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寝起きの悪さからの更生


                   続・わびしい日々是好日(5)

                   ☆寝起きの悪さからの更生

 高校時代、日曜日はお昼近くまで寝ていたなどとサラリーマン家庭の同級生がよく言う。
 うらやましかった。朝ゆっくり寝ていたかった。
 しかし農家はそういうわけにはいかない。農業の機械化・化学化、家事の省力化の進む以前のこと、大人はすべて朝は薄暗いうちから起きて一働きしてから朝飯、それが終わって一休みしたらまた田畑に出る。土日はない。雨の日や農閑期の冬は少し遅く起きるが、基本は同じである。父だけは冬でも朝まだ暗いうちに肥え汲みに出かけ(註1)、朝食前に帰ってくる、それから家族そろって朝食だった。これが日常だから、家族全員、子どもたちもそのリズムに合わせなければならなかった。ただ、子どもは朝飯前に外に出て手伝わされるのはめったになかった。朝食の前に起きさえすればよかった。しかし、朝食の準備の手伝いや庭掃除などをしなければならない(註2)。こんな状態だから、具合の悪いとき以外、朝寝しているわけにはいかなかった。また、親たちが働いているときに寝ていることに対する申し訳なさもあり、いくら眠くともがんばって起きた。それでもたまに朝寝坊することがある。寝る時間がそれほど遅いわけではない。受験勉強にまともに取り組んだ高3のときでも12時前には必ず寝た。それでも朝は起きられなかった。すると母からたたき起こされた。辛かった。

 大学に入った。家から離れたし、授業をサボっても怒られないので、朝寝ができる。最初は下宿だったのでそんなことはできなかったが、寮に入ったら自由、思いっきり朝寝坊をした。一所懸命働いている親に申し訳ないと思いながら。
 その癖は、勤めてから、結婚してからも続いた。朝はなかなか目が覚めない。眠くて眠くてしかたがなく、朝型・早寝早起きの家内から起こされてもなかなか目を覚まさず、このまま寝せておいてくれ、もう死んでもいいからとすら思い、怒られ怒られしながら起きたものだった。
 それでも起こしてくれと家内に頼んでいた。出張でいないとき以外はどんなことがあっても家族といっしょに朝食をとる、農家だった生家の習慣は一生まもろうと決めていたからだ。
 にもかかわらずなかなか起きられない、目覚めが悪い。むりやり起こされても当然食欲は出ない。何とか飯を詰め込んで学校に行く。9時半ころまで調子が出ない。これは低血圧症のなせる技だ、実際に血圧はかなり低い、つまり病気なのだと言いたいのだが、それは寝つきの悪さからもきている。
 寝つきも目覚めも悪いと言うことは、前にも書いたが(註3)、私は「寝覚めが悪い」男だということになる。
 もちろん、「寝覚めが悪い」はそもそも「眠りから覚めたときの気分がよくない」ことを言い、目覚めのときだけを言うのであり、私の言っていることは正確には「寝起きが悪い」なのだが、私は寝覚めが悪いという言葉を使いたくなる。職場に着いても最初の一時間くらいはなかなか調子が出ず、眠りから覚めた気分にならない代わりに、夜はいつまでも大丈夫だからである。夕ご飯が終わり、風呂に入ってからまた仕事にとりかかり、12時過ぎに布団に入り、新聞を読みながら眠くなるのを待つ。でもなかなか眠れない。たばこの吸い過ぎもあるのだろう。こんなことで実際に寝付くのが一時過ぎ、これでは翌朝なかなか起きられないのが当たり前、まさに夜型なのである。
 ところで、「寝覚めが悪い」という言葉は身体的なことばかりでなく、「過去の行為を思い出し、良心に責めさいなまれる」という精神的な意味でも使われる。私はこの後者にも当てはまる。特に自分が失敗したことについてはいつまでもいじいじと考える。本当にいやな性格だと思うのだが、そのことが研究にとってよかったのではないかとも思う。
 そもそも私はあきっぽい男である。若い頃などは一つのことを30分も続けられなかった。授業もすぐあきた。30分以上続くのは読書(ただし小説)と映画鑑賞くらいだった。だからよく先生や両親・祖父母から怒られたものだった。当然研究だってあきてしまうはずである。しかし何とか続けてきた。寝覚めが悪くてうつらうつらしながら布団の中にずるずるいるように、研究もずるずる続けてきたのだろうか、こんな風にすら考えてしまう。ともかく自分で自分がいやになったものだった。
 しかし、そうでもなかったのではないかとも考えるようになった。それは網走に行ってからのことである。朝早く起きられるようになった。何しろ網走は監獄のあるところ、そこに住んでいたために「更生」したのではないかと冷やかされたこともあるが、その通り、網走で更生したのである。

