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子どもの遊び(2)

  

      ☆豊富だった遊びの材料

 先ほど述べたような儀式なしでの、じゃんけん(キッキノキと私たちは言った)だけで鬼を決める普通の鬼ごっこもする。当然かくれんぼもする。始まる前にどこからどこまでと隠れる範囲の約束をするが、隠れ場所は近所すべてが対象である。家の中以外、誰の屋敷であろうとも入り込んでかくれる。
 よその家の軒先や庭は遊び場だ。赤ん坊を寝かしつけているなど特別の場合以外は、いくらうるさくして遊んでいても怒られない。
 道路はもちろん子どもの遊び場である。近くの国道以外、車がまつたく通らないから子どもたちの天国だ。さっき述べたおごんつぁんやべっきどんの遊びはもちろん道路でやる。また道路の土に棒で大きく線を引いて石蹴り(ケンケンパー)をする。二本の電信柱を陣地にしての陣取りもある。道路いっぱいにひろがって馬乗り、ゴム飛び、縄跳び、花いちもんめ、一列に並んでの手ぬぐい外しなどをする。むしろを敷いてままごとや弁当開きもする。通行人や牛馬車が通るとき以外は道路は子どもたちのものだ。
 神社や寺の境内もそうなのだが、うるさくすると和尚に怒られたり、自分たち以外の地域の子どもたちとの縄張りの接点だったりして、完全に自由に使えないのが不便だった。

 おもちゃなどほとんどない。もちろん、当時の流行りだったブリキのおもちゃがなかったわけではない。また私は三輪車を、妹はお腹を押すとママアと声を出す大きな人形などを買ってもらっていた。農村といっても町場にあるために都市部と同じようなおもちゃがあったのである。しかしそれらは高価で、当然数は少ない。近くの子どもたちで持っているものも少ない。
 となると、みんなで雑草など身の回りの自然のものを遊びの材料とする以外なかった。
 たとえば、べっきぐさ(オオバコ)の長くて丈夫な穂茎を採って、二人でそれをからませて引っ張りあい、さきに切れた方が負けとなるすもうとりという遊びをする。成長したナズナの茎先に白い花が咲き扁平で倒三角形の果実がつくが、それを二本とってこすりあわせて音を出させて遊ぶ。三味線のような音がするとして子どもたちはそれをペンペン草と呼ぶ。スズメノテッポウで草笛をつくる。よその家の畑にあるホオズキの実を採ってきて中の種をとり、皮を口に入れ、それに空気の出し入れをしてキュッキュツと音を出して遊ぶ。
 木から落ちた柿の花、ツツジの花を拾い、その花の下の方に空いている穴にわらを通してたくさんつなぎ、首飾りをつくる。だんごっぱな(シロツメクサの花=私たちの地域の言葉でいうとミツパの花)を下の長い茎も含めて何十本も採り、それを編んで冠や首飾りをつくる。ヤエムグラの茎と葉が衣服にくっつくのを利用して、それを勲章と称して服に付ける。誰かの後ろにこっそり忍び寄って首にねこじゃらし(エノコログサ)の穂をこすりつけてくすぐり、毛虫だと驚かす。
 桜の木についている茶色のヤニや松ヤニを見つけるとそれを人差し指と親指の先っちょにつける。それを何回かくっつけては離し、離してはくっつけているとヤニが両指の間で白い細い糸を何本もひくようになる。その糸がどれだけたくさん出るかを友だちや兄弟と競争する。
 小麦の脱穀のときには、脱穀機から出てくる小麦を手に一握りとって口に入れる。当然すごく固い。しかしがんばって噛んでいると口の中で潰され、やがてねばねばしてくる。それをチューインガムと称してふくらませて遊ぶ。
 タケノコの季節には、むいた皮をもらってそれを三角に折り、そのなかに梅干しとシソの葉を入れてすすったり、最後に井戸水を注ぎ込んでピンク色に染まった酸っぱい水を飲んだりする。

