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第六部を終えるにあたって



            第六部を終えるにあたって―これからのこと―

 2006年に本稿を書き始めてからもう8年目になる。そもそもは『東北農業の「七十年」』ということで書き始め、途中でそれを「七十五年」に書き改めたのだが、さらにそれをも超えてしまったことになる。
 その間、私の老いも進化し、喜寿の齢をも過ぎてしまった。「人生五十年」からするともう30年近く長生きしていることになる。まさに余分の人生の時期となっている。残りは短い、もうどうなってもいい、とは思うものの、その短い期間でも快適な暮らしを送りたいとも思う。わびしくとも何であってもともかく日々是好日でさえあれば、せめて私の生きている間、世の中、心安らかに過ごせるようにしてもらえればいい。しかし、なかなかそう行きそうにもないのが辛い。年寄りが日々是好日を願うのはそもそも図々しいことなのだろうか。
 言ってもしかたのないことだとは思うが、そんなことをぼやき続けている今日このごろである。
 そのぼやきも含めてこれまで東北農業のこと、私個人のことを本稿にいろいろ書いてきた。さらに2010年暮れからそれをブログに公表し始め、3年半にわたり4百回以上掲載させてもらった。
 これをA5版・縦書き・1頁1千字の書籍に換算してみると、約4百頁の分厚い本を6冊も書いたことになる。
 何とまあよく書いたもの、いや書くことがあったもの、われながら感心する。

 認知症の予防法、回復法に「回想法」というのがあるそうだ。要するに思い出話をすることがいいらしい。そもそも思い出すことは脳を活性化させるし、その思い出を昔話、苦労話、自慢話として他の人に聞いてもらうことで図られるコミュニケーションはさらに活性化させるのだそうだ。
 もしかするとそれが今の自分に当てはまっているのではなかろうか。
 昔のことを思い出そうとし、それを記録してきたこと、さらにそれをブログで公表して読んでもらったこと (話すのではなく書く、聞いてもらうのではなく読んでもらうなのでちょっと違うかもしれないが)、それがいまだに認知症を発病させていない一因になっているのかもしれない。いや、実は発症しているのかもしれないが、進行を抑制させているのではなかろうか。
 そんなことからして書いてよかったと思っている。

 これもひとえにブログの立ち上げを始め技術的な面でいろいろと私を指導・援助(いや、「介護」かな)し、また書く内容にさまざまな示唆を与えてくれたNK君、ST君、WMさんをはじめとする後輩の若手研究者の諸君のおかげであり、またあきずにブログを読んでくれ、あるときはコメントもしてくれた訪問者のみなさん、さらに一日平均7千回、ブログ開設後累計9百万回におよぶアクセスをしてくれた方々のおかげでもある。心から感謝したい。

 もう一つ感謝しなければならないのは情報通信技術の発達であろう。
 もしもパソコンがなければ、たとえば手書きであれば、絶対にこんなに長くしかも早く書けなかった。文章を書くのも消すのも入れ替えるのもきわめて簡単、漢字がまちがっていないか一々辞書を引かなくともいい、わからないことや忘れていることがあってもネットで検索すれば教えてくれる、しかもきれいな字で書くことができ、印刷までできる、さらにブログで公開することもできる、私の子ども時代から考えたら今はまさに魔法の世界である。時代の変化、技術進歩に感謝する必要があろう(もちろんその影の一面、たとえば電車やバスに乗ると若者たちがほぼ全員無言でスマホに向かっている姿を見たりすると、これでよいのかとちょっと嘆きたくなるのが辛いが)。

 一昨年、山形の私の生家で仏事があった時、母方のH叔父とI叔父が遠方から参列してくれた。そこでいっしょに昔話をしていたとき母の実家の作業小屋に室(むろ)があったという話が出た。そうだった、たしかに室(むろ)と呼んでいたかなり広い地下室があり、はしごで上り下りしていた。そこは蚕に食わせるために家族や雇い人が摘んだ桑の葉の入っている叺(かます)の貯蔵室だった(註1)。日光が当たらず涼しい室(むろ)=地下室であれば桑の葉を瑞々しいまま保存して夜中など必要な時に食べさせることができる、それで小屋の地下につくったのである。養蚕の季節以外は蚕具などの物置にしていたが、農家には地下室もあったのである。
 すっかり忘れていた。たまたま叔父たちからこの地下室のことを思い出させてもらったからいいが、こうしてみると忘れていることがどれだけあるだろう。忘れることはしかたがないとしても、なぜ覚えているうちにメモしておかなかったのだろう。その当時のことがたとえば農業技術や子どもの遊びが昔語りになるなど想像もできなかった、だからメモしておくなど考えもしなかったこともあるのだが。
 祖父母や両親に、恩師や先輩に、農村調査でおじゃました農家の方々に、あのことをこのことをどうして聞いておかなかったのだろうか。もっともっと聞いておけばよかった、そしてメモしておけばよかった。
 メモしておいたのもあるはずなのだが、どこに書いたのかわからなくなったものもある。廃棄したものもある。もって生まれた整理能力の欠如のせいなのだが、何とか努力してきちんと整理しておけばよかった。
 そうすればもっとたくさんしかも正確に本稿に書き残しておくことができたのに。今本当に後悔している。

