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鮭談義―買い物雑感―



                 続・わびしい日々是好日(2)

                  ☆鮭談義―買い物雑感―

 秋、生協ストアの生鮮食品の売り場に行くと、鮭の刺身がたくさん並んでいる。またイクラも売っている。鮭の大産地である網走ではもちろんそうだったし、三陸に近い仙台でもそうだ。生の鮭をそのまま刺身にして食べる、イクラを食べる、こんなことはかつて想像もできなかった。
 買い物をしながらそんなことをふと考えているうち、いろんなことが脳裏に浮かんでくる。

 私のような戦前しかも内陸部で生まれた子どもたちにとって鮭と言えば塩引き(塩鮭)と筋子だった。
 もちろん缶詰にして食べることも知っていた。敗戦直後の秋、鮭の缶詰の配給があったからである。陸軍の山形連隊の倉庫に兵隊の食糧として備蓄されていたものが軍隊の解散で不要になったので、一般庶民に放出、配給されることになったのである。他にも魚の缶詰が配給されたのだが、鮭しか覚えていない。一番うまかったからだろう。それもけっこうな量が配給されたので、贅沢に食べた記憶がある。しかし、なかには自分の家ではあまり食べず、それを物々交換の材料にして米などそれ以外の必需品を手に入れていた家もかなりあった。そうでなくともどの家でもあっという間になくなった。一度だけの配給でしかなかったからである。鮭缶を食べたのはこのときぐらい、だから私たちにとってはやはり鮭は塩蔵物だった。
 前にも述べたように、戦前は塩引き、筋子はまさに庶民の食べ物、きわめて安価だった(註1)。ところが戦中戦後はなかなか手に入らず、貴重品となった。わが家の低賃金では高価な筋子は買って食べるなどできなかった。
 それでも山形の生家では筋子を食べることができた。毎年正月になると、函館の親戚が塩辛といっしょにたっぷり送ってくれたからである。60年代、まだ幼かった息子は筋子が大好き、山形に行ってそれを喜んで食べ、お土産にもらってくるのを楽しみにしていた。もちろん仙台の近所の魚屋さんでも筋子は売っている。でも高価なので食べたいけど買ってもらえない、がまんしなければならないことを息子は知っている。それで家内といっしょに買い物に行くと息子は店先に並ぶ筋子を見ながら言ったという、「いいもんねえ、山形で食べるものねえ」、そうやって買ってもらいたい気持ちを抑える。事情を知っている魚屋のおかみさんが笑って言う、「そうそう、筋子は山形でとれるんだものねえ、山形でいっぱい食べなさい」と。

 70年代に入ったころからではなかったろうか、塩鮭はこれまでよりはかなり安くなり、一般庶民も食べられるようになり、新巻を一本まんまお歳暮などで贈り贈られる時代になった。新巻、初めて食べるものだったが、とれたてのような塩分の少ない瑞々しい上品な食感、高級品と言う感じがしたものだった。今店で売っている鮭はほとんどそうした新巻風、前にも述べたように昔の塩引きがなつかしいのだが(註2)。
 このように生に近い塩鮭を食べることができるようになったが、それでもそのころはまだ鮭は生で食べられるなどとは想像もしていなかった。

 1969年、札幌に調査に行ったときのことである。札幌で勤めていた研究室の先輩に連れられて郷土料理を食べさせる店に入った。さすが北海道、初めて食べるおいしい料理がたくさん出た。
 なかでも驚いたのが、凍らせた生の鮭の刺身が出てきたことだった。生鮭を刺身にする、しかもそれを凍らせているのである。舌の上で冷たくとろける凍った鮭の舌触り、脂ののった味、生まれて初めてのことに何とも言葉が出なかった。これはルイベというアイヌ民族の食べ物で、雪の降り始めるころに遡上してくる鮭を捕まえて雪に埋めて冷凍保存し、その凍ったままの鮭を切ってあるいはあぶって塩で食べたものだと先輩はいう。さらに説明を続ける、こうして冷凍して冬の保存食とすると同時に寄生虫を殺すのだ、まさにアイヌの人たちの知恵なのだと。
 なるほど、この寄生虫問題で鮭を生で刺身で食べるという食習慣がなかったのか、こういうものはやはり北海道でしか食べられないもの、高級料理なのだと納得し、札幌に行けば必ずその郷土料理店に行って食べたものだった。

