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塩引き、高血圧、減塩運動



                その昔の食べ物・追記(4)

               ☆塩引き、高血圧、減塩運動

 網走にいたときのことである、ある日家内が近くの病院に行き、待合室で座っていたら、隣りで二人の高年女性がおしゃべりしていた。
 「血圧が高いから塩分控えろと言われたってねえ、やっぱりしょっぱいものは食べたいですよねえ」
 「本当にそう、うちの嫁の買ってくる塩鮭、味もそっけもない、もそもそしていて食べられたものじゃありませんよ」
 「血圧など上がってもいいから、『しょっぱい』塩引きを食べてみたいですねえ (この『しょっぱい』にかなり力が入っていたという)」
 「そうですよねえ」
 二人は同時に大きくうなずいた。思わず家内は笑ってしまった。家内も同じ意見だからである。
 そうなのである。このごろの塩鮭は甘すぎておいしくない。昔私たちが「塩引き」と呼んでいたしょっぱい塩鮭(註1)が食べたい。
 塩鮭ばかりではない、何でも今はそうだ。ともかく薄味になった。まさに「味気」なくなった。

 昔はなんでも塩っぱかった。漬物、味噌汁、煮付け、塩魚、みんなみんな塩っぱかった。だからご飯がうまかった。おかずも少なくてすんだ。
 身体が要求していたからかもしれない。歩くのが当たり前の時代、人力・重労働の時代、身体は塩辛いものを必要とするからだ。
 貧乏がそうさせたという面もあろう。おかずを買うお金がない、漬物や味噌汁を塩っ辛くしておかずを少なくし、しかもご飯が進むようにしてカロリーをとらなければならなかったからだ。
 さらに、生鮮食品の保存技術からも塩分が必要だった。今のような冷凍・冷蔵技術のなかった時代、海から遠い地域などはとくに魚介類を干物か塩蔵物にして保存して運搬しなければならなかった。また、冬に野菜がとれない地域は、春から秋にかけての野菜や山菜を塩蔵してあるいは漬物にして食べるしかなかった。実際に食べるときには塩抜きをする場合もあったが、やはり全体としては塩分が多かった。

