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かつての農家のご馳走と鶏肉


                    家畜の飼育と私たちの暮らし(1)

 わが国の畜産がまた畜産物の消費がいかに変化してきたか。このことについては東北を中心に時代を追いながら本稿の各所で見てきたが、これから若干の期間、「家畜の飼育と私たちの暮らし」と題して、これまでとはちょっと違った視点からそれを見ていきたい。
 そのさい、畜産研究者のKT君(本稿にこれまで何回となく登場してもらっている)に、畜産の技術的なことについてわからないことや確認したいこと等々、いろいろと教えてもらった。それでこれからの記述はかなり正確になったと思うのだが、それでも誤りがあるとすれば、それは私の聞きもらしや聞き違い、勉強不足のせいであって私の責任であり、そのときにはお許し願いたい。

                  ☆かつての農家のご馳走と鶏肉

 私の子どものころの話である。客が私の生家を訪ねて来る。玄関先で挨拶をかわしてから家の者が客に言う。
  「さあさあ あがらっしゃい あがらっしゃい (お上がりなさい)」
  客は恐縮しながら下駄を脱ぎ、雑巾で足の底を拭いてから茶の間にあがってくる。お互いに改めて挨拶を交わす。それが終わると茶の間の火鉢の前に座った祖父が火鉢を挟んで向かいにおいてある座布団を指しながら言う、
 「どうが すわらっしゃい(どうぞ お座わりなさい)」
 客が座ると祖母がお茶を注いで出す(父の客の場合は父がする)。同時に、お茶請けとして自家製の季節の漬物をどんぶりいっぱいに盛って火鉢の引き出しの上の猫板の上に置く。
 「どうが あがっしゃい(どうぞ 召し上がれ)」
 「ごっつおさまっす(ごちそうさまです)」
 こうして主客向かい合ってお茶を飲みながら用件話や雑談が始まる。
 途中で祖父がいう、
 「つけもの あがっしゃい」
 遠慮してとらないと、祖父が箸でとって客に差し出す。
 「ごっつぉさまっす」
 そう言いながら客は掌に受け取り、口に入れる。
 遠方から来た客や親戚の場合、あるいは用事が長引いて食事時になった場合、祖父がいう。
 「ごはん あがて んがっしゃい (ご飯 食べて いってください) 」
 最初からその予定でいたのならいいが、急にそうなったら祖母と母が大変、いい迷惑である。あわててご飯の準備、それも家族と同じ粗末なおかずを出すわけにはいかないので、家族には出さない料理、めったに食べられない料理を一~二品つけ加え、丸いちゃぶ台を出してご飯やおかずを載せる。
 「なんにも ないげんと どうが あがて けらっしゃい」
  (何にも ないけれど どうぞ 召し上がって ください)
 そして客と祖父との食事が始まり、祖母がわきで給仕をする。私たちはいつもの囲炉裏のある居間で食べる。

 祖母はときどきぶつぶつ言う。
 「おらえのずんつぁん、なにがていうど すぐ『ごはんあがて んがっしゃい』ていうんだがら」
 (わが家のおじいさん、 何かと言うと  すぐ『ご飯食べて  いきなさい』と言うんだから)
 子どももおもしろくない。「何にもないげんと」ではないではないか、なぜおれたち以上におかずを出して差別するんだ、おれたちも食べたいと。特に以前から食事をすることになっていた客には魚などを準備して特別に食べさせ、家族は食べられないのでましてや不満である。幼いころはそんなことをあまり考えなかったのだが(家族のなかでは幼子は特別待遇で自分も食べられたし、お客さんからときどきお小遣いがもらえたからではなかろうか)、食糧難でろくなおかずのない小中学生時代、客が恨めしかった。
 このように子ども心に私たちは不満をもったものだが、祖父にとっては歓迎の気持ちを示すものはご馳走しか、自分の家でつくったもの、家にあるものでもっとも貴重な食=ご飯やおかず(もちろん今と比べたら粗末なものではあるが)を提供するしかなかったのではなかったろうか。そして出した食事をうまいといって食べてくれるのはうれしかったのではなかろうか。また、農家にとって食事を客に出してあげられることは誇りでもあったのではなかろうか(客に食事を出すのはおろか自分の家族が食うものもろくにない家も当時はかなりあったからである)。
 私の祖父ばかりではない、他の農家も同じだった。ともかくどの農家も客は歓待した。自分たちは食べなくともごちそうした。今はやりの言葉でいうと「おもてなし」、みんなこの気持ちをもっていた。