 もう一つ、そのころ食べたもので印象に残っているのはイクラである。粒が大きく、色がきれい、まるで宝石のようだった。鮭の卵=筋子とその姿形のあまりの違い、名前もロシア語、当然これは筋子をつくる鮭とは違った種類の鮭の卵なのだろうと最初考えたほどだった。
 いうまでもなく、私たちのいう筋子とは卵巣に入ったままの卵の塩蔵加工品、イクラはその生の筋子を粒状にバラバラにほぐしたものでしかなかったのだが、それにしてもこういうようにして食べられるとはまったく知らなかった。
 ただし、それは私が内陸生まれのせい、鮭の産地では昔からイクラ状にして食べていたようである。たとえば宮城県南の漁村では筋子(卵巣に入ったままの卵)を「腹子(はらし)」と呼んでおり、鮭を醤油で煮た汁で焚いたご飯の上にその煮た鮭の身とイクラ=はらこを載せ、「はらこ飯」という名で食べていた。今はそれが宮城県南の漁村の郷土料理として有名になっている(なお、北海道ではこうした食べ方をしないようであり、家内が網走でつくって友だちにごちそうしたら生まれて初めてと驚いていたと言う)。
 いつごろからだったろうか、イクラが魚屋の店先に並ぶようになった。しかし高価で食べられなかった。ところが時期を問わず安価に出回るようになった。何とそれは人造イクラだった。本物のイクラとそっくり、よくもまあつくったものと感心したものだった。しかし、やがてそれも本物のイクラに置き換えられるようになってきた。

 70年代後半の12月、山形県庄内の余目町(現・庄内町)で講演を依頼されて行ったときのことである。講演が終わった後、旧知の農協の組合長、専務と一献酌み交わして旧交を暖めた。翌朝、始発の列車に乗って帰ろうとしたところ、二人が駅に見送りに来てくれた。そして笑いながら新聞紙にくるんだ何か大きな長いものを私に渡した。「生鮭だ、お土産だから持って行け」、生まれて初めてのこと、驚いて言葉も出なかった。
 家に帰って家内に渡したら、当然のことながら見事な鮭にやはりびっくり、問題はさばき方だ。近所に住む年上の奥さんなら知っているはずとすぐにお願いに行き、家にきてもらって家内といっしょにさばき、また筋子のほぐし方つまりイクラの作り方を教えてもらった。御礼に一部をその奥さんにさしあげて喜ばれたが、ともかく焼いたり煮たり揚げたり贅沢に食べた。もちろん刺身にはしなかったが。

 仙台で鮭の刺身やまともなイクラが料理屋で出され、店先に並び、一般庶民も食べられるようになったのは、1980年代に入ってからではなかったろうか。それは、サケマス類の人工孵化放流技術の進歩と増殖事業の全国的な展開による漁獲量の増加、低温物流体系の確立、外国からの輸入の激増等によるものと考えている(専門家ではないので不正確だが)。

 ところで、今鮭の筋子=卵巣の話をしたが、当然鮭の白子(しらこ)=精巣もあるはずである。雌雄半々(?)だからこれもかなりの量とれるはずである。ところがそれを見たことがない。一体どう処理しているのか何にも疑問に思わずに長年過ごしてきたのだが、網走に来て驚いた、生協ストアの鮮魚の売り場でイクラと並んで白子が売られているではないか。さすが北海道である、しかしどうやって食べるのか、家内と二人疑問に思ったまま過ごしていたころ、大学の同僚のMTさんの奥さんから生鮭が一本届いた。知り合いの漁師さんからたくさんもらったのでおすそ分けだという。家内は前の経験を生かしてさばいたが、何とそれは雄(の肉の方が雌よりもおいしいのだそうだ)、腹から白子が出てきた。さてそれはどうやって食べるのか、かねがね疑問に思っていたことなので、早速家内が奥さんに電話して聞いた。「じっくり弱火で焼いて塩をつけて食べなさい、お酒のつまみとして最高だから」との答え、その通りにやってみた。ちょっと時間がかかるのが難点だったが、たしかにうまかった。
 その後、家内と二人で札幌に用事があって行ったとき、夕食をしに駅前の食堂に入った。メニューを見たら、白子のてんぷらとある。早速注文してみた。白子の真ん中をシソの葉でくるんで揚げたもの、彩りもよし、味もよし、これはいいことを覚えたと網走に帰ってからときどきやるようになった。来客にごちそうするとうまいと喜ばれたものだった。
 しかし、仙台にいるころは白子を売っているのを見たことがなかった。帰ってから見てもどこでも売っていない。やはり大産地の北海道とは違うのだろう。そう思って3、4年過ぎた頃である、生協ストアで売っているのを見つけた。早速買って食べた。なつかしかった。うまかった。しかし、その一度だけ、その後見たことがない。私がたまたま見落としているだけならいいのだが、売れなくてやめてしまったのだろうか。
 東北も鮭の産地である。ぜひ白子の食べ方を普及し(さらに工夫し)、その消費拡大を図ってもらいたいものだ。そして全国で食べるようになってもらいたい。白子のほとんどは産業廃棄物として捨てられているとのこと、本当にもったいないからである。