 これは問題だ、塩分の摂りすぎだ、こう騒ぎ始めたのは、1960年ころからではなかろうか。そして塩分の取りすぎが高血圧、脳溢血を引き起こしているという。しかもそれは東北人が証明しているともいう。東北地方の人は塩っ辛いものを食べすぎている、つまり東北の食文化は遅れている、だから高血圧、脳溢血になる人が多いというのである。
 東北人の私、塩にまみれて育ってきた私は非常に面白くなかった。
 たしかに塩分は他の地方よりもよけいにとっていた。そして脳溢血で死ぬ人も多かった。現に私の身の回りでも脳溢血で倒れる人がかなりいた。とくに冬場に多かった。私の祖父、また母方の祖父もやはり冬場に脳溢血で亡くなった。そして塩っ辛いものを小さい時から食べてきたし、好きでもあった。
 しかし本当に塩の摂り過ぎが脳溢血の原因なのだろうか。
 私の祖父の場合を見てみよう。真冬の明け方近く、つまりもっとも寒い時間、祖父はこたつに接して敷いてある暖かい布団から出て寒い便所に行った。帰ってきて布団に入った途端、すさまじいいびきをかき始めた。脳溢血になったのである。医者はすぐに往診してくれたが、それからまる一日寝て息を引き取った。
 祖父だけではなかった。夜中に便所に起きて脳溢血になったいう話は当時よく聞いたものだった。
 また、冬にお風呂に入って脳溢血になったという話もよく聞いた。かつては脱衣室が寒かったが、そこから暖かい風呂に入った途端に倒れたというのである。
 つまり、便所と寝床、脱衣所と浴室・風呂の温度差が血管内を流れる血液量と血管の収縮に変化をもたらして血管に負担をかけてしまうことから脳溢血が引き起こされることが多かったのである。そしてその温度格差は、東北の冬期間の厳しい寒さによって、当時の家屋の建築様式、暖房技術によって拍車をかけられて脳溢血を多くした、そう考えるべきなのではなかろうか。統計的に脳卒中の死亡が南国よりも東北に多く、また冬に多くて夏は少なかったことはそれを示すものであろう。つまり塩分だけが問題なのではないのである (なお、東北人は大酒を飲む、これも原因だと言われているが、これについては酒好きの私、とくに触れないことにする)。
 ところが、塩分の摂り過ぎが、漬物と味噌汁が高血圧にさせ、それが脳溢血をを引き起こすのだ、その証拠が東北だと、戦後やってきたアメリカの学者の一人が言いはじめたのをきっかけに、厚生省、栄養学者、医学者あげて、すさまじい減塩運動を展開しはじめた。塩に憎しみがあるのかと思うほどだった。農村部でも生活改良普及事業が減塩運動を始めた。
 たしかに塩分の摂り過ぎはよくないだろう。何でもそうで、食べ過ぎ、摂り過ぎはよくない。それにしても減塩運動はすごかった。日本人全員塩分摂取を控えなさいと一律的な減塩を勧めた。とくに言われたのが、塩分の多い味噌汁はだめ、漬物はもちろんだめ、食べるなら塩分を減らせだった。味噌汁と漬物の排斥運動ともいえるような雰囲気だった。どうしてここまで熱狂的になったのか今でもわからない。
 いうまでもなく、味噌汁と漬物は、和食、米食に欠かせないものである。そして塩っ辛いおかずはご飯をおいしく食べさせる役割をはたしてきた。それを排斥することは和食、米食の排斥になる。
 そうなると、減塩運動もアメリカの小麦戦略(註2)の一環ではないのか。米を食うと脳溢血になる、バカになるなどとまでいって米食を排斥するパン食普及運動を展開させた背後にはアメリカの小麦戦略があり、アメリカが金を出して操っていたのだが、減塩はその一環として展開されたのではなかろうか。
 それとも、外国人とくにアメリカ人の言うことを崇拝する、何かあると一斉に熱狂する、こうした日本人の性格がそうさせたのだろうか。
 こんな風に疑いたくもなった。ともかく苦々しかった。だけど、栄養学者でも医学者でもない私には反論できなかった。しかし、日本の学者はさすがにたいしたものである。やがて、行き過ぎた減塩運動に対する反省、批判がなされるようになってきた。人間には塩はどうしても必要なもので、それどころか塩分には高血圧を抑制する成分も入っており、冬の寒さや夏の暑さに耐えるのにも必要である等々、塩分が身体に悪いというのは迷信であるとも言われるようになってきた。
 一方、そんな減塩運動にかかわりなく過度の塩分摂取は少なくなってきた。運搬手段、冷凍手段の発達なかでかなりの遠隔地でも生魚が食べられるようになったので、かつてのように塩蔵の魚に依存しなくともよくなり、また温室にかかわる技術の進展などで冬でも野菜が採れ、あるいは暖地から輸送されるようになるなかで、かつてのように漬物に依存しなくともよくなってきたからである。それに、食生活水準の向上、労働様式の変化などのなかで、塩っ辛いおかずでご飯をたくさん食べるなどということはしなくともよくなってきたこともある。
 そして、脳溢血による死亡は減ってきた。これには日本人の栄養状態が良くなって血管が丈夫になっていること、建築様式、暖房方法が大きく変わったこと、医療技術が格段に進展したことが大きく寄与している。
 しかし、このように日本人が塩の摂取量を減らしているにもかかわらず、高血圧の患者は増えているとのことである。このことは塩分が問題ではないことを示しているのではなかろうか。もちろん人によって年齢によって塩分への対応能力が違うので一概には言えず、塩分を控えなければならない人もいるだろうが。
 塩分を取りすぎているという日本人、ところがその日本人は世界でもトップクラスの長寿、にもかかわらずもっと減塩しろと厚生省はいう。減塩させて日本人の寿命を短くさせようとしているのだろうか。よくわからない。ただしこれは素人考え、私がまちがっているのかもしれない。
 でも私はごめんだ。塩の薄い味気ない味噌汁、甘味料や添加物を入れて塩分の少なさをごまかしている漬物など食べたくない。塩辛も食べたい、しょっぱい塩引きでおいしくご飯を食べたい(といってもそういう塩引きはなかなか手に入らないが)。それで寿命が縮まってもかまわない、これだけ生き延びさしてもらったのだから。
 でも、医療費がかかるので、年金負担が増えるので、高齢者は早く死んでもらいたいと考えているとしか思えない今の政府、しゃくに触るので、政府の言うように減塩でもして、もっともっと長生きしてやりますか。

 それはそうと、最近若者に高血圧が増えているとのこと、若者と言えばハンバーガー、ドーナッツ、スナック菓子、コンビニ食、つまり若者の食感、食欲を満足させるために脂質、糖分、添加物を加えている食べ物、これではそうなるのが当たり前である。減塩運動で漬物や味噌汁、煮物をターゲットにするのもいいが、その前にいわゆるジャンクフードに対する若者の意識、行動を変える運動を展開することこそ今必要なのではなかろうか。

(註)
1.塩鮭、塩引きについては下記記事でも述べているので参照されたい。
  11年3月31日掲載・本稿第一部「☆塩・干魚から生魚へ」(2段落目)
2.11年4月6日掲載・本稿第一部「☆忍び寄る小麦色の影」(3段落目)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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