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老化と最後の望み



                     続・わびしい日々是好日(9)

                      ☆老化と最後の望み

 前にもあちこちで触れたように、なぜかしらないが私は生来の不器用である。誰に似たのかわからない。父母も祖父母も器用だったからだ。どうも遺伝的にいいところを引き継がなかったようである。それとも関係するのだろう、運動神経も鈍い。家内にもかなり劣る。それに加えて生来の怠け者、努力することが嫌いである。
 だから、器用さが要求される仕事、細かい仕事はどうしても不得手ということになる。
 したがって、たとえば家事についてはそうした能力を要しない単純な仕事、危険な仕事、力仕事だけを引き受けることになる。たとえば高所作業、庭仕事、ゴミ置き場へのゴミ運搬、茶碗運び、布団の上げ下ろし等ということになる。それ以外の仕事を手伝っても、失敗してあるいは時間がかかり過ぎて家内からいやな顔をされるのが落ちである。
 ところが、最近はそうした仕事もうまくできなくなってきた。ますます細かい仕事ができなくなってきた。さもないこともできなくなってきた。思うように手が、足が動かなくなってきたのである。それに目も見えなくなってきている。これまでも不器用でなかなかうまくできなかったのに、以前よりもっとうまくいかないのだから、ましてや自分にいらいらする。
 たとえばジャンパーなどのオープンファスナーの留め具にスライダーがなかなか入らない。正確に言うと入れられない。入れるところがよく見えないし、手が、指が言うことを聞かないのである。生来の不器用がさらに激しくなっている。
 歩いたり走ったりするとき、自分では足を上げたつもりでいるのだが、上がっていなくてつまづき、転んでしまう。茶碗をきちんと持ったつもりが、すべって落としてしまう。前に普通にやっていたことがやれなくなっているのである。
 いらいらして自分自身に腹が立ってくる。むしゃくしゃして何かに怒りたくなってくる。もちろん他人にではなくて自分に対してなのだが、ついつい他のものにあたってしまう。そんなときに家内から何か言われたりするとついついうるさいなどと言ってしまうことがある。
 年寄りはすぐに癇癪を起こす、怒りっぽくなるとよく言われるが、なるほどそうなのかもしれない、自分を見ていてしみじみそう思う。これも老化の一種、やむを得ないのかもしれない。

 それぐらいならまだいい。最近は日常やってきたことでポカをするようになった。さきほどファスナーの例を出したのでそれとのかかわりで言うとズボンのチャック(昔はそういったものだつた)の閉め忘れである。ズボンを穿いたり、トイレに行ったりするとき、ついつい何か他のことを考えていると忘れてしまうのである。ところが、昔と違ってこの閉め忘れになかなか気が付かない。昔はチャックではなくボタンだったので閉め忘れると割に簡単に気が付いた。何か動作をすると前が広がってしまうからである。他人はもちろんのこと気が付いて「社会の窓が開いてるよ」と注意してくれたものだが、自分でも気が付く。それであわててすぐ直したものだったが、今のチャック、思いっきり前が広がるなどということは立っているかぎりないのであまり気が付かない。椅子に座ったときとか便所に行ったときに気が付いてあわてて直す。この閉め忘れが多くなってきた。
 もっと大変なことがある。炬燵・ストーブの消し忘れ、鍵の閉め忘れ、パソコン(プリンター等も含む)の停め忘れである。
 こういう日常習慣的に何気なしにやっていたこと、毎日何十年も繰り返していて手が身体が覚えていてとくに考えもしないでやってきたこと、無意識のうちにとくに再確認などしなくともきちんとやってきたことの一部が、ちょっと他のことを考えたりすると、ふっと抜けてしまうのである。もちろん若いころもこういう失敗がないわけではなかったが、まあめったになかった。
 これはいわゆるもの忘れとはちょっと違うような気がする。二つのことを同時に考えることができなくなったこと、どこか神経が途切れてあるいは神経の動きが鈍くなって注意不足になってしまったこと、こんなことからきているのではないか、これこそボケの始まりを示しているのかもしれないと心配になってしまう。お年寄りがズボンの前が開いているのに気が付かずに歩いているのを昔よく見たものだが、自分もああいうみにくい年寄りになりつつあるのかと思うと本当にいやになる。それぐらいならまだ許せる。よく老人世帯での火災のニュースが報道されるが、非常に危険であり、他にも迷惑をかけることがある。こんなことにだけはならないようにしたいものだ。

 風邪をひいたり、二日酔いになったりしてたまに一日中布団に入ってごろごろしていると、次の日の朝腰が痛くて起きたり座ったりするのが非常に大変になる。整形外科からもらっている痛み止めの貼り薬を貼り、がまんしながらそろそろと動いていると夕方近くから何とか普通に戻ってくる。
 それはきっとこういうことからだろうと考えている。動かさないでいると腰が錆びついて動かなくなる。もう潤滑油がなくなっているからだろう。だから動かそうとするときしんで痛む。それでもがまんして動いているうちに腰についていた錆びが少し落ちてくる。それでまたもとに戻る。こういうことなのだろう。
 私が通勤に何十年も使っていた自転車であれば油をさすとスムーズに動くのだが、何しろ身体のこと、油をさせない。そうなれば錆びつかないように動いているより他ないのかもしれない。自転車操業をやるしかないのだろう(ちょっと意味用法が違うが)。
 頭も錆びつかないようにこれからも動かし続けた方がいいのかもしれない。そもそも私は貧乏性だったではないか、ゆっくり休むなどということは考えない方がいい、こういうことなのだろう。

