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大河ドラマ、朝ドラ、最近のNHK


                   続・わびしい日々是好日(4)

                 ☆大河ドラマ、朝ドラ、最近のNHK

 前回の記事で触れたテレビドラマはすべて民放の番組である。
 しかし、民放のそれ以外の番組はほとんど見ていない。コマーシャルが多過ぎ、長過ぎるからだ。また娯楽番組についていえばふざけ過ぎ・騒ぎ過ぎ・類似番組あり過ぎ、報道番組には三面記事的、週刊誌的、一面的なものあり、そのホストやゲストの庶民を代表したようなしかし的外れのコメントあり等々、見ていられないからだ。
 これに対してNHKは私たち視聴者の払う受信料で成り立っている公共放送である、視聴者のためにまじめに取り組んでいるはずである、政界や広告主など財界に遠慮せずいい番組をつくれるはずである、安心して見聞きしていられるはずである、こんな信頼感からさきほど言った民放のドラマ以外のほとんど、9割くらいはNHKテレビを見てきた。
 しかし、このNHKの番組を最近あまり見たくなくなってきた。

 まずドラマであるが、NHKといえば大河ドラマ、これが以前は楽しみだった。出張が多いとしても、日曜日は比較的家にいる機会が多いので、夜8時からのNHKの大河ドラマ、9時からの民放の東芝日曜劇場(註1)と続けて見るのが楽しみだった。これは「ながら」ではなく真面目に見た。
 しかし、90年代に入ってからではなかったろうか、ほとんど見なくなった。
 あきもせずに源平時代、戦国時代、忠臣蔵、幕末などの戦争や斬り合いを取り上げるからだ。NHKはよほど戦争、斬り合いが好きなようだ。主人公や脇役に戦(いくさ)のない世の中にしたいなどと言わせることもあるが、付けたりにしか見えない。
 主人公は戦国時代の英雄、明治維新の元勲などがほとんどだ。源義経、平清盛、信長、秀吉、家康、徳川の歴代将軍、大石内蔵助、近藤勇、西郷・大久保等々、主人公や脇役として、手を変え品を変え、何回顔を出しただろうか。もう呆れ果ててしまう。NHKはよほど大物が好きらしい。
 数年前に名前のよく知られていなかった『篤姫』の生涯を描いたが、こんなのは珍しい(だから視聴率が高かったのではなかろうか、私もしばらくぶりでまともに見た)。なお、昨年の『八重の桜』、これもあまり知られていない女性の生涯を描く、しかも会津出身というので見ようとした。しかし、この女主人公を子どものころからの鉄砲好きとして戦わせる、それが頭に来て途中で見るのをやめた。「生命を生み出す母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」、日本母親大会のこのスローガンを改めて考えてもらいたいものだ。
 それから、30年前の『獅子の時代』のように無名の下級武士を主人公にしたもの、こういうドラマはほとんどないのが頭にくる。
 また、庶民を主人公にせず、ほとんどが武士というのも気に食わない。私の記憶では30年以上も前の『黄金の日々』で商人が主人公になったことくらいしか思いつかない(明治以降を扱った数少ないドラマは別にして)。NHKはよほど武士が好きらしい。江戸時代、武士は人口のわずか6~7%しかいないのに、大河ドラマの主人公は9割以上が武士となっている、これはおかしいではないか。
 もちろん戦国とか幕末とかの激動の時代にはいろいろなドラマがあり、スリルがあり、みんなになじみのある名前もあり、人間性がさまざまな形で出てくるので、その時代を扱うドラマはつくりやすく、多くならざるを得ないことはよくわかる。また、武士や貴族が政治を押さえ、表部台で活躍してきたし、それにかかわる文献等も多々残っているし、小説も多いので、ドラマ化しやすいこともあろう。
 しかし、歴史を動かす原動力は庶民なのである。そして日本人のほとんどは農工商の一般庶民なのだ。ところがドラマではサムライが日本を動かしてきた、サムライはすばらしいものだと思わせようとする。武士階級が支配階級、搾取階級であった側面、「斬り取り強盗武士の習い」であったこと、身分制度がいかに庶民を苦しめたか、圧倒的多数を占める庶民がいかに苦しめられたか、そうした体制をいかに下から変えてきたかなどはあまり見せない。だから「サムライジャパン」などと言うのはいいことだと思ってしまう。自分もサムライの子孫のように考えてしまう。もちろん、日本の封建制度、階級制度、道徳・文化等が他国に比べていろいろ優れた面があったことはいうまでもなく、それが評価されることはいいことなのだが、なぜ日本人がみんなで自分たちはサムライだなどと考えてしまうのだろうか。そしてそう考えさせるのにNHK大河ドラマが一役買っていないか。
 さらに、大枚の金を使って、毎回毎回同じようなドラマを、ワンパターンを手を変え品を変えして、たとえばろくな演技もできない若いタレントを出演させて若者の関心をひこうとしたりして視聴率をあげようとする。
 そんなことから見なくなったのである。

