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忠君愛国から忠米愛国へ


                  この国はいずこへ(2)

                ☆忠君愛国から忠米愛国へ

 「忠君愛国」、私の子どもの頃、この言葉を学校で毎日毎日教え込まれ、ラジオや新聞で何度も何度も見聞きさせられた。あれからもう70年、若い人などにはなじみのない古い言葉になってしまったが、この「忠君愛国」は国民道徳として国民すべてに強要されたものだった。私たち国民は天皇を中心とする国家のために存在するものであり、したがって身を滅ぼしてもすべて自己を犠牲にして天皇=君に、そして国家に奉仕しなければならないと子どものころから徹底して叩き込まれたのである(註1)。そしてこの「忠君愛国」の名のもとに国民の基本的人権はないがしろにされ、最終的には日本は侵略戦争を引き起こし、日本人はもちろんのこと世界の多くの人々に大きな被害を与えた。
  この誤りを正すべく、戦後日本は主権在民、基本的人権の尊重、平和主義を基軸とする新しい憲法を制定した。そして、国民は国家のためにあるものではない、その逆に国家が国民のためにあるものであるとした。私たちはこの憲法をもとに荒廃した日本を立て直し、戦争で他国に被害を与えることなく、豊かと言われるまでの日本をつくりあげてきた。
 ところが、政界のなかには、こうした憲法の考え方は誤りであり、それは日本人に愛国心を失わせ、日本の存立を危うくするものだと主張するものがいる。そして愛国心を強調し、その象徴として君が代を歌うことを権力で持って強要してきた。君が代を歌うことで国に対する忠誠心を示せというわけである。
 そして最近政権をとった政治家たちはこれから「国と郷土を愛する心を育てる教育」をするのだという。
 前にも述べたが、「国と郷土を愛する心」、これは自然発生的に生まれるものであり、この心自体は大切なものである。しかしそれを愛国心として強要するのは誤りでもある(註2)。
 そもそも、愛国心を強要する政治家こそ、子どもたちに教育する前に、改めて愛国心教育を受けなければならないのではなかろうか。本当に愛国心をもっているかどうかわからないからだ。
 もしも本当に郷土を愛するならアメリカや多国籍企業の日本に対するさまざまな要求に対して毅然とした対応をするはずである。最近問題になっていることでいえば、TPPなどに参加しないはずである。
 ところが政財界はアメリカ主導のTPPを受け入れ、農林水産業を衰退させ、郷土を崩壊させようとしている。また、食の安全に対する規制をアメリカ並みにせよ、アメリカの資本が日本で自由に活動できるようにこれまでの規制を撤廃し、つまり関税自主権を放棄し、法的規制をアメリカ並みにせよ、農協や郵便局、国民健康保険等々アメリカの資本の活動をじゃまするものはなくせ等の要求を政府は毅然として拒否するなどということもしない。
 すでに「かんぽ」問題ではアメリカの要求に屈した。ご存じのことと思うが、これはこういうことだ。郵政グループのかんぽ生命保険ががん保険を新しく始めようとした。もしもそれをやられたら、つまり全国に張り巡らされた郵便局を利用してがん保険などをやられたらアメリカの保険業界は入り込めなくなる可能性がある。そこでアメリカはこれは自由競争を妨げるものだ、やめろと騒ぎ始めた。そしてやめなければTPPに参加することを認めないという。そしたら何と、日本政府はかんぽが新しい保険をやることは認可しないときたもんだ。アメリカの保険業界の要求に屈服したのである。それどころか、かんぽのつまり郵便局のネットワークを利用してアメリカの一巨大企業(アフラック)の保険を扱うことを認めた。日本の郵便局をアメリカの一生命保険会社の傘下に入れさせたのである。これはアメリカによる日本の保険支配への大きな前進だった。これを許した日本の政治家、はたして愛国心を持っているのだろうか。
 もしも本当に国民のことを考えるならば、愛国心があるならば毅然としてアメリカの要求に屈しない態度を表明すべきではなかろうか。そして国と郷土をまもるべきなのではなかろうか。

