Entries

『昭和は輝いていた』か?



            遠くなった昭和、近づく敗戦前の昭和(7)

               ☆『昭和は輝いていた』か?

 氏名・生年月日を書かされる欄のある書類がある。その生年月日の前には明治・大正・昭和などの元号が書いてあり、該当するものを〇で囲むようになっている。やがてこの元号に平成が加わり、明治が見られなくなってきた。ところが、ある書類の元号の欄には大正もなくなっていた。どう記入すればいいのか困ってしまった、そういう時代になってしまったのかと何とも言えないショックを受けた、近所の大正生まれの奥さんが家内にそう言って笑っていたと言う。
 明治どころか大正も遠くなってしまった。考えて見たら昭和もそうなりつつあるのかもしれない、私たちも年をとったものだ、古代の遺物になりつつあるのかもしれない、家内と二人でそう言って思わず苦笑いしてしまった。

 いつのころからだったろうか、今から数年前ころからではないかと思うのだが、昭和の時代を振り返ってなつかしむテレビ番組が多くみられるようになった。
 昭和が終わってからもうふた昔、昭和生まれのものにとってもうなつかしいと思うだけの時間が経過したからなのかもしれない。あるいは、最近の世の中、平成になってからの日本の社会が何かおかしい、そうしたことから昭和の時代をなつかしむようになったのかもしれない。
 それにしても何か奇妙である。昭和生まれ、昭和の時代に50年以上も生きてきた私にとって昭和が当たり前だったのに、昭和がなつかしがられる、もう私も振り返られる過去の人間、なつかしがられる年代になったのかと何か変な気持になる。
 もちろん私もかつてのことがなつかしい、それでそうした番組をついつい見てしまう。たとえばBSジャパンの『昭和は輝いていた』(註1)だ。そのとき取り上げるテーマにもよるが、たまに見る。駄菓子屋や子どもの遊び、おもちゃの話、流行歌の話等々、本当におもしろい。そしてなつかしい。これなど見ているとついつい昔はよかった、昔に戻りたい、昔を戻したいなどとも考えてしまう。そしてテーマのようにまさしく『昭和は輝いていた』と思いたくなってしまう。
 しかし輝きの裏には影があった。とくに戦前・戦中・敗戦直後は、つまり昭和の初期の約20年間は「輝いていた」どころかまさに「暗かった」。
 昭和の一桁の時代(1~10年)は、大正ロマン・デモクラシーの香りが残っていたとはいえ、治安維持法下で自由、人権は暴力的に抑圧され、地主・財閥による収奪は厳しく、そこに大恐慌、大凶作が襲うなど、ほとんどの人々は貧しく苦しい生活を余儀なくされた時代だった(註2)。
 昭和二桁の最初の時代(11~20年)、いうまでもないが戦争の激化の時代、若い男は国外の戦場で悲惨な思いをし(あるいはさせ)、それ以外の男女、年寄り、子どもは銃後=国内で戦災、餓え、もの不足等で悲惨な状況に追いやられた(註3)。
 だからだろう、『昭和は輝いていた』の扱うテーマの大半は戦後のことだった(全部見ているわけではないのでもしかするとこの理解は間違っているかもしれないが)。いくらなつかしくとも戦前の昭和は輝いていたとはいえなかったのであろう(もしかするとこの番組の担当者はきっとみんな戦後生まれ、それで戦後のことが中心になってしまったのかもしれないが、やはり戦前時代は暗いことが多かったせいだろうと私は考えている)。

 もちろん戦後も暗かった。とくに終戦直後は戦前以上に暗い面もあった。
 しかし、新憲法のもとで戦争で殺し殺されることはなくなり、基本的人権がまもられるようになり、国民生活は徐々に向上し、70年代には国民総中流化といわれるほど所得格差・地域格差は少なくなり、それがまた経済成長をもたらし、わが国は戦前とは比較にならないほど豊かになった(註4)。東京オリンピック、新幹線、大阪万博、野球・サッカーの隆盛等々成長していく日本、まさに『昭和は輝いていた』といえよう。もちろんその輝きには影があり、その典型例が農産物輸入自由化の拡大、それにともなう農山漁村の過疎化、他方での大都市の過密化、公害問題の激化であり、それらが拡大されて今に引き継がれているところがあるのだが。
 1986(昭和61)年末から始まるバブル景気は戦後の経済成長・好景気の頂点(もちろんそれは実態のないものだったのだが)だった。
 そしてそのさなかの88年、激動の昭和は終わった。

