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夢に残るかつての不安



                   続・わびしい日々是好日(7)

                   ☆夢に残るかつての不安

 毎日夢を見る。昔からよく夢を見る(註)のだが、この年になってもまだ毎日見る。大体において苦しい夢、不安な夢、悲しい夢だ。それで夜中に目を覚ましてしまう。そしてまた寝てまた夢を見る。だから一晩に何度も見る。
 楽しい夢などめったに見ない。当たり前だろう。もう夢も希望も持てない年齢になってしまったのだ。ともかく夢を見られるだけでもいいとすべきなのだろう。

 以前もよく苦しい夢を見た。たとえば原稿書きで苦しんでいる夢である。とくに原稿の締め切りが迫っているときは夢に何度も原稿のことが出てきたものだった。なかなか文章が出てこない、いい考えが思い浮かばない、原稿用紙に一字もかけないでいる等々、自分の苦しんでいる姿が出てくる。でも、たまにいい文章を思いつく、アイディアも出てくるという夢を見ることもある。これはうれしい。しめた、よしこれでいこう、この文を覚えておこうと夢うつつのなかで決める。ところが次の朝起きたときはもう覚えていない。完全に目が覚めてしまってからでは遅いのだろう、うつらうつらしているときに記録しておこうと思っても、なかなかそんなわけにはいかない。すっかり中味は忘れており、少々がっかりする。しかし、こうした夢を見るときはほぼ考えがまとまりつつあること、本物になっていることを示している。だからこういう夢を見るのは苦しいけれども何か救いがあった。
 でももう原稿はこの随想以外、つまり自分の書きたいこと以外、書かないことにしている。締切に追われるなどということもない。だからだろう、こうした夢はあまり見なくなった。そして今見るのは、目が覚めても救いのない辛い夢だ。

 ときどき農家調査に行く夢を見る。そのうちの一つにこんなのがあった。
 なぜか知らないがみんなでタクシーに乗って調査地に向かっている。運転手さんも場所をよく知らないらしく、道に迷ってあちこちで降りて聞きながら、ようやく調査拠点とする旅館に着いた。古い旅館で暗い廊下を延々と歩いて部屋に行く。トイレに行こうと思うが、廊下が迷路のようになっているので、なかなか探せない。時間がないのであきらめ、外に出る。
 養豚農家の調査らしい。農家に着くと、ご主人がいない。奥さんに聞くと養豚はやめ、よそに働きに行っている、経営のことはわからないという。これでは調査ができないので、やむを得ず別の調査対象農家に行く。そこも養豚をやめ、よそに働きに行っている。ほとんどの農家がやめているという。これでは調査にならない。それでも一戸だけまだやっているというのでそこに向かう。ちょっとその前にトイレを借りる。しかしなかなか出ない。あきらめて出発する。
 途中に工事が中断されたままの線路があった。そういえばここを通ってどこかにいく線路が計画されていたはずだ。しかし建設は中止された。赤さびたレールが草むらの中に顔を出し、途中で切れている。何ともさびしい光景だなど思いながら、農家に着く。
 ここもご主人が留守だった。そこのおばあさんが出てきて、うちも養豚をやめるつもりでいるという。これではこの地域から養豚はなくなるではないか。あれだけ盛んだったのに。悲しい。一体日本の養豚はどうなっていくのだろうか。そんなことを考えながら車に乗る。帰ろうと言うことになったのかどうか、ともかく道路を走っている。
 そこで目が覚めた。トイレががまんできなくなったからである。
 何でこんな夢を見るのだろう。農家に会えなくて調査ができず、原稿が書けなくなる場合の不安感、こんなことにいつもさいなまれていたからではなかろうか。この夢に出てきた場所がどこなのかわからない。何度もおじゃました宮城仙北や山形庄内のかつての米+養豚地帯、その養豚の壊滅などがいまだに気にかかっていてその周辺を調査地として頭の中で勝手につくりだしたのだろう。線路のことは、かつて鉄道マニアだった私がつくって欲しいといろいろ想像したことがあることがよみがえって、それに廃線が寂しく進んでいる現実がからんで、夢の中で適当につくったことなのだろう。

 調査や講演会、会議等で多くの人と会う。するとまず最初が名刺交換だ。ところが、いつも入れてある内ポケットに名刺入れが入っていない。ポケットからカバンまで探してもない。ようやく見つかる。ところが名刺入れには前にもらった他人の名刺ばかり入っていて、自分の名刺がどこかに紛れ込んでしまっている。相手の方は名刺を出して待っている。あせる、あせればあせるほど探せない。のどがからからに乾く。
 はっと目を覚ます、ああ夢だったと水を飲みに行く。