 見なくなったと言えば朝ドラだ。かつては出勤前に必ず見てからでかけたものだった。しかし、90年代ころからではなかろうか、もうたくさん、朝からいやな思いをすることはない、そう思って見なくなった。
 その一つの理由は、常識的にはあり得ないこと、起こり得ないことを平気で見せることだ。ドラマだからいいではないかと言ってもあまりにも現実と離れていると見る気もしなくなる。演技のオーバーさも気になる。SFとかアチャラカ喜劇ならそれでもちろんかまわない。リアルから外れていてもそういうものだと思っているから、それどころかそうしたことを期待しているからである。しかし日常生活を描くのにそれでは困る。たとえばしょっちゅう主役脇役が旅をする、旅費はどこから出るのか、そんなに金と休日があるのかなどと考えてしまう。フィクションだからそれでいいということにはならない。そんないろいろな不満から、あまり見なくなった。一週間くらい見て、見るに値するかどうかを判断し、だめと思ったら、もう見ないことにしている。家内はそれでも真面目に毎回見ているが。
 なお、最近は割に見ている。『ゲゲゲの女房』、『おひさん』、『カーネーション』、『梅ちゃん先生』と、ともに過去、現実にきちんと向き合っている見応えのあるものが続いたからである。そして例の『あまちゃん』だ。ちょっとハチャメチャだがともかくおもしろく、しかも三陸の観光をはじめとする地域振興、震災からの復興に役に立つ、こんなことで真面目に見た。

 悪口は言ったものの(註2)、NHKのテレビドラマは全体としてていねいにつくってあり、見応えのあるものが多い。ドキュメンタリー、紀行番組、科学番組等もそうである。民放と比較するとそれはよくわかる。こうした番組は比較的真面目に見ている。
 しかし、この2~3年、NHKのテレビを見ていて非常に気になることがある。

 まず、自局の番組の宣伝のうるさくなったことである。何度も何度も番組の予告宣伝をする、もう民放のコマーシャル並みだ。さらに、宣伝しようとするドラマ番組の出演者をトーク番組などに何人もまた何度も出演させる。もううるさいくらいだ。
 もちろん、宣伝は不必要などと言うつもりはない。自分たちのつくったものを見てもらいたい、自分たちの考えを伝えたい、だからPRしたい、これは当たり前のことだし、視聴者の私たちもそれを必要としている。
 また、出演者の素顔を知りたい、番組の裏話を知りたいという気持ちも視聴者にはあるからそれに応えることもあっていい。
 民放テレビ局との競争からしてPRはやむを得ない、これまでに加えてBSデジタルテレビとの競争もある、視聴率を稼ぐためにはやむを得ないという側面もあろう。
 しかしそれにしても多すぎる。こうまで何度も同じ宣伝をするのは手抜き、安上がり、時間稼ぎのためではないか、ドラマの出演者をトーク番組に出演させると出演依頼も簡単、話題も簡単、こんなことからではないかなどと疑ってしまう。

 もう一つ気になるのは、はしゃぎ過ぎ、ふざけ過ぎ、笑い過ぎ、過剰表現が多くなってきたことだ。
 トーク番組などでホスト役のアナウンサーとゲストのタレントが、たいしておかしくもないのに大口を開け、歯をむきだしにしてゲタゲタと笑うようになったことなどはその典型だ。もちろん笑ってならないということではない。微笑みはもちろんいいし、おかしくてどうしてもこらえきれずに笑ってしまうのはいい。しかし、あまりのわざとらしさに嫌味すら感じてしまう。
 朝7時からのニュース、夜6時からのローカルニュース、9時からのニュースなどのなかでもふざけ過ぎが見られる。
 娯楽番組もそうだ。色も派手派手になり、民放の番組と間違うときすらある。
 もちろん、NHKはしゃちこばっていろ、重々しくやれなどというつもりはない。もっと自然体でいろということなのだ。
 視聴者に親しみやすくして視聴率を高めるため、民放に負けないようにするためだというのかもしれないが、これでは視聴者への媚びでしかない。あまりの品のなさ、慎みのなさにしらけてしまう。そんなことで視聴者の希望に応えたことになるのか、視聴率競争で勝てると思っているのか、疑問に思ってしまう。
 しかし、それはまだ許せる、視聴者への媚びは許せる、許せないのは権力への媚びだ。