 小学校から英語教育をさせると政府はいう。愛国心あふれる人たちがよその国の言葉を覚えるように子どものころから強要する、どうしてそうなるのだろうか。
 読み書きそろばんの基礎をしっかりと身につけなければならないときに、なぜその時間を削ってアメリカ語の読み書きを頭に叩き込もうとするのだろうか。
 「美しい国日本」という政治家は日本語を美しいとは思わないのだろうか。この美しい言葉をきちんと子どもたちに教育することこそ、誇りを持てるようにすることこそ必要なのではなかろうか。また郷土に古くから伝わってきた言葉(いわゆる方言)が消えてなくなりつつあるが、こうした多様な豊富な言葉に誇りを持ち、それを残し伝えていくことこそ必要なのではないだろうか。
 もちろん私は外国語の教育が不必要だなどと言うつもりは毛頭ない。前にも述べたように必要不可欠である(註3)。しかし小学校から英語を教える、そこまでする必要があるのだろうか、そんなことで愛国心が育つのだろうか。大学では英語で講義させる(自国の言葉で学問を語れない大学にする)とも言っているが、これで日本の学問が本当に発展するのだろうか。

 子どもたちより何より大企業の経営者にこそ「国と郷土を愛する」教育をやる必要があるのではなかろうか。
 法人税を引き下げるなど企業を優遇しなければ、原発をつくって電力料金を安くしなければ、非正規労働者を増やすなどして賃金を切り下げなければ、国内から資本を引き揚げ、外国に工場を移転するぞなどと国民を脅す大企業、自分のもうけのためには国は国民はどうなってもいいなどという大企業にこそ愛国心を説くべきなのだ。
 ところが何も言おうとしない。それどころか、優遇するから国内にいてくれとお願いさえする。何かおかしくはないか。

 「美しい国へ」と現政権はいう。
 それならなぜTPPで美しい日本の田畑林野を荒廃させようとするのだろうか。
 また、美しい沖縄の海、辺野古の海を破壊して米軍基地をつくろうとして、どうして美しい国を目指していると言えるのかも疑問になる。普天間の危険性をなくすためというが、そもそもあの基地は米軍が銃剣を突き付けて住民から奪った土地であり、無条件で返還させるべきものなのである。しかもその基地はいまだに治外法権のもとに支配されており、日本の土地が実質占領されている。さらに首都東京のど真ん中に米軍基地=治外法権の土地がある。それでも何も感じない。あれだけ強調する愛国心はいったいどこへ行っているのか。
 わが物顔に飛び回るオスプレイをはじめとする米軍機、伊方原発の上を飛び回る米軍機、これに対する地元住民の抗議の声に対して政府は米軍に抗議するどころかまともに対応しようとしない。単に米軍にお伝えします、どうなっているかおうかがいしてきますだけで終わり、これが愛国心を強調する日本の政府なのだろうか。
 アメリカに対してだけは、日本の国益が侵されても何にも言わない、刃向わない。明治憲法の第三条に「天皇は神聖にして冒すべからず」とあったが、今は「アメリカは神聖にして冒すべからず」であり、何かアメリカに問題があっても日本は頭を下げてただひたすらお願いするだけ、それどころか国民の安全を犠牲にしてもアメリカに奉仕する。そして政治経済軍事あらゆる面でアメリカ化を進めようとしている。こんないまの政府に愛国心を説く資格があるのだろうか。

 そういうと、中国の海洋侵略、北朝鮮の脅威、韓国などに対抗するためにはアメリカの力を借りなければだめだ、アメリカと仲良くしてこそ、基地を提供し、日米同盟を強化してこそ国を守れるのだと、近隣諸国に対する人種差別、危機感を煽りながら、政治家はいう。
 つまり、日本はアメリカの威を借りる必要があるというのである。「虎の威を借(か)る狐」、「アメリカの威を借(か)る日本」で行こうというわけだ。
 そのためにはアメリカに忠誠を示さなければならない。君主に対して忠節であること、真心を尽くして仕えることを「忠君」というが、アメリカに対して自己を国益を犠牲にしても忠節を尽くし、奉仕しなければならない。つまり「忠米」である必要がある。こうしていま日本はかつての「忠君愛国」から「忠米愛国」(「忠米売国」?)に変わっている、こんな風にも考えられる(註4)。
 そしてアメリカの後ろをしっぽを振りながらついていき、あるときはお先棒をかついで (ときどき後ろを振り返り、ボクこっちの方向でまちがってないよねと確認しながら)、ボクはオトモダチなんだとアメリカに認めてもらい、他国にそれを誇示しようとする。歴代首相はアメリカの大統領と愛称で呼び合う仲になった、オトモダチ(目下のだが)にしてもらえたと喜ぶ。何とまあみっともないことだろう。
 もっとアメリカと親しくなるために、もっと認めてもらうために、アメリカといっしょに戦争をしたい、そのために戦争ができる国に(当面は集団的自衛権なるものを行使できるように)したい、そしてアメリカの応援を得てアジアの盟主となり、戦前の日本のような威信を取り戻したい。そう現政権は思っているのだろうが、いくらオトモダチでもプラグマティズム(実利主義)のアメリカ、自分の利益になる場合しか日本を応援しない。いくら忠誠を尽くしても、日本の利益のためにたとえば尖閣のために中国とことを起こすなどということは考えない。
 こんな国の威を借りるなら、世界世論とりわけ近隣アジア諸国の威を借り、日本が戦争にまきこまれたりしないようにすべきではなかろうか。

