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続・家事と花嫁修業



                続・今は昔、思いつくまま(13)

                 ☆続・家事と花嫁修業

 1951年の春、私は新制中学を卒業したが、同級生のほとんどが高校(新制)入学もしくは就職・就農したのに、女性二人はどこにも行かず家で家事手伝いをし、一年後に結婚した。結婚がすでに決まっているらしいと在学中に噂として聞いてはいたが、彼女らは16歳で結婚したことになる。
 こんな状況がまだ残っていたのだが、戦後の政治的経済的民主化の進展のなかで、60年代には都市部農村部を問わず、男女を問わず高校(=戦前・旧制の中学校・女学校)に行けるようになり、また行くようになった(註1)。
 こうしたなかで、高校卒は嫁に出す際の必須条件となり、やがて女子短大卒も嫁入り道具の一つと言われるようになった。
 なお、高校は高度な普通教育及び専門教育を施すところとなり、女子高であろうとも花嫁修業を目的とするところではなくなった。男女共学も進んだので女性に特別に花嫁修業をさせるわけにもいかなくなっていた。
 そこで女性は、高校もしくは短大を卒業したら若干の期間家の近くで勤め、結婚が決まったら勤めを辞め、家で家事を手伝い、あるいは習い事をし、つまり「花嫁修業」をし、ミシンなどの嫁入り道具をもって嫁入りし、家事・子育てをする、それが普通となってきた。
 こんなことは戦前には一部の富裕な家以外考えられなかったことだったが、それが多くの家でできるようになった。これは貧富の格差の是正が進んだことを示すものであり、教育の機会均等、女性の就業機会の拡大等々の面では戦後は本当にいい時代になったと感じさせたものだった。
 もちろん、結婚退職をさせられるとか、男女の雇用条件が均等化されていないとか、さまざまな問題は残っていたが。

 こんなことを思い起こしていた頃、一昨年のことになるが、女性研究者のWMさん(これまでも何度か本稿に登場していただいた)からいただいたメールの中に次のような一文があった。
 「私が子どもの頃は、大きくなってお嫁さんになりたいと多くの友達が言っていました。その頃、花嫁修業中という女性は結構いたかと思います。今花嫁修業中なんていう人はいないですよね。お嫁さんになりたいという子どももどれくらいいるのでしょう」
 そうだった、かつては小学生の女の子の将来の夢は大半が「お嫁さん」だった(先生、スチュワーデスなども多かったような記憶もあるが)。これは、女性は結婚して家にいるものという当時の社会常識の反映、もっとも身近にいるお母さんのように大きくなったらお嫁さんになって家にいるものという家庭内での刷り込み、花嫁衣装に対するあこがれ、こんなことからだったのだろう。
 いつごろからだったろうか、「お嫁さん」になりたいという希望が少なくなったのは。90年代ころからではなかったろうか。
 そしてそれは女性の就業機会が増え、男女の雇用機会の均等化が進められ、嫁入り=永久就職の必要性が少なくなってきたことからではなかろうか。つまり「お嫁さん」は職業ではなく、結婚した、家庭をもった女性ということを示す名称であり、まったく違ったものであることが社会常識となり、それが子どもにも反映してきたこと、これが将来の夢から「お嫁さん」を消滅させた最大の原因だろうと考える(註2)。

 「花嫁修業」という言葉も聞かなくなった。それもやはり90年代ころからではなかろうか。
 これは、かつてのような「花嫁修業」は今や必要がなくなってきたことからであろう。
 たとえば修業の必要だった炊事、掃除、洗濯などはその電化・自動化が進み、スイッチ一つ入れれば簡単にやれ、熟練、経験とカンなどは必要性が少なくなってきた。炊事についていえば、調理食品やそう菜、弁当等の中食の普及など食の外部化が可能になったことがそれに拍車をかけた。
 裁縫は、多種多様の衣類の既製品が安く豊富に出回るなかで、あえて家庭でする必要がなくなってきた。育児に関しても、便利な育児用品の豊富な出回り、保育園、幼稚園の設置などでかなり楽になってきた。
 そうなるとあえて花嫁修業などする必要がない。修業などしなくともやろうと思えばやれる。
 もう一方で、さきに述べたように嫁入り=永久就職の必要性もなくなるなかで、いわゆる華道や茶道を習うなどの「花嫁修業」をして自分を売り込むとか舅姑のご機嫌を取るとかする必要もなくなってきた。
 また、こうした女性の自立化の進展のなかで、男性も家事・育児を分担するようになってきた。こうしたことも「花嫁修業」を不要にさせたのだろう。