 秋、鮭の出回るころ、生協ストアで4~5年前から「ちゃんちゃん焼き」用として生鮭の大きな切り身と味噌を売るようになった。驚いた、前にも述べたようにちゃんちゃん焼きは北海道の野外料理(註3)、これを仙台で売るようになったのである。違うのは、網走では鮭が丸々半身で大きいのにこちらはさらにその半身で若干小さいこと、ちゃんちゃん焼き専用の味噌を売っていること(網走では自分の家で味噌の味付けをするので店では売っていない)、ちゃんちゃん焼きのやり方を説明するチラシが棚に貼られていることだけである。北海道出身者しか食べないのではないか、そのうちなくなってしまうのかと心配したが、毎年売り場に出ているということは仙台でも食習慣として定着したのかもしれない。旧道民としてはうれしい次第である。

 旧道民としてもう一つうれしかったのは、仙台の生協ストアで塩鮭の売り場に「時サケ」の表示を見つけたときである。網走に行く前に見たことはなかった。あまり関心がなかったから見落としていたのか、本当になかったのかわからないと家内はいうが。
 といっても「時サケ」とは何かわからない方も多いと思う。私も網走に行ってはじめて知ったものである。塩引きには紅鮭と白鮭、鱒があるということくらいは知識として知ってはいたが、食べるときなどはみんな同じ塩鮭としか認識していなかった。網走に行っていろいろあることを知ったのだが、その一つが時サケ=時知らず=トキシラズだった。その名の「時知らず」の示す通り、普通の鮭の産卵=水揚げ期以外の春から夏にかけて沖取りされる季節外れの鮭、つまり時を知らずに水揚げされる鮭を言うのである。当然未成熟、小ぶりなのだが、だからこそ脂身たっぷり、本当にうまい。
 当然、仙台で見つけたときは喜んで買ってしばらくぶりでおいしく食べたのだが、残念ながらその一度きりだった。これも見落としているだけなのだろうか。
 なお、時知らずのうまさは刺身で食べたらなおのことわかる。しかし仙台では見たことがない(もしかするとデパ地下で売っているのかもしれないが)。
 しかし、この「時知らず」どころではないうまい鮭がある。それはケイジ=鮭児である。

 99年4月、引っ越しで網走に着いた日の夜、家族で小さな料理屋に食事をしに入った。まだ町の中がよくわからないとき、当然初めて入る店である。お酒を頼み、料理は適当に見繕ってと言ったら、小皿にきれいに盛り付けたピンク色の刺身が2枚出てきた。何ともうまい。追加注文したら、そこの親父はあまりいい顔をしない。それでも出してくれたが、これはケイジという魚でめったにないものだという。ちょっと待てよ、その名前は聞いたことがある。思い出した、仙台の行きつけの飲み屋のご主人が、網走に行ったらこれをぜひ食べなさいと教えてくれ、忘れないようにと手帳に書いたことがあった。それで手帳を開いてみた、あった、酔っぱらったときに書いた字だから読みにくかったが、「ケージ、オオカミウオ、トド」と書いてある。そのうちの一つがこれだったのである。それからその小料理屋の親父の講釈が始まった。ケイジとは「鮭児」と書く小ぶりの鮭で、1万匹に対して1~2匹程度しかとれない幻の鮭ともいわれているもの、漁師さんに特別に頼んでおいて分けてもらう貴重な鮭なのだと。それを網走に赴任した最初の日に食べたことになるわけだ。
 それから2か月くらいしてからだろうか、私たち新人教員の歓迎会でいっしょになった同僚のKT君(土壌学の研究者で東北大の後輩にあたる)にこの鮭児の話をしたら、それを寿司で食べさせる店があると二次会である寿司屋に連れて行ってくれた。早速頼んだら、3個の寿司が並んだ皿が出てきた。そして親方は言う、左側から順に食べてくれと。いうままに食べた。まず1個目、うまい、さすが網走である。真ん中の2個目、うっとうなる、最初のと全然違う、その脂の乗り具合、最高である。いよいよ最後の3個、私の貧弱な表現力ではいい表せない、ともかくうまい、絶品である。聞くと最初のは普通の鮭、2個めは時知らず、最後が鮭児だという。この食べる順序を間違えると、普通の鮭などまずいということになってしまうというのである。さもありなん、納得である。
 その後、大事なお客が訪ねてくるとそのお寿司屋さんに連れて行ってごちそうし、喜ばれた。もちろん、学生や院生は連れて行かない。彼らに食べさせるのはもったいない。そんなことから、たとえばこれまで本稿に何度か登場してもらったST君、NK君などは東北大の大学院を出て勤めたばかりの若い教え子だったので、何度か網走に来ているのに、連れて行かなかった。そのうちとは思っていたのだが、ついついごちそうするのを忘れてしまい、今でも申し訳なく思っている。

