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巨人・大鵬・卵焼き、東北楽天



                  弱者の視点(4)

              ☆巨人・大鵬・卵焼き、東北楽天

 毎日毎日いやなニュースが続く。新聞やテレビを見るのが憂鬱になる。しかし、プロ野球チームの東北楽天が勝った時は新聞テレビを見るのが楽しみだ。勝ったのがわかっていても、いやわかっているからこそ見たくなる。一日気分がいい。
 ふとそのことに気が付いたとき、初めて理解ができた、私の大嫌いな巨人のファンがなぜ世の中に多いのかが。

 「巨人・大鵬・卵焼き」、1970年前後にこんな言葉が流行った。子どもに人気のあるものなのだそうである。
 卵焼きについてはよくわかる。私も子どものころは大好きだった。めったに食べられなかったから、動物蛋白に餓えていたから、なおのことだった。
 大鵬、巨人、ともに強い。子どもに人気のあるのは当然である。
 私もそうだつた。もちろん私の子どものころは大鵬はまだいない。双葉山が大鵬以上の人気だった。その双葉山に勝って70連勝を阻止した安藝ノ海、これも子どもにはあこがれだった。
 プロ野球については戦後、野球覚えたての小学校最後の年に知ることになるが、私も巨人ファンとなった。少年雑誌や新聞は巨人は日本で最初にできたチームで伝統があり、非常に強いと言うし、友だちもほとんどが巨人ファンになっていたからだ。そして川上、千葉、青田などの選手の大ファンともなった。
 心身ともにまだ弱い子どもは強いものにあこがれるもの、そうした気持ちがあって成長するものだから、これはこれでいいことなのだろう。

 この巨人・大鵬・卵焼きの言葉が流行っているころ、つまり私が中年になりかけのころであるが、子どもの頃ほどではないが、卵焼きはやはり好きだった。
 しかし、大鵬のファンではなかった。わが郷土山形の生んだ大横綱柏戸がいたからである。当然のことながら柏戸の大ファン、何としても勝たせたかった。大鵬のかげに柏戸が隠れるといい気持はしなかった。大鵬の子どものころの苦労話などを聞くと、彼を嫌いにはなれなかったが。
 これに対し、巨人は大嫌いになっていた。もちろん、そのころはプロ野球にあまり関心を持たなくなっていたが、金にあかせてあるときはルールをねじまげて有名選手、欲しい選手を集め、いつも勝者でいなければならない、常勝巨人などといっているその傲慢さ、球界を牛耳っている読売のボスの横暴さが許せなかったからである。
 それで、巨人さえ負ければそれでよし、いわゆるアンチ巨人となった。そして特にどのチームのファンということはなく、弱いと言われる球団と東北出身の選手を応援していた。たとえばセントラルでいえば、一時期はお金がなくてなかなか優勝できなかった広島、その後は国鉄スワローズ以来ずっと優勝したことのないヤクルト、さらに優勝を忘れてしまったような横浜などを応援し、一度優勝したら後はどうでもよし、ともかく最下位のチームを応援した。セかパかといえば当然パシフィック、日本シリーズは必ずパシフィック応援だった。
 なぜみんな巨人のファンになるのか、その気持ちがわからなかった。東京をフランチャイズにしているから東京都民がファンになる、それはまだわかる。しかし、東京にはヤクルトがあり(10年前までは日本ハムもあった)、すぐ近くに西武、ロッテ、横浜があるのに、なぜ巨人ファンが圧倒的なのだろうか。さらに東京以外の地域にも巨人ファンは非常に多い。
 やはり巨人が強いからなのだろうか。そうすると巨人ファンは強いものにあこがれる子ども並みではないか。強いものを応援してますます強くする、金をもうけさせる、一方弱いチームはファン=入場者も少なく、金は入らず、負けてばかり、こんなことでいいのだろうか。どうして弱いものを応援しようとしないのだろうか。
 とくに私は農経研究者の巨人ファンに言った、弱いものの味方、地方の味方であるべきなのに、なぜ大東京の巨人のファンなのかと。
 こんなことを言うと巨人ファンの方に怒られるかもしれないが。