 それから3年後の91年、バブルは崩壊した。平成の幕開けは経済の大混乱だった。
 アメリカから直輸入された新自由主義なるものが声高に叫ばれるようになったのはちょうどそのころからだった。そして、アメリカ流の極端な自由競争、これこそが経済を成長させるものであるとして、政財界は規制緩和と称して労働者の諸権利、農業者の生きていく権利、食糧の安全安定確保の権利の縮小、大企業の権利の拡大を図り、所得格差・地域格差拡大の推奨システムを構築してきた。こうしたなかでアメリカを本籍とする多国籍企業による日本経済支配も大きく進展した。平成はそういう時代だった。
 そしてワーキングプア、ホームレス、過労死、ブラック企業などという言葉が現れ、農林地の荒廃、限界集落化が進む等、所得格差、地域格差がさらに拡大していった(註5)。子どもの貧困率 (平均的な所得の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の子どもの割合)は平成に入って一貫して上昇し、一昨年は調査開始以来最悪の16.3%にも達している(註6)。結婚できない、子どももつくれない、高齢者だけ増えてくる、このままいけば日本はどうなるのか、こんな不安も出てきた。
 世の中何となく暗くなってきた。将来が見えなくなってきた。

 そこで昭和生まれは振り返ってみる、自分たちの若いころとどうも今は違う、戦後の昭和は何かもっと明るかったような、前途に希望があったような気がすると。子どものころ、青春のころ、働き盛りのころ、いろいろ問題もあったけれども、自分も、時代ももっと輝いていたのではなかろうか。アナログがまだ残っていたころ、もっとのんびりしていたころ、そして遠くなりつつあるあのころ、二度とふたたび戻ることのできない昭和のころ、それがなつかしく思える、みんなみんなよく思えてくる。
 そうした多くの人の思いが『昭和は輝いていた』をはじめ昭和を振り返り、なつかしがる番組をつくらせているのではなかろうか。
 その気持ちはよくわかる。しかしそこでとどまってはならないであろう。輝いていた昭和の中後期はなぜ輝いていたのか、昭和の初期はなぜ暗かったのか、そして平成になってなぜまたおかしくなっきたのか、そこから何を学んで未来を切り開いていくか、こうしたことをみんなで考えていくことが必要なのではなかろうか。

