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鎮守の神の祭り今昔



               子どもの遊び・楽しみの今昔(8)

                 ☆鎮守の神の祭り今昔

 お正月、ひな祭り、花祭り、5月の節句、七夕、お盆、鎮守の神の祭り等々(註1)、日本人は祭りが好きだ。季節の明瞭な日本だから、農作業の季節性があるから、このように季節ごとに祭りをつくって祈り、また楽しんだのだろう。
 ところが、この祭りが、とくに鎮守の神様の祭りが大きく変わってきた。

 私の生家の近くに「おはづまんさま(お八幡さま)」、つまり八幡神社があり、お祭りは9月15日、楽しかった。小学校は午前中だけで午後は休校(私たちの小学校だけ、市内の他の小学校は通常の授業である)、子どもたちは急いで家に帰り、赤飯や祭りのごちそうを食べ、お小遣いをもらってお祭りに行く。流鏑馬を見たり、御神輿かつぎを見たり、露店で綿飴やハッカパイプ、どんどん焼き、玉こんにゃく、それにおもちゃなどを買う。家に帰るとお招ばれしたお客さんがいてお小遣いをくれる。それをもってまた出かける。今度は近所の友だちといっしょだ。夜も出かける。アセチレンランプの青い光に照らされた店先は昼とまた雰囲気が違う。戦後は演芸会も開かれ、唄や踊りを見ることができた。子どもにとってその日はまさに楽しい非日常だった(註2)。
 八幡さまだけではない、どこの地域のどこの神社の祭りもほぼ同じだった。学校は地域の鎮守の神様の祭りの日を半ドン(午後から休み)にした。子どもたちが祭りの中心なのでそれを学校がじゃまするわけにはいかなかったし、地域の行事に学校が協力するのは当然と親はもちろん役所もそれを認めたのである。学校は地域の中心となっており、その協力なしには地域は成り立たなかったからである。

 これは全国どこでも同じだった。
 しかし、やがて祭りの日の半ドンは少なくなってきた。文部省や県の画一的教育行政のもとで、また車での通勤族になった先生は地域の行事に関心をもたなくなり、親の中に祭りよりも授業の方が大事だというものが出てくるなかで、授業を半日休むわけにはいかなくなったのである。移住者や転勤族が増えた都市部ではとりわけそうだった。子どもたちにとっては、昔から地域に住んでいようとも、転勤族の子どもであろうとも、やはり祭りは楽しく、みんな連れだって祭りに行って楽しむ。しかし、転勤族の親にとっては地域の神社の氏子でもないし、直接関係ないそんな祭りで学校を半日休ませるのは勉強が遅れるだけと反対するのである。
 そして学校は普通通りに授業をし、帰りは祭りで人が混むから気をつけろと注意する程度になってしまった。
 昔は子どもが学校が地域の中心だった。その学校が祭りに協力しない、子どもが休めないとなるとたとえば子ども神輿が出せない、露店の売り上げが上がらないので出店が少なくなる、人が集まらなくなるということで祭りはさびれてくることになる。
 農村部で言えば、兼業化の進展がそれに拍車をかけた。祭りだからといって会社や役所は休みにしてくれない。休暇をもらって祭りの行事を担うことになるが、なかなかうまく休みがとれない。年寄りと専業農家や商店主などが何とか祭りの維持にがんばるが、年々衰退していくことになる。

 仙台に来て住むようになった家のすぐ近くにも八幡神社があった。やはり祭りは9月15日、例大祭は全国共通なのだから当然なのだが、その日の神社は人と店で賑やかだった。しかもその日は敬老の日で休みとなったので、子どもたちはたくさん集まり、賑やかさは前とまったく変わりはなかった。
 ところが03年から敬老の日は9月の第3月曜に変わってしまった。とたんに、15日の祭りには子どもたちが集まらなくなった。ウィークデーのときは地域の学校が半日休みにはしてくれないからである。また祭りの運営もうまくいかない。祭りを担う大人も会社や役所が休みではないからである。15日が土曜か日曜、第三月曜に当たれば別だが、これでは祭りがさびれてしまう。
 それで、神社、氏子相談して祭りを9月の第3日曜にすることにしたという。
 これで例大祭は何とか維持できるようになったが、祭りに当たらない年の15日、私は何となく淋しい。子どもや孫が小さかったとき以外八幡さまの祭りに行ったことはないが、私にとっては今この年齢になっても15日は何となく特別の日、それが普通の何もない日になってしまった。
 八幡さまの祭りだけではなさそうだ。他の神社の祭りも伝統的な日にちではなくなり、その近くの日曜日に変わっているという。
 これもやむを得ないことかもしれない。そもそも神様は人間の都合でつくられたもの、だから人間の都合が変ったことに合わせて神様の祭りの日を変えるというのは当然あっていい。そして継続されるのならそれでもいい。
 しかし、地域によっては祭りに人が集まらなくなり、さらに祭りの担い手がいなくなり、それどころか鎮守の神の氏子も少なくなってお詣りする人もいなくなっているところがあると聞く。とくに過疎地帯などでは祭りどころか神社の管理をする人もいなくなり、社(やしろ)も荒廃しつつある。こうして日本の、小さな町や村の祭りが消えていく。

 近所に住む奥さんが子どもを連れて東京に行った。
 「東京はお祭りなの?」
 初めて東京を見た幼い子どもはそう聞いた。次の日また町のなかに出たらこう言った。
 「東京は毎日お祭りなんだね」
 あの人混みと立ち並ぶ店をみたら子どもはそう思うかもしれない。地域で人がたくさん集まり、店が並ぶのはお祭りのときくらいしかないのだから。

 毎日がお祭り、都会はおかしなところだ。しかも祈りのない、寺社へのお詣りもないお祭りだ。
 一方、農山村では祭りが消えつつある。鎮守の神様の住まいも荒れてきている。
 鎮守の神様はこんな社会に、自然に対する畏怖と祈りの喪失した最近の世の中に、怒っていないだろうか。こんなことまでついつい考えてしまう。

(註)
1.11年1月26日掲載・本稿第一部「☆季節の行事、祭り」、
  11年1月27日掲載・本稿第一部「☆二回あった正月」参照
2.11年1月26日掲載・本稿第一部「☆季節の行事、祭り」(5段落目)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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