 ところで、東北、北海道には巨人ファンが多かった。強いから、有名だからということもあろうが、地元にフランチャイズを持つ球団がないこと、東京に近いことからも来ていると思われる。
 それではなぜ、東北から北海道にかけてプロ野球の球団がないのだろうか(註1)。
 京浜や阪神のように人口の多い巨大都市がない、球場への入場者が確保できないからだろうか。それもあろうが、決定的な理由にならない。広島、福岡にはあるからだ。
 雪、寒さのせいだろうか。たしかにそれはあろう。長い冬の練習場の確保、春先や晩秋の試合の低温等が問題となる。しかし、アメリカのチームの中には北海道並みの寒さの地域にフランチャイズを持っているチームがある。
 こんなことで不満を持っていたら、何と04年、東京ではあまり人気のなかった日本ハム球団が札幌をフランチャイズにすることになった。札幌市が札幌ドームをつくって寒冷積雪の問題を解決して誘致したのである(註2)。東北人ではあるけれども北国の人間としてはうれしかった。しかもそのころ、ちょうど私は網走に住んでいたからなおのことだった。そして名目上だが網走の後援会の役員にもさせられた。家内はすぐにファンになった。
 06年、私は網走を引き揚げ、仙台に戻ってきたが、ちょうどその年に新球団東北楽天が仙台を本拠地として設立された。その設立過程にいろいろ問題はあってもともかく東北にプロ野球球団ができたのはうれしかった。当然ファンになった。もちろん、日ハムも応援した。だから、06、07年と日ハムが連続優勝、06年には日本一、07年は日本シリーズで中日に敗れたが中日の監督は秋田県人の落合、ともにうれしかった。しかしやはり地元、楽天を応援する気持ちは年を追うにしたがって強くなってきた。
 もう一つ、応援しないわけにはいかない理由がある。東北楽天は、プロ野球チームを一つ潰して選手の首を切ろうとしたオーナーたちに対し全国の野球ファンの支援のもとに選手会がストライキでもって闘い、その勝利の結果としてできたチームだということだ。弱者が団結して強者の横暴を打ち破ってつくられたチームなのである。これが負けてばかりいてまた潰されてしまうわけにはいかない。

 楽天が勝った翌朝、新聞を見るのが楽しみだ。一、二面、社会欄、テレビ欄を見終わると、次は真ん中辺のスポーツ欄に移る。そして楽天にかかわる記事の隅から隅まで見る。気分がいい。読み終わると、今日一日何かいいことがありそうな気がする。
 楽天が負ける、新聞を開くのが憂鬱だ。どうせろくな記事がないところに楽天の負けた記事など読むと、面白くない一日になりそうでいやな気持ちがする。
 楽天が仙台にチームをつくって二年目あたりから、野球シーズンの毎朝がそんなことで始まった。
 このとき初めて巨人ファンの気持ちがわかったような気がした。毎日毎日いやなニュースが流れ、職場では憂鬱なことが多々ある、そこに贔屓の野球チームが負ける、ますます憂鬱になる、常勝巨人ならそんなことにはならない、鬱の気分が少しは晴れる日が相対的に多い、巨人ファンが多いのはそのせいではないか。
 「水戸黄門」、あの単純極まりない勧善懲悪のテレビドラマの人気が高かったのもそこにあったのではなかろうか。正義は必ず勝ち、悪は敗れる、弱者が救われる、現実の世の中はなかなかそうならないのだが、テレビドラマでそれを実現してくれる。この単純極まりない筋書きが気持ちをすっきりさせてくれる。法制度や民衆の力、知恵によってではなく、最終的には「印籠」という権威、権力にたよって解決する、ここに問題はあるが、いずれにせよ「水戸黄門」のファンが多かったことは弱者を思いやる、正義を希求する庶民の気持ちの強さの現れ、評価すべきことなのだろう。