 「誰でも、一生のうち、一作は小説を書くことができる」、宮部みゆきが何かの小説の中で書いていた言葉がなぜか忘れられず覚えているのだが、たしかに小説になるような体験、文章につづって残したいようなドラマをみんな体験しているはずである。もしかすると私にもあるかもしれない、もちろん小説に書くことは私の能力からしてできないが。小説になるようなことでなくとも記録に残しておいてもいい事実、体験は多くの人がもっているのではなかろうか。当然私にもあるのではないか。
 そんなことも考えてこれまでさまざまなことを書きつづってきたのだが、不安になることもある。記憶にまた記述に誤りや不正確なところがあったのではないか、伝聞証拠や類推・憶測のみに依拠して真実と違ってしまったところもあるのではないかと。しかし、幸いなことに本稿は学術論文ではなく、記憶をたどって書いたもの、何かの機会に思い出したことやふと記録しておきたいと胸がときめいたことなどを書きまとめたもの、まさに「随想」でしかないことが救いである。もしも何か問題があったらそんなことでお許し願いたい。

 ますます記憶力は衰えている。その点では8年前から書き始めてよかったと思っている。そうでなかったら脳裏から消えていたこともあったかもしれない。最近などは本稿で前に書いたことも忘れてしまってもう一度同じようなことを書こうとすることもある。さらに、書いたら安心して忘れてしまうのだろうか、たまたま読み直した時、そうだった、こんなこともあったんだっけと改めて思い出したりすることすらある。
 もうそろそろ限界なのだろう。

 欧陽菲菲の歌『Love is  over』(註2)のなかに次のような一節がある。
  「終わりにしよう きりがないから」
 そうかもしれない、このへんですっぱりと本稿を閉じた方がいいのかもしれない。
  「きっと最後の恋だと 思うから」
 本稿は私の「最後の恋」ならぬ「最後の文(ふみ)」、こう思って書いてきたのだが、やはり「終わりにしよう きりがないから」(いや、「先がないから」かな)。
 大相撲ではないけれどもそろそろ打ち止めの時期、「この一番にて本稿の打ち止め」、こうすべきなのだろう。
 そして、もうこれ以上自分の恥をさらすのはやめた方がいいのかもしれない。世の中の最近の動きを見てこれまで自分はいったい何をやってきたのかなどと苛立ったり、無力感に襲われたりするのももうやめた方がいいのかもしれない。

 こんなことを考えていたら、私のためにこのブログを立ち上げてくれた後輩研究者のNK君から、これまで書いたものを電子書籍で出版したらどうか、自分がその手続きをしてやってもいいという話があった。たしかにこうするとブログよりはずっと読みやすくなる。ただ、第一部から六部まで全6冊、かなり大部になること、もしも出版するならできれば縦書きにしたいこと等々、これらをどうするか今検討中なのだが、ちょうどいい機会、その出版をきっかけに本稿の執筆を終わりにしようかとも考えた。

 もうそろそろ話す種もつきつつある。もちろん書くことがまったくないわけではない。たとえば最近の政治の動向、農業・農村の衰退状況などに関しては言いたいことが多々ある。しかしそれをまともに考えて書こうとすると鬱になるばかり、高齢者にとっては精神衛生上きわめてよくない。ますます日々是好日ではなくなってしまう。こういうことはまともに取り上げて書くのはやめよう。とすると、やはり書き終える時期なのだろう。
 そしてまだ段ボールに入って未整理のままになっている諸資料の整理、処分に改めてとりかかろう。これまで本稿の執筆に向けたエネルギーをそちらに向けよう。物品の面でも早く人生の整理をし、残った家族に迷惑がかからないようにもしておかなければならない。もう年齢(とし)なのだ。