 過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち、これは誰しももつもの、私も当然のことながらもっている。
 とくに子どものころのことなど、あのときの田畑、山川、家々の風景、道路でみんな群がって遊んでいた時の情景等々、思い出すと胸が詰まってくることもある。もう二度と帰ってくることがないからましてやなのだろう。
 もちろん、苦しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、いやだったこと、いろいろあった。でも思い出すのはいいことばかり、なつかしいことばかりである。いやなことは浄化されてしまうのだろう(もちろん忘れたくとも忘れられない辛い過去もあるが)。こうした浄化作用(忘却作用?)が働かなければ人間は生きていけないのかもしれない。
 そして、失われてしまったかつてのよさ、失われつつあるよさを思い出すことで心がいやされ、生きる希望も出てくるときもある。
 それでついつい昔はよかったなどと言ってしまうのだろう。昔のままであって欲しいと思ったりもしてしまうのだろう。
 しかし、過去をすべて美化してはならない、過去の真実を忘れてはならない、と私は思う。忘れたくとも忘れてはならない過去、いくら辛くともきちんと向き合う必要のある過去、そこから学ばなければならない過去もあるのではなかろうか。
 でも、そんなことを私たちの口から言ってはならない人たち、というよりも言えない人たちもいる。
 たとえば満州からの引き揚げ者たち、沖縄戦で直接の被害を受けた人たち、原爆の被災者たちのなかに、そのときの体験を絶対に話さない人がいる。思い出したくもない、忘れたい、しかし脳裏から離れない、こうしていまだに苦しんでいる人がいる。その人たちにあのときのことを忘れるななどと絶対にいえない。話してくれ、書いてくれなどともいえない。それどころか早く忘れてくれと言いたくもなる。
 前に加害者は語らないと言ったが(註7)、被害者も語らない。時が過ぎるにつれて、そうした体験をした人がいなくなってくる。こうしたなかで語らなかった、いや語れなかった体験は記録もされずに消えていく。
 やがて苦しい悲しい体験は、辛い事実はなかったものとなっていく。たまに残されるそうした記録はごく一部の人の特殊な体験、それを一般化するのは誤りとして無視もしくは軽視される。そして歴史から真実は消され、支配者にとって都合のいい事実だけが歴史として語られていく。つまり歴史は歪曲されていく。
 今その過程が進行している。たとえば昭和のあの戦争は侵略戦争ではなかった、日本はアジア諸国にいいことをしたのだとまで、繰り返し繰り返し言われるようになってきている。前にも述べたように故郷を愛する気持ちを利用し、事実を捻じ曲げ、都合の悪いことを消し去り(最近のことでいえば中沢啓二の漫画『はだしのゲン』を有害図書として全国の図書館から撤去させ、原爆の被爆体験や戦前の悪政を多くの人の目に触れないようにしようとする動きなどはその典型例であろう)、目を隣国との紛争にのみ向けさせて愛国心をかきたて、もう一度戦前の時代に戻ろうとさえ言うのである。こうしたなかでその昔はよかったようだ、今の世の中悪くなっているのはそうした昔を捨てたせいではないかなどと考えるようになり、戦前のあり方に戻ろうなどという宣伝にひっかかることになる。そして独裁的にでもなんでもいいからエイヤッと世の中を変えて今の閉塞状況を打破してもらいたいなどとも考えるようになる。戦前の実体験のない人、大都市育ちが多くなるなかで、そうした考えを持つ人が多数派になってくる。そして国会でも多数を占めるようになった。
 それをいい機会に政財界は、言いたい放題、やりたい放題、「戦後レジームからの脱却」などと称して戦後築き上げてきた民主主義、平和主義をこれまで破壊してきた。

 しかし、まだまだ政財界の思うような世の中にはなっていない。
 とりわけ現政権と日米財界にとって残念なのは、平和主義の「戦後レジーム」なるものを、輝いていた戦後の昭和の作り出したものをいまだに突き崩せないでいることだ。憲法があるために、アメリカといっしょになって海外で戦争のできる国、軍需産業が栄えることのできる国にできないでいる。これを何とかしなければならない。
 もう一つ残念なことは、農産物の輸出入を全面自由化し、農業の生産から流通まで、農村住民の生活のすみずみまで日米の巨大資本の支配下におく、これがまだできないでいることだ。農協組織、農業委員会等がとくにそれをじゃましており、これを早急に何とかしなければならない。
 もちろん、労働法制の一層の規制緩和、法人税引き下げ、秘密保護法による言論統制等々、さまざましなければならないことがあるが、この二つを当面の重要課題として取り組もう。
 政財界は今こんな風に考えているようである。

(註)
1.司会:武田鉄矢・須黒清華、2013年~、毎週水曜日放送
2.当時の農村部の状況については本稿掲載記事の各所で触れているが、とくに第一部の前半(10年12月3日~11年1月21日の掲載記事)で述べているので参照されたい。
3.戦中、敗戦直後の都市、農村の状況については本稿掲載記事の第一部の後半、第二部の最初(11年2月7日~3月3日、4月11日~15日掲載)の中心課題として述べている。
4.11年6月3日掲載・本稿第二部「☆三種の神器、格差の縮小、中流意識」、
  12年4月16日~7月27日掲載・本稿第四部記事参照
5.12年9月3日~17日掲載・本稿第四部記事参照
6.厚生労働省「国民生活基礎調査」、14年7月16日付『河北新報』掲載記事より
7.14年9月1日掲載・本稿第七部「☆聞き書き・日本の軍隊」(5~7段落)参照

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR