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医者の今昔

                 続・今は昔、思いつくまま(15)

                     ☆医者の今昔

 私の幼ないころつまり戦前から戦後にかけてはよく病気になり、医者に通ったといったが、それは一軒の医院だけ、他の医者にかかったことはなかった。私だけでなく、家族全員そこの医院だけだった。捻挫などすれば近くの骨接ぎ、母のお産は産婆さんに頼み、手術を要する病気(たとえば盲腸炎)のときは大きな病院に入院させたが、後はすべてかかりつけの医者に診察を受け、治療をしてもらった。私の家だけではなかった。他の家でもどこか一軒だけかかりつけの医者を決めていた。そしてそこであらゆる病気を診てもらった。
 ということは、当時の医者(今は医師というようだが)は今でいう内科、小児科、外科、皮膚科、眼科、耳鼻科(トラホームや蓄膿症の治療もしてもらった)等々、あらゆるものを兼ねていたことになる(註1)。
 だから医者は私の病歴や健康状態はもちろん家族全員についても知っていた。それだけではなかった。私の家の生活全体を把握していた。往診をしてくれたからである。

 あのころの町や村の医者のほとんどは午前診察、午後往診をしていた。
 私の家のかかりつけの医者の往診は一日おきだったような気がするが、午後になると白衣を着て自転車に大きな黒皮のカバンをつけて患者の家を回って歩いたものだった(註2)。当時は今のような保険制度もなく、金がかかるのでよほどのことがないかぎり入院などしなかったし、また車社会ではなかったので病人は簡単に医者に通えなかったなどから、医者が往診するより他なかったのだろう。往診を頼まれた(電話も車もない時代きっと家族が徒歩か自転車で頼みに行ったのだろう)家あるいは診察の必要があると判断している家で自転車を止め、座敷にあがり、布団に寝ている患者を診察する。必要に応じてカバンから注射器を取り出して注射をする。また、紙を取り出して何か書き、それを持って医院に行って薬をもらってくるようにと家族に言う。そのころには家族の誰かが水もしくはお湯を入れた洗面器と乾いたタオルを医者のわきにおいておく。終わると医者はその洗面器で手を洗い、タオルで拭きながら、患者の病状やこれからの注意事項などを家族に説明し、すぐにまた別の患者の家に行く(たまにお茶を飲んでいくこともあるが)。その後家族の誰かが医者からもらった紙をもって医院に行き、薬を処方してもらって家に持ち帰り、病人に飲ませ、あるいは塗ったり貼ったりする。幼い子どもたちは、こうやって往診にくる医者の白衣を見ると、注射されるのではないかと震え上がり、外に逃げ出したり押し入れに隠れたりする。こんな光景が日常だった。
 突然家族の誰かが夜中に倒れたりする。今のように救急車がない、自動車もない。医者に往診してもらうより他ない。しかし電話がない。家族の誰かがかかりつけの医院に走ることになる。自転車があればもちろんそれで行く。玄関を叩いて寝ている医者に起きてもらい、家に来てもらう。こういう急患による往診も頼んだ。勝手知ったる患者の家、状況はすぐ理解でき、すぐにそれ相応の準備をして駆けつけることになる。
 こうした関係にあることから、医者は患者がどのような家に住み、どのような家族関係にあり、どのような暮らしをしているのか等々すべてわかっていた。また家族全員がほとんどの病気で医者のところに来るものだから、家族全員の健康状況も把握していた。そうなると、医者は患部だけではなく、患者を人間全体を診ることになり、適切な診断、治療(当時の医療技術の限界はあったが)ができることになる。
 これが当時は普通だった。私などは医者と患者の関係と言うのはそういうものだと思っていた。

 もう今はそんなことがなくなった。60年代後半ころからではなかったろうか、医院の看板に内科、小児科、外科、肛門科、整形外科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科等々、さまざまな診療科の名前がつくようになった。そして内科に子どもを連れて行くと、うちは小児科ではないからと断わられるようになり、往診をする医者の姿などは見なくなり、土日や夜間に急病になれば新聞を見て休日担当医院を探して車でそこに行くか、119番をして救急病院に連れて行ってもらうしかなくなった。
 このように専門化すること、これは専門的な最先端の治療を受けることができるという点でいいことかもしれない。しかし本当にそれだけでいいのだろうか。
 もちろんだからといって昔がよかったなどというつもりはもちろんない。あまりにも幅広い病気を対象とするものだから十分な勉強ができず、技術を磨くこともできず、病気を発見できなかったり、悪化させてしまう場合もあったし、藪医者もいたからである。しかしもう少し考え直すべきではなかろうか。
 最近総合診療科なるものができ、あまりにも専門化、細分化しすぎた現代医療の欠陥をなくそうとする動きも出ているようだが、ぜひ医療の体制全体を考え直してもらいたいものだ。

 医者に行って診察を受けると、医者はまず症状をいろいろと聞き、それから胸と背中に聴診器を当てて心音を聞き、患部と思われるところを触診する。熱が高ければ検温し、血圧が問題ならそれを測る。怪我の場合には直接その場所を診察する。それから診断の結果を述べ、これからの治療方針について説明し、必要によっては注射をし、手当をし、薬を処方する。患者は後いつ来ればいいかを聞き、薬をもらって帰る。病気の種類、内容にもよるが、診察はまあこんなものだったと私は記憶している。
 ところが今医者に行くとまず検査だ。診察の前に体温、血圧を測らされる。単なる怪我でもそうだ。何かと言うと、血液検査、心電図、レントゲン撮影だ。ともかく検査が多い。胃腸がおかしくて行くと、何日か後に胃カメラ、大腸カメラで検査するから飯を食わないで来いと言われる。これはいいことかもしれない。正確な診断を助けるものだからだ。

 昔はそんなことをしたくともできなかった。たとえばレントゲン、かつては大きな病院にしかなかった。しかも撮影した後3、4日してようやく写真ができてくるので、患者はその結果を聞きにもう一度診察を受けに行かなければならなかった。
 胃カメラ、これは1950年代に開発されたのだが、最初のころは大学病院の実験用としてしかなかった。
 私が学生のとき大学病院に入院したら、早速その実験材料として使われた。ある日、新しくできたガストルカメラ(これは聞き間違いでガストロカメラだった)というもので胃がよくなったかどうかを見てみると言われ、地下の小さな実験室に連れて行かれ、実験台の上に寝かされた。喉の奥に何か薬を塗られた。医者が長い管のついた大きなカメラらしきものを持っている。蛇腹状をしたその管は直径2㌢くらいあったのではなかろうか、太くて固く、曲がりにくそうである。それを胃のなかに入れるようだが、こんなものは当然のことながら喉からなかなか入らない。それで医者が2人で私の頭だけを実験台の外に出して押し下げ、つまり口と喉と食道と胃ができるかぎりまっすぐになるようにし、そこに管を押し込む。当然すさまじく苦しい、痛い、吐き気がする。何しろ固くて太いからなかなか入らないのである。その苦しさでどうしても私の身体が動く。そうするとますますうまく挿入できない。それで、私が暴れないようにと4人の医者が私の両手両足を実験台にぎっちりと押さえつける。そして2人の医者がよいしょよいしょと声をかけながら喉に管を押し込む。なかなか入らない。何度もやり直す。やっと固い異物が食道の中を入っていく。冷や汗が出る、抑えようとしてもうめき声が出てしまう。まさに拷問だった。おかげさまでその後3日間、飯も食えず、病室のベッドで寝ていた。後でその結果のカラー写真を見せてもらったが、直径2㌢くらいの丸い写真、胃の一部がピンクに写っていた。実はこの胃の中の写真が私の生まれて初めてのカラー写真だった(註3)。
 大腸カメラ、これは別の病気で入院したとき、治ったかどうかを見てみるからと退院前に入れられた。今のカメラとはまったく違い、アルミ製の管でL字状をしており、片方を肛門から挿入し、もう片方の端からつまり上から医者が中を覗きながら写真を撮るのである(この形状からすると、もしかして直腸だけを写すカメラだったのかもしれない)。これもすさまじく痛かった、苦しかった。当たり前である、あんな太い固い金属管を入れるのだから。それから4日間お尻の穴は固くつぼまったまま、便はまったく出なかった。4、5日して医者は治っていたと教えにきたのは覚えているが、写真を見たかどうかは覚えていない。
 そのときから胃カメラ、大腸カメラは完全に拒否反応、医者からやるように言われても絶対にしなかった。でも、昔とまるっきり違う、今は本当に楽だと説得され、80年代に入ってではなかろうか、やってみることにした。何と楽なこと、その昔とは天地の差だった。最近はもっと楽になっている。