 「お嫁さん」、これを女性の職業として位置付けなくなってきたこと、これはいうまでもなくいいことである。
 しかし、「お嫁さん」になりたい、つまり結婚したいと思わなくなってきたというのでは困る。また、「お嫁さん」になりたくともなかなかなれない社会になってきたというのではなおのこと困る。
 ところが今そうなりつつある。経済的時間的問題から結婚できない、いくら楽になったとはいえ家事・育児は大変なのに保育所も十分に整備されていない、これでは家事や育児が十分にできそうにないので結婚を考えようにも考えられない、こうしたことから結婚が遅れ、あるいはできないでいる人が増えているのである。
 女の子たちが「お嫁さん」になりたいと思う社会、そしてなれる社会、これこそ健全な社会なのであり、そうした結婚できる社会、子育てのできる社会をつくりだすこと、そのための社会的経済的条件、たとえば労働時間の削減や給与の引き上げ、農産物価格の引き上げ、保育所の整備等々を図っていくことが必要なのではなかろうか。

 家事に熟練が不必要になった、だから修業などしなくともよくなった、それで「花嫁修業」が死語となる、これもいいことだと私は思う。しかし、問題はその内実だ。
 たとえば、食の外部化つまり外国農産物を大量に用いる外食・中食産業への依存で炊事を省略できる、これで家事は楽になるし、包丁やまな板などなくともすむ、だから修業しなくともいい、これでは困る。それは栄養の偏りをもたらし、それがまた健康補助食品や医薬品の需要を増やす危険性があるからだ。外食・中食産業の発展が健康・医薬品産業を潤す、こんな循環でいいわけはない。
 針や糸のない家庭もあるという。切れたり破れたりほころびたりした洋服や下着をつくろってまた使うなどということはしなくなる、古くなった毛糸のセーターをほどいて編み直すなどということもなくなる、そして古くなったら、切れたりしたら捨ててしまう、衣類は途上国が安くつくってくれるのだからそれでいい、そんなことでいいのだろうか。
 もちろん、そうしたくてしているわけではなく、労働時間や通勤時間の長さなどでそうせざるを得なくさせられている、ゆったりと家事ができなくさせられている、こうしたことに根本問題があるのだろうが。

 食べ物づくりは外食・中食産業などにゆだね、衣類は途上国にまかせ、自分は他の仕事に専念してそれで稼いだ金で食べ物や衣類を購入する。これは一種の社会的分業の進展といえるかもしれない。そして自分が技術をもつより、他人の技術にゆだねる、つまり分業をする、こうした分業の進展は社会の進歩という側面ももっている。
 それにしても今のような行き方でいいのだろうか。
 便利な社会、技術の進歩は人間の能力を退歩させる、温かい交流を人間味を喪失させる、こんなことがないだろうか。そんなことを考えるのは年寄りのノスタルジアなのだろうか。

 自動ロボット掃除機までできる時代である、そのうち炊事すべてをやってくれる自動ロボット炊事機も出現し、それに依存する時代が来るのだろうか。それとも宅配などに家族の食事をすべて依存するようになるのだろうか。本当に世の中どうなってしまうのだろう。ちょっと想像できない、いや、したくない。
 そういいながらも、老化で動けなくなったら私たちも自動ロボット掃除機を買わざるを得なくなるかもしれない。食事を宅配に頼まざるを得なくなるかもしれない。周囲に迷惑をかけたくないからこれもしかたがないのだが、何とも切ない。でもそれは老人世帯だけにしてもらいたい、こんな風に考えるのはおかしいだろうか。

 つい最近いただいたWMさんのメールの中にこんなことが書いてあった。
 小学生の子どもをもつ30歳代後半の近所の奥さんがおしゃべりの最中こう言った。
 「うちは野菜はあんまり食べないの。しゃぶしゃぶの時は安い肉をたくさん買ってきてそれだけ」
 そして話を続ける、
 「野菜は買ってきても野菜室に残って、それをどう料理したら良いか分からないし、あんまり買わないのよね」
 衝撃の一言だったとWMさんは言う。そしてこう嘆く。
 「やっぱり『花嫁修業』って必要なのかもしれませんね。世の中どうなってしまうのでしょう」
 コメントは控えよう。

(註)
1.11年3月3日掲載・本稿第一部「☆集団就職列車」(1、2段落)、
  11年4月5日掲載・本稿第一部「☆教育の機会均等の進展」(1段落)参照
2.最近は将来の夢のアンケート項目から「お嫁さん」を削除しているとのことだが、それも一因となっているのかもしれない。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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