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加齢と夫婦の間柄



                   続・わびしい日々是好日(8)

                     ☆加齢と夫婦の間柄

 私の勤めていた東北大農学部は仙台の北六番丁という通りに面しているが、その通りを西に歩いて10分くらい行くと医学部が左にあり、右側に歯学部と私たちが抗研と呼んでいた付属抗酸菌病研究所があった。この通りは私の自転車での通勤路、毎日のようにその三つの建物を見ていたのだが、抗研とは結核などの抗酸菌病の予防と治療に関する研究をするところである。しかし結核等の病気はかなり解決されてきた。それで抗研をカレー研に改組するという話が80年代後半に出てきた。それを初めて聞いたとき、「カレー」って何、まさかカレーライスではあるまいしと一瞬思ったが、あ、そうか、「加齢」のことかとわかり、思わず苦笑いしてしまった。ちょうどそのころは高齢化が大きな問題となりつつあるころ、それで93年に加齢医学の学理と応用に関する研究を行うことを目的とする加齢医学研究所ができた。
 高齢化とか老齢化とかを使わずに加齢という言葉を使う、なるほど考えたものだと思ったものだったが、その話を聞いたころは私もまだ50歳代に入ったばかり、加齢などは他人事、自分も加齢しているのだなどと実感していなかった。
 それでも当時しばらくぶりで同級生や後輩に会うと、あいつ何であんなに老けちゃったのかと驚き、自分もみんなからそう見られているのだろうか、でもあそこまでは老けていないはずだなどと自負していた。

 しかし、着実に加齢し、63歳で東北大を定年退職、それから網走にある東京農大に行って70歳で退職、そして仙台に帰ってきた。
 網走から仙台に戻ってきたとき、多くの人から言われた。
 「変わっていないですねえ、若いですねえ」
 それからまた3年過ぎ、網走にいたときの卒業生たちと会ったときにみんなから言われた。
 「先生、変わっていない」
 お世辞にしてもうれしい。
 しかし、自分の写真を見ると、鏡に映った自分の姿を見ると、唖然とする。そして考える、やはりあれはお世辞でしかないのだ、喜んでいるわけにはいかないのだと。白髪はますます多くなり、顔の染みやしわはさらにすさまじく、腰は曲がり、立ち姿、座っている姿はまさに老人そのものである。いくら若い振りをしても、老けてきていることは隠せない、年なりだったらまだいいがそれ以上ではないか。写真や鏡はお世辞を言わないからはっきりその醜さを教える。

 満員バスに乗る、すると若い女性が立ち上がり、席を譲ってくれる。その時には素直にその厚意に感謝して座らせていただく。断わると、断られた方がばつの悪さで困るだろうからだ。でも譲られることはめったにない。これは私が若く見えるからだろうと怒らないことにしている。しかし、足の不自由なお年寄りなどが乗ってきたのに立ち上がろうともしない若者を見るとすごく不愉快になる。
 たまに座席が満杯で優先席だけが空いているときがある。家内が座っても私は座ろうという気にならない。まだ自分は座る身分ではないと思っているのである。
 すると家内が言う、
 「座ったら?」
 続けて言う、
 「十分にあなたも年寄り、優先席に座ってもだれも変に思わないから」
 ちょっとだけむっとくるが、それは真実、何とも口答えができない。でも、よほど体調の悪い時は別にして座らない。こうなったら意地である。

 姿形だけではない、頭の方も老化が進んでいるようだ。
 昔のことは忘れないで覚えているが、今のことはすぐ忘れる、これは年寄りになった証拠であり、ボケの始まりであると言われる。私もそのようである。
 しかし最近は昔のことも少しずつ忘れつつあるようだ。数年前までは間違いなく覚えていた幼いころのことを今は忘れている。調査ノートを開くとそんなこともあったと思い出すのだが、調査に行ったことを思い出せなくなりつつある。着実に老化が進んでいるようだ。
 今も昔もわからなくなったらどうしようもない、まだ思い出せるうちに、完全にボケないうちに本稿を書き終えなければとあせりさえ感じる。

