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なくなった火の見やぐら



                続・今は昔、思いつくまま(18)

                 ☆なくなった火の見やぐら

 私の小学生のころの晩秋、何時だったか忘れたが夕方暗くなってから、近所の小学生が私の生家の近くの四つ角に集まってくる。私も拍子木(ひようしぎ)を持って家から外に出る。大体みんなが集まったころ、列をつくってぞろそろと歩き始める。そして声を合わせて叫ぶ。
 「火の用心 火の用心
  マッチ一本 火事のもと
  たばこの吸い殻 気を付けましょう
  カッチ カッチ」
 最後のカッチカッチは拍子木を打ち鳴らす音である。拍子木が家にある子は持ってこいと言われており、持ってきた2、3人が拍子木(2本の堅くて細長い四角の木の棒、相撲の呼び出しが打っているので見ておられると思うが)についている紐を首にかけてぶら下げ、両手で2本の棒を持って叩き鳴らすのである。
 約1週間(だったと思う)、こうやって大声で叫びながら町内を一周するのだが、学校の指示でやったのか、町内会で決めたことなのかよくわからない。こんなことをして防火にどれだけ役に立ったかもわからない。晩秋は火事の起こりやすい季節、それを各家庭に再認識させる意味はあったかもしれないが、ともかく毎年やっていた。
 今と違って街灯などほとんどないころ、誰かが持ってくる提灯1個と家々からちょっぴり漏れる灯をあてにして歩く。大人は誰もおらず子どもだけ、ちょっぴり怖いが、みんないっしょだからそれほどでもなく、夜遊びなどほとんどしない私たちにとってはスリルがあり、帰りには「屁の用心」などと言ってみんなで笑い合ったり、けっこう楽しかった。「火の用心」も子どもにとっては一つの遊びだったのかもしれない。
 戦後(だったと思う)はなくなってしまったが、この子どもの火の用心は私の生家の地域だけでなく全国的になされたようである。「地震、雷、火事、親父」、とくに怖いものとしてかつて言われたものだったが、木造住宅がほとんどで消火設備も整っていなかった当時は本当に火事は怖いものだった。

 はしかにかかり、高熱を発して寝ていた1943(昭18)年、私が小学2年の夏のある日、そのお昼過ぎのことである。どこかのお寺の鐘の音が突然鳴り響き始めた。すぐ近くに聞こえる。ゴーンゴーンゴーン、まったく間をおかない、すさまじく早い。何か異常事態を感じさせる。外に出た祖母が「火事だ、煙があがっている、あの鐘は光禅寺の鐘だ」と誰かに言っているのが聞こえる。私も布団から出て寝巻のまま外に出て見た。東の空に高く大きな黒い煙が勢いよくあがっていくのが熱でうるんでいる目に映る。あの方角はたしかに光禅寺、やはりそこの鐘にまちがいない。気分が悪くて立っていられなくてすぐに寝床に戻った。近所の人が「養徳園が燃えている」と言っているのが外から聞こえてくる。光善寺の向かいにある少年院だ。生家から直線距離にして200㍍くらい、その裏手には生家の畑があるところだ。
 その後どうなったか覚えていない。サイレンや半鐘の音が鳴ったかどうかも覚えていない。畑にいた両親や祖父がどうしたか、とくに消防団員だった父がいつものように家に走って戻ってきて消防団(註1)の帽子と法被を身に着けて現場に駆けつけたのか、まったく記憶にない。熱にうなされながらまた眠ってしまったからだろう。でもあの鐘の音と青空に舞い上がった黒い煙、そして自分の身体具合の悪さ、これだけは今でも忘れられない。

