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バスツァー、福島の花見



               旅と乗り物・雑感(6)

             ☆バスツァー、福島の花見

 ツァーバス、網走にいるとき毎日のように出遭った。何しろ網走は市全体が観光地、しかも知床、阿寒、摩周等への通過地点、観光シーズンなどはすさまじい数となる。
 網走の借家は高台にあったと前に述べたが、その家の窓からオホーツク海が見え、その手前を国道が走っている。そこを見ていると、何台も何台もさまざまな形の、色とりどりの観光バスが通る。何しろ観光収入がかなりの割合を占める北海道、そして網走、たくさん走っていると今年の観光収入も何とかなりそうだと一市民としてほっとしたものだった。
 私を訪ねて都府県から客が来ると、市内の流氷館や網走監獄、小清水原生花園などを案内するが、そこの駐車場には観光バスがいっぱいである。そして、到着したバスから降りた乗客が旅行会社の小旗を持ったバスガイドさん、添乗員さんの後ろについてぞろぞろ歩いていく。ついついどこから来たお客さんか関心をもって見てしまう。
 最近は中国、台湾、香港からのお客さんが多い。それは言葉だけでなく、見てわかる、家族連れとか新婚さんとか若い人が相対的に多いからだ。
 高齢者と中年以上のご婦人の乗客が多いのは大体日本人の乗ったツァーバスだ。老人クラブの旅行かと思うほど高齢者ばかりのバスもあれば、中高年のおばさんたちが数人程度のグルーブをなしてうるさく参加しているバスもある(そういえば、家内も仙台にいるときサークル仲間数人でツァーに参加したことが二~三度あった)。不思議なことに、「おばさん」のグルーブはあっても「おじさん」のグループはない。おじさんはまだ在職中なのかもしれない。おじさんが一生懸命働いているときにおばさんは物見遊山、いい身分である(といっても、おじさんは職場仲間と飲んだり遊んだりしているのだからおあいこなのかもしれないが)。それなら退職してからおじさんたちもグループをつくって旅行に参加すればいい。しかしそう推測されるグループはあまりいない。おかしなものである、男は職場でしかグループをつくれないのだろうか、そして退職するとその縁が切れてしまい、仲間がいなくなるのだろうか。男というものはさびしいものだ。もちろん退職されたと思われる年配の男性もいる。しかしそういう男性は必ずといっていいほど奥さんといっしょだ。グループで旅行はできない、奥さんといっしょにしかツァーに参加できない、何とも男と言うものは哀れなものだ。
 こんなツァーバスに乗って自分もそう見られるのは気分がいいものではない、あまり乗りたくない、網走にいるときはそんなことを考えていた。

 さらに大きな問題は、ツァーはこれまで私の経験した団体旅行と違ってまったく見知らぬ人といっしょの旅行だということだ。どんな人といっしょになるか、それによって楽しい旅行も楽しくなくなってしまう恐れがある。しかも、どうしても気をつかってしまう。定年になってやっと人付き合いも少なくなり、気をつかわなくともすむようになったのに、また気苦労するのはいやである。
 それに、時間にしばられ、行きたいところにもいけない、つまり自分勝手が許されないことも不便だ。自由気ままに旅行したいと言う願いとはかけ離れている。
 また、バスのあの狭い腰掛にしばりつけられて長時間揺られるとなると、身体が疲れ、とくに腰がおかしくなる危険性があることも問題だ。
 そればかりではない、トイレも心配だ。大体こういう安いツァーのバスにはトイレがついてない。ときどきトイレ休憩でドライブインなどに停車するから大丈夫なのだが、それは一般論、私には特殊事情がある。若いときに開腹手術をした後遺症のダンピング症候群という持病を持っており、その症状の一つに下痢があって、ある日突然我慢のできないすさまじい下痢に襲われるのである(汚い話になって申し訳ない)。何の予告もなしに突然、下痢止め等の薬は一切効かずだから、質(たち)が悪い。だから、いつ症状が現れるかわからないので、危なくてトイレのない長距離バスなどには乗っていられない。ただいいことは、一度で終わることである。つまり普通の下痢のように何度もトイレに行かなくともよい。だから、たとえば学生との研修旅行のようにわれわれの貸し切りバスであるなら、わがままを言ってちょっとどこかに臨時に停めてもらってやらしてもらえばいい。しかし、ツァーバスとなるとそうはいかない。見も知らない人たちに、そんなわがままを言って迷惑をかけるわけにはいかない。