 明日カメラを飲むなどという友人たちによくいう、私が実験材料になったから楽に飲めるようになったのだ、私に感謝しろと。
 当時私たち学生が大学病院にかかるとほとんどお金はとられなかった。その代償なのだろう、知らないうちに実験材料にさせられた。それ以外にも新薬等々さまざまな実験に使われた。今こんなことをしたら大問題だろうが。
 網走にいるとき、ある病院の治験(治療の臨床試験)委員会の一員になってくれと頼まれた。いうまでもなく私は医学の素人、それで断ったら、そういう人が委員会にいないとだめなのだ、ぜひ引き受けてくれと言う。やむを得ずお引き受けしたのだが、委員会に出て驚いた。安全性、効果等々かなり厳しい審査をするのである。治験患者にはきちんと説明して了解を得なければならない。これが当然なのだが、世の中よくなったものだ。やはり治験は必要、実際に病気にかかっている人に有効かどうかを試さなければならないのだが、それが単なる人体実験になってはならない。こうしたことから厳しく審査をし、その了承を得なければやってはならないということになっているのである。だけどその昔はそんな制度がなかった。だからもしかしたら犠牲者も出たかもしれない。
 そんな時代も経過しながらだが、医療の技術は大きく進展した。

 たとえばレントゲン、今はどんな小さな医院にもある。しかも即座にその画像をパソコンで見ることができるようになった。胃カメラ、大腸カメラも内科にはそろっている。
 大病院にはCTスキャンをはじめ高度の医療機器がそろっている。最近流行りの医療ドラマなどをテレビで見るともう驚くばかり、その進歩はすごいものだ。医療現場から離れて何十年にもなる家内などはいつも感嘆して見ている。
 おかげでかなり的確に迅速に診断ができ、治療ができるようになった。
 ただ心配なのは、検査機器にのみたよって診断をしたりしていないかだ。ろくに患者の話を聞こうともせず、検査結果はこうでした、だから心配はありませんというだけで終わったりしていないか。本当に患者の話を聞いて診断し、治療方針を考えているのか。人間を診ないで検査機器の結果を見て診察したと考えてしまっていないか。
 最近はパソコンにカルテや検査結果がすべて記録されるようになったが、そのパソコンの画面だけを見て患者の顔も見ないで診察していないか。
 とくに若い医者などにそんな傾向が見えるような気がし、不安になる。

 私の友人AH君は皮膚科の医師である。高校、大学とずっと仲が良く、その後も家族ぐるみの付き合いをしてきたのだが、10年以上も前のこと、あるとき幼い孫の皮膚病を治してもらうために彼の医院に行った。孫の順番になり、私が孫をだっこして診察室に入った。彼の前に座って症状を説明しても彼は私に気が付かない。孫の患部の足ばかりを見て、私の顔もカルテの名前も見ないからだ。私は黙っていた。診察が終わり、私たちが立ち上がろうとしたとき、ようやく彼は私に気が付いた。飛び上がるほどびっくりしていた。
 その何日か後にいっしょに飲んだ時に私は彼に言った。
 「お前は患部ばかりを見て患者を診ていない、話を聞こうともしない、それで本当の医療ができるのか」
 彼の医院は評判がよく、患者はいつも満杯、そんなことで忙しくてそうなってしまったのかもしれないし、たいした病気でなかったからかもしれないし、たまたまだっただけなのかもしれないのだが、彼は何の反論もしなかった。たとえたまたまだったとしても、やはり自分に問題があると思ったのだろう。

 テレビドラマに『Dr.コトー診療所』(註4)というのがあった。原作は漫画らしいが、医師は全人格的に患者と向き合っていた。またどんな病気でも診察した。何か昔の医者を見ているようだった。そしてよく治した。治せない場合には、施設の整っている大病院と連絡し、協力して治療する。本当にそんなことができるのか、まさにあれはドラマの世界、そう考えてしまうが、やはり現実であって欲しい。

 もう一つ気になることは、薬を馬に食わせるほど(古いたとえだが)大量に処方する医者、来院すると必ず点滴をする医者、痛院するたびに繰り返し同じ検査をする医者がいることだ。本当にそこまでする必要があるのだろうか。
 あらゆる症状に対応するためにはまた不足したりしないようにするには毎回多種多様の検査をし、薬を出し、点滴する方がいいのだという医師もいる。
 また、そうした方が患者は喜ぶという。薬をたくさんもらえば、点滴してもらえば何となく安心、あの医者はいい医者だと評判になる。
 そんなことで過剰診療をするのだろうが、本当にそれでいいのだろうか。たとえ患者が喜んでもやはりだめなものはだめなのではないだろうか。
 たくさん薬を投与すれば収入が増える、検査をたくさんすれば高額な機器の償却を速められる、そんなことから過剰診療をやっていないだろうか。そして医療費を増やしてはいないだろうか。