 火事のような緊急事態を、危険を知らせる場合、今のように電話が普及しているわけではなく、防災情報伝達体系が整備されているわけでもないので、誰でも気が付いたものが何か遠くまで響く音を出して知らせるしかなかった。
 それがこの場合は光禅寺の鐘だった。お寺の住職が自分の判断で鐘をついたのだろう。
 一般的には火の見やぐらの半鐘を鳴らして知らせた。「火の見櫓(やぐら)」、大小形状さまざまだが、どこの町や村(集落)にもその昔は必ずあったものだった。もっとも一般的だったのは、高さ数㍍の2本の黒い太い木の柱に細い木を横に組み合わせてつくったはしご(註2)で、そのてっぺんに半鐘が吊るしてあり、半鐘を保護するためだろう、その上に小さな屋根がついていた。なお、このやぐらの隣りに小さな小屋があり、そのなかに手押し消防ポンプ車が入っているところもあった。
 火の見やぐらは、町もしくは集落の中心部の道端に建てられていたが、鎮守様などの敷地・門前に建てられている場合もかなりあった。道路や鎮守様は国や自治体もしくは集落の公共のもの、火の見やぐらもまさに公共物、それでこうなったのだろう。なお、公共物とはいってもこれは市町村などが建てたものではなく、地域の人たちが寄付などを集めて自主的につくったものらしい。
 この火の見やぐらには普段は誰もいないが、どこかで火事のようだとなると、近くに住む人(普通は消防団員)がそこに登り、まず火事がどの辺で発生しているかを見、それを野良に出ている人や家に中にいる人に半鐘で知らせ、消防団員(いつもは農林漁業や商工業など家業に従事している若い男性)に召集をかける。
 当時の家屋は大半が平屋たまに二階家があるだけ、後は田畑、だから火の見やぐらからはかなり遠くまで見渡せた。半鐘の音も相当遠くまで聞こえる。今のように騒音がないのでなおのことだ。
集落内の火事であれば、半鐘は乱打である。それを聞いた人たちは消防団員を中心に地域の大人全員で手押しポンプ消防車を使うなどして消火、延焼防止に当たり、また年寄り子どもは避難する。やがて消防自動車がサイレンを鳴らしながら来る。もう一安心、消防団員はその消火の手伝いをする。
 近くの集落の火事である場合、遠くでも大火であるような場合、ジャンジャンジャン、ジャンジャンジャンと三つ続けて少し間を置きまた三つを繰り返す鳴らし方をする。そして飛び火などに警戒するように集落内の人に知らせると同時に消防団員に召集をかけ、近くの集落や町であれば、また大火になりそうであれば火災現場にかけつけて消火を手伝う。必要に応じて手押しポンプ消防車を4~5人で引っ張って行って消火に当たる。
 さらに遠くでの火事だと判断した場合、ジャン、ジャンと間をおいてゆっくりと鳴らす。これは警戒の警報、遠くで火災が発生しているぞ、気を付けようと知らせる(註3)。
 なお、この火の見やぐらの半鐘は火災の発生を知らせるだけではない、洪水や津波等々の緊急の警報を流す役割も果たしている。また戦時中には警戒警報、空襲警報を知らせる役割も果たした。そういうときにはそういうときの半鐘の鳴らし方があり、住民はそれを聞いて身の処し方を考えた。
 火の見やぐらそして半鐘は今でいうと集落の、町の防災無線情報だった。

 今、手押しポンプ消防車と言ったが、この原理や姿形を説明するのは私にはきわめて難しいし、正式名称を何というのかもわからない。私なりにいうと「水鉄砲の原理を利用し、腕の力で水を押し出して消火する器具を載せた、人力で動かす木製の小さな車」となるが、ネットで検索してその写真を見てもらいたい。今のように消防自動車のない時代、その性能の劣っていた時代、とくに初期消火などには役に立ったのではなかろうか。
 実際にそれが出動しているのを見たのは、山形で大火のあったときだった。周辺の集落から消防団員数人が前を引っ張りまた後ろを押してワッショイワッショイと声をかけながらガラガラと道路を走って、何台か駆けつけてくれた。いうまでもなく、手押しポンプだからそんなに威力はない。また走って来るのだから、時間的に間に合わない場合もある。子どもたちは今頃来たって遅いとかあれでは消せるわけがないなどと悪口を言い合って見ていたものだが、内心は役に立とうと何であろうと駆けつけてくれるその気持ちにみんな感謝していた。あのころは消防自動車は本当に少なく、市役所の近くにある消防署に3~4台(だったと思う)あるだけ、能力も低く、スピードはおそく、道路は未整備、消火は本当に大変なものだったからである。

 火の見やぐらに登って見たかった。
 しかし、当然のことながら、子どもには登れないようになっていた。でも、もし家の近くにあったなら、何らかの方法で登ってみただろうと思う。ところが残念ながら、私の生家のある町には火の見やぐらがなかった。だから半鐘を鳴らしている人の姿は見たことがない。火事の時に遠くから鳴り響く音を聞くだけ、今述べた半鐘の鳴らし方等については父から聞いたものだった。
 なぜ生家のある町になかったのかなのかわからない。でもそれで十分だった。生家から2㌔弱のところにある山形市役所・県庁(旧)の近くの消防署の望楼が火の見やぐら以上の役割をはたしてくれたからである。
 私の子どものころ、大きな町には消防署があり、そこには必ず消防自動車の車庫と望楼があった。望楼は鉄骨を組み立てて作られた鉄塔で、高さ十数㍍(ではなかったろうか)、そのてっぺんに見張り台があり、消防士が一人いつも見回りをしていた。火事を発見し、下にいる消防自動車にその場所を知らせて出動させるためである。そして望楼は必要に応じサイレンを鳴らして火災の発生を知らせた。戦時中このサイレンは空襲警報を遠くまで知らせるうえで大きな役割をはたした(戦争末期には米軍機が来襲してからサイレンや半鐘が鳴るなど、あまり役に立たなくなってはいたが)。
 旧山形市の場合、高い建物といえば県庁、市役所、市立済生館病院、私の小学校ともう一つの小学校の三階建てだけ、神社やお寺の高い木々もあるが、望楼からは立ち上る煙がよく見え、夜は火が見えたはずであり、電話等のない時代には大きな役割を果たしたといえるだろう。
 ただ、雨の日も風の日も、吹雪の日も、外で、しかもあの高いところで、24時間見回りをしている(もちろん交替はあるだろうが)消防士さんは本当に大変だったろうと思う。