 竹と言えば、竹馬、竹とんぼ、竹製の水鉄砲がある。
 また、杉鉄砲もある。細い竹の穴に杉の実を入れ、その穴と同じ大きさ・太さの竹ひごを穴に入れてもう一つの杉の実を思いっきり押し、二つの杉の実の間の空気の圧力を利用して撃つのである。それから、新聞紙などをくちゃくちゃ噛んでつくった紙玉を竹の穴に詰め、同じく空気の圧力で撃つ紙鉄砲でも遊んだ。この紙鉄砲に使う竹は杉鉄砲より少し太く、長い。
 紙鉄砲の弾となるのは新聞紙だから何とかなるが、杉鉄砲の弾となると手に入れるのが大変だった。子どもたちみんなが杉の実を採るので、すぐなくなってしまうからである。だから今でも実がたくさんなっている杉の木を見ると採りたくなってしまう。そんなことを言うと杉花粉症の人から怒られるかもしれないが。

 どうしてか、私は花粉症ではない。あれだけ杉の実で遊んでいたにもかかわらずである。それでふと思い出したことがある。
 私の勤めていた東北大学の植物育種学研究室はアブラナ科の育種の研究で世界的に有名であり、春になると教職員から学生まで菜の花の交配に精を出していた。ある品種の花粉をピンセットで採り、それを別の品種の花のめしべに付けて交配するのだが、当然それで花粉症になる人が出てくる。ところが、何年も交配をしているのに花粉症にならない人がいる。めしべに付け終わった後にピンセットに残った花粉をきれいに取り除いて次の交配をしなければならないが、そのさいピンセットを口に入れ、なめてきれいにする人がならないのだそうだ。
 これを敷衍すれば、うまく撃てるようにと杉の実をなめて穴に詰めていたから私は花粉症にならないということになろう。花粉まみれの杉の実を口に含み、新聞紙を噛むという野生的な遊びが今になって身をまもってくれているのだろうか。

 セミ・トンボ・チョウチョ・バッタ・ホタルとり、セミの幼虫の穴探し、子どもたちはみんな捕まえるのが好きだった。狩猟生活をした原始社会の先祖の血がこうさせるのだろうか。
 ともかく何でもおもちゃにして遊んだ。水や泥はもちろんのこと遊びの材料である。棒きれをもっての戦争ごっこ、チャンバラごっこは、時代を反映してしょっちゅうだった。
 五寸釘一本も遊び道具となった。釘をみんなでかわるがわる投げて土に刺し、自分の刺したところを線で結び、自分の線で相手の線の進路を閉じたら勝ちとなる釘刺しなどという遊びもあった。
 缶詰の空き缶も利用して遊んだ。二個の空き缶の底に釘などで穴を空け、そこに一㍍くらいの荒縄を通してつなぎ、その缶の上に,足の前半分をのせ,下駄のようにはいて歩く。音が馬の足音と似ているものだから、馬になった気分でパカパカと歩くのだ。もちろん空き缶を利用してかくれんぼをする缶蹴りもやった。
 秋から春にかけて小屋にうず高く積んである脱穀した稲ワラの山に穴をあけたり、自分たちで組み直したりして、隠れ家だとか秘密の陣地だとかをつくる。スリルがあるのだが、ワラの山を崩してしまったりするのと危険であることから大人に怒られる。

 危険と言えば、塀の上を綱渡りのように歩き、屋根に登り、木登りをしたりもした。ナイフやカミソリでいろんなものを切って何かをつくっても遊んだ。
 ときどきは自分たちのいつも遊んでいる縄張り以外の場所にみんなで遊びに行く。思いついて急に行くときもあれば、前の日から決めておいて出かけるときもある。とくに遠くに行くときはかなり前に決める。親の許可を得なければならないからだ。たとえば四~五㌔も離れた水源地に行ってみようとおにぎりをつくってもらって近所の小学校三年から就学前の子どもまで十何人かでぞろぞろ歩いて行ったことがあるが、親は止めもしなかった。
 今考えると、よくあんな怖い遊びをやったものだ、子どもだけで出かけたものだと思うこともある。孫などにはとってもさせられない。でも当時の子どもたちは平気だった。それが当たり前だった。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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