 もちろん、仙台では鮭児の刺身や寿司は食べられない。時知らずもそうだ。東京の高級料亭のなかに鮭児を出してくれるところがあるそうだが、当然目の玉の飛び出るほどの値段、今度網走に行ったとき食べるしかないのが残念である。なお、網走でも鮭児を出してくれる店はきわめて少ない。やむを得ないのだが、ご承知おき願いたい。

 もう少し「ケージ、オオカミウオ、トド」について述べて見たい。
 鮭児は、ロシアの川で生まれた若い鮭が日本生まれの鮭の群れにまぎれこんで南下し、道東の海岸でいっしょに捕獲されたものだろうと言われている。
 オオカミウオとトドは、さきほど言った店の親父に言わせると、ゲテ物食いの食べるものだ、あんなものは食べるものではないとのことだった。
 後でわかったのだが、オオカミウオは名前以上にきわめて獰猛な顔をしており、食べたいと思うような姿形をしていない。でも、ルイベにして食べるとうまいと農大の同僚NMさんはいう。あるとき大学院生たちがそれを食べさせる店をコンパ会場にし、食べる機会をつくってくれた。うまかった。しかし、ルイベが溶けはじめたら脂がべとべと、食えたものではなかった。
 トドについてはご存じだろうが、結局私は食べる機会に恵まれることなく網走を去った。

 秋になると網走周辺の海岸には鮭釣りの人がたくさん集まる。そして釣り糸を投げ込み、竿を砂浜に突き刺す。一人で10本くらい刺しているのではなかろうか。そして川に向かって回遊してくる鮭がかかるのを待つ。だから海岸には竿がびっしりと突き立つ。これは初めて見た光景だった。
 やがて鮭は群れをなして産卵のために自分の生まれた川を遡上する。これは見事な眺めである。ご存じだろうが、こうして遡上してくる鮭は捕獲してはならない。許されているのは人工孵化放流事業にかかわっている人たちだけである。この捕獲から免れた鮭だけがさらに遠くまで遡上する。何十キロも上っているうちに身体がぼろぼろになった鮭もいる。見ていてかわいそうになる。こんな鮭だから捕まえて食べてもおいしくないそうだ。もちろん産卵した後の鮭などはまずくて食べられない。だから放っておく。それでそうした鮭を「ホッチャレ」と呼ぶのだそうである。なお、子どもを産んだ女性の前でその言葉は使うなと同僚が笑いながら注意してくれた。彼女らが自分で自分を言う場合はもちろんかまわないが。

 こんなことを思い出したり、考えたりしながら買い物をするのは楽しい。金の余裕はなくなったが時間の余裕ができたので、こんな買い物をしている(註4)。また、ゆっくり小説を読んだり、テレビを見たりして過ごすこともできるようになった。そんなことで今を楽しんでいる。
 と言っても、なかなか全面的に楽しめないものだ、いろいろと不満が出てくる、因果なものだ。

(註)
1.11年3月31日掲載・本稿第一部「☆塩魚、干魚から生魚へ」(2段落)参照
2.13年8月19日掲載・本稿第六部「☆塩引き、高血圧、減塩運動」(1~2段落)参照
3.11年10月7日掲載・本稿第三部「☆北海道の食文化」(1段落)参照
4.ここでは鮭のことについて書いたが、それ以外の魚や野菜等についても買い物のさいに思い出したこと、考えたことがいろいろある。できればいつかそれも書いてみたいと思っている。

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コメント

[C58]

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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