 そう思いながらも、もう片方では自分はボケていないと考えている。そこから家内とけんかが始まる。
 「昨日こう言ったでしょう」
 「いや聞いていない」
 「そんなことはない、ちゃんと言った」
 この「言った言わない」のけんかが多くなってからどれくらいたつだろう。
 そのうち罵倒になる。
 「ぼけたんじゃないの」
 「そっちこそ」
 「今度からしゃべるときはテープにとろう」
 「そうしましょう」
 実際にテープをとったことはないが、口論はそこまでいく。
 あるとき、私の言ったことを聞いてないと言うので言った、
 「耳が遠くなったんじゃないか」
 すると家内は返す、
 「あなたの声の波長だけが聞こえないんでしょう、他の人の声はちゃんと聞こえるんだから」

 こうしたけんかの話を世代が若干下の友人に話すと、何人かが笑いながら言う、
 「うちもそうですよ、しょっちゅう『言った言わない』のけんかですよ」
 もしも本当にそうだとすると、加齢だけが原因ではなさそうである。そこで考えて見た。結論はこうなった、わかっているはず、わかってもらえるはずという夫婦間の一種の慣れ合いからもそれはきているのではなかろうかと。
 もしも他人ならわかってもらうためにきちんと話をする、相手の言うことをわかろうと一生懸命聞く。ところが長い間連れ添った夫婦だとそれを省略してしまう。わかるはず、わかってくれるはずと無意識のうちに考えており、話してわかってもらおうとする努力、聞いてわかろうとする努力、理解しよう、理解してもらうとする努力を省略する。もちろん話そう、聞こうとしないわけではない、理解しようとしないわけではないが、懸命さがたりないのである。長い間いっしょに暮らしているうちにわかってくれるはずという甘えを双方がもつようになってきたのではなかろうか。それで努力をお互いに怠り、行き違いが生じ、けんかということになるのではなかろうか。
 それがわかっているなら、そうならないように、けんかの原因をつくらないように努力すればいい。そしてきちんと話し、聞けばいい。「省略」はやめよう、努力しよう。しかし、それがなかなかできない。それでついついいらいらしてけんか口調になってしまう。とくに私がそうで、けんかの原因をつくっていることが多い。もっと家内を大事にしなければと常々思ってはいるのだが。

 家内が具合を悪くする、ところが私は車で病院に連れて行くことができない。運転能力がないからである。食事をまともにつくって食べさせることもできない。私の方が先に立ち上がれなくなって逝くものだと決めているものだから、家事能力を持とうなどという努力はほとんどしてこなかったからだ。家内が勤めていたころは私もやっていた(当時は家内よりも家事・育児能力があった)のだが。もちろん、家内が具合を悪くした時などお粥(これをつくるのは今でも上手である、家内も誉める)と味噌汁(私好みでちょっと塩辛いが)くらいは私がつくる。しかしその程度しかできない。衣・住生活についても、前に述べたように家計についても、まったくの無能力である。
 だからといって今さら生活者としての能力を高めようとは思わない。それで、家内にできるだけ迷惑をかけないように、自分からけんかの種をまかないように努力しようと思っている(思っているだけでなかなかできないが、そうした気持ちがあるだけでもいいだろう)。そして私がボケて家内を苦労させ、老けさせたりしないように、早くあちらにいこうとも考えている。
 だけどいつあちらにいけるかわからない。一方加齢は避けられない。そうなるとその間いかにボケないでいるか、家内に苦労をかけないかが課題となる。

 老化を防ぐための秘訣は「文をかく」「汗をかく」「恥をかく」の『三かく』を実践することだそうである。しかし私は本稿=このブログを「書く」こと以外それを実践しようとは思わない、つまり『一かく』でいこう。前にこう書いた(註)が、その後に考えた、その『三かく』に「義理をかく」「べそをかく」も加えて『五かく』を秘訣にすべきではないか、ただし私の場合は「本稿をかく」「義理をかく」「べそをかく」の『三かく』でいこうと。
 「義理を欠く」はいろいろと気を使わない、わずらわしいことは避けるようにすることでストレスを受けないように、「べそをかく」は感情を豊かにもてるようにすることで、老化を防ぐだろうと思うからである。なお私はこの後の二つはそのまま実践しようと思っている。したがって何か失礼なことがあってもあいつは義理を欠いているなどと怒らないでいただきたい。また「べそをかく」についてはすでに大いに実践中なので、涙を流しているのを見ても、変に思わないでいただきたい。これも老化防止のためだろう、まあしかたがないと見逃していただきたいものである。

(註) 12年4月13日掲載・本稿第四部「☆人生の整理」(2、3段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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