 こんな夢ならまだいい。いつも見る夢はもっと苦しい。
 たとえば乗り物の時間に遅れる夢である。これは何度となく見た。こんな夢があった。
 何の用事でどこに行くのかわからないが、ともかく一度も行ったことのない新しいところに行くようである。初めて降りる駅のホームに自分はいる。ところが乗り換えのホームがわからない。地下や二階の連絡通路を歩いているが、なかなか探せない。早く乗ってトイレにも行きたい。時間は迫る。しかしまだホームが見つからない。そこではっと目を覚ます。身体は汗でびっしょりである。
 調査や学会、各種会議、講演等でしょっちゅう列車に乗ったが、乗り遅れたら、乗換えを間違ったら大変という強迫観念、これがいまだに、しかも繰り返し、こうした夢を見させるのだろう。

 会場が探せないという夢もよく見る。会議なのか講演なのかわからないが、とにかく何らかの依頼を受けてバスに乗ってある会場に行こうとしている。会場は仙台の郊外にあるようだ。ここだと思って降りると目指す会場がない。あまり使われていないグランドのようなものがあるだけ、どうもまちがって降りたらしい。あわてて会場の案内状を見ようと思ったら、カバンの中にもポケットにも入っていない。冷や汗が出る。時間は迫っている。ともかく一度戻ろうかと思い、バス停をさがすが、これがまたわからない。どうしたらいいだろう、と思っていたら突然バスが現れた。助かったと思って早速乗ったのはいいが、さっき案内状を探したときの場所に書類を忘れてきたようだ。困っていると、その停留所が終点らしく、出発までまだちょっと時間があるようだ。運転手さんにちょっと待ってもらうように頼んで探しに行く。そこで目を覚ます。これまた汗びっしょりである。

 もっとひどいのもある。何を話すのかわからなくなる夢である。
 会議でしゃべろうと思ったら何を話すのか忘れてしまった夢、演壇にたったら講演のテーマを失念してしまい、何を話していいかわからなくなった夢、講演のために準備したメモを忘れてきた夢、いずれの夢でも頭が真っ白になっている、とにかく何かしゃべらなければならない、しゃべっているうちに思い出すかもしれない、頭ではテーマを一所懸命思い出そうとし、口では何かしゃべっている、しかしどうもとんちんかんのよう、ますます混乱する。

 つい先日などは地震と調査が結びついた夢を見た。新潟、十勝沖、宮城、そして今回と大きな地震を体験しているからなのだろうか。
 なぜかしらないが、富山県に調査に来ているようである。町裏の畑の中の道を延々と歩いたり、これまたなぜかわからないが町の中の小中学校に行ったり、トイレを探したり(夢の多くがそうであり、小便が詰まって半覚醒状態になったときに夢を見るのだろう、だからこそ夢の内容を記憶しているのだろう、そのうちそのほとんどを忘れてしまうのだが)、いっしょに調査にきた仲間を探したりしている。
 そのうち、研究室のかつての仲間が相談にきた、地震があったけれどもこのまま出発したいがどうかと。あれ地震などあったかな、まったく感じなかったなどと思っているうちすさまじい揺れ、道端の手すりにつかまらないと立っていられない状態、これでは出発できず帰れないだろう、どうしようかと考えているうちにまた大きく揺れる。
 はっとして目を覚ます、地震はなさそう、夢だったと気が付き、ほっとすると同時に布団から出てトイレにかけこむ。

 こんな夢を何回見たことだろうか。仕事から解放されたのだからもうこんな夢を見なくともいいはずだ。それでもときどき見るのはいかに長い間こうした不安にさらされていたかを示すものだろう。絶えざる不安、強迫観念が身に付いてしまい、離れなくなっているようだ。こんなことがいつまで続くのだろうか。
 それでもこの不安は夢の中、現実にはもうそんな不安を感じなくともすむようになっている。不安からの解放を楽しもう。
 と思うのだが、今度は新たな不安が生まれてきた。高齢化からくる物忘れの激しさである。そうでなくてさえ物忘れが多いのに物や人の名前がますます出てこなくなっている。探し物も多くなってきた。注意力も散漫になってきた。これがさらに激しくなるのではないか。それどころか認知症で家族の顔すら忘れてしまわないか。そんなことはなるべく考えないようにはしている。だから夢には出てこない。まだ実感がないからもあるのだろう。
 しかし、時々そんなことが頭に浮かぶと、いても立ってもいられなくなる、何ともいえない焦燥感(といおうか何と言おうか)にかられる。
 いやな年齢になってきたものだ。

(註)
夢については下記の記事でも述べている。
10年12月3日掲載・本稿第一部「☆幼いころの農の情景」(1~2段落)、
11年1月25日掲載・本稿第一部「☆湯治・里帰り」(2段落)、
12年4月11日掲載・本稿第四部「☆『不楽是如何』」(1段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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