されてしまった。「豚の子」の罰が当たったのだろうか。
 小学校の時以来、約七十年ぶりに痛みを味わった(註5)が、刺したのはアシナガバチのよう、しかも軍手の上からだったので、痛みはかつてほどではなかった。それでも、近くの医者に行って治療してもらってきた。子どもの時はニラの葉をつぶして刺されたところにつけるだけ、スズメバチに刺されたときでさえ医者にも行かず冷やして寝るだけで治したのに、何ということだろう。あのころの子どもの(自分の)我慢強さ、改めて感心するのみ、それに引き替え今はと恥ずかしくさえ思ってしまうが、医療技術・制度の進歩をみんなが享受できる社会はやはりいいものである。

(註)
1.この「花いちもんめ」の花は山形の県花・紅花のことだとの説がある。このことについては下記の記事で触れている。
  12年7月23日掲載・本稿第四部「☆消えた麻、綿、桑、羊」(2段落目)
2.11年1月28日掲載・本稿第一部「☆べっきどん、おごんつぁん」(1段落目)参照
3. 同 上 (3段落目)参照
4.11年4月9日掲載・本稿第一部「☆山形の古謡の採譜」参照
5.11年1月11年1月日掲載・本稿第一部「☆霜焼け、鼻水、医者」(4段落目)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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