 最近のNHKのニュース番組は政府の言うこと、財界のいうことを延々と垂れ流すだけ、かつて見られたような中立的立場、批判精神のひとかけらもない、そんな感じを受ける。
 特定秘密保護法のときがその典型例だ。国会内の駆け引きを報道するだけ、法律の問題点や反対運動等はきちんと報道しない。民放や新聞があれだけ批判しているのにほとんどまともに批判の声を報道しない。
 原発反対の官邸周辺のデモ、これも無視していた。そのことに対する指摘がツィッターなどであったからなのか、かなり後になってちょっと見せたが。
 TPPに関して言えば、それが日本の国の形を変えるほどの大きな問題なのだということは報道しない。そしてそれは日本の農業の体質の問題なのだと矮小化し、農産物の輸出に力を入れれば、大企業といっしょにやっていけば、六次産業化を進めれば大丈夫、現にそれでやっていこうとTPPに賛成している農業経営者もいるなどということだけを大きく報道する(圧倒的多数は反対していることは言わない)。そこには批判精神のひとかけらもない。「攻めの農業」、「もうける農業」にしようという政府の政策は内外の大企業が日本の農業に攻め入り、大もうけしようということでしかないのだが、そうした本質には一切迫ろうとしなくなっている。
 その他言えば限りがない。権力への媚びすら感じる、それが非常に怖い。
 つい最近、公共放送の不偏不党などとは縁もゆかりもない、知性、教養、品性に欠けると思われる何人かの安部首相のオトモダチ・オナカマがNHKの経営委員や会長に任じられ、早速問題発言をしたが(註3)、これからNHKはどうなっていくのか、本当に心配である。
 そのうちたとえばこんなことが起きてくるのではなかろうか。さっき述べた大河ドラマ、明治維新以前の武将の話があきられたら、種が尽きたら、乃木、東郷などを中心とした日清・日露戦争の軍人、さらには東條、山本などの第二次大戦中の軍人を主人公にするようになり、歴史を捻じ曲げ、愛国心・排外主義を煽るようになる、ニュースは政府のいうままを放送するようになる。そんなことを考えると空恐ろしくさえなる。

 90年代半ばでなかったかと思う、山形の置賜であるシンポジウムがあり、そこに招かれて行ったときのことである。シンポの始まる前、パネラーとして来ていた横浜の生協の職員の方が携帯にかじりついて何かやりとりをしている。何事かあったのかと聞いてみると、モズクの手配をしているのだという。前日の夜、あるテレビ番組でモズクが健康にいいという報道をしたので一斉に消費者が買いに走ると予想される、それに応えて沖縄からいかに大量に仕入れ、どの店舗のどこにどれだけ配置するかの手配をしていたのである。そのときに初めて沖縄がモズクの生産量全国第一位だということを勉強したのだが、同時にそんなにテレビの影響力があるのかとこわさも改めて認識させられた。
 これは民放テレビの話だが、数年前にある番組で納豆でやせると放送した。翌日納豆はすべて売り切れたと言う。ところがそれはねつ造されたデータをもとにした放送だった。しかし、視聴者はテレビに出たものはすべて真実と思ってしまう。そして一種の集団ヒステリー症状になる、パニック状態におちいる、本当にこわい。このように視聴者が報道をすべて真実と思いこんでしまいがちであるとなれば、報道関係者はますます真実を伝えることの重要性を認識すべきであろう。ところがねつ造すらする、ジャーナリストとして最低なのだが、ねつ造とまではいかなくとも事実の一部しか伝えず、あるいはねじまげて報道しているなどということはないだろうか。ジャーナリストはいつも真摯でなければならないであろう。
 こうしたことについては前にも述べたが(註4)、最近のNHKのニュース番組を見ているとそのことをしみじみ感じる。だからといって、民放のニュース番組はいいなどというつもりはない。NHKがすべてだめなどというつもりもない。原発の特集番組などのなかに、事実の底に、背後にあるもの、本質を明らかにしようとしている姿勢がうかがえるものがある。公共放送としての役割、ジャーナリストとしての良心を持っている人がまだたくさんいるはずである。何とかいい方向にもっていっていただきたい。そして政府・軍部の単なる報道機関となって国民を戦争に駆り立て、内外の人々を戦争の犠牲者にした戦前の報道の二の舞を踏まないようにしてもらいたいものだ。

 戦後すぐのころ、毎週日曜の夜、NHKラジオが『日曜娯楽版』という番組を放送した。聴取者からの投稿も基礎にして放送される世相風刺、政治批判はユーモアたっぷりで非常に面白く、またさまざまなヒット曲を生みだし、視聴率100%の番組と言われたそうだが、中学生だった私も毎週必ず楽しみに聴いたものだった。当然政府の逆鱗に触れ、数年して廃止されてしまったが、今のNHKを見るとあのころが本当になつかしい。

 毎日毎日いやなニュースばかり、新聞やテレビを見たくない、友人がこう言っていたと家内が言うが、私も本当にいや、チャンネルを切り替えたり、新聞を飛ばして読んだりするときすらある。それに報道機関の姿勢が拍車をかけないでもらいたいものだ。
 テレビを見てゆっくり楽しむ、ニュースを見て世の中もいいものだといい気分になる、こんな老後を夢見ていたのだが、そんなことは無理ともうあきらめるより他ないのだろうか。

(註)
1.TBS系列放送、一話完結の一時間ドラマ、02年になくなった。
2.近年のNHKの番組については下記の掲載記事でも述べている。
  12年4月4日掲載・本稿第四部「☆現実からの逃避、そしてあきらめへ」
3.2014年1月27、28日『河北新報』
4.報道のあり方に関しては下記掲載記事でも述べているので参照していただきたい。
  11年2月16日掲載・本稿第一部「☆愛国心と報道―真実と事実―」(3~6段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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