 しかしおかしなものである、そう決心しようとすると未練が出てくるのである。
 ちょっと待てよ、何か書き落としたことは本当にないのか、これからまた何か思い出して書きたいことが出てくるのではないか。そのときに、もしもここで本稿を閉じてしまえば、一体どうするのか。書く場、公表の場がなくて後悔の念が残ってしまうのではないか。こんなことを考えてしまうのである。満足して心安らかにあの世に行きたいと思っているのにこれではどうしようもない。
 また、何も書かなくなれば頭を使うことがなくなってボケてしまうのではないかと心配にもなる。
 書きたくなったら改めてもう一度新たにブログを開設すればいいではないか、やはり今はやめることにしよう、そうも思う。しかし再度開設するのは大変、何しろ私には開設する能力はなし、結局このブログを開設してもらったNK君に再度迷惑をかけることになる。
 そこで考えた、このブログは閉鎖せずこのまま残しておこう、そして何か思いついたときに書かせてもらうことにしよう、そのさいいったんここまでで第六部を閉じ、改めて第七部として本稿を書き続けるということにしようと。

 そんなことで、これからもう少しの期間、このブログとおつきあいいただければ幸いである(なお、本稿の第六部までの電子書籍としての刊行は、このブログ執筆と並行して、追求していこうとも考えている)。
 そのさい、思いつくまま書かせていただくので不定期となったり、また思いついた記憶の断片を脈絡なしで書き連ねることになったり、東北や農業とはまったく関係のない単なる身の回りのことでしかなかったり、各節の文が短かったり長かったりする場合もある(今までもそういうところがあったのだが)ことをご了承願いたい。
 そしてもう書きたいと思うようなことがなくなれば、そのときに本稿は終了とさせていただく。
 ただし、もしも何の断りもなく長期間掲載がない場合には、病気等でもうパソコンの前に座るだけの精神的肉体的能力がなくなったためか、突然この世にいなくなったためかのいずれかだろうとご理解願いたい。その時にはこのブログは自然閉鎖ということになる。
 なお、文章があまりにもおかしくなったり支離滅裂となったりしたらとうとう認知症が始まったのかと読むのをお止めいただきたい。もちろんそのときにはNK君たちが独自に判断してブログの中止手続きをとってもらうようにお願いをしておくつもりではいる。そしてその時点で本稿の執筆は終了ということになる。
 私としては、そのようなことになる前にきちんとけじめをつけて、このブログを読んでいただいたみなさん、この執筆を援助してくれた諸君、私をこれまで育ててくれた多くの方々に御礼をしながら、きれいに本稿を閉じたいものだと念願しているのだが、はたしてどうなることやら。
              
(註)
1.11年7月18日掲載・本稿第二部「☆養蚕の技術革新と大規模桑園の造成」(2段落)参照
2.歌:欧陽菲菲 作詞・作曲:伊藤薫 1979年

(追記)
 先日、何とはなしに本稿の名前をネットで検索してみたら、『元気が出る:竹の階段』というブログ(postother.exblog.jp/16214971 )に次のような本稿の紹介文があった。
 「去年12月より始まった酒井惇一氏の回想記。私が今一番面白いと思って読んでいるブログ。とても読みやすい文章で、東北の風景が目前に拡がり、登場人物が頭の中で走り回る」
 さらに、この文の後に13年12月10日付けの次のようなコメントも載っていた。
 「『随想・東北農業の七十五年』は素晴らしいブログです………まさに日本の財産であり、世界中の人に知ってもらうべき内容です。私はテレビはほとんど観ないのですが、ドラマ化されればきっと面白い内容になると思います。今でもずっと毎回たのしみに読んでいて、私の人生の糧になっています」
 ちょっと気恥ずかしいが、こうした激励に応えるためにも(どこまで応えられるか疑問だが)もう少し本稿を続けさせていただきたい。

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コメント

[C56] おつかれさまでした

いままで定期的に楽しませていただき
ありがとうございました。

人一人が一日に想ったことを全て紙に起こすと
本にして一万ページ分にもなると
どこかで聞いたことがあります。

まだまだ一日一日素晴らしい時を歩んでいってください。

一区切り、おつかれさまでした。
  • 2014-07-21 20:07
  • くもり
  • URL
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[C57] 『Love is  over』

急にJ1先生の『Love is  over』が聞きたくなりました。
  • 2014-07-22 17:14
  • mayu
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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