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忘れ物、落し物、探し物の不安



                    続・わびしい日々是好日(6)

                  ☆忘れ物、落し物、探し物の不安

 小学校の頃のこと、朝ごはんの最中、宿題を忘れていたことを突然思い出す。胸がずきんとする。頭がカッと熱くなる。あわててご飯を終わらせ、宿題にとりかかる。学校に遅れそうだ。友だちが迎えに来るが、先に行っているように言い、鉛筆を走らせる。泣きたくなる。忘れたのが悪いと母から怒られながら、何とかやり終え、ランドセルに宿題を突っ込んで家を飛び出す。間に合いそうだ。と思ったら、物差しを忘れたことを思い出し、また家に走って戻る。
 こんな朝を子どもの頃何回繰り返しただろうか。私は本当に忘れん坊だった。

 この忘れ物がもっとも激しかったのは小学2~3年のときだった。宿題だけではない、教科書、ノート、物差し、三角定規、父兄会費等々、学校に持っていかなければならないもののいずれかをほとんど毎日のように忘れた。よかったのは、家が学校のすぐ前だったこと、休憩時間に家に走って取りに戻った。といっても、休憩時間の前に気がつけばいいが、授業が始まってから思い出したらもう遅い、先生に何回怒られたことやら。そして家庭に注意事項として学校から伝えられるので、当然家族からも怒られた。
 おかしなものである、なぜか私の子どもも孫も、小学2~3年になると、忘れ物が激しくなった。私は怒るに怒れなかった。自分もそうだったからである。 私と同じ時期に同じように忘れ物が多くなる、子どもというものはそういう時期に忘れ物が多くなるのだろうか。でもそうではなさそうだ。私のような忘れんぼの友だちはそういなかったからである。忘れんぼは私の本性、やっぱり遺伝なのかもしれない、子どもと孫には申し訳ないと頭を下げる以外にない。
 でもおかしなことがある。4年になったらあれだけひどかった忘れ物がほとんどなくなったのである。 私の子どもも孫も同じだった、4年になったら少なくなった。これもやはり遺伝かと思った。
 しかし忘れ物が少なくなったことについてはどうも違うようである。私の場合は、戦争末期の混乱のなかで宿題を出すような余裕が学校になくなったこと、物不足がはげしくなる中で忘れるべきものが少なくなったことが忘れ物を少なくした原因のようである。戦後すぐも教科書すらない時代だったから忘れるものが少なかった。
 落し物についても同じだ。やっぱり落し物が4年生頃から少なくなった。注意力がしっかりしてきたわけではない。学用品など落とすものがなくなったのだ。
 帽子などはその典型だ。何回も落としたり、忘れたりした。気をつければいいのだが、他のことを考えていたり遊んだりしていると、失念してしまう。しかもなくなったのを長い時間気が付かない。まさに注意力散漫、これには本当に困ったものだった。それでも、後で気が付いて拾いに行ったり取りに行ったり何とかなくさないできた。しかしとうとうなくしてしまった。もの不足の時代、祖母から怒られたが、どこからか帽子を手に入れてきてくれた。質の悪い布でつくられたものだったが、ともかくなくさないように大事にしていた。ところが、ある時それを町の中の道路わきの小川に落としてしまった。何の拍子で落としてしまったのか覚えていない。急流だった。走って行って拾おうとしたが、突然その小川が蓋でおおわれ、そのなかに帽子が入っていって見えなくなってしまった。この暗渠の蓋がなくなるところまで走った。かなり遠かったが、そこで待っていても流れてこない。どこか途中で引っかかっているのか、もう流れ去ったのかわからない。結局はあきらめるより他なかった。大事にしていた帽子だった。物資不足の時代、もう買えなかった。だから学校には帽子なしで行った。怒られなかった。帽子をもっていない子どもが大半になっていたからだ。
 それからは帽子を落とさなくなった。当たり前である、帽子がないのだから。落とすもの、忘れるものがなくなったのである。

 さらにもう一つ、整理能力の欠如がある。片付け方が悪い。これも使う、あれも使うと机の上にどんどん積み上げる、この本は後で読もう、こっちの部屋で読もうとあちこちにおいて歩く。そのうちそれを忘れてしまう。使い終わったらすぐ片付ければいいのに、なにしろものぐさ、そのうちにとかまとめてとか思っているうちにたまってしまう。毎日家にいる祖母から怒られる、何で片付けないのかと。両親も祖父母も農作業や家事・育児で忙しくて、子どもの遊びや勉強の片づけなど手伝っていられない。やがて何もかもごちゃごちゃになる。探そうと思ってもなかなか見つからない。学校に持っていくものもどこにおいたかわからない、困って泣きたくなってしまう。