 しかし、こんなことを言っていたら、定年後楽しみにしていた旅行には行けなくなってしまう、ともかく試しに行ってみよう、そう決心してとうとう申し込んだ。
 そして定年になってから2年後の08年、念願の熊野旅行にでかけた。私は晴れ男なのだが、紀伊半島は日本でも有数の多雨地域、どうなることかと思ったら何と、晴れ男の名に恥じず3日間ともいい天気、他の乗客の方は大半が中高年の夫婦、みんな礼儀正しく、突然の下痢はたまたまバスの停車・休憩時間とぶつかって誰にも迷惑をかけずにすみ、経費・時間ともにきわめて効率的に行きたいところに行くことができ、本当に楽しく旅行できた。
 こうしてうまく行ったのだが、だからといってまたうまくいくとは限らない。
 それでも、上高地にはどうしても行ってみたかった。中学時代趣味にしていた切手収集で集めた1937年発行の五銭切手、そこに描かれている上高地、どうしても行ってみたいと思っていたのである。成人してからは登山の基地としてそこに行ってみたいと考えていた。家族でいっしょに東北の山々を歩き、北アルプスの立山縦走などをした家内も、もう登山はできなくとも上高地までは行ってみたいと何回も言っていた。
 熊野行きからまた2年後の10年のこと、またも家内は上高地へのツァーの宣伝、それも仙台―長野往復は新幹線というのを見つけた。これなら身体は楽、トイレの心配も少なくてすむ。しかも安い。早速申し込んで、秋の上高地を歩き、アルプスの景色をしばらくぶりで楽しんだ。

 「去年、桜の花を見たっけか」、12年の春のこと、そう家内から聞かれて私は即答できなかった。思い出そうとしても思い出せない。見た記憶がないのである。花見にどこかに行くなどということはしなかったことははっきりしているが、近くにある桜の花を見たという記憶もない。家内もそうだという。
 11年は、桜の花を愛でるゆとり、というよりも地震と生きること以外考える精神的ゆとりすらなかったからなのだろう。
 そこで、今年は花見をしよう、そのさいには福島にしようなどという話になった。以前は県外で花見をしようなどと考えたこともなかったのだが。
 福島県には桜の名所がたくさんある。中通りの三春町にある樹齢千年の「滝桜」などはその典型だ。福島市内にある「花見山」は新しい名所である。これはある農家が花木生産と同時に一般の人にも楽しんでもらおうと戦前から何十年にもわたって自分の山に桜を始めさまざまな花木を植え、それが見事になり、県内はもちろん全国各地から見に来るようになったのである。という事情だから入場料のようなものはとらない。
 そのほかさまざま桜の名所があり、旅行会社が花見ツァーなどを組んだりするのだが、11年は観光客がほとんど来なかった。大地震の後だからしかたがないかもしれないのだが、地震の被害をそれほど受けなかった会津の観光客も激減した。原発の風評被害である。東北と聞いただけで放射能が怖いと観光客が来なかったのだから、ましてや福島というだけで観光になど行こうとしない。仙台の修学旅行はいつも会津なのだが、それもほかの県に変更、仙台でさえそうなのだから関東関西の人が来ないのは無理もない。踏んだり蹴ったりだった。
 だから、福島に花見に行こう、それで少しでも応援しようと考えたのである。私は仕事柄福島県内ほとんどの地域を数えきれないほど歩いているのだが、家内は初めてのところが多いし、私もたまには観光旅行もいいだろうということもあった。
 そしたら、花見ツァーを募集しているチラシがあったと家内が言う。何と1泊2日で今言った花見山や滝桜を始め会津まで行く、しかも信じられないくらい格安(わずか1万円、そうしなければ客が集まらないからなのだろう、旅行会社による観光バス・旅館等の値引き押し付けも当然あっただろう)、これでは申し訳ないのだが、参加しないよりした方が福島にとってまたバス会社や旅館にとっていいのではないか、そう思って申し込んでみることにした。予約はまだまだあいているとのこと、ということで12年は生まれて初めて花見ツァーなるものに参加することにした。
 ところがその年の冬は厳しい寒さ、それが春まで続いたために桜の開花は1週間から10日遅れるという。これでは花見は無理だろうと思っていたら、旅行日を1週間遅らせるという知らせが来た。かくして4月下旬、前日までの雨はすっかりあがり、5月中旬の暑さという日に出発となった。この旅行の終わった翌日から雨だから、やはり私の晴れ男としての力はすごいものである。
 しかも花見山、会津若松のソメイヨシノはその日に満開、前日開花宣言したばかりの滝桜は半開、2年ぶりでまともに桜の花を見た(註1)。見事だった。
 また、会津の山中にある大内宿(昔の茅葺き屋根の民家が旧街道沿いに約50軒くらい建ち並んでいる)、家内は喜んでいたが、これは多くの人に見てもらいたいものだ。
 しかし、観光バスの数は少なかった。例年の半分以下だという。会津若松への修学旅行は少しずつ回復しており、桜が満開のお城は生徒たちで混雑していたが、それでもまだまだのようだ。買い物をして、少しでも金を落として、福島を応援しよう、そうやっていろいろ買ったら、ツァー代金よりお土産代の方が高くなってしまった。
 ともかくいい花見旅行だったのだが、私には別の意味でもうれしかった。
 その一つは、宿泊地が会津の南郷村(現・南会津町)だったことである。オプションで料金を少しプラスすると旅館は別にするということだったので、少しでも金を落とそうとして申し込んだら、ここが宿泊地となったのである。南郷村はかつて調査に入って非常に印象に強く残り、本稿で何回か紹介した(註2)ところなのだが、まさかここに泊まるとは考えもしなかった。しかも調査した鶇巣(とうのす)集落のすぐ近くにある町営の温泉旅館(私たちが調査に来たころはなかったが)、何という偶然だろう。勝手な行動ができないので集落に立ち寄ることはできなかったが、約30年ぶり、それ以外にも以前何度か調査や講演で来た市町村を通過し、本当になつかしかった。
 もう一つは、国道121号線(山形県米沢―栃木県益子)の喜多方―米沢間を初めて通ったことである。ここは会津と山形を結ぶ最短距離なのだが、かつての道路は山の中をくねくねと走り、冬期間は閉鎖、私を案内してくれる自治体や農協の車がどうしてもこの道路を使わなければならない必然性はなかった等から、ここを通ったことはなかった。でも通って見たかった。前に述べたが、この国道121号線と13号線を通って弘前にいたる道路と並行して国鉄の線路、「奥羽内陸線」を走らせたい(註3)と思っていたので、そのルートのうち私の通ったことのない喜多方―米沢間を走って見たかったのである。私が網走に行っている間にこの間の国道が整備され、大型バスも通れるようになったことから、私の乗ったツァーバスもこの最短距離を通ることにしたようである。これで私の願いの一つがかなったことになる(線路はできていないが)。
 そんなことを可能にしてくれる、バスツァーもいいものだ。