 しかし残念ながら楽天ファンになるとなかなかいい気分にはなれない。負けてばかりいるからだ。とくに設立当初がそうだった。それも当然だった。オリックス球団が旧近鉄・オリックスの選手のうちのいいところを取ってしまい、楽天はそれで残った選手と他チームで戦力外になった選手を中心にチームを編成しなければならなかったからである。ほぼ毎年最下位だった。
 それでも私は応援した。故郷東北のチーム、弱者の闘いでつくられたチームだからだ。たまに勝つ、うれしい、新聞が楽しみ、それで巨人ファンの気持ちが何となくわかったような気がしたのである。

 楽天の田尾初代監督があるテレビ番組で、野球人生でどこにいたときがもっともよかったかと聞かれたら、仙台と答えていた。理由は聞かれないので答えなかったが、最下位で終わり、しかもわずか一年でクビを切られてしまった仙台の何がよかったのだろうか。
 そのとき思い出したことがあった。彼が監督になりたてのころ、たしか『河北新報』にだったと思うのだが、こんなことを書いていたのである。
 家族で夕食を食べに仙台のレストランに入った、まわりの客は自分たちにまったく無関心でいる、仙台に来たばかりなのでまだ自分の顔がわからないからだろうと思っていた、食事が終わり、立ち上がって帰りかけたところ、お客さんたちがみんな手を叩き、がんばれよと声をかけてくれた。それまで声をかけなかったのはきっと自分たち家族がゆっくり食事ができるようにという思いやりからだったのだろう、何と東北の人は優しいのだろうと思ったと。
 負けても負けても、ファンは暖かく応援した。球場に足を運んだ、そして声をかけた、次はがんばれよと。他地域に本拠地をもつチームだったらその本拠地で野次り倒されていただろう、客は激減しただろう、それなのに何と東北の人たちは優しいんだろう、当時の楽天の選手はみんなそう言っていた。
 こうしたことが、仙台にいたころがもっともよかったと田尾元監督に答えさせたのではなかろうか。

 田尾監督に責任はないのに最下位の責任をとらせてわずか一年でクビにする、せっかく二位まで引き上げたのに野村監督を契約だからとやめさせ、翌年は変な外人監督を連れてきてまた最下位にさせる、さらには英語を社内公用語にしたり(註3)、薬のネット販売の規制緩和をごり押ししようとしたりする親会社は嫌いだが、ともかく東北を拠点にするチーム楽天は応援していきたい。弱かろうと何であろうと(註4)。巨人のような常勝チームになったらどうするか(残念ながらそんな心配はしなくてすむだろうとは思うが)、やはり応援することになろう。そして毎朝いい気持で新聞を読みたい。セントラルについていえば、アンチ巨人、弱いチーム(最近でいえば横浜)の応援でいくことになろう。何も弱いものが強いものを応援する必要もないではないか。
 野球ばかりではない、他のスポーツでも、いやあらゆる面で東北を応援していきたい。もちろん日本について応援するのはこれまで同様、それ以外のことでは今まで通り「弱きを助け、強きをくじく」を貫いていきたいと思っている。

(註)
1.70年代にロッテが仙台をフランチャイズにしたことがあったが、4年で川崎に逃げ出してしまった。
2.札幌ドームはサッカーJリーグのコンサドーレ札幌のホームスタジアムにもなっている。なお、コンサドーレは「オレ ドサンコ(道産子)」の逆読みなのだそうである。何とセンスのいいこと、今はJ2なのが残念だが。
3.英語の位置付けについての私なりの考え方に関しては下記の掲載記事を参照されたい。
  12年3月28日掲載・本稿第三部「☆自国に誇りをもたない風潮」
4.この草稿を書いたのは13年初夏だったが、何たる偶然、本稿を掲載する4日前の9月26日、何と初のリーグ優勝が決定、いつかはと期待していたがこんなに早く、何はともあれうれしい。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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