 突然話は飛ぶが、今から二十数年前、1月中旬に長崎県の雲仙に行ったときである。
 宿に夕方到着し、全国各地から集まった調査メンバーと翌日からの農家調査の打ち合わせをし、調査に出発する時間は朝9時とした。そこで朝食は7時半、それに合わせて7時に起床することにした。翌朝目覚ましが鳴って起きた。ところが室内は真っ暗である。窓を開けて見た。外もまだ暗い。時間を間違えたのかと思って時計を見たらやはり7時過ぎ、おかしいなと思いながらともかく起床して、まだ暗い廊下を歩いて食堂に行った。もうみんな着席していた。食事が終わったころは外も明るくなっていたが、何か狐につままれたような感じだった。ともかく出かける準備を始めたが、そのとき気が付いた、ここは日本の南西に位置するところ、日の出の時間が遅いのだと。そういえば、昨日の夕方は5時半ころまで明るかった、そのときに気が付くべきだった、日本は東西にまた南北に長いのだ、思わず苦笑いしてしまった。そうなのである、真冬の仙台は4時半頃暗くなり、朝の7時にはもう明るい、その感覚でとまどってしまったのである。

 また話は飛ぶ、今度は網走である。網走に着任したばかりの15年前の6月、北見で夕方からシンポジウムがあり、車で同僚といっしょに出掛けた。約1時間くらいかかる。シンポジウムが終わり、9時ころから懇親会が始まった。午前2時近くまで大いに飲み、酒を飲んでいない大学院生に運転してもらって帰路についた。真っ暗な中走ってもうすぐ網走となったころである、何と向こうの山の上の空が赤い。夕焼けである。さっきは真っ暗だったはずなのに。夢を見ているのだろうか。酔いすぎか。そう言ったらみんなが笑う、「先生、あれは朝焼けですよ、あっちは東ですよ」。時計を見ると2時半、こんな時間に朝焼けなのである。

  網走の繁華街で懇親会が午後6時から始まり、2時間ぐらい飲んで二次会に行こうとみんなで店の外に出る。まだ明るい。時間をまちがったのかと思うが、まちがっていない。そうなのである、日没は7時、その後9時近くまで白夜のように薄明るいのである。
 かわりに冬の日暮れは早い。12月、午後3時を過ぎると薄暗くなってくる。4時には真っ暗だ。それでも朝の7時には明るくなる。

 網走に来て2ヶ月くらい過ぎたころ、たしか6月初めだったと思う、朝、枕元に高くなった日の光が窓の障子を通して射し込む。まぶしい。もうこんな時間かと慌てて飛び起きる。枕元の時計を見ると午前4時である。まだこんな時間かと驚き、もう一度布団に入ろうとするが、もう眠れない。陽の光は真昼の感じだからだ。結局起きてしまう。
 これが毎朝続いた。網走の夏の朝はともかく早い。そのおかげであれほどの朝寝坊が早起きになってしまった。そしてその癖が冬も続き、晩くとも7時にはきちんと起きられるようになった(二日酔いのときは別にして)。
 きわめて健全になったわけだが、それにはもう一つ、たばこをやめたことも理由になるだろう。朝読み残した新聞を読んでいるうちに眠くなり、努力しないでも眠れるようになった。いつまでも眠れないということがなくなったのである。

 仙台に帰ってきてからもその癖がぬけない。
 昼寝の癖がついたこともその一因となっているようだ。しようと思って始めたわけではない。昼食をとった後ごろっと横になり、テレビを見たり、新聞を読んだりしているうちに眠くなり、10分か20分うつらうつらするようになった。健康記事などを見るとその程度の昼寝は夜早く眠れるようにするらしい。それ以上の時間昼寝をすると眠れなくするそうだが。
 夜に仕事をしなくなったこともあろう。神経を興奮させたり、いらいらしたりしないことが寝つきをよくさせ、早起きをさせているのだろう。

 こうして私は夜型から朝型になり、寝起きはよくなり(本来の意味での寝覚めはまだよくないようだが)、、ついでにいえばヘビースモーカーからも脱却し(註3)、今はきわめて健全な生活を送っている。なぜもっと早くからこうした生活ができなかったのか、後悔してももう遅い。
 いずれにせよ、このように「更生」したのは網走のおかげ、7年でしかも刑務所に入らなくともできた、網走には感謝してもしきれない。
 しかし、更生しきれなかったことも多々ある。物忘れなどはその典型だ。

(註)
1.10年12月11日掲載・本稿第一部「☆足踏み脱穀機止まりの機械化」(5段落)、
  11年5月16日掲載・本稿第二部「☆稲作発展の影にあったもの」(5段落)参照
2.10年12月13日掲載・本稿第一部「☆家事の手伝い」(3段落)、
  13年8月12日掲載・本稿第六部「☆冬と野菜」(2段落)参照
3.12年1月13日掲載・本稿第三部「☆たばこをやめた話」参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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