 年をとると、いいことは何もない。
 でも、と考える、悪いことさえなければいいではないか、何もないことがいいことなのではなかろうかと。とくに震災を契機にやっぱりそう思おうと心に決めた。
 しかし、そう思おうとしながらもなかなかできないものである。

 初めての病院に行くと、あるいは薬局に行くと、「何か薬を常時飲んでいますか」と必ず聞かれる。「飲んでいません」と答えると、珍しそうに顔を見られる。
 そうなのである、おかげさまで私はいわゆる成人病での医者通い、薬局通いはしていない。腰痛で整形外科、老人性搔痒症で年1回皮膚科、目まいで内科にたまに行くだけである。家内も同様、風邪もしくは耳鳴り、目まいで耳鼻咽喉科に行くだけ、後は毎年の定期健康診断・精密検査である。身体の弱かった幼いころとは二人とも大違いだ。したがって国民健康保険を赤字にするようなことは今のところしていない。まさに模範老年だと思っている。
 それだけでも幸せなのかもしれない。後はいかにぽっくり死ぬか、病院にもかからず、苦痛なしで死ぬかである。

 網走を去る4ヶ月前、腰の痛みから始まって両足の筋肉が痛むようになり、やがてまったく歩けなくなり、それどころか寝ていても痛みが治まらず、入院することになった。教え子の研究者NK君から網走に骨を埋めることにしたのですかと冷やかされたが、30年ぶりの入院、退院まで一ヶ月もかかった。仙台への引っ越しの準備で重いものを持ったり運んだりしているうちに腰をおかしくしてしまったらしい。もちろん年のせいもあるが。
 医者や看護婦さんはまず聞く、どのへんが痛むか、どういう痛みか、どの程度痛むかと。つまり痛みの場所、性質、程度を聞かれる。しかし、これを正確に伝えることはきわめて難しい。
 外傷のさいの痛みならその傷のところが痛いと言える。しかし皮膚の表面のように目に見えればいいが、見えないとなると、しかも一定の厚みのある筋肉とか内臓とかの痛みになるとなかなか言えない。また、座っているか立っているか寝ているかで痛む場所が変わるので、だいたいこの辺の奥だとか中だとかくらいしか言えない。
 それから、どう痛むか、鈍痛か激痛かしびれるような痛さかなどと聞かれても、自分の痛みがそのうちのどれにあたるのかがわからない。うまく表現できない。
 どの程度痛いのかも正確に伝えられない。自分としては唸り声が出るほど痛いのだが、それは自分の我慢が足りないせいかもしれないし、弱虫のせいなのかもしれない。人により痛感神経が違うので、同じ痛みでも感じ方が違う場合もあろう。
 だから患者の答えはきわめて不正確になるのではないかと思う。これでは医者も困ると思うが、患者はもっと困る。わかってもらいたいのに正確に言えないからだ。
 そのときしみじみ思った。痛みの場所、性質、程度を正確に判断できる方法、判断してくれる機械か薬、こんなものを誰か開発してくれないかと。もし開発したらそれはノーベル賞級だろうと私は思っている。
 もちろんそれだけわかってもどうしようもない、その苦痛を和らげる学問の進展、これを強く望みたい。

 「いかにきれいに年を取るか」ではなく、「いかにきれいに死ぬか」を考えなければならない年齢になってきたと前に述べたが(註)、つねづね考えているのはぼけて死にたくはないというのと痛みに苦しんでだけは死にたくないということである。
 まず「いかにぼけないうちに死ぬか」であるが、これは認知症などで他人に迷惑をかけたくない、ましてや長期間寝て家族をはじめみんなに迷惑をかけたくない、人間としての尊厳を失わないうちに死にたいということからである。
 後者の「いかに苦しまずに死ぬか」だが、祖父がときどきこんなことを言って笑っていた、人の痛いのは三年もがまんできると言われていると。たしかにそうかもしれないが、テレビドラマなどで苦しんでいるのを見ると、やはりまったくの他人でも演技だとわかっていても見ていられず、テレビを消してしまうこともある。ましてや身内のとりわけ子どもや孫の痛いのは見ていられない、心臓が切り刻まれる感じだ。そんな苦しみを身内にさせたくない。というより、そもそも自分がいやだ、苦しむのは。治るという保証があるのならまだ我慢もできようが、不治の病なのに死が迫っているのに命をわずかな日数延ばすためだけに痛みをがまんするのはたまらない。苦痛でのたうちまわりながら生きていたくない。麻薬を使っていいから、命が短くなってもいいから、楽にしてもらいたい。
 苦しまず、人に迷惑をかけず、醜い姿を見せず、ひっそりと死にたい。そのためにも肉体と精神が同時に滅びるように、ぽっくりと逝けるようにしたい。
 できれば、曾孫をだっこできてからならなおいいのだが、これはわがままというべきなのだろう(かなり以前、家内が孫に「早く結婚して赤ちゃんをだっこさせてちょうだい」と頼んだ、小学校高学年だった孫は「うん、わかった」と答えたそうだが、何がわかったのか、はたしてどうなることやら)。
 こんなことを願いながら過ごしている、何ともわびしい日々是好日である。

(註) 12年4月13日掲載・本稿第四部「☆人生の整理」(3段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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