 1950年代初めのころ、食糧難の続いているころの話である。
 東京在住で当時はまだ20代後半の農経研究者SKさんたち仲間数人が宮城県南郷町(現・美里町)に調査に来た。戦後の混乱がまだ続いていて交通機関も宿もまともにないころなので、農家に泊めてもらうこととなった。
 その夕食に何と鶏の肉が出た。まともに肉など食えなかった頃、みんな大喜び、感激してごちそうになった。そしたら次の日の夜も鶏肉、さらに3日目の夜もである。
 当時はきわめて高価、しかも村のなかにまともな肉屋さんもないころ、どこから手に入れてごちそうしてくれるのかと若かった彼らみんな恐縮した。
 4日目の朝、洗顔で外の井戸のところにみんなで行ったとき、ふと気が付いた、裏にある鶏小屋の鳴き声が何となく淋しいと。小屋をのぞいてみて驚いた、数羽いた鶏が半分くらいになっているではないか。
 そうなのである、毎晩ごちそうになっていたのはこの農家が飼っている鶏だったのである。今のように魚があるわけでなし、町に買い物など行けるわけもなし、ましてや戦後すぐのこと、ご馳走しようにも何もない。そこで農家の方は自分の家の鶏を毎日潰してごちそうしてくれたのである。もちろん宿泊費はお支払いする。しかし売ればかなり高いし、まだ卵を産んでいる鶏でもある、まともに計算すれば完全に赤字、にもかかわらずなのである。
 農家の方に対してまた鶏に対しての申し訳なさ、あの鶏小屋の鳴き声とともに忘れられない、そういってSKさんは笑っていた。
 そうなのである、こうして農家は身を削って歓待したのである。
 でも、この鶏肉の一部は、この農家の家族も、しばらくぶりでしかも4日間続けて、食べたのではなかろうか。これがせめてもの救いである。

 肉を買ってご馳走するなどということはもちろん自分の家で食べることも普通の農家ではなかなかできなかった。そんなお金はなかった。
 でも鶏肉だけは食べようと思えば食べられた。ほとんどの農家が鶏を数羽飼っており、つぶして食べることができたからである。もちろんめったに食べられない。そもそも鶏は卵を産ませるために飼うもので、肉にして食べるために飼うなどという時代ではなかったからだ。卵を産まなくなれば飼っていても無駄なので潰して食べただけなのである。
 もちろん廃鶏として肉屋さんなどに売ることも考えられる。現金収入がないからできればそうしたい。でもわずか1~2羽の廃鶏を買いに来てくれる商人などなかなかいない(たまたま廃鶏が出た時期に来れば売るが)。売りに町まで行くのも大変、わざわざ出かけて売っても二束三文、それなら自分の家で食べた方がいい。それで鶏肉を食べることができたのである。
 いうまでもなく、鶏が卵を産まなくなるのは農家にとって不幸なことだった。現金収入源がなくなり、家族も食べられなくなる上に新たに雛を買って来て成鶏になるつまり卵を産むようになるまで餌を与えるなど金と手間暇をかけて育てなければならないからである。 
 しかし、めったにないごちそうにありつけるということでは楽しみでもあった。
 私の生家でもそうだった。前にも述べたように(註)、飼っている鶏を潰してその羽毛をむしっている光景を幼いころから何度も見ており、その肉を食べたことが何度もあったからである。その日の夕食のお汁に入っている鶏肉、本当においしいと思ったものだった。今のように冷蔵庫があるわけではなし、しかも大家族、さらにうまい、それで一晩のうちに食べきってしまったような気がする。でも一度だけ、何歳のころだったろうか、祖母が鶏肉の一部を醤油で塩っ辛く煮付けて戸棚に保存しておいたのを見つけた。こっそりつまんで食べたときのあのうまさ、忘れられない。

 おかしなものである、子どものころ食べた肉ではっきり覚えているのはこの鶏肉だけ、牛肉も豚肉も記憶にない。
 記憶にないと言うことは、食べたことがないということなのか、食べたのだが忘れてしまっているということなのか、これもはっきりしない。
 でも、きっと後者なのではなかろうか。それも戦争と戦後の食糧難が関係しているのではなかろうか。

(註) 10年12月15日掲載・本稿第一部「☆家畜の世話」(2段落)参照
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コメント

[C59]

記憶に残る食事とは、そうそうあるものではないですね。飽食の現代は特に。現代の方がよいとは思いますが。
  • 2014-10-09 19:08
  • Shusaku Ito
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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