 1980年ころではなかったろうか。冬の夕方暗くなり始めたころ、一杯やろうと数人の仲間と仙台の細横丁(といっても昔と違って道路は広く、今は晩翠通りと呼ばれている)を歩いていた時、道路の向こう側にある木造の建物から煙が立ち上っていた。立ち止まって見たら、どうも火事のようである、ちょうどそこはタバコ屋さんの前、そこのおかみさんに知らせ、119番してもらった。すぐに消防車が来て消火にあたったが、そこは空き家でだれか人が入り込み、前から危険だと言われていたところらしい。
 このように、火災は電話で知らせる時代になった。昔なら半鐘のところに走ってもらい、その音で知らせるか、消防署の望楼で発見してもらうのを待つかしかなかったのだろうが、初期消火で延焼もなしに鎮火したようだった。
 そのころからではなかったろうか、火の見やぐらが少しずつ消えて行った。望楼も見られなくなってきた。

 望楼や火の見やぐらで火災を発見するような時代ではなくなった。
 ほとんどの家庭に電話が普及し、公衆電話があちこちにでき、火事になったら119番、この言葉が大人はもちろん子どもにも普及し、この119番通報で消防自動車が出動できるようになったからである。最近では携帯でも知らせることができるようになり、いつでもどこでも119番がかけられるようになった。
 また火の見やぐらや望楼で発見しようにも発見できなくなってしまった。かつては集落や町の中でもっとも高い建物は火の見やぐらだった。中小都市でもっとも高い建物は消防署の望楼だった。しかし、高度経済成長時代以降都市部に高層の建物が立ち並ぶようになり、それにじゃまされて火災が発見できなくなったのである。
 農村部の火の見やぐらについていえば、そこに登って火災状況を見たり、半鐘を鳴らせるような若者がむらにいなくなった。消防団員になる若者もいない。村外に流出したか稼ぎに出ていっているかだからである。しかし、それでは火災等何か災害が起きたときに情報が入らず、被害を大きくする場合がある。
 それを補ったのが、消防自動車や自治体広報車の整備拡充、防災無線放送の整備である。今回の大震災時の津波のさいの避難にこれが大きな役割を果たしたのは記憶に新しい。
 時代は変わった。だから火の見やぐらが消えるのはやむを得ない、というより必然かもしれない。
 火の見やぐらの維持管理も容易ではないし、使う人も地域にいなくなっているとなればなおのことだ。しかしこの人がいなくなっていることが問題だ。防災無線や電話だけではどうしようもないこともあるからだ。こんな話を聞いたことがある、農山漁村では全焼が多くなっていると。日中むらのなかにいる人が少ないので火災に気付く人が少なく、通報が遅れる、消火に当たる人も少ないからだそうだ。
 やっぱり基本は人なのだ。たくさん人がいて、地域のシンボルとして、地域の防災の中心として活躍したかつての守り神として火の見やぐらを維持していく、いざとなったときは利用もする、こんなことが考えられないだろうか。

 ふと見上げると、夕焼けに染まる空に火の見やぐらのはしごが黒く突き立ち、そのさらに上高くカラスが2、3羽飛んで行く、ねぐらに帰るのだろうかまっしぐらである。それを見て自分も何か急にさびしくなり、家が恋しくなって足を速める。そこはどこだったろうか。
 この高く透き通った夕焼け空と子どもの頃の自分がなつかしい。

(註)
1.下記掲載記事でも述べたが、当時(戦時中)は警防団と呼ばれていた。
  13年9月23日掲載・本稿第六部「☆戦争と子どもたち」(4段落)
2.たいていの火の見やぐらは、腐らないように木の表面を黒く焦がしてあるかタールが塗ってあったので、黒い色をしていた。当時の木製の電信柱も同じだった。
3.夜の火事と半鐘については下記掲載記事で述べている。
  11年1月14日掲載・本稿第一部「☆暗くて静かで怖かった夜」(2段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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