Entries

「子孫に美田を残さず」の国へ



                  この国はいずこへ(4)

                ☆「子孫に美田を残さず」の国へ

 「子孫に美田を残さず」、老子が言ったというこの言葉は非常に有名である(註1)。「児孫の為に美田を買わず」という西郷隆盛の言葉もあるが、これも同じ意味の言葉である。これは、言うまでもないことだが、財産を残すと子孫はそれに依存して働かなくなり、かえって子孫によくない、だから子孫のためにあえて財産を残さないようにすべきだという教えである。私もそういうものだろうと思ってきた。
 しかし、私たちの先祖は子孫のために美田を美林を残そうとした。田畑を肥やし、草一本も生えないように耕す等毎日のように管理して子孫に引き渡し、山には木を植え、下刈り、枝打ち、間伐をする等の管理をして美林にし、何百年後の子孫のために残そうとしてきた。まさに「子孫のために美田を残す」を家訓としてきたのである。
 これは老子や西郷の言うことと矛盾しているように見える。
 しかし、私は矛盾しているとは考えない。「美田」の意味が違うだけだと思っている。
 老子・西郷の言う「美田」は金儲けの手段としての財産のことであり、農林家の残そうとしてきた「美田」「美林」は生産と生活の手段としての財産を意味するものなのである。
 いうまでもなく老子は、黙っていてもお金が入ってくるような財産を下手に残すと子孫はそれにたよってろくに働きもせず、ろくな人間にならない、したがって財産としての美田を買い、残すようなことはするなということを言ったものであり、これはこれで正しい。
 一方農林家は、子孫のために、自分が恐らく顔を合わせることのないだろう100年後200年後の子孫も含めて、その生産と生活の基盤としての田畑を林野を残そうとした。それを受け継いだものもまた田畑を肥やし、整備して、林野に植林をし、育林をしてきた。それを何代も何代も積み重ねてきた。そしてそれが子孫に生産と生活の基盤を与え、日本の農林業を、農山村を支えると同時に、美田を美林を、そして美しい水と川、海を、まさに「美しい国」をつくってきたのである。したがって、「子孫のために美田を残す」ということも正しいと言うことになる。

 美田、美林で彩られたかつての農山漁村、日本の故郷は美しかった。家々のたたずまいは貧しかったけれども。
 アニメ映画『おもひでぽろぽろ』(註2)に出てくる山形市高瀬地区の傾斜に沿って曲がりくねった細い道路沿いに点在する家々と棚田、段々畑、同じく『となりのトトロ』(註3)に出てくる狭山台地の里山と広がる畑などはその美しさをなつかしく思い出させてくれる。
 その昔、この故郷から出ていかざるを得ない人たちがいた。次三男だから、娘だから、口減らしのために外に出ざるを得なかった。さらに1980年代以降になると、長男まで故郷を捨てざるを得なくなった。農林業では食えなくなってきたからである。もちろん大都会にあこがれてあるいは自分の能力を別のところで発揮するために自らの意思で出ていく人もいた。
 東北の場合はその大半が東京・首都圏への流出だった。
 それぞれの事情を抱えて都会に出てきたこうした人たちはみんなみんな昔の思いを故郷への思いを引きずりながら生きてきた。
 その表れの一つが住まいだった。一般に東北出身者は東北線沿いなど東京の東北の方向に住まいをかまえ、甲信越出身の人たちは中央線沿いなど西の方角に、西日本の人は東海道線沿い等の南西方向の地に家を借り、あるいは建てるのである(註4)。故郷への距離がそれほど近くなるわけではないのにである。それでも一歩でも二歩でも故郷に近いところに住みたかったのだろう。
 また、盆正月には子どもを故郷に連れて帰り、故郷の温かさ、美しさを家族に味あわせようとした。自分はもちろん故郷を身近に感じたかった。
 そして、『故郷』(註5)の3番の歌詞のように、できればいつか故郷に帰りたいと考える人もいた。
  「志を はたして
   いつの日にか 帰らん
   山は青き 故郷
   水は清き 故郷」
 しかし故郷はあまりにも変わってしまった。故郷にいるのは高齢者ばかり、子どもの声はほとんど聞こえない。戸数も大きく減っている。社会生活がいとなめる地域ではなくなりつつある。全山松の緑で覆われてきれいだった山は下刈り等の人手が入らないために松が疎らになるなど、山の景観も変わってきた。かつての田畑のなかには草ぼうぼうになっているところもある。山や田畑の管理の不行き届きから小崩落が起きるなどして水の流れも変わっている。
 そうなるのは当然のことである。美田、美林は生産と生活の基盤とならなくなってきたからである。子孫のために美田、美林を残そうとしても何にもならない。たとえ残しても子どもたちは引き継ごうとしない。赤字になるだけだからだ。それで美田、美林にする人がいなくなり、故郷は荒れ果て、やがては帰るに帰れないところになってしまうのである。

