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『暗かった戦前の昭和』への回帰




            遠くなった昭和、近づく敗戦前の昭和(8)

             ☆『暗かった戦前の昭和』への回帰

  政治家のなかに次のようなことを言うものがいる。
 最近の若者は、少年犯罪の増加からわかるように道徳心が低下し、また無気力となり、さらに自己中心的になって国家や会社に対する忠誠心が薄れてくる等、大きな問題を抱えるようになっている。「古き良き日本」ではこんなことはなかった。それなのにこうなったのは戦後の「民主教育」のせいであり、教育勅語や徴兵制を廃止したことによるものである。そこで必要となるのが改めて道徳教育を復活し、愛国心教育を強化することだ。また、教育勅語や徴兵制の復活も図っていかなければならない。
 こういうのだが、本当にそうなのだろうか。

 教育勅語、これについては前にちょっとだけ触れたが(註1)、小学校(私の時代は国民学校と呼ばれていた)の高学年になると暗記させられた。軍隊では『軍人勅諭』、小学校では『教育勅語』と歴代天皇の名前の暗記が必須とされていたのである。ただし私は暗記しなくてすんだ。高学年になる前に敗戦になったからである。それでも何かあると校長が教育勅語を奉読し、あるいは先生が引用し、上級生が暗記した勅語を読み上げたりしたのを聞いているのでその一部を今でも覚えているが、その勅語の中身はいいものだ、復活させようと言う動きが強まっているのである。つい最近もある大臣が教育勅語には「至極まっとうなことが書かれている」と発言している。
 そこで改めて教育勅語を読んで見た。
 たしかに「まっとうなこと」と思われることも書かれている。たとえば「父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉己レヲ持シ……後略……」等々の人間として守るべき道徳を説いており、こうした徳目には今も通用するものがあるようにみえる。だからこれを復活して教育の中心におくべきではないかというのだろうが、問題はこうした徳目を何のためにまもるのかということだ。よくよく読んで見ると、こうした徳目の羅列の最後に「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とある。要するに道徳をまもるのは「皇運」の扶翼のためである、つまり親孝行などの徳目をまもって「皇室の運命、天皇の勢威」を高めるお役にたちなさい、こう説いているのである。もう少し言いかえれば、天皇制=天皇を頂点とする身分序列の社会の維持発展のために道徳をまもりなさいということになる。
 それはこの勅語の最初の部分を読めばさらによくわかる。日本人は天皇の臣民=天皇の家来・被支配者である、この君臣関係をまもること、天皇のために忠誠を尽くすことが臣民の義務であり、それが日本の教育の根源である、つまり教育の中心は天皇に対する忠誠心の教育にある、まず最初にこう説いているのである。
 だから、当然のことながら、自由、平和、人権、平等の大事さなどという人間としての根本的な「まっとうなこと」は書かれていない。
 こんな教育勅語を復活していったい何をしようというのだろうか。

 そうはいっても、教育勅語のあった時代はよかった、勅語のなかにある徳目は守られ、今のような問題は起きなかった、いい時代だったという。しかし本当にそうだったのだろうか。
 たとえば「父母ニ孝ニ」、みんなそうしていた社会だっただろうか。現実にはしたくともできなかった。貧困のなかで病院に親をつれていくこともおいしいものを食べさせることもつまり孝行しようにもできない社会だった。娘たちが身売りをして孝行しなければならない社会だった。教育勅語の言う「義勇公に奉シ」という徳目を守らされて戦争に行かされ、そして殺され、孝行できなくさせるどころか親を悲しませ、親不孝をさせた社会だったのだ。
 「兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ」と言われても、次三男の地位は低く、女性の人権は認められず、相和するどころかきわめて不平等な関係におかれ、「博愛衆ニ及ホシ 學ヲ修メ」たくとも貧乏人はお金がなくてできなかった。
 多くの子どもたちは貧困にあえぎ、犯罪に走る者は今よりもはるかに多かった。軍隊内、職場内、校内、家庭内の暴力、いじめなど、当時「犯罪」としなかった犯罪も蔓延していた。
 こんなことをあげればきりがない。教育勅語の支配している時代は「古きよき時代」、理想社会ではなかったのである。
 ただし、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」、つまりお国のために身を捧げることに関してはきちんと守らされた。
 お国のいうこと、上の者の言うことを聞いて何でもする国民にしたい、戦争のできる国にもう一度したいという人たちからすると、これはまさに理想である。だからその問題点には目をつむる。
 そして言う、教育勅語の復活は必要だ、「徴兵制」=「一定の年齢に達した国民に義務として兵役を課す制度」を復活させようと。

 こんなことを言うブラック企業経営者がいるという。
 「人を不自由な環境下に一定期間置くこと、上に立つ人間とその下で従う人間の関係を明確にすることが必要なのではないか、そのために徴兵制を復活することを考えていいのではないか」
 さすがである、こうした考えをもっているからブラック経営ができるのだろう。しかし、こうした経営のやり方に不満を言ったり、やめたりするものもたくさんいる。それでは困るので徴兵制を施行して上の言うことには黙って従って働く若者をつくってもらいたい、ブラック企業の発展を図ってもらいたいと言うのである。
 国をまもるためというより、ブラック企業のために、そして働く人の権利も認めない不自由な環境の下で文句も言わずに経営者・上司のいうことにしたがって働かせることのできる社会にするために、徴兵制を復活しようとする、何とも言葉もない。
 しかし、それは本当に企業にとってプラスだろうか。たしかに日本の軍隊は上下関係がきちんとしていて規律正しかったらしい。前に述べたようにして(註2)上官の命令には絶対服従の兵隊に仕立てられたのだから当然かもしれない。しかし、上官がいなくなると何をしていいかわからなくなり、個々人が自発的に判断して戦うことができなかったという。上の命令でしか動けないようにしつけられているから、自主性、創意性を発揮できなくさせられているのである。人間性を無視した企業、一時期はよくとも結局どうなるか、考えてみる必要があろう。
 それはそれとして、このような徴兵制を施行したくとも、現在の憲法ではできない。そもそも戦争ができないからだ。これを何とかしたい。
 そこでやろうとしているのがヒトラー・ナチスのやり方の真似だ。

 某大臣は言う、「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか誰も気がつかない間に変わった、あの手口を学んだらどうか」と。つまり、憲法改正などしなくても政府が自由に憲法と違うことができるようにすればいい、ナチスがそうしたではないか、ヒトラーに学べというわけである。
 そしてそれを「集団的自衛権」問題でいま実践しつつある。憲法の解釈は閣議決定でできる、つまり内閣が憲法にかかわりなくやりたいことができる権限を持つとして、海外での武力行使は憲法に違反しないと閣議決定し、海外で戦争ができるように、政府が憲法に違背することができるようにしつつあるのである。

 もう一つ、真似していることがある。
 私たち子どももその名を知っていたナチス・ドイツのゲーリング(ヒトラーの側近中の側近)はニュルンベルク裁判で次のように発言したという。
 「戦争を望まない一般国民が指導者の言いなりになって戦争に参加するように仕向けるのはきわめて簡単である、国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているぞと脅し、平和主義者は愛国心が欠け、国を危険にさらしていると非難すればよい、このやり方はどんな国でも有効である」(註3)
 うまいことを言ったものである。これは真理かもしれない。
 戦前の日本がまったくその通りだった。中ソ米英蘭などが日本を包囲して攻撃しようとしている、在外居留民の生命が危険にさらされているとして国民を脅し、戦争に反対するアカや自由主義者は国を危険にさらしていると非難し、国民を日中戦争や太平洋戦争に引きずり込んだのである。
 今の日本の政治家はまた同じこと、ナチスの言ったのと同じことをやろうとしている。
 中国、韓国、北朝鮮やテロ、海賊から日本は攻められるぞ、海外にいる邦人が危機にさらされる危険性もある、そのときにどうするんだ、アメリカといっしょに戦わなければならないではないか、愛国心のない平和主義者の言うことを聞いていたら、憲法改悪に反対している連中のいうことを聞いて戦わなかったら領土は取られ、国民は殺され、日本は亡びるぞと脅し、愛国心を煽り立て、集団的自衛権を認めさせ、戦争に参加できるようにしようとしているのである。

 さらにもう一つ、ナチのやり方を真似ている。
 前にも述べたが、ヒットラーの「小さな嘘はばれるが大きな嘘はばれない」の言葉から学んで、太平洋戦争は侵略戦争ではなかった、やむを得ない戦争だった、日本は悪いことなどしなかったなどとウソをつき、二度と戦争はしないと戦後誓ったことは誤りであると主張するのである(註4)。

 そして言う、民主主義、平和主義などを基軸とする「戦後レジーム」はだめだった、国家よりも個人の価値を大切にすることを国民に教え、また自虐史観を教えて愛国心を失わせた、その結果今日本は危機的な状況におかれている、改めて古き良き日本に戻ろう、戦争のできる国、する国にして日本をまもろうと。そして、アジアの盟主として世界に名を馳せた戦前の輝ける日本を取り戻そう。
 ただし、アメリカの言うことを聞きながら、アメリカ流の極端な自由競争、所得格差、教育格差などはそのまま真似しながらという点が戦前とちょっと違うが。

 こうしたなかで日本人の意識は徐々に変えられる。そして軍備は増強され、自衛隊員はアメリカの盾として海外で戦わされ、そうした兵士を護るためには機密保護が必要だとして言論の自由が制限されるようになる。
 やがて戦死者も出てくるだろう。するとまず始まるのが戦死者の賛美だ。
 戦前も新聞雑誌、教育機関等々あらゆるものを動員して褒め称えたものだったが、おかげさまで幼かった頃の「肉弾三勇士」(私の生まれる前の上海事変で、戦死覚悟で点火した爆弾をかかえて敵陣に突入して鉄条網を爆破し、突破口を開いて勝利に導いたという3人の兵士)の話をいまだに覚えている。その他勇敢に戦死した兵士、それを涙も見せずに受け止めた家族等、美談として伝えられた話は数多あるが、「神風特攻隊」の英雄的な死の賛美は敗戦間近のことだった。
 こうした宣伝手段のなかに歌もあった。たとえばラジオでしょっちゅう流され、大人も子どももよく歌ったものに『父よあなたは 強かった』(註5)があったが、その歌の後の方では戦死=靖国に祀られることを賛美していた。
  「父よあなたは 強かった
   兜も焦がす 炎熱を
   敵の屍と ともに寝て
    ……(中略)……
   よくこそ撃って 下さった
    ……(中略)……
   あの日の戦に 散った子も
   今日は九段の 桜花
   よくこそ咲いて 下さった」
 それから子ども向けにつくられ、私たちもよく口ずさんだものに『兵隊さんよありがたう』(註6)があった。
  「カタヲナラベテ ニイサント
   ケフモグワッコウヘ ユケルノハ
   ヘイタイサンノ オカゲデス
    ……(中略)……
   オクニノタメニ センシシタ
   ヘイタイサンノ オカゲデス
   ヘイタイサンヨ アリガタウ」
 このような軍国歌謡は多々あったが、こうした賛美が再現するだろう。しかもかつてと違って情報化時代、あらゆる手段を通じて讃えることになろう。お国のために勇敢に戦って亡くなられた方はすばらしい、戦死は美しい、靖国に神として祀られる名誉が得られる、まさしく英雄だ、その家族も偉い、国民の模範だ等々の宣伝をする。そうして若者に戦死を恐れないようにさせ、それどころかいいことだと思わせ、戦争に行かせようとする。
 しかし、いくらこうして戦死を褒め称えてもやはり若い命は散らしたくない。それで自衛隊志望者は減少する。家族も反対するだろうし、反戦運動なども起きるだろうからなおのことである。そこで戦争賛美をさらに強く推進すると同時に、謀略等さまざまな手段を使って反戦運動を弾圧する。それでも思うように兵士は集まらない。一方で、戦争で必要な兵士の数は増える。それで兵士が不足する危険性がある。
 そこでやられるのが徴兵制(全国民に兵役を義務として課し,一定の年齢になると一定期間強制的に兵士として軍務に服させる制度)の復活だ。こうすれば人数はかき集められる。ただしそれは憲法で禁止されている。徴兵制は「何人も……その意に反する苦役に服させられない」という憲法十八条で禁じられているのである。そしてそれはこれまでの政府見解でもある。そこで憲法を改悪しようとする。しかしそれは容易ではない。そこでやられるのが今回の集団的自衛権問題でやられたような閣議での憲法解釈の変更だ。徴兵制は「その意に反する苦役」には当たらないと内閣は解釈すると決定するのである。こうして徴兵制が施行され、徴兵された若者はアメリカ軍の目下の一員として他国で戦わされる。
 そしてまた、暗かった昭和戦前の時代が、アメリカへの従属と新たな格差の拡大を伴って、復活する。ただし、軍需産業をはじめとする多国籍企業、ブラック企業には明るい時代が開けてくる。
 こんな未来を予測しつつ死んで行きたくはないのだが。

  「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
   山行かば 草生(む)す屍
   大君の 辺(へ)にこそ死なめ
   かへり見はせじ」
 戦中何度も何度も歌わせられ、また聞かされたこの『海行かば』(註7)、こんな歌を二度と歌いたくない、聞きたくないし、歌わせたくもない。息子はお国のために命を捧げ、神になったのだと褒め称えられ、泣きたくとも涙も流せなかった親を二度とつくりたくない。
 そんなことをしみじみ思う今日この頃である。

(註)
1.12年8月20日掲載・本稿第四部「☆宮城遙拝・勅語奉読」(1段落)参照
2.14年9月1日掲載・本稿第七部「☆聞き書き・日本の軍隊(1~4段落)参照
3.正確な訳文がわからないので、ネットでゲーリングを検索し、そこに出てくるゲーリングの言葉のさまざまな翻訳を参考にして書かせてもらった。
4.14年4月21日掲載・本稿第六部「☆忠君愛国から忠米愛国へ」(7段落)参照
5.作詞:福田節 作曲:明本京静 1939(昭和14)年
6.作詞:橋本善三郎 作曲:佐々木すぐる 1939(昭和14)年

7.この歌(原詞:大伴家持 作曲:信時潔 1937年)は、太平洋戦争中、ラジオニュースで戦果発表(大本営発表)をするさい、玉砕(日本軍部隊の全滅・敗北を軍部はこう表現した)や転進(負け戦による退却のことを軍部はこう言いつくろった)など多くの戦死者を出したニュースを伝えるときに、その冒頭曲として必ず流されたものである。私たちもそういうニュースがあると学校の朝礼のときなどに歌わされたが、何となく悲壮で重苦しく感じたものだった。
 なお、勝ち戦のニュースの前には『軍艦行進曲(軍艦マーチ)』が威勢よく流された。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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