 ところがこれまでの政権はそうしようとはしなかった。とくに現在の政権は米国に阿(おもね)りつつ、右に傾きながら戦争のできる国に向けて暴走している。この 阿米(あべ)右傾暴走政権、あまりにも危なくてアジア諸国の反発はもちろんアメリカでさえとまどっている始末、やがて国際的に孤立し、戦前のようにその孤立を理由にさらに愛国心をかきたてて軍事力を強化し、憲法を変えて戦争を引き起こす、歴史は二度繰り返す、こんなことにならないだろうか。

 二度と戦争はしない、戦後の日本人のほとんどはそう考えた。しかし今日本は日本が引き起こした戦争の体験のない世代により担われている。若者のなかには日本が「米英撃滅」などと言ってアメリカと戦ったことを知らないものもいるそうだ。戦争を知らない世代が圧倒的になりつつある今、あの歴史が忘れ去られつつある。
 そうした状況につけこみ、太平洋戦争は侵略戦争ではなかった、日本は何も悪いことはしなかった、それどころかいいことをしたなどと事実を覆い隠して歴史を捻じ曲げ、さらには靖国参拝の何が悪い、それを批判する隣国こそ問題だなどと自称愛国者は繰り返し繰り返し宣伝する。これはかなり怖い、「ウソも百回つけば本当になる」という言葉が昔からあり、またヒットラーは「小さな嘘はばれるが大きな嘘はばれない」と言ったというが、その言葉通りになってウソを信じ込まされてしまい、とくに戦争体験のない人たちは戦時中のような思考停止になる。そこに人種差別を煽られ、戦争の危機を喧伝される。すると突然熱狂的な愛国者に変身する。こうしたなかで国民は国家のためにあるもの、若者は喜んで国のために尽くすべきものと考えるようになり、現政権のいうような「(戦争のできる)日本を取り戻す」ことができるようになる。そしてふたたび他国に武力を行使する。こんな風になってしまうのではなかろうか。
 こんなことのないようにしてもらいたいものだ。そのためにも現在の憲法はまもってもらいたい。変えるなら私が死んでからにしてもらいたい。人権の抑圧された世の中を、戦争で苦しみ悲しむ日本の子どもたちの姿を、私は二度とふたたび見聞きしたくないからだ。私が死んでからにしてくれ、後はどうでもいいなどと言うのは自分のエゴでしかないのだが、そう言いたくもなる。
 いやな世の中になったものだ。

 しかし、世論調査などを見ると、集団的自衛権の行使、武器輸出三原則の改訂、憲法九条の改廃に反対する意見が大多数、国民の多くは健全である、絶望することはないと若干気持ちは明るくなる。

(註)
1.このことについては下記の掲載記事でも述べているので、参照されたい。
  12年8月20日掲載・本稿第四部「☆宮城遙拝・勅語奉読」
2.11年2月16日掲載・本稿第一部「☆愛国心と報道」参照
3.12年3月28日掲載・本稿第三部「☆自国に誇りをもたない風潮」参照
4.憲法を変えて天皇を元首にしようとしていることからすると「忠君」も忘れていないようだ。忠君でもって戦前のような愛国心を復活しつつ、忠米に励んでいくということなのだろうか。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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