 忘れ物、落し物、探し物、本当にこれで振り回された子ども時代だった。
 大人になってからはそんなことを言っていられない。とにかく気をつけるより他ない。しかし、探し物だけはそれほど変わらなかった。整理能力のなさは相変わらず、机の上などはいつも山盛り、そのなかから探し物をするのは大変だった。ものを捨てられないのである。いつ使うかわからないのでついついそのまま積み上げておく。大切な順序に整理すればいいのだろうが、その重要性の判断が難しい。そのうち考えようと思っているうちに山になってしまう。自分自身がいやになりながらもそれは今にいたっている(もちろん最近は書類等整理すべきものが少なくなっているので、かつてのような山にならくなくなったのが救いである)。
 そんなことを言っていられないのが物忘れだった。これだけは必死になって気をつけた。勤めてからはなおのことである。とくに日程である。大学の用事、会議、出張等々、忘れてはならないことがたくさんあり、これを忘れたりしたら大変である。関係者に迷惑をかける。それで必ず手帳にメモすることにした。ところが、私の持って生まれた悪筆で何を書いたのかわからなくなる場合もある。そのときには後悔してこれからきちんと書こうと決心するのだが、やはりまた悪筆となる。困ったものである。
 もっと困るのは手帳を落としたときだ。これがなくなったらどうしようもなくなる。一度実際にあった。福岡で学会があったとき落としてしまった。研究室のメンバーといっしょに飲んだあの店ではなかったかと思ったが、もう飛行機の中、どうしようもない。そしたら何とその店の人が拾ってくれて仙台に郵送してくれた。早速御礼をし、その後も福岡に行くたびにその店に行ったのだが、このごろは福岡に行く機会もなく、あの店がどうなったのかもわからない。ともかくそれで本当に助かった。幸いなことにそんなことはそのときだけですんだ。
 手帳のおかげであまりミスをしないですんだ。でも、一度だけ、大失敗をしたことがある。ある農業賞をもらった農協の受賞記念式典に招待され、お祝いのあいさつをすることになっていたのに、思い出したのはその日の夜、あちらはかなり待ったらしいが、本当に失礼してしまった。でもこれくらいですんで本当によかったと思っている。

 カバンが重いと家内からよく言われた。大学に行くのに何でこんなに詰め込むのか、必要なものだけ持っていけばいいのにと。しかし、必要なものだけ持っていこうとすると忘れてしまうものもある。だから、用心のために使わないかもしれないと思われるものもすべて持って歩くことにしたのである。
 もちろん、調査や講演などのときに日常必要なものを持っていくわけにはいかない。とんでもない荷物となるからだ。それで用件に必要なものだけもっていこうとする。しかし不安だ。何か絶対に必要なものを忘れていないか、何回も必要なものを頭に思い浮かべ、カバンの中、ポケットの中を何回も見直す。忘れんぼのくせがまた出ないか、この不安感に絶えずおびやかされてきた。
 それでも何とか気をつけてがんばってきた。

  しかしどうしても治らないものがあった。人の名前を忘れることだ。というより忘れる以前の問題がある。そもそも人の名前がなかなか覚えられないのである。だから新しく入ってくる学生には失礼した。顔と名前がなかなか一致せず、完全に覚えるまでかなり時間がかかったからである。農家の方や農協・自治体等の職員の方についても同じだ。顔はわかっても名前が思い出せない、こんなことが何回もあった。
 私は政治家になれないとしみじみ思った。政治家はよく人の名前を覚えている。そうでなければ選挙で落ちてしまうからだろうが、たいしたものだ。これは私などにはない能力と感心するだけである。
 この話を仙台市の幹部職員だったSさんにしたことがある。するとSさんは言う、私もそう思うと。それである時市会議員の一人に言ったことがある、よく多くの人の顔と名前を覚えられるものだと。そしたら彼はこう答えたと言う。
 いや、やっぱり忘れる場合がある。たとえば後援会などで支持者の誰かからあいさつされる。ところが名前を思い出せない。知らない顔をするわけには行かないので、「やあやあしばらく、ところで名前は何だっけ」と聞く。すると彼は自分の名前を覚えてくれていないのかとかなり不満げな顔をしながら「佐藤です」と答える。そこでその市会議員は言う、「いやいや苗字じゃなくて名前の方よ」。佐藤さんは急に笑顔になる、やっぱり先生は自分のことを憶えていてくれた、下の名前がわからなかっただけなのかと。そして答える、「〇雄です」。「ああそうだった、そうだった、〇雄さんだった、みんな元気かい」、そんなやり取りをしているうちに彼の住んでいるところとかいろんなことを思い出し、話をはずませるというのである。
 やはり苦労していた。それにしても苗字と名前とはうまいことを考えたものだ。工夫と努力はやはり必要らしい。しかし根っからの無精者の私のこと、そこまではできなかった。だからかなり失礼をした。それがいつも私の気持ちを暗くした。

 物忘れに対する不安感、これにはずっとつきまとわれてきた。落し物、少なくなったけれども、落とすのではないか、落としてこなかったか、その不安感にはおびやかされた。
 8年前、一切の仕事をやめた。ほっとした。もう忘れ物、落し物、探し物でかつてのように神経を使うことはなくなった。他人に迷惑をかけることはそれほどないので、まあ自分が自分にいらいらするだけ、それでよしとするしかない。
 しかし、強迫観念はいまだに消えない。夢の中でいまも私を苦しめている。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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