 とうとう私も短期周遊型旅行者になってしまった。やはり私も並みの日本人なのだ。
 でも何となくわびしい。何十年と働いてきたのだ、せめて定年後、動けなくなるまでの少々の時間の間、行ってみたいと前々から思っていたところに、経済的な心配なしで、時間に縛られることなしに、ゆっくり旅行ができる、そんなゆとりが日本人みんなに欲しいものだ。
 しかし、年金の削減などでますますそれは難しくなっていくだろう。

 円高ドル安で国内よりも国外への旅が増えている、また独身女性は優雅に海外ツァーだなどと言われているが、それもほとんどが短期周遊ツァー、何と日本人はつましいのだろう(そうであっても、海外に行けるなどかつては考えもしなかったこと、それが一般庶民もできるようになっただけでもいい世の中になったとは思うが)。それよりも何よりも、最近の正規雇用の削減、賃金引下げ、労働条件の規制緩和などで日本人の旅、海外はもちろん国内の旅も、これからどうなっていくのか、心配になる。
 若い人たちにとっても大変な世の中になりそうだ。

(註)
1.網走にいるころも花見はできなかった。ソメイヨシノがなかったからである。エゾヤマザクラがあるが、この花見については下記の掲載記事で述べている。
  11年10月7日掲載・本稿第三部「☆北海道の食文化」(1段落目)
2.11年1月5日掲載・本稿第一部「☆近隣の助け合い」(3段落目)、
  11年1月7日掲載・  同 上 「☆むらぐるみでの共同」(4段落目)、
  11年1月10日掲載・ 同 上  「☆むらの掟」(5段落目)参照
3.12年5月7日掲載・本稿第四部「☆東北における国鉄路線の新設」(3段落目)、
  12年5月11 日掲載・  同 上 「☆新幹線の時代へ」(4段落目)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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