 また『Dr.コトー診療所』の話に戻るが、ああいう診療所や医院が農山漁村の各地にたくさんあればいいと思う。また地域の中心地に施設が整い多様な先進的な治療ができる中核的な病院もなければ困る。農山漁村に住む場合、とくに幼児がいたり高齢者だったりすると、一番心配なのは医療施設があるかどうかだからだ。
 ところが、どんどんそれがなくなつている。赤字と医師不足がその原因だそうだが、大都市に行かないと高度の医療を受けられない、それどころか簡単な医療も受けられない、まさに戦前に逆戻りしつつある。
 他方で大都市には医院が乱立といえるほどたくさんあり、大病院もある。
 人口が多いのだからそれは当然のことかもしれない。しかし、人口の少ない地域に病院がなくていいのか。赤字だからと撤退していいのか。そうした地域に住む人々は医療を受ける権利はないのか。これではますます過疎過密を激しくさせ、第一次産業を中心とする地場産業を衰退させることになる。
 医療問題は生存権の問題であると同時に、過疎過密問題、環境問題、国土の適正な人口配置、国土の適正な利用にかかわる問題でもあるのである。

 さまざまな医療ドラマが放映される。大学病院や大病院、医師のもつ問題点、現在の医療技術と医療体制をめぐる諸問題の指摘、さらには最新の診療法や手術の紹介等々、非常におもしろい。それでときどき見るのだが、そのなかで大都市の大病院に勤務する医師が地方に転勤させられると左遷ということで落ち込む場面が出てくる。喜んでそういうところに行こうする医師が出てくるドラマは本当に少ない。これは現実の反映だろう。しかし本当にそれでいいのか考えてもらいたいし、都市部と農山漁村部との医療格差の是正を政策的に考えてもらいたい。『Dr.コトー診療所』の人気もそうした国民の願いからも来ているのではなかろうか。

 医学は大きく進歩した。それに上下水道の整備をはじめとする社会基盤の整備、国民の栄養水準の向上、国民皆保険をはじめとする社会保障制度の拡充もあった。そういうさまざまな社会の進歩から乳幼児死亡率も減り、子どものころ私たちを悩ませた病気もなくなり、かつての死の病もそうでなくなってきた。そして長寿社会と言われるまでになった。子どものころ考えられなかったことが実現している。これは本当に喜ばしい。
 しかし、公害病等の新たな病いが発生したり、新たに発見されたり、所得や地域による医療格差が再び拡大したり、高齢化にともなう医療問題が新たに起きたり等々、解決していかなければならない問題が山積している。医学をはじめとする学問の一層の発展を図り、大門未知子(註5)のように「私、失敗しないので」といえる医師を増やしていくと同時に、良心的な診療をすると赤字になるなどという状況をなくし、政治経済の面でも医療体制、社会保障体制等々の面でも改善に取り組んでいく必要があろう。ところが近年の政治経済はそれと逆行する方向に行こうとしている(註6)。何とかそれを変えていく必要があるのではなかろうか。
 医療問題の素人なのにこんなことを言っていいのかどうか疑問になるし、誤りもあると思うが、まあこれも年寄りの繰り言ということで聞くだけ聞いてだけおいてもらえれば幸いである。

(註)
1.産婦人科、眼科、外科などを看板に掲げている専門医院も山形市内にあったが、今のように専門とする診療科の名前を掲げている医院はきわめて少なく、多くは看板に医院としか書いていなかった。
2.11年1月19日掲載・本稿第一部「☆霜焼け、鼻水、医者」(3段落)参照
3.下記掲載記事で私が初めてカラー写真を撮ってもらったのは1959年と書いたが、それは私の外面、実はこのように57年に身体の内面の一部を撮っていた、したがって正確にはそれが初めてということになる。
  14年1月6日掲載・本稿第六部「☆戦前から戦後の写真事情」(5段落)
4.『Dr.コトー診療所』 フジテレビ系列ドラマ 2003・06年 (原作:山田貴敏 小学館)
5.『Doctor-X 外科医・大門未知子』 テレビ朝日系列ドラマ 2012・13年
6.最近の医療をめぐる諸問題については本稿下記掲載記事でも触れている。
  12年9月21日掲載・本稿第四部「☆内外の富裕層のための医療の推進と農山漁村」
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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