 最近のこと、ふとつけたあるテレビ局の番組で昔の歌手の録画を放映していた。たまたま鶴田浩二が登場し、古い歌を歌いはじめた。私は彼があまり好きではないのでチャンネルを他に回そうと思った、そのときである、前奏をバックにして語る次のようなせりふが耳に入ってきた。
  「生まれた土地は 荒れ放題
   今の世の中 右も左も
   真っ暗闇じゃござんせんか」
 えっ、と思った。これは今のことではないか。
 でもこの歌の生まれたのはたしか1970年代である。考えてみれば、ちょうどそのころから中四国の山村などの土地が少しずつ荒れ果てて来ていた。またすさまじい公害で荒れ果てつつある土地が川が海があった。その後公害による荒廃は少しずつ回復してきた。しかし、農山村の荒廃はとどまるところを知らなかった。子孫のために美田を美林を残そうと思っても残してもらう若者たち、子孫は村からいなくなり、やがて親たちは高齢化し、田畑の耕作ができなくなり、林野の管理もできなくなった。そして耕作は放棄され、林野は放置され、荒れるより他なくなった。そして今、2010年代、全国の農山漁村の土地は「荒れ放題」になりつつある。
 しかも最近の世の中、「筋の通らぬことばかり」、70年代の比ではない。この『傷だらけの人生』(註6)という歌の作詞者は今を予言していたのではないかとさえ思える。まさにその詞の言うとおり、
  「何から何まで 真っ暗闇よ
   筋の通らぬことばかり」
 こんな世の中である。
 その典型が現政権の進めようとしているTPP、アベノミクス、憲法改悪だ。こんな「筋の通らぬこと」がやられれば、一方では巨額の金を儲けて子孫に残せるほんの一握りの金持ち階層が政治経済をもっと強く支配して自分たちのつまり「金持ちの子孫のために美田(財産)を残す」ことがこれまで以上にできるようになり、格差はさらに広がり、最終的には戦争のできる国、する国になっていく。
 他方では、美田や美林がさらになくなっていく。今政治経済の中枢を握っている人たちは「一般庶民の子孫のために美田を残さず」の精神で行こうともしているからだ。これで「美しい国」などできるのだろうか。本当にそんなことでいいのだろうか。

 大企業に農林漁業をまかせ、大規模経営をいとなめばいいのだ、そうすれば美田、美林、美しい海は維持できると財界やマスコミはいう。
 しかし、企業はもうからないところには投資をしない。したがってたとえば山間傾斜地の農地などで農業などするわけはない。100年後200年後のことを考えて植林をし、育林をしていくなどということは考えない。彼らにまかせたら中山間地のほとんどは荒廃するだけだ。
 平坦部も同様、もうからないとなれば簡単に耕作放棄、管理放棄、さらには農外転用する。
 農家はもうからなくともがんばり、何とかこれまで農業を維持してきたが、資本には農業や農村をまもるなどと言う意識はとくにない。もうからなくなれば簡単に農業から資本を引き揚げ、他の部門に投下する。あるいはもうけの出る外国に経営を移転し、そこで農業をやり、日本に輸出することになる。他の部門ではいわゆる海外移転ですでにそうしており、農業でもそうしようというわけだ(註7)。財界やマスコミの一部はそれを煽る、「外国の土地を買え」、そして農業をやり、日本の食料を確保しろ、そのためにも自由に貿易ができるTPPをやれと。
 このように農外資本に農業をやらせたらますます農地が荒れるだけ、農山村は家々の灯もなくなり、まさに「真っ暗闇」になってしまう。

 企業が農地を手に入れることを可能にするということは日本の美田を外国籍の企業が買って低賃金の外国人労働力を雇って稲作をいとなみ、そこで生産した米を外国に高く売ることができるようにすることでもある。すると日本人は、日本などの企業が外国で生産して輸入した安い米を買って食べざるを得なくなる。こんな変な世の中になるのではなかろうか(註8)。

 戦後東京に出てきた人たちが新しく作った家庭のなかには三世代目、四世代目を迎えているものがいる。この子たちにとっての故郷は東京、大都会になってしまった。祖父母などの故郷などはもう実感として感じないところとなりつつある。美田、美林などについてはもちろん農林漁業、農山漁村に、さらには食にすら無関心となりつつある(註9)。こうした状況を利用して、政財界は農林漁業切り捨てを進めてきたしこれからも進めようとしている。これが怖い。

 国としては「子孫に美田を残さず」、金持ちは「子孫に美田を残す」、今世の中はこう進みつつある。でもこれはやはり逆であるべきなのではなかろうか。国は子孫に美田、美林を残し、日本の故郷を残してやるべきなのではなかろうか。何とかしたいものだ。

(註)
1.老子は「賢人は財を蓄えず」と言ったらしいのだが、私は「美田を残さず」を老子の言葉だとずっと記憶してきた。そう考えている人も多いようである。どこで誰から覚えたのかわからないが、ここでは私のこの誤った記憶にしたがって話を進めさせてもらうことにした。
2.製作:スタジオジブリ 原作:岡本螢・刀根夕子 監督:高畑勲 1991年
3.製作:スタジオジブリ 原作・監督:宮崎駿 1988年
4.もちろんこれは私の経験則、私見であって統計をとって確かめたわけではない。また勤務先、家賃・地価等々で影響されるので必ずしもそうできるわけではないので、当てはまらない場合も当然ある。
5.尋常小学唱歌 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一 1914年
6.歌:鶴田浩二 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正 1970年
7.12年2月24日掲載・本稿第三部「☆法人化と企業精神なるものの勧め」(1段落)参照
8.12年9月19日掲載・本稿第四部「☆TPPとアジアの富裕層のための農業の勧め」参照
9.11年10月19日掲載・本稿第三部「☆食と農の断絶」参照
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR